アメリカの経済関係機関が、下記のように分析するくらい深刻な貧困、格差の拡大―――新自由主義政治経済がもたらす弊害が無視できないくらい深刻化している現状が報告されています。当然と言えば当然ですが、日本の政治経済が、アメリカを真似し、アメリカに追随することを至上とする限り、早晩、日本もこのような経済、社会問題に突き当たることは当然でしょう。
『格差の拡大が社会にもたらすコストは、市民性の共有という共和国の理想が侵食されることだろう。
貧困と格差の拡大は貧困層が教育の面で不利になる状況が次の世代に受け継がれていることも、経済発展の大きな足かせになる。借金まみれで教育水準も上がらない経済では、将来の成功はおぼつかない。』
<フィナンシャル・タイムズ>
格差というものは、どこまで拡大したら懸念すべきなのだろうか。これは道徳や政治の問題だが、経済の問題でもある。今日では、格差はある点を超えると重大な経済問題をもたらすとの認識が広まっている。 世界で最も重要な高所得国であり、国内の格差が図抜けて著しい国でもある米国は、格差が経済にどんな悪影響を及ぼすかを教えてくれる試験台になっている。その結果は憂慮すべきものだ。
この認識は今や、普段なら社会主義だと指弾されることのない金融機関などにまで広がっている。格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)の米国チーフエコノミストの手によるリポートと、大手金融機関モルガン・スタンレーのリポートは、格差は拡大しているだけでなく米国経済に打撃を与えているとの見方に同意している。
米連邦準備理事会(FRB)によれば、2013年の米国では、所得階層の最上位3%の世帯が全世帯の所得合計の30.5%を受け取っており、それに次いで豊かな7%の世帯が16.8%を受け取っている。つまり、残り90%の人々の取り分は半分をわずかに上回る程度だった。
また、1990年代前半以降にこの所得の取り分が拡大したのは、最上位の3%だけだった。さらに、2010年以降は世帯所得のメジアン(中央値)が低下する一方で平均値は上昇している。つまり、所得格差は拡大を続けているということだ。
モルガン・スタンレーのリポートは格差拡大の要因として、低いスキルしか求められない低賃金で不安定な職の割合が高まっていること、高学歴の賃金プレミアムが拡大していること、税や歳出の政策による所得再分配の規模が20~30年前よりも小さくなったことなどを挙げている。
その結果、経済協力開発機構(OECD)によれば、米国は2012年に、比較的賃金の低い職の割合が高所得国の中で最も高い国になった。また米連邦政府の移転支出のうち、所得階層で最下位20%の人々の手に渡る割合は、1979年には54%だったものの、2010年にはわずか36%にとどまっていた。
逆進性――それぞれの負担能力と比較した時に、貧しい人の負担が豊かな人のそれよりも重くなること――のある給与税が2015年度の連邦政府の歳入に占める割合は、32%に達すると予想されている。これに対し、高所得者の負担が相対的に重い連邦所得税の割合は46%になると見込まれている。
企業幹部の報酬がほかの人々に比べて大幅に増えていることに加え、労働者から資本家に所得がシフトしていることも重要だ。FRBの政策も比較的裕福な層に恩恵をもたらしてきた。FRBは資産価格を引き上げようとしているが、その資産の大部分は富裕層が保有しているのだ。
こうした報告から、格差の拡大が経済に及ぼす影響が2つ浮き彫りになる。1つは弱々しい需要。もう1つは、教育水準向上ペースの鈍化である。
あの金融危機がやって来るまでは、需要に関する最大の議論は、実質所得が増えない人の多くがその穴埋めに借金をしているというものだった。
住宅価格が上昇していたからこそできたことで、2007年後半には、債務残高が可処分所得の135%相当額でピークに達した。そこに危機がやって来た。多額の債務を抱え、追加の借り入れもできなくなった低所得者は支出を切り詰めるしかなくなった。「モーゲージエクイティ引き出し(MEW)*1」も激減した。その結果、消費の回復は過去に例がないほど弱々しいものになっている。
返済能力のない人に向こう見ずに貸し付けるのは、理にかなったことではない。だが上記の状況は、お金を使う人に所得が再分配されるか、新たな需要の源が出現するのでなければ景気は浮揚しないことを示唆している。
残念ながら、後者の新たな需要源がどんなものなのか、全く分からない状況にある。政府は支出を増やせる状態にない。企業は、需要に大きな伸びが見込めないことから投資を手控えている。純輸出も期待できない。今ではどの国も輸出主導の経済成長を望んでいるからだ。
米国では教育を巡る状況も悪化している。現在25~34歳の世代が受けた教育のレベルが55~64歳の世代が受けた教育のレベルと変わらない国は、高所得国では米国だけだ。
これは、大学教育大衆化の時代を切り拓いた米国にほかの国々が追いついてきたためでもあるが、貧しい環境に生まれ育った子供たちが、大学を卒業するのが難しい状況に置かれているためでもある。
*1=住宅資産の価値の上昇分を現金化して引き出すこと。具体的には、住宅価格が上昇した時に、それまでよりも大きな額の住宅ローンに借り換えて手元の現金を増やすことなどを指す
S&Pのリポートによれば、最も貧しいグループに入る世帯で大学を卒業した人の割合を1960年代前半生まれと1980年代前半生まれで比較すると、この20年間で約4ポイントしか上昇していないことが分かるという。一方、最も富裕なグループに入る世帯では、この値が同じ時期に20ポイント近く伸びている。
しかし、大学卒でなければ、社会階層を駆け上ることができる可能性はかなり小さくなってしまうのが実情だ。その結果、裕福な家庭の子供たちは大人になっても裕福であり続ける公算が大きく、貧しい家庭の子供たちは大人になっても貧しいままとなる公算が大きくなっている。
これは、持てる才能を発揮できない人たちだけの問題ではない。国全体の教育水準を高められなければ、その国の長期的な成功にも響く公算が大きい。教育を受けたことによる利益の中には、地位財を得たことへの報酬も含まれているかもしれない。ゼロサムのレースを勝ち抜いてきたため、ほかの人よりいい生活ができるということだ。
しかし、国全体の教育水準が高まれば、国民全員がより高いレベルの繁栄を謳歌できるようにもなる。
格差の拡大が社会にもたらすコストはまだある。筆者が思うに、その中でも最大のコストは、市民性の共有という共和国の理想が侵食されることだろう。
米国の連邦最高裁判所は、富裕層の意に沿うように憲法を曲げようとしており、政治的平等という共和国の前提が危険にさらされている。富や権力において格差が大きく広がることは、以前にもいろいろな共和国を空洞化させてきた。この時代でも同じことが繰り返される恐れがある。
とはいえ、そのような懸念を持たない人々にとっても、格差拡大がもたらす経済的なコストは無視できないはずである。米国のローレンス・サマーズ元財務長官が言及した需要の「長期的停滞」は、所得の再分配の変化に関係しているからだ。
同様に、貧困層が教育の面で不利になる状況が次の世代に受け継がれていることも、経済発展の大きな足かせになりつつある。借金まみれで教育水準も上がらない経済では、将来の成功はおぼつかない。