“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

原子力規制委員会人事案

2014年05月31日 12時51分35秒 | 臼蔵の呟き

国民多数が求めるのは原子力発電所を稼動させずに、廃炉にすることです。しかし、安倍、自民党政権は、国民の多数が反対する原発再稼動に突き進み、電力会社、原子力産業、大手金融機関の要請を国民の要求の上におき、強行しようとしています。そもそも電力受給は安定しており、現在、原発再稼動の緊急性は全くありません。家庭も企業も節電、省エネに取り組みそのことが社会的な常識になってさえいます。安倍、自民党、電力会社にとっての利益源を確保し、利益を永続的に上げる仕組みを維持したいと言うのが彼らの本音です。

そのためには、当面の小さな障害である規制委員会の負の影響力をも排除したい。それが、安倍、菅、経済産業省の意図です。彼らにとって障害となるものはすべて、排除する。特に、政権が持っている人事権を使って政治支配を強化すると言う、露骨な介入を繰り返しています。NHK会長、経営委員への籾井、長谷川、百田の就任も然りでした。また、内閣法制局長官人事もその1つでした。本当に彼らはおろかな政治屋です。このようなことを通じて、国民に彼らの本質を非常に分かりやすく、お知らせする効果もあるからです。彼らが口と言葉で国民をどんなにずるく、だまそうとしても、このようなことにより彼らの欺瞞的な体質、政治意図、政治の私物化を証明しているからです。

彼らの思惑を政治に反映させるために人事介入することを黙って容認することは出来ないと思います。徹底してこのような政治、行政機関の公的性格を捻じ曲げ、私物化することを許してはならならないと思います。

<北海道新聞社説>原子力規制委員会人事案 撤回も視野に再検討を

 原発再稼働にひた走る安倍晋三政権の露骨な人事介入と言わざるを得ない。

 政府は、原子力規制委員会の島崎邦彦委員長代理と大島賢三委員が9月の任期満了時に退き、その後任に田中知(さとる)・東大大学院教授と石渡(いしわたり)明・東北大教授を充てる人事案を提示した。

 田中氏は日本原子力学会の元会長で、「原子力ムラ」の中心にいた人物とされる。電力会社の関連団体から報酬を受けていることが判明するなど、適格性を欠くとの厳しい指摘がでている。委員は、原発推進とは明確に一線を画し、政府から独立して審査に当たるのが責務だ。田中氏の人選には重大な疑義が残る。

 人事案がすんなりと同意されるなら、規制委の中立性が損なわれる。国会は、人事撤回も視野に入れ、田中氏の適否を徹底的に審議すべきだ。

 規制委は現在、北海道電力泊原発など全国11原発の再稼働に向けた安全審査を進めている。東京電力福島第1原発事故の反省に基づき、科学、技術の見地から厳格な審査に徹することが使命だ。

 今回の人事では、地震の想定で厳しい立場を貫いてきた島崎氏の去就が注目された。再稼働を強く求める経済界や自民党議員から批判の声が上がっていたからだ。こうした事情が退任の背景にあるなら、国民の納得など得られまい。地震の専門家である島崎氏が退くことで、審査姿勢が甘くなることへの懸念も拭えない。

 規制委のメンバーに地震の専門家が不在となることも、審査のバランスを欠くことにならないか。

 問題視される田中氏の経歴をさらに詳しくみてみよう。田中氏は、原子力業界団体の理事を歴任し、2011年度には東電の関連団体から50万円以上の報酬を受け取っていた。

 民主党政権時代に定めた規制委の人選基準によると、就任前の直近3年間に原子力関連団体から報酬を得た人物は除外すると規定している。田中氏はこの基準に抵触する恐れがある。ルールをないがしろにしてまで田中氏を起用する政府の狙いはどこにあるのか。審査を骨抜きにして原発再稼働に道を開く意図があるなら、到底容認できない。

 原子力規制に対する国民の信頼と期待を裏切らないためにも、政府は田中氏を選んだ理由について説明責任を果たさねばならない。

 国会で議論を重ね、疑念が拭えないなら白紙に戻すべきだ。


アメリカの支配終焉

2014年05月31日 11時23分00秒 | 臼蔵の呟き

封建時代から資本主義時代へと歴史が進歩してきました。その過程で産業革命、第一次大戦、第二次大戦を通じて21世に至っています。スペイン時代の海軍力、イギリスの世界支配と海軍力、植民地統治(インド、オーストラリア、香港など)、アメリカの経済力と軍事力(第一次大戦、第二次大戦)、社会主義と資本主義の比較、対抗などがこの新しい時代の大きな流れであったと思います。これらの時代を通じて、一貫してずば抜けて大きな経済力を確保した国家による政治的・軍事的支配が世界で通用してきました。しかし、20世紀末期から21世紀にかけて、ほとんどの植民地が独立し、主権の確立を行いました。同時に、それらの国家を含めて、新興国経済の発展が進み、それぞれの国家の自主独立の尊重、対等平等の関係は世界秩序の基本的ルールとして確立してきました。

第二次大戦後のアメリカの経済力、軍事力は圧倒的な力を持っていました。そのことがアメリカの政治経済、軍事分野における支配に利用されました。しかし、アメリカが度重なる軍事侵攻、地域紛争への軍事介入がアメリカ財政、経済力を疲弊させ、力の根源となる経済力、財政力の疲弊を促しました。このこと自身は非常に皮肉な現象、結果でもあります。これらを通じてアメリカ一国による政治支配は終焉しようとしています。そのことを誰よりもアメリカ大統領オバマ氏は理解しているのだと思います。このことは、歴史の流れに沿ったものであり進歩です。世界各国が歓迎すべきことです。

現時点でも地域紛争はウクライナ、中東、東アジア、アフリカなどで勃発しています。その多くは資源の収奪、宗教対立などを原因としており、解決のためには長い時間がかかることは確実です。しかし、紛争を話し合いで解決する方法論を取る限り、何らかの形でその解決の道は見出されるものと思います。世界の秩序を維持するために少数国の政治経済力に期待することよりも、国連を中心とした、紛争解決の話し合い、調停が基本ルールとして受け入れられ確立されることが21、22世紀の最大の課題ではないかと思います。

<信濃毎日社説>新たな秩序へ指導力

 米国による「一極体制」の終わりを、自ら宣言するかのような演説だった。

 オバマ米大統領が陸軍士官学校で行った外交演説である。他国への軍事介入に慎重な姿勢をあらためて表明。外交や多国間の枠組みを軸とする国際協調路線を継続することを鮮明にした。2017年1月まで2年半余となった残り任期中の、米外交の基本方針を示したものだ。

 冷戦崩壊後、「唯一の超大国」として世界に絶対的な影響力を及ぼしてきた米国は、アフガニスタン、イラクでの「対テロ戦争」で疲弊。莫大(ばくだい)な戦費負担が財政を圧迫し、経済の低迷にも苦しんだ。もはや米国に、率先して軍事行動を起こす選択肢がないことを、演説は示唆している。

 一方で、その「力の空白」を突くように、ロシアはウクライナ南部クリミア半島の編入を強行。中国は南シナ海で資源開発を一方的に進めるなど、実力で自国権益を拡張する動きを強めている。米政権が、シリア内戦への軍事介入を見送ったことや、ロシア、中国の行動を制止できないことに「弱腰」の批判もつきまとう。

 外交演説はオバマ氏の従来の姿勢に沿ったものだが、この時期にあらためてそれを示したのは、11月に中間選挙を控え、批判に反論する意図があったからだろう。ただ、ロシアや中国の行動を非難はしたものの、それにどう対処していくのか、米国としての明確な政策を示せてはいない。平和解決への有効な手だてが見いだせない苦しさも見て取れる。

 中国の国内総生産(GDP)が日本を抜いて世界第2位になったのをはじめ、インド、ブラジルなど新興国の台頭は目覚ましい。軍事面でも中国は飛躍的に力を増してきた。

 米国主導から、中国などの新興国が存在感を高める「多極化」の世界へ。その流れが強まる中で、米国の世界での役割も変化を迫られている。

 資源や権益をめぐる紛争や対立を平和的にどう解決していくか、グローバル化に伴う経済格差をいかに解消し、紛争やテロの防止につなげるか…。世界の安定に向けて取り組むべき課題は多い。

 オバマ氏は演説で「米国は常に世界の指導的立場にいなければならない」と述べた。多極化は、指導国不在の“無極化”につながる恐れもはらむ。軍事力によらない世界の新しい秩序づくりの方向性を示すことができるか。オバマ政権が引き受けた責任は重い。


自民党政権の住民帰還政策

2014年05月30日 10時58分59秒 | 臼蔵の呟き

自民党政権が進めた原子力政策の結果として、福島第一原子力発電所が事故を起こし、福島県浜どおり地方が汚染され、避難地域になったことは誰デモが知っていることです。その点では、東京電力、歴代自民党政権、原子力産業、御用学者の刑事責任、政治責任は明確です。その自民党政権が賠償費用を減らしたいと東京電力に代わって、避難地域の住民に帰還を促す。帰還できる環境、条件を整備し、何の不安もない形まで整備して、帰還を要請するならば、良いとしても、汚染の不安、生活上の不安がある地域に故郷だから、帰るのが当然と言われても、帰還できないのは当然のことです。

避難者を思い、避難者の立場で考えれば、分かりきったことです。誰が事故を起こし、故郷を放射能で汚染したのかーーそれは歴代自民党政権であり、東京電力です。彼らの政治的な責任は消えることはないのです。

<信濃毎日社説>住民の帰還 国と東電に問われる責任

 「来年春以降を目指す」。福島県楢葉町の松本幸英町長が会見し、町民に帰還を促す目標時期を明らかにした。

 東京電力福島第1原発の事故で被ばくした楢葉町では全町民が避難生活を強いられている。町は今春、町民の避難先で懇談会を開いてきた。帰郷への不安の声を聞き、その時期を町自ら判断するためだった。

 国は町内の住宅地や道路などの除染は3月に終えたとする。電気やガスもほぼ復旧した。それでも町が、帰還までに1年近い間を置いたところに、条件を整えることの難しさがうかがえる。

 一応の除染とインフラを戻すだけでは、避難者は帰るに帰れないだろう。放射線量の低減策を続けるとともに、コミュニティーを再建し、就労の場を確保しなければならない。3年前から時が止まったままの避難区域の復興は、これからが本番だ。

 福島県の調査によると、原発事故で避難している人の多くが、帰郷の条件に「放射線の影響や不安が少なくなる」「原発事故の今後について不安がなくなる」ことを挙げた。懇談会で示された楢葉町民の意向も同様だった。

 避難者のためらいをよそに、国は帰還への動きを徐々に広めている。4月には福島県田村市の都路(みやこじ)地区で避難指示を初めて解除。川内村でも協議を始めた。

 政府は都路地区の解除に当たり、再度の面的な除染はしないと断言している。年間被ばく線量を1ミリシーベルト以下とする政府目標に達していないばかりか、森林はほとんど手付かずなのにもかかわらずだ。被ばくの心配を拭うには、長期的な取り組みが求められる。

 避難区域で計画されている、汚染土壌や放射性廃棄物を保管する中間貯蔵施設も帰郷の不安材料になっている。必要な施設だけれど、肝心の住民への説明はなおざりだ。安全策を丁寧に説明し、理解を得ることが欠かせない。

 賠償の問題も大きい。政府は避難指示解除後は、避難者に支払う毎月の慰謝料を1年で打ち切るとしている。住宅損害への賠償も十分とは言えない中で、生活再建のめどが立つのだろうか。

 除染や賠償の問題に早く区切りを付け、原発事故克服の目につく成果としたい政府の思惑が透ける。苦しんでいる自治体や避難者の立場に立って、復興指針も賠償指針も何度でも見直し、暮らしの再建を支えていかなければならない。それだけの責任が、国と東電にはあるはずだ。


維新の分党・分裂 

2014年05月30日 09時25分08秒 | 臼蔵の呟き

維新の会が分裂しました。右翼的政治勢力が、選挙で勝つために野合した付けがまわり、憲法改正問題で、分裂に至りました。しかし、この維新の会は、政治でいえばもっとも重要な平和、靖国参拝、従軍慰安婦問題、民主主義、基本的人権の維持擁護、原子力発電所の稼動、エネルギー政策、消費税税率の引き上げ、TPP交渉促進では自民党と政策的にニヤリイコールでした。個別政治課題では自民党の政策よりも過激な主張を繰り広げていました。第三極の本質は、野党ではなくて、自民党よりも右翼的な政治勢力として、日本政治に右傾化を促進するという犯罪的な役割を果たしていました。

この維新の会が分裂したのは当然のことであり、国民からみたら感激すべきことです。このような勢力が野党を語って、政治を右傾化させたこと、野党の共同を阻害したことの改善に役立つものです。

そもそも、政党は政治理念が一致していること、党綱領が明確に存在しなければ政党としての機能を発揮することは出来ません。そのことは民主党が政権について、大混乱し、国民的な批判を浴びたことを見れば当然のことです。

現在の日本の政治経済の閉塞状況は、自民党型政治、政策課題の推進によってもたらされたものであり、この自民党型政治への批判、転換が基本にならない政策課題は意味を持たないことは自明のことです。選挙に勝つことが最優先し、野合しているような維新の会、みんなの党、結いの党、民主党などが日本が抱える政治経済の閉塞感を打開する展望を提示することができないことはあきらかです。彼らは自民党の補完勢力としてしか、機能しません。

<毎日新聞社説>維新の分党へ 再編より反省が先だ

 実態は自壊である。衆院で野党第2党の日本維新の会の石原慎太郎、橋下徹両共同代表が分党で合意した。石原氏が結いの党との合流に憲法観の違いなどから反対したことで方向性の違いが決定的となり、維新の会は分裂する。

 石原、橋下両氏という東西の二枚看板で現在の姿となった同党だが、憲法観や原発政策が異なり、体質も違う旧太陽の党と旧維新の会が合体した矛盾が結局、露呈したと言える。理念なき野党再編に走るような愚を繰り返してはならない。

 石原氏は記者会見で「憲法を直したい。結いの党との合体は合点がいかない」と強調した。石原氏は結いの党との共通政策に「自主憲法制定」を盛りこむよう求めたが、江田憲司代表は拒否したという。

 江田氏によると橋下氏は「自主憲法など大した問題ではない」と折り合いをつけようとしたとされる。だが、その認識は誤っている。

 自主憲法制定を掲げるかどうかは現憲法下の戦後政治を肯定的に評価するか、さらに憲法論議をいわゆる「押しつけ論」に立脚して展開するかを決定づけるものだ。政治の根幹にかかわる部分で相いれない以上、分裂はむしろ当然だ。

 衆院選を控えた1年半前、理念や政策に違いを抱えたまま構造改革路線の旧維新の会とタカ派色の濃い旧太陽の党は合流した。当時「憲法破棄」を唱える石原氏に橋下氏は強く反論していたものだ。方向性の違う双頭体制が機能しなかった反省が足りないのではないか。

 維新の会迷走の大きな要因は橋下氏の言動にもある。従軍慰安婦問題をめぐる発言が混乱を呼び、肝心の大阪都構想は失速状態で、出直し大阪市長選も空回りに終わった。いわゆる第三極勢ではみんなの党も分裂したうえ、渡辺喜美前代表は「政治とカネ」の問題で党首を退いた。与党との対立軸を示せず、野党として十分機能しなかった責任は重い。

 分党が橋下氏らの勢力と結いの党の合流を加速させる可能性はある。だが、理念と政策軸を打ち出さない限り、生き残り目当ての離合集散という印象はぬぐえまい。

 石原氏は結いの党との合流に反対した理由に集団的自衛権問題もあげた。安倍晋三首相が目指す憲法解釈の変更を橋下氏は支持するが、江田氏は慎重姿勢だ。安全保障、歴史認識など根幹に関わる部分で一定の共通認識に立たなければ「なぜ再編か」の説得力を欠く。橋下氏が首長として国会議員団と調整し続ける課題も残されたままだ。

 第三極勢は衆院で約70議席を持ち、民主党を上回る。反省なき再編は危うい。巨大与党を監視する責任をもっと自覚すべきだ。

<東京新聞社説>維新の会分裂 憲法観が違うのなら

 当然の帰結と言うべきだろう。日本維新の会の「分党」が決まった。政党は理念・政策の一致が基本だが、結党当初から憲法観や原発など基本政策の違いが指摘されていた。分裂も致し方あるまい。

 直接のきっかけは、日本維新の会と結いの党との合流をめぐる石原慎太郎、橋下徹両共同代表間の対立のようだ。両党の共通政策案に「自主憲法制定」を盛り込むよう求め、拒否された石原氏が、橋下氏に分党を申し入れた。

 日本維新の会は、大阪府知事を務めていた橋下氏らが結成した地域政党「大阪維新の会」を発展させる形で二〇一二年九月に結成された。同年十一月には石原氏らが率いる太陽の党と合流し、直後の十二月の衆院選では五十四議席を獲得する躍進を果たした。

 合流から約一年半での分裂だ。しかし、結党当初から基本政策の違いは顕在化していた。最たるは原発・エネルギー政策である。

 大阪市長に転じていた橋下氏は「脱原発」を目指していたが、石原氏はこれに反対し、衆院選公約は結局「既存原発は三〇年代までにフェードアウトする(次第に消える)」との表現にとどまった。

 憲法をめぐっても「連合国軍総司令部(GHQ)の押し付け」と考える現憲法を破棄し、新たな自主憲法制定を目指す石原氏らと、大阪都構想に代表される統治機構改革に憲法改正の主眼がある橋下氏らとの隔たりは大きかった。

 両共同代表を結び付けたのは、中央官僚による支配打破という共通の思いだったが、理念・政策の違いに目をつぶった、選挙を勝ち抜くための合流は、当初から無理があったと考えざるを得ない。

 日本維新の会の分裂は、来年の統一地方選や、衆院選との同日選の可能性も指摘される一六年の参院選に向けて、野党再編のきっかけとなるだろう。

 その際、留意すべきは理念・政策の一致である。特に、憲法や安全保障、原発・エネルギーなどの基本政策は重要だ。ある程度、考え方に幅があるのはやむを得ないが、同じ方向を目指さなければ、混乱のもととなる。

 昨年成立した特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認をめぐる議論を見ると、野党がバラバラのままでは一強支配を強める自民党に対抗するのは容易でない。

 野党各党は粘り強く話し合いを重ねて、有権者に政権の選択肢を示してほしい。それは今、野党に課せられた責任でもある。

 


食料自給率の引き上げと一次産業

2014年05月29日 16時59分25秒 | 臼蔵の呟き

食料を自給できない国家は、真の意味で独立国家と言えるのか考える必要があります。安倍、自民党などが勇ましく海外で戦争できる日本、自衛隊と叫んでいますが、どうやって日本が戦争に巻き込まれたり、戦闘状態に入ったら、食料を確保するのでしょうか。片方で戦いながら、片方の手で食料を輸出して欲しいと言うのでしょうか?ばかなことをいうなと言われてしまいます。

まともに、食料も自給できない国家が戦争ごっこをしたいなどと言うのは寝言みたいな話です。安倍、石破、自民党中枢、右翼など考えは軽薄そのものです。中国・アジア侵略戦争時に餓死した兵士、栄養失調で食べることが課題であるような状態で、他国と戦うなどができるはずがありません。

農業の効率化とこの社説でも言っていますが、日本の農業、林業、酪農などが効率面でアメリカ、オーストラリア、カナダなどと比較して、上回ることはありません。こんなことは少し、知識があるものであれば、誰でもわかることです。効率的、非効率で食糧問題を論じること自身が非常識なのです。そんなことはないと主張する人は自らの食料をすべて自前で調達したら分かるはずです。いついかなるときにも調達することが出来るはずもないし、生産者の苦労を知ったらそのようなおろかなことは言えるはずもありません。

<毎日新聞社説>食料自給率目標 農業強化に逆行するな

 政府が食料自給率目標の見直しを進めている。食品の熱量を基に算出したカロリーベースの自給率は、必ずしも国内農業の実力を反映しない。目標として掲げる意味から問い直すべきだろう。

 国民の生活を守るために国内農業の強化は欠かせない。生産者の意欲や努力を反映し、農業の構造改革を促す目標の設定を求めたい。

 政府は2010年に策定した「食料・農業・農村基本計画」で、20年度に50%まで引き上げるとの目標を掲げている。しかし、今週、閣議決定された農業白書によると12年度の食料自給率(カロリーベース)は3年連続で39%にとどまった。40%前後の水準が10年以上も続き、目標達成の現実味は乏しい。

 そこで、来年まとめる新しい基本計画では実態に即した目標に引き下げようと、農水省の審議会が議論を進めているわけだ。しかし、カロリーベースを目標に掲げること自体に疑問がある。

 これは国内で消費した食品のうち国内産が占める割合を、熱量を基に算出した数値だが、国内消費の約2割は食べ残しなどで大量に捨てられている食品だ。それを減らせば国内農業の実力にかかわらず、自給率は高まる。一方、国内産が7割以上を占める野菜はカロリーが低い。野菜農家が頑張っても目標達成にはほとんど貢献しないのだ。

 自給率が低迷している大きな原因は、カロリーの高い肉類の消費が多いことだ。食用の家畜は65%が国内で飼育されているが、輸入飼料で育てられるとその肉は国産とみなされないため、自給率は15%程度にとどまる。これを引き上げるには飼料を国産に切り替える必要がある。

 そこで、農水省は飼料用のコメの生産を増やすため、主食用のコメ並みの収入を得られるよう補助金を増額することを決めた。生産者にとって飼料用のコメは主食用と同等の価値があるということだ。そうした税金の塊のような餌で育った牛や豚は自給率に反映する。

 一方、飼料用米への生産シフトは主食用米の生産抑制につながり、減反と同様にコメの価格を維持する効果をもたらす。それによって生産性の低い農家が温存されれば、農業の構造改革に逆行する。カロリーベースの自給率を目標に掲げることは、そうした不合理な農業政策を正当化することにつながりかねない。

 国際的にも、食料自給率を政策目標としているのは韓国、台湾、中国、ロシアしかない。農水省も自給率が輸入停止のような緊急時の供給力を示す指標ではないことを認めている。そうであれば、より意味のある新たな目標を早急に検討すべきだ。