“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

中韓との外交摩擦と軋轢

2014年01月31日 20時01分59秒 | 臼蔵の呟き

札幌は大雪です。前日は気温が2度になり、雪が融けていました。1日たった今日は、最高気温が零下、大雪、猛吹雪となり、体がついてゆかない感じです。家の一階は雪の中に完全に埋まりました。後二ヶ月も雪の季節が続くと思うと気が狂いそうです。

安倍、自民党極右政権が尖閣列島領有権問題、防空識別圏で外交上の軋轢が増す中、靖国参拝で止めを刺したというのが現実的な見かたではないかと思います。安倍は円安、株高を根拠として景気回復を宣伝し、支持率頼みの軍国主義的な政権運営を強めていることが中国、韓国から見れば、日本の政権が非常に危険な動きをしていると見るのは当然のことです。安倍、自民党の歴史認識、歴史改ざん、右翼的な政策課題の列記などを通じて、戦後最も右翼的な政権、政権党として注目があつまっていることは確実です。

世界の中で2、3番目の経済力を持ち、中国のように世界の総人口の約二割をもつ大国が戦争などを起こせば、とんでもないことになると感じる、考えるのは当然のことです。自民党の世界観、歴史認識が日本をとんでもない方向に引きずっていることを本当に憂えるものです。このような政権党、安倍政権を早く、退陣させることは日本にとって重要な政治課題であると思います。

<ウオールストリートジャーナル>

【ダボス(スイス)】安倍晋三首相は、今年の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)の主役の一人となった。22日の基調講演では「日本は復活した」と宣言し、経済の回復について熱く語った。だがそれだけではない。記者団に対して首相は、現在の日中関係の緊張を第1次世界大戦開戦前の英国とドイツの対立と何気なくなぞらえ、これがさらに大きな波紋を投げ掛けた。

 安倍首相は確かに、戦争が始まる見通しはないと明言した。だが、首相発言がきっかけで、ダボス会議を毎年訪れる銀行家、経営者、政治家などの出席者の間で、経済規模が世界第2位の中国と第3位の日本の間で武力衝突が起きる可能性が話題に上った。

 ダボスのリゾートで開かれた非公開の夕食会やカクテルパーティーでも、東シナ海に浮かぶ沖縄県・尖閣諸島(中国名:釣魚島)の領有権をめぐる対立がもとで日本と中国が戦争を始める確率が話題に上った。

 世界経済を動かす力を持つ人々の間で、正真正銘のリスク要因の一つとして本格的な戦争が話題になっているという事実は、それだけでも困った兆候だ。

 日中の政府高官は、侮辱的な言葉の応酬を何週間も続けている。英紙デーリー・テレグラフの報道によると、中国の劉暁明駐英大使は、日本を英人気童話「ハリー・ポッター」シリーズの悪役のヴォルデモート卿になぞらえた。劉大使による日本非難は、安倍首相が12月に靖国神社を参拝したことが引き金となった。アジアでは、靖国神社は広く日本の軍国主義の象徴だとみられている。

 それにしても第1次世界大戦の原因に関する安倍首相の考察や、今のアジアが当時と似た状況にあるとの見方への衝撃は大きい。第1次大戦開戦(1914年)後100年を迎えた今年、歴史学者や安全保障に詳しい専門家の間でそうした話題が広く論じられているとしても、だ。

 安倍首相の発言についてコメントを求められた中国外務省の秦剛報道官は「軍備増強と戦争への準備」を進めているとして、安倍首相を非難した。米政府の諮問機関である国家情報会議の議長を務めた経歴を持つハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、歴史が伝える「警告」は理解できるが、「第1次世界大戦との類推を誇張し過ぎるのは危険だ」と話した。当時の世界は現在とかなり違うとの見方も示した。

 まず、100年前と違い、現在の世界には核抑止力が備わっている。日本にはアジアの警察官を自認する米国の強い後ろ盾がある。その米国は、尖閣諸島も日米安保条約の対象範囲内だとの見方を明らかにした。つまり、たとえ限定的な紛争であっても、始まれば米中間の核兵器をめぐる対決につながるのではないかとの不安がすぐに浮上することになる。愛国的なパフォーマンスが日本でも中国でも国内政治面で有利に働くのは事実だが、大胆かつ困難な経済改革を集中的に進めている両国の政治指導者らにとり、外交関係の緊張が始末に負えないほど深刻化することを回避したいと考える理由は十分にある。

 いわゆる「アベノミクス」が長期的な成功を収めるかどうかについての確証はどこにもないが、日本経済は安倍政権下で、ここ20年余りで初めて活気が戻った兆候を見せている。

 一方の中国では、より低率ながらも持続性のある成長を達成しようと、習近平国家主席が国内経済の微妙なかじ取りに専念している。

 ただ一つ、不確定要素がある。北朝鮮だ。北朝鮮は中国も含む全ての近隣諸国への脅威であり、ごく小さな領土をめぐっての対立は避けたいと周辺国政府に思い直させる勢力になる可能性がある。核兵器保有国でさらに不安定さを増している北朝鮮政府は、地域の当事者間の対立にうまくつけ込む方法を常に探っている国だ。外交上の緊張はすでに、そんな北朝鮮の思うつぼとなっている。

 日本による朝鮮半島侵攻と容赦のない植民地支配という古傷が安倍首相の靖国参拝をきっかけに開いたことから、日本と韓国の関係はさらに悪化している。

 一方で米国は首相の靖国参拝に失望を示し、将来的な参拝を控えるよう要請している。参拝で日米関係が試された格好だ。

 今のアジアの急発進を支えた基盤はもちろん、地域の平和だ。平和こそが、世界経済の原動力となっている地域の繁栄を支えている。中国は自ら、平和な国際環境なしでは経済成長を完遂できないとの見方を長い間にわたり示してきた。

 それでも、戦争が起きる可能性は完全に排除できない。国内で強く支持される愛国主義的な圧力にさらされている両国の指導者にとって、何らかの事件をきっかけに対立姿勢を強めずにいるのは容易ではない。例えば、海上自衛隊輸送艦と中国のトロール漁船が衝突した2010年の事件は、日中対立の大きな火種となった。ハーバード大のナイ教授によると、同じような出来事が今、発生する「可能性は十分にある」。そうなった場合の結果は、事態の深刻化がどのように抑制されるか次第だ、と指摘した。ただ同教授は「戦争にはならないと、けっこう楽観的にみている」と述べた。


アメリカオバマ政権の年頭演説

2014年01月30日 12時58分21秒 | 臼蔵の呟き

歴史の流れが、一国行動主義、アメリカの軍事力に基づく覇権主義を拒否し、政治経済問題の対等平等、平等互恵主義、話し合いによる交渉を主流とする国家関係に変化していることを如実に示しています。歴代アメリカ政権、ブッシュによる軍事力による威圧と、覇権主義の外交方針が破綻したことを示しています。そもそも、巨額の財政負担を伴うアメリカ軍の維持、軍事作戦、戦闘行為はアメリカの財政、資金を浪費し、国力の衰退に拍車をかけています。歴史の教訓は等しく、アメリカにも適応されていることを示しています。

アメリカが軍事力による国連内での発言権維持はこのような流れの中で相対的には弱まることは確実です。イラク、アフガン戦争遂行、シリアへの軍事干渉は更なるアメリカの国力低下、衰退をもたらすことは自明のことです。アメリカ以外の多くの国家にとっては歓迎すべきことであり、歴史の進歩を促進することも確かです。アメリカ共和党議員は歴史の流れ、アメリカに対する他国の評価を素直に受け入れることができないガラパゴス化した議員集団でもあります。国内で、過去の栄光を忘れることができずに、軍事力依存、傍若無人の政治経済主張は、国際的には受け入れられないものであり、そのことを理解する瞬間が必ず来ます。

もう一つは新自由主義政治経済の中心地であるアメリカの政治経済が大きな矛盾にぶつかり、停滞を余儀なくされていることです。失業率の高止まり、貧富の格差拡大、医療保険制度のなどの社会保障制度の解体などを通じて、アメリカ社会の貧困化、低所得化は極度の社会的不安定さを生み出しています。そのことによる地域の荒廃、治安維持の困難さをもたらしています。行動に発達したアメリカの産業、経済社会の未来が、従来型の政治経済では見通せなくなっていることも示しているのだと思います。

アメリカオバマ政権の政策

【ワシントン】オバマ米大統領は28日の一般教書演説で、指導力への国民の信頼回復を目指し、大統領令の行使によって格差の是正と景気回復の加速化を達成するという目標を設定した。大統領の演説は基本的に、勢いを失いつつある自らのアジェンダ(政策目標)に新たな息吹を吹き込み、議会分裂を乗り切り任期を全うするための宣誓となった。その目標は、大統領を議会の言い争いにうんざりしている苦境にあえぐ米国民の擁護者と位置づけ、厳しい経済環境下でも国民が貯蓄や所得を増やし、就職できるようにするための政策を提案することにある。

 「今年は行動の年にしよう」。大統領はこう呼びかけ、「あらゆる人々に機会を与えるというシンプルかつ根本的な信念」の下に国民は団結しているとし、そうした考え方は「世界的な競争と新たなテクノロジーによって」深刻なダメージを受けていると述べた。

 一方、共和党議員は大統領の行き過ぎた権限拡大に警鐘を鳴らし、大統領は議会への歩み寄りを放棄していると指摘した。ジョン・スーン上院議員(共和、サウスダコタ州)は、2010年に制定された医療制度改革法の修正や長く先送りされているキーストーンXLパイプライン建設の承認などの超党派政策について、大統領は「われわれと協力すべきだ」とし、「それどころか彼は全面的に一方的な行動を取ろうとしている」と述べた。ホワイトハウスは、大統領令の行使によって政府運営の新たな退職貯蓄制度を設立することも大統領は検討する意向だと述べた。一方で大統領は、特定の目標は議会承認なしに達成し得ないことを認識し、議会で行き詰まっている諸提案の推進を呼びかけた。中でも進展を求めているのが、移民制度改革や子供のいない低賃金労働者向けの給付付き勤労所得税額控除(EITC)の増額・拡大、連邦最低賃金の現行の時給7.25ドルから10.10ドルへの引き上げだ。そのほか、大統領はキューバのグアンタナモ米軍基地の収容施設閉鎖も再び呼びかけている。ホワイトハウス当局者によると、収容施設を年内に閉鎖できるよう、グアンタナモからの収容者の移動に難しい条件を付けないようよう議会に要請する計画だ。また、大統領は、スタートでの不手際で批判的な向きを勢いづかせ、国民の不信感を招いた医療制度改革法についても強く弁護する構えだという。

 大統領は演説で、自分はワシントンという舞台の単なる1人の役者ではなく、広いビジョンを持った、世論調査で不人気なことが明らかな議会とは独立した存在の大統領だということを示すことを目指しているという。

 これらの政策は、低い支持率にあえぎ、大統領としての能力に対する悲観論が出ている中で、オバマ氏が議会内と一般国民の間でけん引力を回復しようとする広範な努力の一環だ。28日発表された最新のウォール・ストリート・ジャーナル/NBCニューズ共同世論調査結果では、大統領の仕事に対する支持率は43%で、不支持率51%を下回った。不支持率が支持率を上回ったのは4月以降9回のWSJ/NBC調査で8度目だ。

 調査では、オバマ氏が提唱した連邦医療制度改革の基幹部分のスタートで不手際があって4カ月たった今日、大統領任期満了まで残りの期間にオバマ氏が良い仕事をするかどうか確信できないとする有権者が10人のうち6人近くに上った。同氏に楽観的ないし期待するとの回答は10人に約4人だった。

 ホワイトハウスのマクドノー首席補佐官は28日、CBSインタビューで「フルタイムで働き、自分の仕事に邁進している者は、誰も貧困の中で生活すべきでない」と述べた。

 一般教書演説はオバマ大統領がこれまで達成できなかった政策提案の多くを改めてまとめたもので、インフラストラクチャー(社会資本)事業、早期児童教育プログラム、大学進学へのアクセス拡大などを盛り込んでいる。オバマ氏はまた、議会に対し、あらゆる米国の労働者を対象として連邦最低賃金を時間当たり10.10ドルに引き上げるとともに、移民制度の改革法案を可決するよう改めて要請する。

 オバマ大統領の議会への要請は、ホワイトハウスの立法上の野心が劇的に縮小したことを浮き彫りにしている。共和党は、オバマ氏が議会との妥協の模索を放棄したと批判し、大統領の権限の行き過ぎを警告している。

 上院のミッチ・マコネル共和党院内総務(ケンタッキー州)は、最低賃金法案が向こう数週間後に上院に提出された時、共和党はもっと雇用を創出すると信じる独自の代替案を出すだろうと述べた。同総務は「われわれはこれを議論する用意がある」と述べた。同じく共和党のジョン・スーン上院議員(サウスダコタ州)は、オバマ氏はキーストーンXLパイプライン建設や医療保険法に絡んだ問題など「超党派の措置でわれわれと協力すべきだ」と述べた。同議員は「オバマ氏はそうしないで、物事全体に関する一方的行動を話題にしている」と述べた。

 オバマ氏の提案が直面する難題は相当に大きい。昨年の一般教書演説で提案した数十のプランが未完のままであるだけに、米国民はオバマ氏が約束を履行する力があるか懐疑的だ。

 大統領の行政権限の限界ももう一つの制約要因になる。大統領が行政命令を通じて達成できるものは、議会が通過した法案ほどに永続的でない。しかしオバマ氏は、自らのアジェンダの一部が議会で萎えている中で、他の手段によって自らの目標の一部を達成できることを示す必要がある。

<東京新聞社説>

オバマ米大統領の一般教書演説は、米国の内向き志向を一層鮮明にするものだった。秋の中間選挙に向け、国際社会は米国の指導力低下を前提にした秩序づくりを迫られよう。

 元米中央情報局(CIA)職員による際限のない盗聴暴露、オバマケア(医療保険改革法)の致命的な躓(つまず)き-。一連の逆風で大統領の威信が傷つくなか、演説の主テーマが目に見える数少ない成果とされる景気回復に置かれたのは当然だったかもしれない。

 「失業率は過去五年で最低になった。住宅市場は回復している。製造業部門は一九九〇年代以降初めて雇用を拡大している。ここ二十年で初めて、国産原油の生産量が輸入量を上回った。そしてほぼ十年ぶりに、世界の経済指導者は中国ではなく米国を最良の投資国に選んだ」

 年初恒例の施政方針演説に託すオバマ氏のメッセージは過去五回概(おおむ)ね一貫している。アフガニスタンとイラク二つの戦争の終結と未曽有の金融危機克服を前提に中間層の重視、所得格差の是正など「公正な社会観」に基づく米国再生のシナリオだ。「再生はもう間近だ。それを信じてほしい」。締めくくりの一節が国民への最大の訴えだったのだろう。

 「強い米国」「小さな政府」を掲げる共和党との価値観の激しい対立が昨年、政府機能一部停止という最悪の結果に繋(つな)がったことは記憶に新しい。演説でオバマ氏が出した答えは、議会を経ずに可能な大統領令による措置を積極的にとる考えだった。従来の国内融和、協調路線の放棄にも映ることには懸念が残る。

 特に、国際的にも批判が高まる国家安全保障局(NSA)によるサイバー監視については、一部修正する方針を示しつつ「アルカイダなどテロの脅威は依然ある」として継続する判断を示した。行きすぎたサイバー監視については司法の場でも違憲性が払拭(ふっしょく)されていない。より慎重な判断があってしかるべきではなかったか。

 公正社会の象徴とも位置付けられるオバマケアについても900万人の新規加入があった、と自負してみせたが、高い理想を掲げつつ十分な技術的裏付けを欠いていたことへの不信感は残されたままだ。

 中間選挙を意識して攻勢に転じた今回の訴えが有権者に伝わるか否か。まずは、昨年のような予算をめぐる政府機能停止を阻止できるかどうかの手腕が問われよう。


使用済み核燃料、核のごみの処分

2014年01月30日 10時59分48秒 | 臼蔵の呟き

福島第一原発事故が起きて、原子力発電所の危険性が日本国民、全世界に理解が広がりました。また、自然災害が原子力発電所装置に甚大な被害を与えることも判明しました。ところが、民主党政権、自民党政権は、事故原因を事実に即して解明し、あきらかにすることを避けています。そのために、安全安心であるとの神話を再度、復活しようとしています。

今までの原子力発電所稼動で、使用済み核燃料、ごみは保管場所の確保、既存保管場所に収容できないくらいに増加しています。その最終処分場の選定は過去の自民党政権時代から、今日まで選定することも出来ずに、なし崩し的に原子力発電所の稼動、核廃棄物の新たな発生が垂れ流され、放置されてきました。このことが事故後盛んに議論となり、再稼動すべきでない、原発は廃棄すべきである。との声になり、多くの国民に支持されています。東京都知事選でも宇都宮候補、細川候補がその点を含めて、廃止すべきと訴えています。

今回の学術会議の検討開始の発表は、歓迎すべき行動です。同時に、このような検討を行うためにも原発の再稼動は行うべきではなく、科学的視点での検討結果、提案を待つべきです。また、再生可能エネルギーへの投資を加速させ、エネルギー政策の抜本的な変更を進めることを要求します。

<東京新聞社説>

長期間、強い放射線を出す使用済み核燃料、核のごみの処分について、日本学術会議が具体的な検討を開始した最終処分を考える前に、まず暫定保管をどうするか。私たち自身の問題でもある。

 使用済み核燃料から再利用できるウランとプルトニウムを抽出する。それが再処理。搾りかすの液体をガラスで固め、金属製の容器に入れて、地中深くに埋める-。

 政府は再処理、再利用が前提の核燃料サイクル計画破綻後も、地層処分の方針を変えてはいない。

 科学者の立場から役割を担う日本学術会議は一昨年九月、独自に「暫定保管」を提案し、私たちも支持している。

 核のごみを数十年から数百年、処分ではなく、いつでも取り出せるように保管しながら、並行して安全に処分できる新技術、方法を探す。技術が確立するまでは、核のごみを増やさない「総量管理」の必要性も唱えている。人体に影響のないレベルになるまでに十万年。そんな先まで地中の変化を予測できないという、科学者の良心に基づく提言だ。

 ドイツの地層処分候補地だったゴアレーベンでは、想定しない地下水脈が見つかって、白紙撤回を決めたばかりだ。火山も水脈も多い日本で適地は見つけがたい。処分場候補地の選定は、全国の電力会社などで組織する原子力発電環境整備機構(NUMO)が、自治体から立候補を募る公募方式を採ってきた。開始から十一年。最大二十億円の交付金が出るにもかかわらず、進展がない。 政府は昨年末、国が複数の適地を選び、直接自治体に受け入れを求める積極関与を表明した。福島事故の処理や補償が進まず、国、電力会社への不信がなくならない現状では、候補地の名前が挙がっただけで、大混乱を招くだろう。

 だとすれば、現状では学術会議が言うように、最終処分の看板は掲げず、再処理せず、冷却装置付きの容器に入れるなどして厳重に暫定保管するしかない。だが、どんな方法か、コストは、場所は…。検討はこれからだ。総量管理の観点からは、少なくとも最終処分の方法が決まるまで、原発の再稼働はすべきでない。だが、すでに出してしまった膨大な核のごみは無視できない。

 学術会議は九月には、技術課題や合意形成についての見解をまとめるという。国民的議論のたたき台として国も注目すべきである。


NHK経営委員の右翼的人物の配置と政治的偏向の行き着く先

2014年01月30日 08時57分09秒 | 臼蔵の呟き

国会の場でもNHK会長の歴史認識、慰安婦問題、靖国参拝問題が問題となり、質疑の対象になっています。その中で懸念されていたことが具体的に表れてきています。

国営放送ではないこと、視聴料を基本とした公共放送、放送法に基づく報道倫理規定から言っても許せない内部の自主規制が始まり、広範囲に拡大しつつあることを示しています。このようなことを続けることでNHK自身が国民、視聴者から見放されます。また、戦時中の大勢翼賛体制の一翼を担ったマスコミの誤り、苦い教訓を汲まないことは多くの国民から、批判されることは確実です。視聴者である国民の方向を向かずに、経営者の顔色を伺うことは本末転倒もはなはだしいといわざるを得ません。

<NHKの政治的偏向報道姿勢>

NHKラジオ第一放送で三十日朝に放送する番組で、中北徹東洋大教授(62)が「経済学の視点からリスクをゼロにできるのは原発を止めること」などとコメントする予定だったことにNHK側が難色を示し、中北教授が出演を拒否したことが二十九日、分かった。NHK側は中北教授に「東京都知事選の最中は、原発問題はやめてほしい」と求めたという。

 この番組は平日午前五時から八時までの「ラジオ あさいちばん」で、中北教授は「ビジネス展望」のコーナーでコメントする予定だった。

 中北教授の予定原稿はNHK側に二十九日午後に提出。原稿では「安全確保の対策や保険の費用など、原発再稼働コストの世界的上昇や損害が巨額になること、事前に積み上げるべき廃炉費用が、電力会社の貸借対照表に計上されていないこと」を指摘。「廃炉費用が将来の国民が負担する、見えない大きな費用になる可能性がある」として、「即時脱原発か穏やかに原発依存を減らしていくのか」との費用の選択になると総括している。

 中北教授によると、NHKの担当ディレクターは「絶対にやめてほしい」と言い、中北教授は「趣旨を変えることはできない」などと拒否したという。

 中北教授は外務省を経て研究者となり、第一次安倍政権で「アジア・ゲートウェイ戦略会議」の座長代理を務めた。NHKでは「ビジネス展望」だけでなく、二〇一二年三月二十一日の「視点・論点」(総合テレビ)で「電力料金 引き上げの前に改革を」と論じたこともある。

 中北教授は「特定の立場に立っていない内容だ。NHKの対応が誠実でなく、問題意識が感じられない」として、約二十年間出演してきた「ビジネス展望」をこの日から降板することを明らかにした。

◆詳細は答え控える

<NHK広報局の話> 中北さんに番組に出演していただけなかったのは事実です。詳細は番組制作の過程に関わることなのでお答えを控えます。

【解説】公平公正 裏切る行為

 中北徹東洋大教授のNHK降板問題で、中北教授はNHK側に「都知事選期間中は原発の話はやめてほしい」と迫られたという。再稼働を進める安倍晋三政権の意向をくんで放送内容を変えようとした可能性は否定できない。

 選挙期間中であっても、報道の自由は保障されている。中北教授は予定原稿で「現状では原発稼働がゼロでもアベノミクスが成果を上げている。原発ゼロでも経済成長が実現できることを実証した」「経済学の観点から、巨大事故が起きた際の損害額のリスクをゼロにできるのは、原発を止めることだ」と指摘した。

 NHK側が問題視した中北教授の原稿は、都知事選で特定の候補者を支援する内容でもないし、特定の立場を擁護してもいない。

 NHKの籾井(もみい)勝人新会長は就任会見で「国際放送で日本政府の意向を伝える」としている。原発再稼働を強く打ち出している安倍政権の意向を忖度(そんたく)し、中北教授のコメントは不適切だと判断したとも推測できる。

 原発政策の是非にかかわらず受信料を払って、政府広報ではない公平公正な報道や番組を期待している国民・視聴者の信頼を裏切る行為と言えるのではないか。 


新自由主義経済の問題点と醜悪さ

2014年01月29日 11時00分16秒 | 臼蔵の呟き

この主張は笑ってしまうような言い訳を展開しています。経済学者の講演録を使い、自らの主張とする点で、同じ考え方であることを意味しています。新自由主義経済のもつ本質を「競争」⇒「協力」という言葉で置換することで表現上の感情的な受け止め方を変えることはできるかも知れません。しかし、問題の本質は新自由主義政治経済がもつ現実社会における醜さ、貧富の格差拡大、社会的な不平等の拡大は実態として何も変わらないという点です。アメリカ、日本、イギリスなどの大手金融機関、多国籍企業、大手企業は利潤追求、労働者の労働条件破壊などを共通して追及しており、その結果として非正規労働の拡大、賃金水準のとめどない低下、労働条件の悪化、長時間労働の拡大を進めていることこそが問題である。同時に、大手金融機関、多国籍企業は法人税率の引き下げを各国政府に求め、租税回避措置を通じて利益の最大化を図っています。また、企業が負担すべき地域社会における社会的責任を回避し、社会保障制度維持に必要な費用を削減、回避することを政治に強いています。

このような企業行動が新自由主義政治経済の問題です。この問題の本質がまったく変わらないで、競争という用語から協力という用語への変更でことの本質が変わるはずもありません。アメリカ、新自由主義信奉社会の矛盾が激化していること、矛盾は爆発寸前まで来ていることを示しているのだと思います。笑ってしまうような珍説を展開する経済学者、大手マスコミの浅はかさには驚くばかりです。

<ウォールストリートジャーナル>

ローマ法王フランシスコは11月に発表した「使徒的勧告」と呼ばれる文書で「市場の専制」を批判した。このように、自由市場に対する嫌悪感は高まりをみせている。ここ米国でわれわれは、経済の6分の1を占める医療保険業界を、中央管理メカニズムにゆだねようとしている大統領を2度も選んだ。ニューヨークの有権者は極端な反市場主義の候補を市長に、フランスの場合は筋金入りの社会主義者を大統領に選んだ。ほかにも例は挙げられる。

 このエンポリオフォビア、市場恐怖症はどうすれば説明がつくのか。市場が最大の富、健康、幸福を人類に提供しているという圧倒的な証拠があるのに。

 私のようなエコノミストにも責任の一端はある。「協力」(cooperation)ではなく「競争」(competition)という言葉を使う時に、反市場のバイアスを醸成してしまうのだ。競争は勝者と敗者を連想させるため否定的な意味合いがあり、私たちは自然と敗者に同情を感じる。一方、協力という言葉がもたらすのは肯定的な反応で、敗者のない「ウィン・ウィン」の状況を思い起こさせる。また実際には、競争という言葉は協力という単語ほど適切には市場の活動を表していない。「競争経済」は「協力経済」と言った方がぴったりしそうだ。

 最も基本的な経済単位である取引を考えてみよう。双方が自発的な交換で何かを得るのだから、取引とは協力的なものだ。市場には競争があるが、これは実際には協力するための権利を追求するための競争である。企業は顧客に何かを売るための特権、つまり顧客と協力する権利を得るために競争しなくてはならない。労働者は雇用主と協力する権利を求めて競争する。競争が重要なのは、最も効率的な参加者が、可能なかぎり最高の条件で協力する権利が保証されるためだ。だが、競争が果たすのは補助的な役割なのに対し、協力は市場を繁栄させる。

 協力は経済の中でより重要なだけではない。より一般的でもある。私たちは、売ったり買ったりしている全ての製品の生産に関わる全ての人と協力している。決して知ることのない数百万人の人たちだ。一方で私たちは競争もしている。相手は数人ないし数社だ。エコノミストらの言うように、「純粋な競争」(政府その他の干渉がなしにも資源が最も価値の高い用途に流れる自由市場モデル)では、競争は全く存在しない。だが、そうであっても、経済に関する著述には影響がないようだ。経済学の入門書9冊の平均では、「競争」への言及は「協力」の8倍に上る。世間が経済のことを考える時に、競争が思い浮かぶのも無理はない。

 こうした議論は言葉の問題にすぎないように思われそうだが、言葉には意味と力がある。「競争経済」よりも「協力経済」のほうがずっと受けがいいはずだ。

 例を挙げよう。ウォルマートが街にできて、小さな店がいくつか消える。この事象をどう解釈するか。競争という言葉で考えると、「ウォルマートが競争で小さな会社に勝ち、廃業に追い込んだ」となるだろう。一方、協力という視点で捉えれば、「ウォルマートはよりいい条件で商品を売ることで顧客と協力するという仕事に優れていた。小さな企業は同じような協力ができなかった」となる。同じ事象だが、感情的な反応は全く違ってくる。

 同様に、弱者は市場で競争に敗れてきた、と私たちは言うかもしれない。これを、弱者は有用な技能や売りを持たないために他者とうまく協力できない、と言う人もいそうだ。

 ここでも、競争との絡みで状況をみると競争で弱者を打ち負かしたとみられる人たちを罰することにつながりかねないため、言葉が重要になる。何も悪いことをしていないのに、だ。さらに、最低賃金法などで取引条件が制限され、弱者が協力することが一段と難しくなる可能性がある。これとは対照的に、協力という言葉を使うと、弱者の技能を伸ばし、市場で売れるものを与えるのが解決策であることが示唆される。

 エコノミストはもともと、勝者と敗者を決めるためのイベントであるスポーツから競争という言葉を借りてきた。だが、経済では、交換によって誰もが勝者になれる。エコノミストは、市場経済が人間を繁栄させる強力な道具だと納得する人を増やしたければ、そうした点を区別すべきだ。

(筆者のポール・ルービン氏はエモリー大学の経済学教授でサザン・エコノミック・アソシエーションの元プレジデント。本稿はプレジデントとして11月13日に行った講演の抜粋)

*表現の一部を修正して再送しました。