こんにちは、蜂助です。
ギボウシ 擬宝珠(ぎぼうしゅ)から発音が変わったものです。擬宝珠とは、橋や寺院、神社などの伝統的建築物の装飾でとんがり頭みたいな形のものを言いますが、この花のつぼみがそれに似ていることから付けられたものです。(あまり似ていませんがね)この写真の葉を良く見ていただくと縁(ふち)が黄色くなっています。病気ではなく、園芸種でこのような葉に改良されているものです。山にあるオオバギボウシはウルイと呼ばれて、春の山菜として喜ばれます。ヌメリがあり、酢味噌和えなどで美味しくいただけます。このギボウシの葉も食べられると思いますが、黒いフナではなく金魚を食べるような感じでしょう。
先日、青葉城の伊達正宗像の話をしましたが、その続きです。青葉城の天守閣は現在はありませんが、その場所から仙台市内が一望できます。駐車場があるのですがここの道路や駐車場からは仙台市の土地ではなく、護国神社の持ち物です。駐車場が1時間400円と法外に高くなっていますが、しかたなく皆さんは使っているようです。
この護国神社は、靖国神社の地方分社のようなものです。1904年に招魂社を建設し、主に第二師団管内の戦没者を霊を祀っていました。1939年に護国神社と改称されました。1945年の仙台大空襲で焼失しましたが、戦後復元されました。ここにこのようなものがあります。
平成7年に作られたものです。鎮魂の泉という名前のものですが、戦争賛美をしているように思えてなりません。
青葉城の伊達正宗像の付近にこのようなものがあります。
東日本大震災以前の仙台観光案内を見ると、この塔の先には大きな鳥が乗っています。幅6メートル、重さ4トンもある鳥のブロンズ像がありましたが、東日本大震災で落下しました。この塔および鳥の像を作ったのは「昭忠会」ですが、現在はこの会が無いため、落ちた像を粗末な塩ビの波板で作った掘立小屋のようなもので仮に覆っているだけです。
この「昭忠会」が作ったので、この塔は「昭忠碑」と呼ばれています。昭忠会は、1899年に地元有志と第二師団有志で結成されました。昭忠碑は1902年に仙台の街から良く見えるように作られました。事実、街から良く見えました。1904年の日露戦争の直前です。1910年に朝鮮を植民地にする以前のことであり、日本が帝国主義にまっしぐらに突き進む時代の象徴です。
その鳥の名は「金鵄(きんし)」。金鵄は日本書紀に登場する金色のトビです。初代天皇の神武天皇が長髄彦と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、天皇軍が勝利することができたとされる鳥です。
こんな正体の巨大な金鵄像は伊達正宗像のように1944年の金属回収令の対象とはならず、戦後66年目の3月11日に落下したものです。
大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の軍人軍属のみが対象とされていた勲章は「金鵄勲章」と呼ばれ、相応の戦功があった者にだけ授与されていました。大将や大臣などでも戦功がなければ受けることのできない、帝国軍隊の最高の勲章でした。その名前が「金鵄勲章」でした。
ほとんどの観光客は、この歴史を知らずに帰っていることでしょう。
この金鵄がまた碑の上に乗り、仙台市内を見下ろすことになることには賛成できません。