“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

中央時評 追撃型社会から先導型社会へ=韓国

2014年11月30日 12時45分57秒 | 臼蔵の呟き

日本の社会構造に近づき、少子化、高齢化社会、輸出依存体質からの転換などは韓国社会にも迫り来る政治経済問題であるようです。

<韓国中央日報>中央時評 追撃型社会から先導型社会へ=韓国

韓国はこの半世紀に超高速近代化を成し遂げた。天の時と地の利と人の和がすべてそろったため可能だった。第2次世界大戦後、IMF・GATT体制が本格的に稼働し始めた1950年代後半から世界貿易が速いペースで増え始め、特に64年から始まった「ケネディ・ラウンド」を通じて主要国の関税が約50%引き下げされたことで、工業製品の貿易比率が急速に増えることになった。50-98年の間、世界総生産は6.5倍増えたのに対し、世界貿易は48.7倍増え、64-98年の間に米国の輸入で工業製品が占める比率は40%から78%に増加した。戦後に独立した植民地がほとんど農産物と資源の輸出に依存する開発体制を整えていたのに対し、資源が乏しい韓国が輸出で成功できる時代的な状況が開かれたのだ。50年代から超高速成長を続けて世界2位の産業国に浮上した日本が、60年代に入り重化学工業を発展させ、労働集約的な製造加工業を近隣諸国に移転し始めたのは、地理的な利点だった。60-70年の間、日本の輸出で重化学工業の比率が47%から73%に増え、軽工業の比率が44%から21%に減り、台湾と韓国に工業化の空間が大きく開かれたのだ。

しかし経済は人がすることだ。植民地時代に定着した近代教育システムで企業を経営できる人材が養成され、解放後は李承晩(イ・スンマン)政権での初等教育の義務化と教育機会の拡大で単純製造業技術を容易に習得できる人材が大量に輩出された。さらに軍出身政治指導者の行政力、経済発展に対する強い意志、そして有能な官僚システムが韓国社会の潜在力を結集し、対外環境が提供する機会を十分に活用することで、また、生産可能人口の急増で、韓国経済は高度成長街道を走り、先進国を追撃してきた。

しかしその追撃はもう限界点に達した。韓国の産業生産、輸出、所得レベルは、我々が追撃してきた先進国レベルにほとんど到達している。生産可能人口は近く減り始める。先進制度と技術の模倣・導入で我々が成し遂げられる追撃型成長はこれ以上作動しにくく、自ら制度と技術を創意的に開発して生産性を高める分しか成長できなくなったのだ。世界経済と貿易は停滞状態に入り、韓国の位置づけも徐々に変わり、今はもう中国と周囲の新興国が韓国を急速に追撃している。今後、世界に前例がない速いペースの高齢化は、潜在成長率を持続的に低下させると予想される。

過去50年間にわたり韓国社会に固着した「追撃型システム」を、今後「先導型システム」に転換させていかなければ、さらなる国家発展を期待するのは難しい。まず高成長中毒症から抜け出し、安定した成長を追求していかなければならない。これ以上構造的に不可能な高成長と持続的な資産価値の上昇を国民が要求し、政治と政府が短期浮揚策を乱発すれば、結局、安定的な成長経路を抜け出し、未来の危険と負担を加重させることになる。「パリパリ(速く速く)」の習慣から抜け出し、基本をしっかりと固めることを重視する風土に変わらなければならない。焦りからは創意的な発想が育ちにくい。秩序・規則を守れば損をするという認識から、これを破れば損をするという認識が定着するよう、法の適用の日常的な厳格さと公正さが、そしてこれを後押しする政府の人材と権威が強化されなければならない。

結局、我々が頼れるのは人と制度だ。孟子は「天の時は地の利に如かず地の利は人の和に如かず」といった。人と制度の競争力が国家競争力を決める。家庭と社会、学校、職場がすべて教育の場だ。共同体に対する使命感と礼儀を備え、グローバル識見と専門性、寛容、創意性を備えた市民を社会が育て、制度の合理性と効率性を高めなければならない。既得権を崩壊、開放と競争の拡大を恐れてはいけない。国がうまく進んでいくには、保守政権が南北梗塞を解いて大陸の道を通し、進歩政権が開放を拡大し、海洋の道を広げて発展の機会を拡大していかなければいならない。そして進歩、保守政権に関係なく韓国社会の制度革新を着実に推進していく必要がある。

韓国経済にまだ含まれている不動産、物価のバブルを取り除き、若者が家を用意して育児対策の絵を描くことができ、中年層が老後の生活の不安から抜け出してこそ、正常社会になり、持続的な発展の可能性が見える。各分野で既得権とコネでなく、実力と専門性によって競争する社会に確実に進んでいけるよう、我々の社会全般のシステム革新が必要だ。公正競争の秩序、雇用および人事評価制度、賃金体系、定年、年金制度、そして何よりもこれを推進できる国家支配構造の改編が起きてこそ、高齢化の沼に陥らず、いま韓国に近づいている停滞と墜落を避けることができる。

チョ・ユンジェ西江大教授・経済学


再生可能エネルギー価格と転換を

2014年11月30日 10時42分10秒 | 臼蔵の呟き

<FF記事>

太陽光や風力といった再生可能エネルギー(以下再エネ)の発電コストの方が、石油や石炭よりも安い――。斬新な論点ではない。昨年あたりから米国やヨーロッパ諸国でしきりに指摘され始め、発電分野での新常識になりつつある。

○世界中で次々と発表される再生エネルギーに関する報告書

 これまで、特に日本では、再エネは火力発電に比べると1キロワット時当たりのコストがほぼ2倍近いと言われてきた。だが時代は確実に動いている。複数の報告書や専門家にあたると、新しい時代に突入したと言わざるを得ない。

 米国に限ると、過去5年で再エネの発電コストは下がっている。福島第一原子力発電所の事故以前から、再エネのコストは下落傾向を辿っているのだ。

 原発事故後、世界的に反原発の動きが生まれると同時に、環境を重視した再エネへの動きが加速した。その流れは理念的に真っ当に思えただけでなく、多くの人の賛同を得たし、説得力もあった。

 一方、経済的な側面を考慮すると再エネはコストがかかりすぎるとの批判は消えない。日本だけでなく、本当に再エネに頼れるようになるのは「遠い将来」との思いさえある。

 太陽光や風力の発電施設だけでなく送電網を建設するコストを考えると、政府からの補助金なしで競争力を持たせることは困難に思われるからだ。しかし再エネへの実効性は確実に高まってきている。

 米ニューヨークに本社を置く投資銀行ラザードが11月に公表したエネルギーのコスト分析によると、太陽光発電は1キロワット時当たり5.6セント(約6.5円)という価格まで落ちている。風力に至っては1.4セント(約1.6円)である。

 それに比べて、これまで安いと言われていた天然ガスは6.1セント(約7.1円)、石炭は6.6セント(約7.7円)で、ラザードの数字だけを見る限り、コストの逆転現象が起きている。同社の分析担当者は、「再エネの技術の進歩が目覚ましいのです。すでに化石燃料によるエネルギーと競争できるレベルになってきました」と、再エネの市場競争力は本物であり、今後はさらに価格が下がるだろうと推察している。

 ただ太陽光にしても風力にしても自然が相手であるため、コスト低下が実現できても、曇天が多く、風が吹かない日が続くと発電はできない。そのため、再エネだけに頼ることは困難だ。

再生エネ中心に舵を切った米国の電力会社

 安定した電力を確保するためには火力や水力などとの併用が必要になる。それでも米国の電力会社はすでに再エネを中心にした発電へと移行しはじめている。

 それは米国だけのことではない。欧州連合(EU)の常設委員会である欧州委員会が11月中旬に発表したエネルギーのコスト分析でも、同じような内容が記されている。

 70ページに及ぶ報告書には、風力発電のコストはすでに石油や石炭、原子力発電よりも安くなっていると指摘されている。コストの中には発電や送電の費用だけでなく、大気汚染や動植物への影響なども換算されており、総費用で風力がもっとも安いとの位置づけだ。

 陸上での風力発電はメガワット時当たり105ユーロ(約1万5000円)だが、天然ガスは164ユーロ(約2万4000円)、石炭に至っては233ユーロ(約3万4000円)という数字で、風力のほぼ2倍のコストである。

 同報告書によると、原子力と太陽光は1メガワット時当たり125ユーロ(約1万8000円)で同額。コストの上で差がないとしている。

 こうした数字を見るときに注意しなくてはいけないのは、公表する政府機関や企業・団体によってバラツキがあることだ。算出方法も違う。今でも石炭が最も安価との数字を出しているところもある。

 例えば日本政府が2011年に公表した火力発電のコストは、石炭で1キロワット時当たりが9.5円、天然ガスは10.7円という数字だが、2014年度の再エネ固定価格買い取り価格を見ると、太陽光は1キロワット時当たり32円で、風力は22円。石炭が安いという数字である。

日本政府がこうした数字を出す限り、日本ではいまだに再エネはコスト高という古い常識が幅を利かせる。再エネの電力網の整備などにはコストがかかるが、太陽電池メーカーが故意にコストを下落させない「よからぬ力」を使っているとの声もあり、再エネへの抵抗も知っておく必要がある。

確実に進む再生エネの技術革新

 前述したラザードの報告書の数字とEUの分析が、これからの世界的な再エネのコストであり流れと考えていいだろう。むしろ技術革新が進み、再エネのコストがさらに下落していくと捉えておくべきである。

 しかも世界での太陽光の市場規模は増え続けている。米コンサルティング会社フロスト&サリバンの調査によると、2013年は600億ドル(約7兆円)だったが、20年には1370億ドル(16兆円)市場へと、2倍以上に成長すると予測されている。

 太陽光、風力を始めとする再エネ(水力を除く)が生み出す総電力は2013年、いまだに世界の総電力の8.5%に過ぎないが、シェアは確実に増えている。

 これが世界的な動きであるとすれば、日本も同じ道を辿るであろうし、本来ならば辿るだけでなく、世界の一歩先に出て再エネ業界をリードしてもいいくらいである。

 最後にエネルギーについて語る時の留意点を記したい。世界のエネルギー分野には、絶えず賛否両論が飛び交っている。再エネ推進の動きが半年後には反転したり、火力発電が原油価格の下落によって見直されたり、動きは活発である。

 原油価格は11月に入り、過去5年で最低レベルにまで落ちている。1バレル75ドル(約8700円)という価格は今夏と比較すると25%減だ。来年1月には70ドルを下回るとの予測もある。

 理由はいくつもある。原油の世界的な需要が低迷していると同時に、生産量が上昇しているのだ。米国のシェール革命も大きな要因である。

 米国の原油生産量は6年前、1日500万バレルだったが、いまでは900万バレルに達している。それは再エネ分野への投資額の減少をもたらしている。

 それでは世界の発電業者が再び火力や原子力に重心を移すかと言えば答えはノーである。

 2013年、世界の太陽光による総発電量は前年比で26%増を記録した。紆余曲折を経ながらも、再エネが今後のエネルギー分野の支柱になっていく現実は見えている。

 すでに多くの国で再エネの方が安いのだから。


安倍、自民党極右政権が歴史認識をなぜ改ざんするのか!

2014年11月30日 05時26分34秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党、右翼、に共通する歴史認識の改ざんは、彼らが現在の平和憲法を敵視し、旧帝国憲法の支配構造を再現したからです。その支配構造は天皇を元首とし、国家が国民の上に君臨する政治司法の仕組みを作り出す点にあります。その上で、国内的治安、海外進出、海外での大手企業を警護する軍事力を増強する。そのためには自衛隊を日本軍として格上げし、海外で戦争できる軍隊として完成させる必要があります。

そこで、問題となるのは天皇制、天皇が統帥した日本軍が国際法違反、戦争にあたって婦女暴行、略奪、性奴隷制度をつくり、運営したとの過去の歴史、犯罪はどうしても日本軍(権力の象徴)、天皇制が関与していたことを、消し去りたいとの右翼、安倍、自民党中枢の衝動があります。これが、朝日新聞攻撃、慰安婦問題での右翼などの異常な攻撃の動機となっています。そこに、靖国神社が亡霊のように関与、復活する姿は中国、韓国、アメリカから見れば容認できないくらいの政治問題となるのだと思います。

政治的には、自民党型政治潮流は末期的な症状を呈しています。その対案が二大政党制でしたが、民主党の無能力ぶりに経団連などスポンサーはあきれ返り、国民からも見放されたのが前回の総選挙の結果でした。民主党は自民党民主派閥であり、経団連は民主党に対する利用価値は0なのでしょう。また、民主的運動、多くの善意の国民から見ても政治の実体を覆い隠す幻惑政党であり、価値を見出すような政党ではありません。第三極なるものは全く何の政治的な役割を演じることも無く、崩壊しました。北海道でもあの候補はどこの党派かと質問しなければ分からないくらいの状況になっています。

政治の劣化は自民党、公明党、民主党、維新の会などによってもたらされました。このような自民党型政治潮流には未来はありません、歴史的な役割は終わりました。彼らの政治経済の論理、政策に対置すべきものが必要です。それは戦争⇔平和、アメリカ⇔国連、米軍基地依存⇔米軍基地の撤去と主権の回復、天皇⇔国民主権、円安⇔円の価値を上げること、輸出依存型産業構造⇔国内消費を基本とした産業構造への転換、再生可能エネルギー社会実現、消費税率の引き上げ⇔法人税率の引き下げをやめる、富裕層の増税、食料自給率の低下⇔食糧自給率の引き上げ、原子力発電所再稼動⇔原発0社会の実現―――などを政治的対置し仕組みとして実現することです。それらが今回の総選挙の中で問われ、自民党型政治が転換される萌芽が作り出され、国民が感じることができるかどうかです。

<毎日新聞社説>安倍政治を問う 歴史認識と外交

○戦後70年を見据えて

 安倍政権の近隣外交は、日中首脳会談が約2年半ぶりに行われるなど一部に改善の兆しはあるものの、展望を開くには至っていない。

 特に、中国、韓国との関係修復に懸念材料となっているのが日本との歴史認識の違いである。中国とは、首脳会談前に「困難」の克服に向けて「若干の認識の一致をみた」が、日本国内でも歴史観の対立があり、衝突の火種になる恐れがある。

 来年は戦後70年、日韓国交正常化から50年の節目だ。歴史認識の問題が改めて問われることになる。

○村山談話が到達点に

 安倍晋三首相は、第1次内閣時のキャッチフレーズである「戦後レジームからの脱却」こそあまり用いなくなったものの、持論の歴史認識に根差した言動を続けてきた。

 「侵略の定義は定まっていない」と発言し、各国の懸念を招いて軌道修正する。前回の首相在任中、靖国神社に参拝しなかったことを「痛恨の極み」と述べて参拝を果たすと、米政府から「失望」が伝えられた。

 私たちはその都度、戦後の日本が東京裁判を受諾したサンフランシスコ講和条約を原点として国際協調路線を歩み、その延長線上に慰安婦問題の河野洋平官房長官談話(1993年)や、植民地支配と侵略に関わる村山富市首相談話(95年)を積み上げてきたことを主張してきた。

 「侵略」を認めて「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した村山談話は、政府による戦争責任論の到達点と言えるだろう。背景には、日本が自ら戦争責任を判断してこなかった事情がある。

 中国とロシアは来年、第二次世界大戦戦勝70周年記念行事の合同開催で合意している。中露は、第二次大戦後の秩序見直しは認めない立場で一致しており、中国が歴史を絡めて対日批判を強める可能性もある。

 翻って安倍政権は村山談話の継承こそ明言したものの、首相周辺には村山談話を上書きする形で、新たな首相談話を求める声がある。「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」は評価を得つつあるが、中国、韓国との関係を打開するビジョンはうかがえない。

 本当に「対話のドアはオープン」か。力に頼りがちな安倍政治にはなお危うさを感じざるを得ない。歴代内閣が踏襲し、国際社会が受け入れている村山談話を発展させるならともかく、理念を骨抜きにするような新談話を出すべきではない。

 戦後50年の95年、歴史認識をめぐる国会決議が論争を巻き起こした。

自民・社会・さきがけの与党3党内で意見を一致させる作業が難航し、明確な謝罪のない、あいまいな内容にとどまった。衆院では辛うじて可決したものの、野党の新進党が欠席し、自民党からも欠席者が多数出た。参院では提案も見送られたという経緯がある。村山談話は不十分な決議を補う性質のものである。

 ことは政府同士にとどまらない。国民の相互不信も高まっている。

 7〜8月に実施された日中共同世論調査によると、相手国によくない印象を持っている人は、日本側が過去最悪の93%で、中国側は86.8%だった。5〜6月に実施された日韓共同世論調査によれば、現在の日韓関係を「改善する必要がある」「望ましくない状況だ」と考える人は、日本で6割、韓国で7割に上る。

○政治化を防ぐ知恵

 国民感情を制御するのはどの国も容易でない様子が浮かび上がる。今年は第一次世界大戦の開戦から100年にあたる。

 安倍首相がオーストラリアで主要20カ国・地域(G20)首脳会議に出席していた今月15日、日本国際政治学会の大会において、第一次大戦をめぐる興味深い発表があった。

 未曽有の犠牲を出した第一次大戦後、欧米では国際連盟の設立など、紛争の平和解決を図る「新外交」が模索されるようになった。しかし、日本では軍事力による領土や市場の拡大を正当視する「旧外交」が主に持続されたため、無謀な第二次大戦の道に帰着したのではないか−−。

 アメリカ現代史を専門とする油井大三郎・東京女子大教授がそう語ると、国際法学者の大沼保昭・明治大特任教授が、日本人の怒りを買った20年代の人種主義を念頭に欧米中心主義の問題点を指摘した。現代中国には大東亜共栄圏と重なる危険を感じるが、「非欧米共通の夢」という側面もないわけではない、と。

 世界の潮流を見失わずに、ナショナリズムの暴発をどう防ぐか。この難問を考える時、日本で「忘れ去られた戦争」とも呼ばれる第一次大戦に学ぶべきことは少なくない。

 歴史認識の政治問題化を防ぐのに貢献した有識者による歴史共同研究のような知恵も必要ではないか。

 歴史の問題で国論が分裂しては、平和国家としての戦後の歩みも誤解されかねない。いったん火が付くと日本全体に与える影響は大きい。有権者の関心を集めるのは難しい分野だが、党派を超えて国際社会を納得させる合意を目指してほしい。


驚くべき政治感覚と権力意識

2014年11月29日 16時04分17秒 | 臼蔵の呟き

あまりにも稚拙で傲慢な安倍、その取り巻きには人権意識、思想信条の自由、報道倫理とは何かが全く分かっていない。それどころか、権力を握れば何でも出来ると思うくらいのおろかで、傲慢な連中です。

このような安倍、自民党政権を許してはならない。総選挙で明確に彼らに責任を取らせなければならないと本当に思います。

<東京新聞社説>自民「公正」要請 TV報道、萎縮させるな

 テレビの総選挙報道に「公正」を求める文書を、自民党が在京各局に出していた。形は公正中立の要請だが、街頭インタビューのあり方まで注文した内容は、圧力と受け止められてもしかたない。

 文書が出されたのは衆院解散の前日の二十日で、在京キー局の編成局長と報道局長宛て。差出人は自民党の筆頭副幹事長、萩生田光一氏と同報道局長の福井照氏の連名になっている。

 「お願い」の体裁をとっているが、プレッシャーを感じさせる内容だ。

 衆院選について、選挙期間が短く報道の内容が大きく影響しかねない、とした上で「過去にあるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道し、大きな社会問題となった」と、一九九三年に民放が放送法違反を問われた事件をあえて指摘。続けて出演者の発言回数や発言時間、ゲスト出演者やテーマの選定、街頭インタビューや資料映像まで四項目を列挙し、一方的な意見に偏ることがないよう求めている。

 自民党がここまで神経質に、具体的に「要請」する狙いは何か。文書にはないが、行間には争点になっているアベノミクスや安全保障、原発再稼働などで自民党に対する批判的な識者、意見、街頭インタビューの露出を減らし、批判の広がりを抑えようとする意図がにじんでいる。

 言うまでもなく、報道番組は公正でなければならず、内容は報道機関であるテレビ局が自らの責任で決める編集権を持っている。

 報道の姿勢について言えば、賛否を足して二で割るのが「公平、中立、公正」というわけではない。政権や政策の問題点を批判し、議論の材料を提供するのは報道の重要な役割で、公正さの判断は視聴者である有権者に委ねられている。

 報道内容をそれぞれの立場で吟味し、最終的に投票先を決める。政権が公正中立を定義するようなことになれば、報道は政府の宣伝の道具になりかねない。

 政権担当者であるが故に、さまざまな批判にさらされるのは当然で、民主主義国のリーダーである首相には、厳しい批判を謙虚に聞く度量が求められる。都合の悪い報道を抑え込むかのような印象を与える今回の文書は、報道の自由に対する首相や政権の姿勢に疑問を抱かせかねない。

 文書を受け取ったテレビ局は萎縮することなく、凜(りん)とした姿勢で報道を続けてほしい。


原発再稼動 声が届かぬもどかしさ

2014年11月29日 10時59分19秒 | 臼蔵の呟き

原発再稼動 声が届かぬもどかしさ

<信濃毎日新聞社説>原発再稼動 声が届かぬもどかしさ

 関西電力大飯原発と高浜原発(福井県)の再稼働差し止めを求めた、滋賀県民らの仮処分の申し立てを、大津地裁が却下した。

 若狭湾には活断層が多く、想定を超える地震や津波が起こり得る、と原告側は主張してきた。裁判長は「原子力規制委員会がいたずらに早急に、再稼働を容認するとは考えがたい」と判断理由を述べている。

 福島の原発事故を目の当たりにした住民が訴えたのは、命を脅かす原発を再び動かすことの不条理と受け取れる。福井地裁が5月、大飯原発の再稼働を認めない判決を出していただけに、切実な声が届かなかったのは残念だ。原告が、福井県内にある関電の原発について仮処分を申し立てたのは、2011年8月だった。仮処分は、判決の後では間に合わない事態を避けるため設けられた一時的な手続きを指す。

 住民の懸念をよそに、関電は昨年7月、高浜原発3、4号機と大飯原発3、4号機の再稼働を原子力規制委に申請した。高浜の両機については規制委が現在、「合格証」に当たる審査書案の作成を進めている。

 さらに関電は、稼働開始から約40年になる高浜1、2号機の運転期間延長を目指す方針を公表している。3、4号機では、より危険度が高いプルサーマル発電を行うという。手続きさえ踏めば、何でも通るかのような振る舞いだ。

 何度でも言う。規制委が担うのは原発の設備面の審査であり「合格証」は安全の保証ではない。仮に再稼働の是非を諮るにしても、もう一つの原子力防災の柱である避難計画をしっかり整備してからの話になる。が、避難計画を審査する仕組みはない。

 再稼働に必要な「地元同意」の範囲も曖昧なままだ。大飯と高浜をめぐっては、滋賀や大阪、京都の住民らが発言権を求めている。九州電力川内原発以上に物議を醸すことになるだろう。そもそも誰が最終的に再稼働を判断するのか、法的責任もはっきりしない。

 福島の事故前から、原発に関する訴訟や仮処分のほとんど全てで住民側が敗訴してきた。けれどもそれは、感情的だったり、無理難題を申し立てたりしているためではない。法廷での原告の主張はその都度、原子力政策の不備や曖昧さを照らし出している。国民の大半は再稼働に否定的だ。それでも必要というのなら、政府と電力各社はまず、住民と向き合い、最低限の環境を整えることから始めなければならない。