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“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

アウシュビッツの非道

2014年10月22日 12時50分56秒 | 臼蔵の呟き

問い続けることの大切さ アウシュビッツの非道

<信濃毎日社説>問い続けることの大切さ アウシュビッツの非道

 ガラス越しに古びた旅行かばんが山のように積まれている。別の場所には大量の靴や食器、ブラシ類…。どれもポーランドのアウシュビッツ強制収容所に残されていた物だ。第2次大戦中、ナチス・ドイツが連行したユダヤ人らから没収した。

 アウシュビッツはナチスの大量虐殺を象徴する場だ。犠牲者は100万人以上とされるものの、正確な数は今も分からない。ほとんどは、欧州各地から連行されたユダヤ人だった。

 収容所の跡地は戦後、国立博物館となった。犠牲者の遺品や当時の資料を展示している。来年の大戦終結70年を前に今月9日、現地を訪ねた。

 館内の展示は、ナチスの非道を生々しく伝える。長い毛髪の束もその一つだ。女性の髪を切って集め、衣料品の工場などに売っていた。「使える物は何でも使うという冷淡な合理性」。博物館の公式ガイド、中谷剛さん(48)の説明に衝撃を受ける。

 博物館は、ポーランドの兵営を利用して設けた第1収容所と、3キロほど離れた第2収容所(ビルケナウ収容所)から成る。

 第2収容所は140ヘクタールの土地に300余りの建物があった。欧州各地からユダヤ人らを運んだ鉄道の引き込み線も残る。

 列車を降りた人たちは、その場で生死の「選別」をされた。労働力として使えない14歳以下の子どもは母親と一緒にガス室に送られるなど、多くの人が死に追いやられた。

 連行される列車の中での不安や恐怖、ガス室で殺害される無念はどれほどのものだったか。想像すると、言葉をなくす。

   ▽現代に通じる課題

 展示室のある建物の前に見学者が列をつくる光景も見られ、関心の高さを感じた。それぞれ入り口で渡された音声ガイドの解説を聞きながら展示と向き合う。人が大勢いるものの、館内にざわついた雰囲気はない。

 「博物館という名前ではあるけれど、それ以上に記憶の場所。ここで亡くなった人たちを追悼する場所だ」。館側の説明が胸に落ちる。抵抗組織のリーダーらが処刑された「死の壁」では、花を手向ける姿も見られた。

 博物館の見学者は、この10年で3倍に増えた。今では若い世代を中心に年間130万人以上が訪れている。ことしは9月までに100万人を超えた。これまで最も多かった一昨年の143万人を上回るとみられる。

 なぜ増えているのか。博物館が理由の一つに挙げるのは、欧州の国々が教育のプログラムに取り入れていることだ。中谷さんによると、単に過去の出来事を学ばせるためだけではない。「移民の増加に伴って人種差別を背景にした暴動などが起きている。現に直面する問題への対処という面もある」と言う。

 欧州連合(EU)の域内は人の移動の自由を原則とする。雇用不安などからくる反移民感情の広がりが懸念されている。

 そうした中で移民との共生、共存を考える材料としてアウシュビッツを生かそうというものだ。70年前の惨劇が現代にも通じる問題なのだと気付かされる。

 歳月とともに、収容所で生き延びた人たちは減っている。歴史を伝えていく難しさは、ポーランドも変わらない。博物館のバルトシュ・バルティゼル広報部長は「生還者から直接、話を聞く機会はなくなる。今は過渡期」と話す。

 「若い世代に伝える上で最も重要なのは生還者の声」との考えから、録音や体験談など、これまでに集めた証言を組み合わせながら工夫していきたいという。

   ▽なぜ罪悪感なしに

 展示の一つに、戦時中の第2収容所の写真がある。列車から降りてガス室へ誘導される人たちや収容所の監視員が写っている。中谷さんが解説する。「生死の選別をする医者も、監視員も、罪悪感を抱いている様子がありません」。
 収容所の解放後、謝罪した監視員はいないという。「なぜ、罪悪感なしにできたのか。可能にした条件は何か。それを考える場として、この博物館があります」

 自分が当時のドイツ国民、ナチスの一員だったら、どう行動しただろう。命令に従ってしまわなかったか、罪悪感を覚えたか、大量虐殺に異を唱えられたか…。説明を聞きながら、簡単には答えられない問いが次々に浮かんだ。

 ナチスを断罪するだけでは済まない。どんな状況ならば、あれほど残虐になり得るのか―。そんな自問を続けることが大切なのだろう。アウシュビッツから何を教訓として引き出せるか。現代を生きる一人一人が向き合わなければならない課題だ。


2閣僚辞任 これで幕引きにはならない

2014年10月22日 10時56分37秒 | 臼蔵の呟き

この社説で指摘するとおり、2閣僚の辞任で幕引きとはならないのは当然です。政治と金の問題が依然として、自民党型政治の中心にあることを示しています。その点の解明は政治にしか出来ない課題であり、安倍、自民党政権が避けられない課題です。

政治と金の問題を解決するとして政党助成金を年間300億円前後、2004年までの10年間で3126億円が共産党を除く各政党に支給されました。自民党の今回の辞任劇、政治資金問題は何も変わっていないこと示し、彼らの政党助成金導入の説明が欺瞞に満ちた詐欺的な政治行為であったことを示しています。また、自民党の主張に迎合し、政党助成金を貰い続ける政党にも大きな政治的な責任があります。また、このことで元社会党、現在の社民党のように政党としては消滅の危機に瀕していることも政治資金問題と切り離せない関係があります。結局は、国民にきちんと自らの党綱領、政策課題を説明し、党員確保、地域における政治活動を自らの資金で行わないような政党は支持基盤が根無し草のようになり、長期的には消滅する憂き目に会うのだと思います。

税金を政党助成金として支給する制度はやめるべきであり、思想信条の自由からいっても憲法違反であることは明々白々です。

<琉球新報社説>2閣僚辞任 これで幕引きにはならない

 第2次安倍改造内閣で登用された小渕優子経済産業相と松島みどり法相の女性閣僚2人が相次いで辞任した。いずれも有権者への利益供与が疑われてのことである。
 両氏の説明で、ことの経緯や内容が詳(つまび)らかになったとは言い難く、国民の納得を得るには程遠い。これで幕引きにしてはならない。
 両氏が問われているのは公職選挙法や政治資金規正法に抵触する可能性だ。言うまでもなくこれらの法は大臣にだけ適用されるものではない。閣僚を辞任しようと、国民が納得する説明ができない限り、そしてその説明で適法と証明されない限り、議員としての適格性も問われよう。
 小渕氏は辞任会見で物品購入の支出は適正だと強調した。ベビー用品や化粧品の購入を「県外支援者への贈答」と言うが、言葉だけでは証明にならない。親族企業への支出も含め、公私混同の疑いは消えない。そもそもネギを買うのが政治活動といえるのか。
 支出が収入を2600万円余上回る観劇会については、実費を徴収したとして支持者への利益供与を否定した。実費を徴収したのなら、確かに利益供与とは言い難い。
 だが本当に徴収したのなら、収入を隠したことになる。収入の一部が使途不明となり、何らかの裏金に回った疑いすら生じている。いずれにせよ、なぜ政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたのか、疑問は解消していない。今後、第三者を入れて調査するというが、徹底的に調査し、きちんと国民に報告してもらいたい。
 選挙区内からのネギの大量購入は利益供与に当たらないか、との指摘もある。松島氏のうちわも利益供与の可能性を疑われている。
 利益供与が禁じられているのは、選挙を金の力でゆがめる恐れがあるからだ。選挙の公正性に疑問を抱かせるのである。両氏とも利益供与の疑いを完全に払拭(ふっしょく)できない限り、議員辞職も免れないと認識すべきだ。
 両氏は、第2次安倍改造内閣の女性登用の象徴だった。改造が裏目に出た格好だが、問題は政治資金支出の適切性であり、性別とは関係ない。女性閣僚登用と結び付けて論ずるのは不適切だ。
 政治と金をめぐる問題は常に取り沙汰されるが、今なお続いていることが嘆かわしい。安倍晋三首相には任命責任がある以上、疑惑解明の責任も自覚すべきだ。


靖国神社に再び供え物奉納「亡霊参拝」カードは放棄せず

2014年10月22日 05時49分28秒 | 臼蔵の呟き

何が問題なのか?中国、韓国政府が問題にしていることはかつての日本天皇制政府と日本軍が行った侵略戦争の謝罪と反省が現在の自民党政権に無いことを問題としています。しかも、侵略戦争の事実とその主要な歴史的事実を否定し、亡き者にしようとする政治的な策動を容認できないと感じているのです。そのことを本質的なところでは分かっていながら、形式的な言質、行為ではごまかす。靖国神社の存在、その靖国を絶対化する政治、軍事思想こそが中国、韓国政府が容認できないことなのです。そのことは安倍、自民党極右政権は一番よく知っています。

だからこそ、彼らは靖国参拝と、慰安婦問題での国家関与の否定、歴史認識の改ざんを繰り返し行うのです。

隣国であり、かつて侵略戦争を引き起こし、巨額の侵害を与えた中国、韓国などアジア各国が日本の自民党政権を批判するのは当然です。

このような外交関係の軋轢、友好関係が作れない事態を改善するには安倍、自民党右翼議員集団が関与する政権を退陣させるしかありません。TPPで国益がと繰り返し主張する安倍、自民党極右政権ですが、中国、韓国、アジアとの経済関係抜きに日本の存在はありえないくらい重要な外交問題です。

<人民網日本語版>安倍氏が靖国神社に再び供え物奉納「亡霊参拝」カードは放棄せず

 靖国神社の秋季例大祭が17日に始まり、イタリア訪問中の安倍晋三首相は内閣総理大臣の名前で再び供え物を奉納した。中韓と国内保守派の双方に配慮したものだが、「亡霊参拝」という切り札を放棄したことにはならないと分析される。中国新聞網が伝えた。

■過去の参拝で安倍氏が提訴される

 報道によると、安倍氏が今回参拝を見送ったのは、参拝に反対する中韓両国と賛成する国内保守派の双方に配慮して、第2次安倍政権発足後の春季例大祭、秋季例大祭と同様の手法を取ったものと解釈される。また、東アジアの安定を望む米国の意向を考慮したものでもあるようだ。

 2012年12月の第2次安倍政権発足以降、安倍氏本人による春季例大祭と秋季例大祭での「真榊」奉納、閣僚複数の参拝、超党派議員連盟による集団参拝という「3点セット」が、ほぼ固定的パターンとなっている。安倍氏は現時点では、参拝しないような口ぶりだが、参拝というカードを放棄したわけではないとの認識でメディアは一致している。

 実際には、「亡霊参拝」という安倍氏の意図は繰り返しはっきりと示されている。今回故意に取り繕っても、本当の意向を覆い隠すことはできない。安倍氏はかつて、第1次安倍政権時に靖国神社を参拝しなかったことを「痛恨の極み」とし、第2次安倍政権発足後1年となる2013年12月26日に参拝を行った。在任中の首相による靖国参拝は2006年の小泉純一郎氏以来7年ぶりだった。当時中韓両国は強い反対を表明し、米国も失望を表明した。

 今後も参拝するかどうかについて、安倍氏は故意に曖昧な表現をしており、口先では「参拝そのものが外交、政治問題化していることは残念だ。この点から、今後参拝するか否か言うつもりはない」と言明したものの、言動を見ると靖国神社を「神聖な場所」としてあがめている。

 安倍氏は靖国神社に代わる国立追悼施設の建設を検討することへの反対を繰り返し表明しており、第2次大戦のA級戦犯を分祀することについても意見を表明したことがない。安倍氏は「たとえ他の追悼施設を建設しても、遺族は参拝に行かない」と、靖国参拝の意義を公然と強調。「一国の指導者として死者のために手を合わせて祈る心を持ち続ける」とも言明した。

 安倍氏の「亡霊参拝」行為は日本国内でも民衆の支持を得ていない。今年9月、安倍氏の昨年12月の靖国参拝で日本国憲法の保障する平和的生存権を侵害されたとして、日本の市民222人が安倍氏、国、靖国神社を相手取り、参拝差し止めを求める訴えを大阪地裁に起こした。大阪地裁では同様の提訴は今年4月以来2回目だ。現在までに原告は768人にまで増えている。

 「人民網日本語版」2014年10月17日

戦犯崇拝でないと言いながら…靖国神社側「分祀はいけない」

 [ⓒ 中央日報/日本語版]

「分祀はいけない」。18日に靖国神社で会った神社関係者は「神道にそのような概念自体がない」と断固語った。ここに合祀された太平洋戦争のA級戦犯を分祀すればどうかという質問に対する回答だった。韓国と中国は靖国神社参拝に関する問題が浮上するたびに、A級戦犯を分祀するべきだと日本政府に要求してきた。靖国神社には約245万6000人が合祀されているが、東条英機元首相らA級戦犯14人が含まれている。特に2006年に小泉純一郎首相が現職の首相として初めて参拝した後、靖国神社は東アジアの葛藤の「核」となった。朝日新聞をはじめ日本国内でも「分祀を考慮してみよう」という主張が出てくるほどだ。

しかし神社の関係者は「神道では死んだ後の魂を人為的に分けることができる存在と考えない。流れる川にコップ1杯の水を注げば、後にその部分だけ再び取り出すことができないのと同じ」とし「ここはA級戦犯を崇拝するためのものではない」と主張した。その後、神社内にある小さな神社2カ所を案内し、「一つは日本との戦争中に死亡した外国人と民間人を、もう一つは明治維新に抵抗した幕府軍を祀ったところ」と説明した。この関係者は「死亡すれば味方と敵の区別がなくなる。すべての魂を慰めて祀るところが靖国神社」と繰り返し主張した。

この日、靖国神社には午前から多くの人々が訪れた。前日に始まった秋期例大祭(17-20日)のために来た参拝客だった。靖国神社の関係者は「例大祭は1年に2度(4月、10月)開かれるが、全国各地から護国英霊を哀悼する参拝客が集まる。靖国神社の最も大きな行事の一つ」と述べた。

天皇が送った勅使と日本閣僚の参拝が予定されていたため、日本メディアも集まった。午前10時30分に天皇が送った勅使が神官とともに供物を肩にのせて登場すると、参拝客は合掌したまま頭を下げた。靖国神社境内の戦争博物館「遊就館」では「大東亜戦争70年特別展」も開かれていた。内部には、太平洋戦争当時に米国の戦艦に自殺攻撃をした「神風」特攻隊の零戦などが展示されていた。建物の隅には生徒たちが描いた「零戦」も展示されていた。