“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

法案の危険性指摘

2013年11月30日 10時59分22秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党政権の危険性を与党内部、修正協議などに加わった野党内部にも衆議院強行採決時に、本会議退席などが報じられました。法案がもつ危険性を与党、関係した野党議員などからも指摘されています。

集団的自衛権行使容認(法制局長官更迭)、国家安全保障会議創設、特定秘密保護法は3点セットで、平和憲法の実質的な解釈改憲手段だといわれています。その結果、アメリカとともに世界で一緒に戦争を出来る国になりたい。これが安倍、自民党政権の本当の狙いだといわれています。新軍国主義とも言われています。しかし、単純に明治、大正、昭和前半の天皇制、軍国主義への回帰だけではないとも言われています。

多くの国家が、基本的人権の擁護、思想信条の自由、生きる権利保障、男女平等などを国家理念、憲法に掲げています。また、国家間の紛争を話し合いで解決することを目指すことも大勢となりつつあります。その中で、基本的人権を否定し、個人の上に国家、国家の安全を置く自民党の改憲草案的な志向は、歴史の歯車を逆転させ、日本を世界の中でも異様な国家として際立たせることは確実です。

<特定秘密保護法の問題点、危険性>

審議は本当に尽くされたのか。26日夜、衆院を通過した特定特定秘密法案には、与党議員らからも疑問や戸惑いの声が聞かれた。

 衆院本会議の議事が始まってしばらくすると、自民の村上誠一郎・元行革担当相が「体調が悪い」と言って議場から出てきた。

 法案に批判的な考えを明らかにしていた村上氏。歩きながらこう話した。「いろいろな問題が残っているのに、政治家として(賛成する)自信があるかと言ったら、あるわけない」「まだまだ議論の余地がある重要法案なのに、こう拙速に決めていいのか」。そして立ち止まり、記者の肩をバン、とたたいた。「これはあんたらの問題なんだ。知る権利や報道の自由を制限されるんでしょう」

 長い廊下を歩いて医務室のドアの前で立ち止まり「多数決は100人のうち99人が間違っていても、そっちが正義になっちゃうんだ。ファシズムなんていつでも起きる危険性があるんだよ」と話した。しばらく後、医務室から出てきた村上氏は記者に法案への賛否を問われ「議場に戻ってこなかったら反対だ」と言い、車に乗り込んだ。

 与党・公明党で異論を唱えていた富田茂之氏は「党議拘束がかかっているから、賛成するしかないでしょ」。採決後に議場から出てくるとそう言って顔をしかめた。

 「立法事実(法案の必要性)は結局明らかにならなかったよね。22条(報道配慮条項)で取材の自由は守られるというが、森雅子・担当相の答弁は、結局は(不当な取材かどうか)警察に判断を委ねるというのだから、取材への影響はあるよね。参院ではきちんと議論してもらいたい」と言い残して立ち去った。

 修正案で合意した維新の議員は議事に入る前に無言で議場を出た。本会議前にツイッターに「あくまで原案・修正案には反対、不満足」と意見を書き込んだ維新の東国原英夫氏は退席。「多くの国民は拙速に決めることに不安とか不信感を抱いている。これは皮膚感覚」と語った。


権力者が国民をだますことに対して

2013年11月30日 08時00分27秒 | 臼蔵の呟き

11月号の世界に樋口陽一東北大学名誉教授の憲法改正と立憲主義にの中に、中国・アジア侵略戦争の時に、大勢翼賛体制、天皇制を中心とした軍国主義が社会全体を支配したこととの関係で、伊丹万作さんが「国全体が天皇制、軍国主義者にだまされた」とする見解に触れています。伊丹万作さんは、自分もだまされた側の1人として反省をしそのことに関する自らの意見を表明しています。そのときの文書です。権力者が自らに都合の良い情報操作を行い、侵略、軍国主義化に突き進むさまは過去も、現在も同じだと感じます。特に今回の安倍、自民党右翼政権の憲法改正、集団的自衛権の許容、行使容認論、特定秘密保護法制定、国家安全保障会議設置などの政治状況は、天皇制の下で侵略戦争につき進む侵略戦争前夜の状況に酷似していると言われています。教訓的な話ではないかと思い、長文ですが掲載します。戦後の日本が戦争犯罪の追及、天皇制の専制支配の除去などで不十分さがあったことが、今日の安倍、自民党右翼政権の存在につなっがているとおもいます。ドイツがナチス軍国主義、戦争犯罪を現在でも法律で許さず、追求し、罰していることとの差を埋める作業が必要と感じます。

<伊丹万作さんの思い>

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない

ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて、互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと、信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。

 また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。


「特定秘密保護法案に反対する学者の会」

2013年11月29日 10時59分56秒 | 臼蔵の呟き

ノーベル賞を受賞した益川敏英・名古屋大素粒子宇宙起源研究機構長や白川英樹・筑波大名誉教授ら31人が「特定秘密保護法案に反対する学者の会」を結成し、同法案の廃案を求める声明を28日、発表した。

 声明は「情報の開示は民主的な意思決定の前提で、同法案はこの原則に反する」「与党の政治姿勢は、思想の自由と報道の自由を奪って戦争へと突き進んだ戦前の政府をほうふつとさせる」などと訴え「憲法の定める基本的人権と平和主義を脅かす立法」と結論づけている。

 同会には、樋口陽一・東北大名誉教授(憲法学)▽加藤陽子・東京大教授(歴史学)▽姜尚中・聖学院大教授(政治学)▽佐和隆光・京都大名誉教授(経済学)−−ら、さまざまな分野の学者が参加。304人の賛同者が集まっているという。

○特定秘密保護法案の廃案を求める声明を出した研究者(敬称略)

 浅倉むつ子(早稲田大教授、法学)▽池内了(総合研究大学院大教授、天文学)▽伊藤誠(東京大名誉教授、経済学)▽上田誠也(東京大名誉教授、地震学)▽上野千鶴子(立命館大特別招聘=しょうへい=教授、社会学)▽内田樹(神戸女学院大名誉教授、哲学)▽内海愛子(大阪経済法科大アジア太平洋研究センター特任教授、歴史社会学)▽宇野重規(東京大教授、政治学)▽大沢真理(東京大教授、社会学)▽小熊英二(慶応大教授、社会学)▽小沢弘明(千葉大教授、歴史学)▽加藤節(成蹊大名誉教授、政治学)▽加藤陽子(東京大教授、歴史学)▽金子勝(慶応大教授、経済学)▽姜尚中(聖学院大全学教授、政治学)▽久保亨(信州大教授、歴史学)▽栗原彬(立教大名誉教授、政治社会学)▽小森陽一(東京大教授、文学)▽佐藤学(学習院大教授、教育学)▽佐和隆光(京都大名誉教授、経済学)▽白川英樹(筑波大名誉教授)▽杉田敦(法政大教授、政治学)▽高橋哲哉(東京大教授、哲学)▽野田正彰(元関西学院大教授、精神医学)▽樋口陽一(東北大名誉教授、憲法学)▽広渡清吾(専修大教授、法学)▽益川敏英(京都大名誉教授、物理学)▽宮本憲一(大阪市立大・滋賀大名誉教授、経済学)▽鷲田清一(大谷大教授、哲学)▽鷲谷いづみ(東京大教授、生態学)▽和田春樹(東京大名誉教授、歴史学)


安倍政権の景気対策

2013年11月29日 07時56分36秒 | 臼蔵の呟き

安倍政権の特徴は、新自由主義経済による景気対策と新軍国主義の推進です。新自由主義経済を基本とする経済対策は、いろいろなことを掲げたり、言っていますが、規制緩和と異次元の金融緩和です。規制緩和は自民党政権、小泉竹中による規制緩和政策、郵政の民営化などで何が起きたかは多くの国民が知っています。弱肉強食社会の徹底により中小零細企業は倒産、廃業、大手企業は海外進出し、多国籍企業に変質しました。また、金融機関は三大メガバンクと地方銀行に再編されました。航空機業界は日本航空でさえも倒産し、寡占化と低料金航空会社に再編されました。郵政民営化で、過疎地域の郵便局は閉鎖されました。また、郵便局でアメリカ民間保険会社の商品が販売されるようになりました。正規労働者は激減し、非正規労働者の激増と年収200万以下の世帯、労働者の激増により貧富の格差が極端に拡大してきています。しかも、その傾向がさらに増加、格差は拡大しつつあります。これが規制緩和の到達点と、その本質でした。

アベノミックスのもう1つの特徴は、金融緩和による株価の高騰、投機の拡大です。そのことにより富裕層、投機集団の利益確保を促進することです。株価は上がりました。しかし、何の根拠もなく上がり、その株式購入者は海外の投資家とのことです。中期的に見れば必ず、株価の乱高下が起きるはずです。また、日本経済の回復、構造の改善ができているわけではないので、全く根拠がない中での投機、マネーゲームは、必ず、その付けを国内投資家に与えるはずです。

日本経済の構造改革は、輸出依存型の経済構造を変革すること。国内需要が喚起される、国内消費の回復が課題です。そのためには、労働者の最低賃金向上、正規労働の拡大と非正規労働の削減が最大の課題です。また、大手企業、多国籍企業の民主的な規制、租税回避、法人税率の引き下げ競争をやめさせること。応分の税負担を負わせることが必要です。同時に、エネルギーの原子力依存、化石燃料依存を改革することが必要です。再生可能エネルギーの拡大、投資額の増加などを行い、新たな産業としての雇用の創出も行わなければなりません。また、食料自給率を向上させ、自国農業、林業、漁業を再生させて、輸入額を抑え、国産一次産品の拡大、そのことによる一次産業の活性化も課題です。

投機と、規制緩和で景気対策ができるはずもなく、また、そのことで日本経済の構造、産業構造の変革も出来るわけではありません。浜教授が言うアホノミックスとの表現は、本当ですし、こんなことを長期にわたり続ければ、飛んでみない付けを日本国民にもたらすことは確実です。

<アベノミックスの罪悪>

安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」は生計を営む個々の人間に目を向けていない上、世界制覇志向のため、グローバル化した経済と相性が悪い-。同志社大学大学院の浜矩子教授は、日本銀行が過度な金融緩和を続けると、円と国債相場の大暴落を招く恐れがあると警告した。浜教授は都内での講演で、経済がグローバル化してしまったのに「円安を盛んに追求し、成長の時代よ再び」と唱えるアベノミクスは、もはや「アホノミクス」を超えて「ドアホノミクス」と呼ばざるを得ないと言い切った。

安倍政権の経済政策について、浜教授は①経済活動は人間の営みなのに「人間不在」であり、経済学でも経済分析でも経済政策でもない②成長戦略は世界制覇戦略であり、相互依存・共生を大原則とする世界経済「グローバル・ジャングル」との親和性が低い-と批判した。「1ドル50円時代を生き抜く日本経済」などの著書がある浜教授は、これまでの超円高予想は「全く変わっていない」と言明。「経済の本源的な力学」によれば、同水準まで「ドルの過大評価が修正されると、世界経済のバランスがとれる。しかも、日本は世界に冠たる資本輸出大国だ」と説明した。

円の対ドル相場は2011年10月31日に戦後最高値75円35銭を記録。大胆な金融緩和を求める安倍氏の政権獲得が濃厚となった約1年前から下落に転じ、今年5月22日には103円74銭とリーマンショック直後に当たる08年10月以来の安値を付けた。25日の東京外為市場では1ドル=101円89銭と5月以来の円安・ドル高水準を付けた。

「もっとも恐ろしいシナリオ」

浜教授は「日銀はもはや、まともな中央銀行とは言えない行動原理になってしまっている」と指摘。円高回避という「道草を食っている間に、帰れなくなる怖さがある」と指摘。日銀が極端な金融緩和の一方で円の価値を軽視していると世界に見放されたら、円安は「道草ではなくなり、底なしの円暴落につながる恐れがある。これは最も警戒すべき、最も恐ろしいシナリオだ」と警告した。その場合、日本国債の相場も「一蓮托生で暴落する。国内投資家も背に腹は代えられないため、見限らざるを得ない」と予想した。

国債・借入金・国庫短期証券を合わせた日本の債務残高は9月末に過去最大の1011兆1785億円。国際通貨基金(IMF)は政府債務残高の対国内総生産(GDP)比が今年末に243.5%に達し、09年から少なくとも18年までは世界最悪の座を抜け出せないと予測する。しかし、長期金利の指標となる新発10年物国債利回り は足元で0.6%台前半と世界で最も低い。

日銀は2%の物価目標を2年程度で達成するため、月7兆円強の長期国債を買い入れる「量的・質的金融緩和」を4月に導入。金融機関への資金供給量を示すマネタリーベースや長期国債の保有額を2年間で2倍に増やす方針だ。購入規模は今年度の国債発行総額170.5兆円の約半分に上る。


特定秘密保護法案の強行採決に反対する地方紙社説

2013年11月28日 12時57分57秒 | 臼蔵の呟き

地方紙の多くが一斉に自民党、公明党、みんなの党の強行採決に抗議する社説を掲げました。これらの地方紙、全国紙では毎日新聞、朝日新聞、東京新聞などの社説、主張は当然のことです。

報道機関、ジャーナリストの生死に関わるような政治課題、弾圧法の制定に反対しないなどは自殺行為に等しいからです。大学関係者も連盟で反対の意思表示を行う取り組みを行っています。政治的に右とか左ではなく、情報の開示を制限し、主張の評価を時の権力者が判断し、処罰するなどはありえないことです。憲法が保障した基本的人権を著しく侵す法案を野放しにすることは民主主義の自殺行為です。

北海道選出の町村議員が自民党の秘密保護法作成責任者として述べた、「国の安全、軍事上の安全課題」が最優先であり、そのためには国民個人の知る権利は制限さされてしかるべきとの主張にはあきれてしまいました。このような議員が反動的な政治家がいることを回りに知らせることが重要だとつくづく感じました。

<北海道新聞社説>

国民の「知る権利」を脅かす悪法を数の力で押し通すとは、政府・与党の横暴というほかない。

 政府が指定した機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法案がきのう衆院を通過し、参院に送られた。与党が採決を強行し、みんなの党が賛成、日本維新の会は棄権した。

 法案はきょう成立する日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設法と一体で、安倍晋三首相が掲げる積極的平和主義に基づく安全保障政策を推し進める狙いがある。首相は最終的に自衛隊の海外での武力行使に道を開くことを目指している。両法制定はその第一歩だ。

 秘密保護法の危険は国民の身近な生活にも及ぶ。特定秘密と知らずにある情報を取得しようと、だれかと話し合っただけで処罰されかねないような怖さを法案は抱えている。国の行方から市民の日常まで深刻な危険にさらす法案だ。何としても廃案に追い込まなければならない。

 参院審議で問題点を徹底的に明らかにするとともに、国民が反対の声をより強く突き付ける必要がある。

■平和主義踏みにじる

 首相は中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発を引き合いに「わが国を取り巻く情勢は厳しさを増している」と再三、強調している。積極的平和主義は日本が従来より踏み込んで米国の軍事力を補完する役割を担うものだ。日米同盟強化で中国などに対抗する狙いもある。

 国力低下で軍事費に多くを割けない米国にとっても首相の方針は好都合だが、日本と共有した軍事情報が漏れては困る。そこで日本側に求めたのが、NSC創設と秘密保護法制による情報漏れのない器づくりだ。首相はその完成後、集団的自衛権行使を認める国家安全保障基本法を制定し、自衛隊の海外での武力行使を前提に日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を見直して日本の軍事的役割を強化する道筋を描く。その意味で秘密保護法は憲法の平和主義にも反する。国民主権や基本的人権の尊重と合わせ、憲法の原則をことごとく踏みにじる極めて悪質な法案だ。中国などの脅威を口実に制定することは認められない。

■市民の活動も脅かす

 安全保障に関わる分野では一定期間、表に出さない方がいい情報はあるだろう。しかし民主国家では、そんな情報もそもそも国民のものだ。

 情報漏えい防止は現行法で十分にできる。仮に新法が必要だとしても米国との情報共有が狙いなら防衛分野だけで済むはずだ。だが法案は外交やスパイ防止、テロ防止分野も対象とし、取得にも罰則を科した。情報を独占し、権限を強めたい中央官僚が新法制定に便乗して秘密の範囲を広げ、秘密への接近にも予防線を張った。その結果、法案は広く国民を危険にさらす中身になった。

 一般国民は何が特定秘密で、だれが秘密を扱っているか分からない。だが法案は「特定秘密を保有する者の管理を害する行為」により秘密を取得すれば最高懲役10年を科す。市民団体が自衛隊基地の監視活動をした場合、監視対象に特定秘密が入っていれば「管理を害した」として罪に問われかねない。秘密の漏えいや取得をめぐり共謀、教唆、扇動すれば、実際に秘密が漏れなくても最高懲役5年となる。

 例えば避難計画策定のため原発情報を得ようとだれかと話し合ったり、だれかに働きかけたり、大勢の前で呼びかけたりした場合、その情報が特定秘密なら入手していなくても罰せられる恐れがある。

■国民より国家を重視

 問題の多い法案を象徴するように森雅子担当相の国会答弁は揺れた。秘密指定が妥当か判断する第三者機関設置や報道機関への強制捜査をめぐる答弁は他の閣僚らと食い違い、「改善を法案成立後も尽くしたい」と成立後の見直しにも言及した。政府自ら欠陥を認めたに等しい。

 行政が際限なく秘密を指定でき、国会や司法のチェックも効かない。国民は何が秘密か分からないまま処罰される。政府・与党はこんな法案をわずか2週間ほどの衆院審議で力ずくで通過させた。国民の声を聴き丁寧に審議すると言っていたのはポーズだったのか。国民よりも国家を重視する安倍政権の本質があらわになった。

 国政調査権を侵害し、国権の最高機関である国会の地位を脅かす法案に唯々諾々と従う自民、公明両与党と、名ばかりの修正で与党にすり寄ったみんなの党や維新の会は「翼賛政党」と言われても仕方あるまい。野党第1党の民主党は法案に反対する一方で与党と修正協議も行うなど中途半端で、野党をまとめることもできなかった。もっと国民目線に立って政府・与党に対抗すべきだ。

 福島県での地方公聴会では与党の推薦を含む7人全員が法案に反対や慎重審議を求めた。異例なことだ。

 法案の問題点が浸透するにつれ、反対集会も全国各地で開かれ、札幌弁護士会もきょう、緊急の街頭デモを行う。こうした国民の動きを与野党とも重く受け止めるべきだ。