“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

沖縄でアメリカは好き放題

2013年03月31日 06時00分43秒 | 蜂助の呟き
こんにちは、蜂助です。

沖縄から帰ってきましたが仙台と10度以上の温度差があり寒くてたまりません。ハイビスカスをはじめ真夏の花が咲いているのに仙台ではやっと梅が咲き、本日は雪が降ると天気予報では言っています。



普天間基地ではオスプレイを撮影してきました。



手前に10機、奥に2機の合計12機すべてが揃っています。先週、山口県の岩国基地から5機が戻ってきました。

撮影はできませんでしたがオスプレイが普天間のある宜野湾市の人口密集地の上空を飛んでいました。こんな欠陥ヘリコプターを日本に配備することを認めた政府を許せません。

嘉手納基地では戦争に使う飛行機をたくさん撮影しましたが、そのうち紹介します。すべてコンパクトデジタルカメラでの撮影のためピンボケです。



これは、E-3B セントリー 空中早期警戒管制機 です。こんな飛行機は交戦状態でしか必要が無いものです。この後、飛び立って行きました。

さて、今日は28日の琉球新報の朝刊1面と2面に載っていた記事を紹介します。



この写真は何だと思いますか?

中東か北アフリカ、アフガニスタンなどの建物にしか見えませんよね。

これが沖縄県宜野座村の米軍キャンプ・ハンセンの従来からある市街地型戦闘訓練施設コンバットタウンに新たに建設されたのです。1989年の建設に際して宜野座村に対して「現在、建設計画に含まれている6棟の建物以外に施設を拡張する計画はない」と確認書を交わしていました。アメリカはいつでもウソをつきますがまたも沖縄県民を裏切りました。
沖縄の米軍は日本を守るのではなく、外国と戦争するためのものであることは明白です。新たに作った施設で急襲訓練をしているのでしょう。ベトナム戦争でも大量の爆弾を嘉手納基地をはじめ沖縄の基地から運んで攻撃しました。この施設で訓練をして中東か北アフリカへの介入の訓練をするのでしょう。

驚いたことに、この施設は2008年に建設していたもので通常訓練に使ってるとのことです。


人気ブログランキングへ


子どもや若者が多い居酒屋

2013年03月28日 05時53分43秒 | 蜂助の呟き
こんにちは、蜂助です。

今日も那覇からです。こちらは暑い位で、ハイビスカスやブーゲンビリア、サンタナ、カンナなどが綺麗に咲いています。

昨日は、夕方に首里城に行きましたが入口に当たる守礼門は木部と塗装の改修中で足場と養生用のシートで覆われていて残念でした。工期は三月までというから数日中にも外されるのではないでしょうか。

国際通りは鮮やかなネオンや照明で賑やかでした。こんなに電気の無駄遣いをして、なんて感じたのは小生だけかもしれません。沖縄電力は原発を所有していませんから東電福島第一原発事故があっても全く影響はありません。以前と同じやり方、生き方をしているだけです。その意味では、実に沖縄らしい光景です。

沖縄にはライブの売りにしている店がたくさんあります。ブラブラと歩き、牧志の海音という地下にある店に入りました。異様な光景がありました。子どもが数十人、若者や、オバさんが踊っているのです。ヤバイと帰ろうとしたのですが、店員に止められて入ることになりました。

正直言って料理お世辞にも美味しい店ではありません。しかし、実に楽しい店です。

興儀朋恵さんという方のライブが本当に楽しいものでした。美しい歌声、上手いサンシン、そして指笛が実に素晴らしい。置かれていたチラシには太鼓が得意と書いてありました。四月十二日から東京や神奈川でライブがあるようです。関東在住なら行きたかったところです。

この店は何で酔っ払いのオヤジは居ないのでしょう? 私だけがオヤジのようです。きっと、旅行の本で子連れでも安心して楽しめる店とか紹介されているのでしょう。

今日は、嘉手納基地や沖縄戦でアメリカが上陸した砂辺地区などに行って、午後の便で仙台に戻ります。写真の入ったブログをボチボチ更新しますので、たまに見にきてくださいね。

そうそう、オスプレイの写真を普天間基地で撮りました。黒色ではなくねずみ色なんです。それから米軍ヘリコプターが墜落した現場にも行きました。

人間を捨ててゆくのか

2013年03月27日 05時49分04秒 | 蜂助の呟き
こんにちは、蜂助です。

今日は、沖縄の那覇市からの発信です。昨日の便で沖縄に来ました。

ホテルの部屋の窓を開けると暖かい風とともに綺麗な鳥のさえずりが聞こえてきます。どこかで聞いた声ですが、仙台では聞かない声です。しばらくたって思い出しました、中国の上海の近くの西湖に泊まった時の鳥のさえずりと同じです。たぶん南方系の鳥なのではないでしょうか。

さて、沖縄戦のさなかに師範学校女子部在学中で南風原陸軍病院に動員された島袋淑子さんの話しを聞きました。何度も涙を流しながら聞きました。1945年5月にアブチラガマ(糸数)で傷病兵の看病に当たっていました。

別の施設の伊原第一外科壕(ほろ穴の仮設病院)で6月17日にアメリカ軍による爆弾が至近距離で炸裂して多くの犠牲者が出ました。翌日、日本軍は解散を命じました。

仮設の病院の負傷兵を運ぶ方法が無く、ほろ穴の中に置き去りにすることになってしまいました。

「人間を捨ててゆくのか」

置き去りにされる気配を感じた傷病兵からぶつけられた言葉です。

この言葉が耳について離れません。戦後もこの言葉が頭にありました。こんな話しは誰にもできません何十年も人に話さずに来ました。ひめゆり平和祈念資料館が出来る時にやっと「語ろう」と決意したそうです。

16歳の少女の心を傷つけた戦争、、、

沖縄戦は1945年6月23日に終わりましたが、その2日前に島袋さんは右手右足に重傷を負い逃げまどっていました。6月27日にアメリカ軍により発見され収容されました。

東日本大震災は天災だから誰も止めようがない、しかし、戦争は人災、必ず止められる。憲法9条を変えられたら、あなたが戦争に征くのですよと若者に言い続けているそうです。


今日は、普天間基地(オスプレイが配備されている基地)、島袋さんも働いていた糸数の壕、ひめゆりの塔、平和祈念資料館などに行きます。

iPad(タブレット)からのブログ書き込みですが技術が無く写真が添えられないのが残念です。沖縄は25度位の気温になるそうで、昨日の朝の仙台とは25度もの気温差があります。


2年前の3月24日

2013年03月25日 06時03分59秒 | 蜂助の呟き
こんにちは、蜂助です。

昨日はベガルタ仙台レディースがなでしこリーグデビュー戦でしたが、強豪の岡山湯郷に勝ちました。うれしいですね。東電マリーゼに所属していた選手たちが多いのですが、苦労した分、サッカーができる喜びを実感していることでしょう。

さて今日も、2年前に全国に発信したメールの一部を紹介します。今回の文の前には被災地の写真を添付していましたが省略します。

・本日3月24日は、東北自動車 が全面再開します。
・福島県産のほうれん草、キャベツ、ブロッコリーなどの摂取制限の発動が菅首相から指示されました。福島県と言っても広いのですよ!
・妻が朝早くから起きて珍しくかいがいしく働いています。「職場の保育所の若い保育士の人たちは、買い物に行けなくて食べるものがないから」とおにぎりなどを作っているのでした。コンビニも開いていないし、スーパーや生協は早い時間に閉店するからです。煮物も昨日のうちに作ったそう。
・息子が高校時代の友達の家に、キャベツ、豚肉を届けたらたいへん喜ばれたそうです。「いい暮らししているんだね」とおばあちゃんから言われたとのことです。
・息子、娘が昨日調達したものは、灯油10リッター、ガスボンベ、単三電池、卵、納豆、
・妻は、保育所の子どもにフワフワのホットケーキを作るための卵、若い保育士の方たちのナプキン。(保育所でパート保育士として働いています)
※息子や娘の成長を感じます
 「うちは足りているから他の人にやって」と息子 私の職場の人が「焼肉食べたいと言っていた」となにげなく話したら娘が長時間並んで上等な豚肉を買ってきてくれました。つらい体験が多くの人を成長させています。全国の仲間の皆さん、暖かい支援をよろし
くお願いいたします。


そうそう、この「私の職場の人」が臼蔵さんです。

臼蔵さ~ん  もうそろそろブログのアップもお願いしますね~~~

2年目の3月23日

2013年03月23日 05時54分38秒 | 蜂助の呟き
こんにちは、蜂助です。
今日も、2年前の今日に全国に発信したメールを紹介します。一部、削除と修正をしました。

●11年3月23日(水)震災12日目
皆さまお元気でしょうか。

○○○○○は元気に活動しています。

3月23日現在の生活関連情報のいくつかを報告します。
・仙台市は現在マイナス1℃です。灯油は全く不足しており、多くの方が寒さに耐えています。○○○○○の登録家庭向け灯油は仙台圏など8つの支部で10リッターのみ配達しています。
・仙台市水道局によると、22日に市浄水場水系の水道管の復旧作業がほぼ完了し水圧が一部で弱いものの各戸に給水できるようになったと発表しています。
・仙台市ガス局は22日、復旧スケジュールを発表しました。一般家庭は24日に泉区の一部を皮切りに再開します。全地域の復旧は津波被害の大きい市東部沿岸地域を除き約1~1ヶ月半を要すると発表しています。私の住む宮城野区西部の「C1地区」は26日に復旧するかもと発表されています。
・燃料不足。21日から塩釜港に燃料2000キロリットルを積んだタンカーが毎日入港しています。5000キロリットルの大型タンカーは接岸できません。小生もガソリン不足で自家用車が使えません。昨夜、使っている公用車(水事業のワゴン)もランプが点灯してしまいました。
・遺体安置所。気仙沼市5ヶ所、石巻市4ヶ所など県警が県内20ヶ所位を発表しています。
・携帯電話。22日午後現在、NTTは4県で880局、AUは6県で433局、ソフトバンクは4県で617局が中断していると発表してます。

引き続き、暖かい支援をお願いいたします。

【3/22岩手県の仲間 Fさんからの報告】
簡単に岩手の状況を報告させていただきます。
1.概況
盛岡などの内陸と、沿岸地方ではまったく状況が異なります。
内陸は、電気・ガス・水道はほぼ復旧。沿岸は、電気は復旧しつつありますが、
まだまだ時間がかかりそうです。
ガソリンの不足は内陸・沿岸ともに深刻。7時間~8時間待って入れられれば運が良かったという状況です。
2.店舗
全店舗での営業が開始されております。
ただ、営業時間は短縮されており、商品もまったく揃ってはいません。
また、内陸と沿岸でまったく利用される商品が異なり、内陸はほぼ普段の利用に近づきつつありますが、沿岸(特にドラ)は、商品が入るたびに人が殺到し危険なため、一度店舗の外に出して、陳列後再度店を開けるような状態です。
3.産地状況
内陸の産地はほぼ影響ありません。ただ、ガソリンがなく納品ができない状態です。  沿岸、特に皆さんと交流会の際に宿泊した田老は厳しい状況です。
皆さんと歩いたあの堤防を大きく越える波が襲い、わかめの産直先である田老町漁協の工場はすべて流されてしまいました。
養殖わかめについては、15日からの収穫開始でしたが、一部を残してほぼ壊滅です。
そしてなにより、わかめ産直の顔的な存在でした、田老町漁協の加工工場長の方(宿にあわびを差し入れしてくれた方)が、田老町漁協で唯一行方不明になっております。
最後まで、工場の職員に避難指示を出していたようです。その他の沿岸の産地もまだ状況が確認できていません。
このような状況の中、内陸の生産者から沿岸の組合員のためにと、お米の支援をいただいております。こんな状況だからこそ、お互いを思いやり、支え合う。この組織にいることを誇りに感じています。


改めて読み直すと、甚大な被害を受けた中で皆が必死にやっていることが実感できます。

人気ブログランキングへ