問い続けることの大切さ アウシュビッツの非道
<信濃毎日社説>問い続けることの大切さ アウシュビッツの非道
ガラス越しに古びた旅行かばんが山のように積まれている。別の場所には大量の靴や食器、ブラシ類…。どれもポーランドのアウシュビッツ強制収容所に残されていた物だ。第2次大戦中、ナチス・ドイツが連行したユダヤ人らから没収した。
アウシュビッツはナチスの大量虐殺を象徴する場だ。犠牲者は100万人以上とされるものの、正確な数は今も分からない。ほとんどは、欧州各地から連行されたユダヤ人だった。
収容所の跡地は戦後、国立博物館となった。犠牲者の遺品や当時の資料を展示している。来年の大戦終結70年を前に今月9日、現地を訪ねた。
館内の展示は、ナチスの非道を生々しく伝える。長い毛髪の束もその一つだ。女性の髪を切って集め、衣料品の工場などに売っていた。「使える物は何でも使うという冷淡な合理性」。博物館の公式ガイド、中谷剛さん(48)の説明に衝撃を受ける。
博物館は、ポーランドの兵営を利用して設けた第1収容所と、3キロほど離れた第2収容所(ビルケナウ収容所)から成る。
第2収容所は140ヘクタールの土地に300余りの建物があった。欧州各地からユダヤ人らを運んだ鉄道の引き込み線も残る。
列車を降りた人たちは、その場で生死の「選別」をされた。労働力として使えない14歳以下の子どもは母親と一緒にガス室に送られるなど、多くの人が死に追いやられた。
連行される列車の中での不安や恐怖、ガス室で殺害される無念はどれほどのものだったか。想像すると、言葉をなくす。
▽現代に通じる課題
展示室のある建物の前に見学者が列をつくる光景も見られ、関心の高さを感じた。それぞれ入り口で渡された音声ガイドの解説を聞きながら展示と向き合う。人が大勢いるものの、館内にざわついた雰囲気はない。
「博物館という名前ではあるけれど、それ以上に記憶の場所。ここで亡くなった人たちを追悼する場所だ」。館側の説明が胸に落ちる。抵抗組織のリーダーらが処刑された「死の壁」では、花を手向ける姿も見られた。
博物館の見学者は、この10年で3倍に増えた。今では若い世代を中心に年間130万人以上が訪れている。ことしは9月までに100万人を超えた。これまで最も多かった一昨年の143万人を上回るとみられる。
なぜ増えているのか。博物館が理由の一つに挙げるのは、欧州の国々が教育のプログラムに取り入れていることだ。中谷さんによると、単に過去の出来事を学ばせるためだけではない。「移民の増加に伴って人種差別を背景にした暴動などが起きている。現に直面する問題への対処という面もある」と言う。
欧州連合(EU)の域内は人の移動の自由を原則とする。雇用不安などからくる反移民感情の広がりが懸念されている。
そうした中で移民との共生、共存を考える材料としてアウシュビッツを生かそうというものだ。70年前の惨劇が現代にも通じる問題なのだと気付かされる。
歳月とともに、収容所で生き延びた人たちは減っている。歴史を伝えていく難しさは、ポーランドも変わらない。博物館のバルトシュ・バルティゼル広報部長は「生還者から直接、話を聞く機会はなくなる。今は過渡期」と話す。
「若い世代に伝える上で最も重要なのは生還者の声」との考えから、録音や体験談など、これまでに集めた証言を組み合わせながら工夫していきたいという。
▽なぜ罪悪感なしに
展示の一つに、戦時中の第2収容所の写真がある。列車から降りてガス室へ誘導される人たちや収容所の監視員が写っている。中谷さんが解説する。「生死の選別をする医者も、監視員も、罪悪感を抱いている様子がありません」。
収容所の解放後、謝罪した監視員はいないという。「なぜ、罪悪感なしにできたのか。可能にした条件は何か。それを考える場として、この博物館があります」
自分が当時のドイツ国民、ナチスの一員だったら、どう行動しただろう。命令に従ってしまわなかったか、罪悪感を覚えたか、大量虐殺に異を唱えられたか…。説明を聞きながら、簡単には答えられない問いが次々に浮かんだ。
ナチスを断罪するだけでは済まない。どんな状況ならば、あれほど残虐になり得るのか―。そんな自問を続けることが大切なのだろう。アウシュビッツから何を教訓として引き出せるか。現代を生きる一人一人が向き合わなければならない課題だ。