“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

集団的自衛権 公明党の容認方針 理屈の通らない変節

2014年06月30日 12時59分12秒 | 臼蔵の呟き

憲法をどう解釈すれば、集団的自衛権という戦争行為が合憲になるのかを説明して欲しいものです。安倍、麻生、高村などに引きずられて、与党内での密室論議に終始することで、自民党の見解に同意をさせられることは分かりきったことでした。公明党は創価学会の政治部門であり、政教分離が貫かれていないことで、自民党中枢から常に、この問題での恫喝を受けているのです。そのような政治、司法上の弱みを握られている政党が、政権与党に反対などが出来るはずがありません。

憲法の根幹に関わるような9条の改定を解釈変更で行うような政治行為が認められることがありえるはずがありません。また、このような重大な改憲が与党間での密室協議で幕引きを図ることもふざけた話です。自民党、公明党は必ず歴史の審判を受けることは確実です。国民をここまで馬鹿にし、欺く行為を黙って見過ごすことはありえないからです。

<北海道新聞社説>

集団的自衛権 公明党の容認方針 理屈の通らない変節だ。見苦しい変節と言うほかない。

 公明党が集団的自衛権の行使容認へ方針転換した。「解釈改憲反対」の主張は取り下げる。安倍晋三政権のブレーキ役を任じてきたが、単なる政治的パフォーマンスだったのか。政府・自民党の言うがままに譲歩した。自衛隊が戦争に参加する道を開く作業に加担している。もはや「平和の党」とは呼べない。

 連立政権に残ることを優先し、つじつま合わせを重ねた結果だ。信頼回復は到底おぼつかないと覚悟すべきである。

 理解できないのは山口那津男代表の説明だ。「個別的自衛権に匹敵するような集団的自衛権」であれば許される余地があるという。いかにも苦し紛れだ。二つの「自衛権」には、自国が攻撃されているか否かという明確な一線がある。山口氏は「これまでの憲法9条の規範性は全く変わらない」と主張するが、無理がある。

 山口氏は昨年の参院選で集団的自衛権には「断固反対」と明言した。今年4月には解釈改憲を「憲法の精神にもとる」と批判した。

 「国民の理解が不可欠」と言ってきた山口氏は、あからさまな前言撤回をどう説明するのか。集団的自衛権行使の8事例には「現実味があるのか」と否定的だった。公明党が軟化したことで、政府・自民党は8事例すべてに対応できると解釈する構えだ。

 中東海域での機雷除去など、公明党が猛反対した集団安全保障による武力行使も、閣議決定はしないものの、国会答弁で認めようとする政府の動きが判明した。政府・自民党を勢いづかせてしまった。山口氏は集団的自衛権行使の要件を狭めたことで「歯止めが利いている」と言いたいようだが、実態は逆ではないか。

 党内も穏やかではない。地方組織幹部への説明会では、出席者から懸念や慎重論が相次いだ。理念なき方針転換には党員も納得できまい。連立離脱を排除したのは、政権の中から福祉政策などの実現を目指す方が得策と考えたのだろう。だが、結果的に政府・自民党に足元を見られた。今後与党内で存在感を発揮しようにも、押し切られてしまうのは目に見えている。

 1日には自公両党が正式合意し、閣議決定を行う日程が有力だ。その前にもう一度立ち止まって考え直すべきだ。


再生エネルギー普及促進を

2014年06月30日 11時56分12秒 | 臼蔵の呟き

自民党政権は、原子量発電所の建設、再稼動にこだわり、再生可能エネルギーの普及には全く後ろ向きです。原子力発電所の再稼動と輸出に政権を上げてまい進していると言うのが実態です。その安倍、自民党政権に待ったをかけているのが国民の反対運動、司法判断です。このような民主団体、司法、多くの国民の反対の声がなければ、すでに原子力発電所の再稼動を行っていたでしょう。その意味では、国民的な反対運動の盛り上がり、世論の動向が政権に対して歯止めとしての政治的圧力をなっています。

自民党政権、経団連などは原子力産業の利益代表の要求を入れて、再生可能エネルギーへの投資には全く消極的です。北海道では北海道電力が大手企業の太陽光発電を買い取らないと言う事態も報道されています。11年三月の原子力発電所事故の教訓などはどこになるのかといった感じですらあります。太陽光、風力,地熱発電などが豊富にありながら、資金がない、買取をしない電力会社のために再生可能エネルギーの構成比が増えない状況が続いています。政権の無策には本当の怒りを感じます。ロシア、アメリカ、日本と三つの原子力事故を起こした日本こそが、再生可能エネルギー投資、エネルギーにおける構成比を最大化する努力を世界に先駆けて行う義務があるはずです。

原子力発電がコスト的に安いかの主張ですが、原子力発電所の事故処理費用、非難賠償金、使用済み核燃料の保管すら決まっていない原子力発電コストが安いかの宣伝には納得できない。このようなまやかしの主張、安さのごまかし宣伝にだまされないようにしなければならないと思います。

 <毎日新聞社説>再生エネルギー買取 普及と負担の調整図れ

 経済産業省が、太陽光などの再生可能エネルギーで発電した電力を電力会社が固定価格で買い取る制度(FIT)の見直しに動き出した。

 電気料金が上がって経済に悪影響を与える心配が強まってきたからだ。再生エネの拡大と利用者負担の抑制をどう調和させるのか。先を行く欧州各国でも試行錯誤が続く難題だが、脱原発を実現するためにも知恵を絞る必要がある。

 制度見直しの議論は経産省の有識者会議で始まった。年末までに具体策をまとめる予定だ。

 FITは、原発事故の反省から脱原発路線を打ち出した民主党政権が2012年7月に導入した。電力会社は太陽光、風力などの発電事業者から、政府が決めた価格で電気を買い取らなければならない。その費用は電気料金に上乗せされる。

 平均的な家庭の上乗せ負担額は今年度、月225円と12年度の2・6倍に上がる。国民の負担は再生エネの比率が高まるほど重くなる。再生エネ先進国では既に深刻な問題になっている。平均家庭の負担が月2400円に達したドイツでは買い取り対象設備の縮小などを盛り込んだ関連法案の審議が進むが、再生エネ普及の足を引っ張る懸念は拭えない。

 日本の制度では買い取り価格は毎年見直される。発電コストが技術の進展に伴って下がっていくためだ。しかし、政府の認定を受けた発電事業者は認定時点の価格を10〜20年間維持できる。新規参入を促すための仕組みだが、認定だけ受けておき、コストが下がってから事業を始めて「ぬれ手であわ」の差益を稼ごうという悪質な商法も誘発している。

 FIT導入から今年3月末までに認定を受けた事業者の発電能力(容量)は計6800万キロワットを超えた。制度導入前の稼働実績は約2000万キロワットだから大幅な増加だ。しかし、実際に発電を始めたのは認定容量の13%しかない。容量ベースで全体の9割強を占める太陽光(10キロワット以上)が、1割しか運転開始していないことが響いている。

 経産省は太陽光の認定を受けながら事業を始めない悪質業者の認定取り消しを始めた。だが、「ぬれ手であわ」を許さないためには、より厳格な制度への手直しが必要だ。

 認定が太陽光に偏っているのも問題だろう。有望と見られた風力や世界3位の資源量があるという地熱の申請はわずかしかない。天候で発電量が乱高下する風力は、広域利用することでリスクを分散する必要がある。地熱は環境保護や地域の温泉事業者らとの調整が欠かせない。

 国民の理解を得ながら再生エネを拡大させるには「価格」で解決できない課題にも向き合う必要がある。 

東日本大震災 帰還困難区域/効果的な除染法の確立急務

<河北社説>

 福島第1原発事故に伴い帰還困難区域に指定された地域でも、除染を行えば、事故から10年後の2021年には個人の年間被ばく線量は20ミリシーベルトを下回るとの推計結果を政府が発表した。
 「年20ミリシーベルト以下」は避難指示解除の重要な要件の一つ。それをクリアする推計が出るのは初めてで、帰還を考える参考データにはなり得る。
 ただ、帰還時期を見通す指標と評価するのは早計だ。原発事故から3年以上経過し、放射性セシウムが家屋の外壁などにこびり付いているとみられる。除染の効果は地形や場所によってばらつきがあり、きめ細かな検証が必要だ。
 帰還を促す材料にしたい政府の思惑も見えるが、安全が担保されない以上、住民が納得するはずがない。政府が除染の長期目標とする「1ミリシーベルト以下」を上回る推計結果では不安を解消するにはほど遠い。

 帰還困難区域では、いまだに本格的な除染は行われておらず、開始時期も決まっていない。高線量地域での効果的な除染方法と作業員の被ばく防御対策の確立を急ぐ必要があろう。
 帰還困難区域は、空間放射線量が年50ミリシーベルトを超え、原発事故発生後5年間を経過しても20ミリシーベルトを下回らない恐れのある地域が指定された。大熊、双葉、浪江、富岡、飯舘、葛尾、南相馬の7市町村の計337平方キロメートルで、人口は約2.5万人。面積、人口とも避難区域全体の約3割を占める。

 環境省はこの区域での除染を視野に入れ、昨年9月から今年2月に大熊、双葉両町の一部で除染効果を実証する事業を実施した。得られたデータに基づき、放射性物質が減る「自然減衰」などを加味し、内閣府が今回初めて放射線量を推計した。
 試算では、成人男性が1日屋外で16時間過ごした場合、昨年11月に年100ミリシーベルトの地点は、除染を行わなくても事故から10年後には半減期や自然減衰により年37ミリシーベルトまで低減する。除染した場合、年9~19ミリシーベルトまで減らすことが可能という。年50ミリシーベルトの地点では、除染なしで年19ミリシーベルト、除染すれば年6~11ミリシーベルトと推計した。
 福島第1原発周辺地域に「国際研究産業都市」を創設する構想がある。政府はロボットの開発や技術者の育成など廃炉を加速する研究拠点とし、復興を世界に示したい意向だ。東京五輪が開かれる20年を当面の目標に掲げ実現を目指している。
 政府は構想の報告書を、福島・国際研究産業都市構想研究会で、除染の推計結果と合わせて公表した。構想の具体化を意識し、放射線量の低減を強調する意図も見える。
 放射線量が推計通り低減されなければ、構想は壮大な「絵に描いた餅」になりかねない。帰還困難区域を抱える7市町村の復興計画とも密接に関連する。住民が日常生活を取り戻すため、インフラの復旧など地道な取り組みも合わせて明示してこそ、世界にアピールする構想は現実味を帯びてこよう。


政府・国会事故調査委員会の資料公開

2014年06月30日 10時38分26秒 | 臼蔵の呟き

11年3月の福島第一原発事故の調査資料が政府、国会の資料として公開されずに国民の知る権利が実現していません。先月、当時の吉田所長(故人)の証言記録が朝日新聞に掲載され、話題となりました。原子力発電所の事故はあってはならないものですが、日本で起きた過酷な原子力発電所事故の調査記録が公開されることで、原子力発電所の建設、再稼動が安全性、技術的な観点からも検証できる貴重な資料です。政府、電力会社にとってつごぷが悪いかどうかではなくて、日本、および人類にとっても必要な資料であり、政治的思惑を排除した記録の公開を求めるものです。

<毎日新聞>政府・国会事故調査委員会の資料公開の促進を

 5月20日の朝日新聞朝刊1面トップに「政府事故調の『吉田調書』入手」という見出しの記事が掲載された。2011年3月15日朝の福島第1原発2号機格納容器破損の際、第1原発所員の9割が、所長命令に違反して同原発から撤退したという記事だった。

 筆者は東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)の委員を務めた。その作成過程で収集した772人のヒアリング記録及びその他の資料について、情報公開のルールを定めぬまま収集が進められ、やがて委員会の解散によりルール制定の機会が失われたことを残念に思っていた。資料が今後、事故原因究明・再発防止等のために有効に活用されぬまま、内閣官房に死蔵される危険性を強く危惧する。

 また同じ危惧を、国会事故調が収集した資料についても抱いている。二つの事故調の記録は人類が福島原発事故という重大な犠牲を代償に獲得した遺産であり、調査研究に活用されないのはあまりにももったいない。

 「吉田調書」は、福島第1原発の所長だった吉田昌郎氏に対し政府事故調が断続的に行ったヒアリング記録を文章化したもので、400ページ以上ある。スクープ当日、筆者には情報提供を求めるマスコミからの電話が殺到した。だが筆者は吉田調書を借り出したことはない。調書を借り出すには厳格な情報秘匿の誓約手続きが必要で、コピーすると痕跡が残る仕掛けがある。従って他の委員・技術顧問からの流出も考えにくい。

 朝日新聞は5月22日を除き、24日までの4日間、朝刊1面トップで吉田調書問題を取り上げ続けた。吉田調書から福島原発事故の進行経過、とりわけ事故対応の失敗について従来の見方を大きく塗り変えるような情報は見つかっていない。しかし朝日新聞はその後も頻繁に、ヒアリング対象者となった政治家の証言や、政府事故調委員のコメントを掲載し、情報公開の必要性を訴え続けている。筆者もこれを機会に適切な資料保管・公開ルールが制定されることを願う。それらを一元的に保管し新しい資料(物的証拠を含む)を増やすための常設の事故調査組織と資料館(アーカイブ)の設置がぜひとも必要である。その実現のためには、他の新聞社・テレビ局等が共同歩調をとってほしい。毎日新聞も含め、マスメディア各社はこの問題について沈黙を続けているが、残念でならない。


集団的自衛権 誤りの道繰り返すな 

2014年06月29日 12時57分19秒 | 臼蔵の呟き

積極的平和主義なるものがいかにいんちきで、でたらめな政治スローガン化を示す事例です。彼らは本音を隠し、言葉でごまかす手法を用いています。ナチスの政治手法とまったく同じです。行き着く先も同じになるはずです。1つだけ違うことは時代の流れは、戦争による紛争解決ではなく、外交努力による紛争の平和解決が主要国の主流になりつつあると言う点です。安倍、麻生、高村、公明党などが戦争できる国づくりを目指しても世界の政治潮流とは異なっている点こそが最大の違いです。彼らが靖国神社を参拝し、戦争できる国、戦死しても靖国で会おう!戦死すれば神になるのだと嘯いても、そのことが国内的にも、国際的にも主流になる時代は去りつつあることを自覚すべきです。

<毎日新聞>集団的自衛権 誤りの道繰り返すな 早乙女勝元さん

 敗戦から69年。戦争は遠くなった。悲惨さを知る人がもうあまり残っていない中で、実感の伴わない集団的自衛権の論議が進んできた。「自衛権、という言葉はまやかしだ」。大空襲を生き延びた作家、早乙女勝元さん(82)は言う。「戦闘権、というべきです。これはいつか来た道。歴史に学ばなくてはいけません」

 「若い人に『銃後』と言っても通じませんよ。数字の15と勘違いされる」と苦笑する。今も「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)の館長を務め、戦争体験の継承に力を注ぐ。だが、実際に継承していくことの難しさを感じてもいる。

 戦争になれば、戦場から離れた場所はすべて「銃後」となる。そこで何が起きたか。

 12歳だった1945年3月10日、父に起こされて外に出ると、真っ赤な火の海が見えた。リヤカーに家財道具を縛り付け、焼夷(しょうい)弾が降る中を両親たちと逃げ回った。電柱がマッチのように火を噴き、人が火だるまになっていた。死が目の前にあった。この空襲で10万人が死んだ。「聖戦を行う神国・日本」「神風が吹いて必ず勝つ」と教えられていたのに、町は焦土と化し、戦争の実態を知らされないまま民間人が犠牲になった。

 どうして戦争を止められなかったのか。母は「いつの間にか始まって、いつの間にか火の粉が降ってくるようになった」と答えた。「見えざる、聞けざる、言えざる」の状態で国民は戦争に動員されたのだ、と思った。

 戦後は工場勤務の傍ら戦争体験を本にまとめ、戦災資料センター開設に尽力した。戦争で大切な人を亡くした遺族たちの証言を集め、講演などで「(戦争を)知っているなら伝えよう。知らないなら学ぼう」と訴え続けてきた。

 「戦争が恐ろしいのは、その本質が隠蔽(いんぺい)されることです」。議論が尽くされぬまま集団的自衛権の行使へと向かう今が、当時と重なって見える。

 安倍晋三首相は、集団的自衛権の類型を説明する際、パネルで母子を守るイメージを前面に出した。「きれいな面ばかりを見せている」と感じた。「自衛隊に死者が出るかもしれないこと、日本の基地が狙われる可能性が出てくることを言うべきです」

 国民が知らぬ間に戦争が始まっていた、という事態は阻止したいと考えている。「歴史を知らないと道を誤ります。そうして犠牲になるのはいつも市民、民間人。そのことを私は死ぬまで証言し続けます」

明日へのとびら 安全保障の大転換「失うもの」を見据えよう

<信濃毎日社説>

明日へのとびら 安全保障の大転換「失うもの」を見据えよう

 紛争地の現実を直視し、武力行使で「失うもの」の大きさを考慮した議論を求める―。

 世界各地で人道支援活動などを展開している非政府組織(NGO)、日本国際ボランティアセンター(JVC)は今月10日、こんな提言を発表した。安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認に向けた議論の加速を与党幹部に指示した日だ。

 こうした声を振り切るように、政府・与党は閣議決定に向けて突き進んでいる。

 首相は行使容認の必要性を国民に訴えた先月の会見で、世界各地で活動する日本人ボランティアが武装集団に襲われても現状では自衛隊が助けることができないことを理由の一つに挙げた。

 JVCの谷山博史代表には、それは自衛隊の海外活動の制約を緩めるための方便で、民間の国際協力活動の現実を踏まえているとは思えなかった。

  ▽リアリティーの欠如

 谷山さんはJVCに入って30年近い。米国が2001年に軍事力で当時のタリバン政権を倒したアフガニスタンでは、その翌年から4年以上にわたって現地事務所の責任者を務めた。

 滞在中、米軍による強引な家宅捜索や誤爆などで住民の反米感情が年々募っていくのを目の当たりにした。北大西洋条約機構(NATO)に加盟する欧州諸国は集団的自衛権を理由に参戦し、泥沼の戦闘に巻き込まれた国が少なくない。一方、日本はインド洋での給油支援にとどめた。

 政府が武力を使わない姿勢を示したことが、現地で反感を買わずに支援を続けられた要因―。谷山さんはそう考えている。

 首相の言葉や与党協議がいかに現場の実情を軽んじているかを浮き彫りにするものだ。

 谷山さんらJVCのスタッフは安倍政権の安全保障政策の転換に危機感を強め、異議を唱えることにした。その中に具体的に書き込んだ理由はこうだ。

 (1)多くのNGOは安全対策を徹底して行動している(2)自衛隊による救出は現実的でなく、多く場合交渉で解決している(3)武力を使えば武装グループから攻撃の対象とされ、防御が攻撃に転じてエスカレートする(4)軍との関係が疑われればNGOも支援対象の住民も危険にさらされる(5)日本の平和協力の独自性が失われる―。

 JVCが発足して今年で34年になる。長年にわたる紛争地での支援活動から導き出された理由だけに、説得力がある。

 リアリティー(現実)を欠いたこれまでの論議は、集団的自衛権の行使容認で任務拡大を求められる自衛隊員や、「専守防衛」をたたき込まれてきた元隊員をも複雑な思いにさせている。

 1992年、自衛隊にとって初めてとなるカンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に参加した元自衛隊員に話を聞いた。

 「首相が事例として挙げた邦人を乗せた米艦防護も、海外で活動するボランティアの駆け付け警護も、実際にそんなことがあり得るのか、といえば可能性は極めて低い」。元隊員は言い切る。

 自衛隊は来月1日に発足60周年を迎える。カンボジア派遣をめぐっては国民の反対も強かった。派遣の根拠となるPKO協力法は三つの国会にわたる審議を経て、ようやく成立した経緯がある。

 賛否はあっても自衛隊の海外活動が国民の一定の理解を得るようになったのは、憲法9条に照らして武力行使をしないなど、歯止めを踏み越えることなく、犠牲者も出さなかったことが大きい。

 けれど、集団的自衛権の行使容認で、仮に自衛隊が海外で武力行使をすることになれば、加害も被害も覚悟しなくてはならない。

  ▽武力に頼る危険性

 「そんな事態が実際に起きれば3・11の災害救助など60年かけてようやく得た国民の理解を一気になくすことになりかねない。国民の信頼を失えば、自衛隊員は誇りを持って活動できなくなる」と苦言を呈した。

 谷山さんや元隊員が共に疑問視するのは、安倍政権が行使容認ありきで、その問題点を徹底的に掘り下げないことと受け止めた。厳しい国家財政、少子高齢化、紛争を防ぐための外交の弱体化など、日本が抱える課題を踏まえ、どのような国を目指すのか、具体策も示そうとしない。

 JVCの提言は最後に、軍事力に頼る国際貢献は自国民を守る上でも国際紛争を解決する上でも効果を発揮しないと訴える。

 軍事によらない日本らしい安保政策や外交戦略を練り上げることこそが国民の安全に必要なのではないか。平和国家とみなされなくなったらどうなるか。失うものの大きさを国民一人一人が真剣に考えなくてはならない。

 


解釈改憲自公合意 姑息な「こね入学」に等しい

2014年06月29日 12時00分00秒 | 臼蔵の呟き

自民党の憲法解釈変更に対する国民の側からの反撃を恐れ、今のうちに解釈変更で9条の空洞化を閣議決定で行ってしまう。そのことで既成事実を積み重ね、現実には進んでいるのではないか。―――という政治手法で多くの国民をしらけさせ、あきらめさせるそれが安倍、麻生がいうナチスヒトラーの政治手法に学べとの言動と重なっています。彼らが言う法の支配、民主主義の本質とはそのような政治独裁と、粗放の独立を行政権力が無視し、否定することと同義です。

安倍、麻生、高村など自民党中枢が分かっていることは憲法を条文上で改正することは非常に難しい。憲法の変更手続きに沿って、国会審議、国民投票による憲法の改正は至難の業であることを非常に良く分かっているからこそ、このような姑息な手段を使うのだと思います。まして、圧倒的多くの国民が戦争することを喜び、戦争する国を目指す国を目指すなどは、現実問題としてありえません。

自民党、公明党、元維新の会、民主党の一部、みんなの党などは自民党型政治の政治集団であり、これらの政治集団は、戦争できる国、核兵器を所有する国日本を目指しています。その意味では対極にある日本憲法は否定すべき対象であり、この憲法解釈の変更は彼ら自身の政治目的とは合致しています。

今度の総選挙ではこのような政治潮流に徹底的批判と責任を感じ取るような選挙判断を下す必要があります。

<琉球新報社説>解釈改憲自公合意 姑息な「こね入学」に等しい

 自民、公明両党は集団的自衛権行使を可能とする解釈改憲の閣議決定案に大筋で合意した。いくら詭弁を弄(ろう)そうとも、ことの本質は日本の自衛隊が外国で戦争をするか否かだ。外国での戦争に国民的合意はない。自公合意は不当だ。

 解釈で憲法の根本を左右するのは立憲主義の否定に等しい。合否を恣意(しい)で決める「コネ入学」のようなものだ。与党は姑息(こそく)なことをせず、外国で戦争すべきか否か、憲法改正の是非を堂々と国民に問うべきだ。解散総選挙、あるいは憲法改正の国民投票を提起すべきだ。

 自公が合意した閣議決定案は「自衛権発動の3要件」に代わり、「自衛の措置としての武力行使の3要件」との名称にし、海外での軍事行動に道を開いた。
 さらに、武力行使について「国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合もある」と記した。集団的自衛権を明示したばかりでなく、「場合も」と書くことで、集団安全保障への参加の余地も残した。
 集団安全保障とは、湾岸戦争のように多国籍軍で軍事行動をすることだ。参加すると、当然、自衛隊員から戦死者が出ることが想定される。相手の国の兵士・国民を自衛隊が殺害することもあり得るし、恨みを買うことにもなる。それがなぜ国民の安全を高めることになるのか、理解できない。

 自公両党の協議は「集団安全保障」との文言を明記するか否かが焦点であるかのようだった。明記しないことで、あたかも自公両党の意見を足して2で割ったように見せてはいるが、偽装に等しい。問われるべきは日本が外国で軍事力を使うか否かであり、その意味では「ゼロか百か」しかあり得ない。自公の答えは「百」である。
 憲法9条は「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」と定め、「国の交戦権は認めない」とうたう。解釈改憲は外国での戦争を可能にするのだから、放棄したはずの「武力行使」であり、認めないはずの「交戦権」である。これでは憲法9条は完全に空洞化する。これを認めれば、9条は何のための条項か、置く意義が何も残らなくなってしまう。
 憲法の完全な空洞化を、一内閣の政治的思惑で実行することは許されない。外国での戦争を容認して公明党は「平和の党」と言えるのか。原点に戻り、従来の主張との整合性を見詰め直してほしい。 

公明、地方から異論 執行部、容認方針変えず 集団的自衛権で懇談会

 公明党は28日、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定案について、地方組織の意見を聴く「県代表懇談会」を東京都内の党本部で開いた。出席者からは「平和の党のイメージとして、行使容認は厳しい」などと慎重論や反対論が相次いだが、山口那津男代表ら執行部は、行使は限定的で歯止めは掛かっているとして理解を求めた。執行部は30日に党内の一任を取り付ける方針は変えず、7月1日の与党協議会で自民党と正式合意する構え。これを受け政府は同日中に閣議決定する見通しだ。

 懇談会には各都道府県本部の代表や幹事長ら約70人が出席。党執行部によると、地方から約25人が発言し、「地元には『連立政権を離脱すべきだ』との声もある」「解釈変更ではなく、憲法改正でやるべきことだ」などの懸念が続出した。

 党執行部は、閣議決定後の7月5日にも地方組織の幹部を集めた会合を開き、再度理解を求める。