“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

まともな社会とは?

2014年12月31日 10時59分00秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党極右政権に振り回された2年間でいくつかのことが分かりました。彼らがいう積極的とか、平和とは、国民の声明財産を守るとかはーーその本質は全く反対のことであると。彼らが狙うのは天皇主権であり、自衛隊の国軍化と戦争できる軍隊への転換、そのためには海外派兵などは当たり前である。核兵器も開発し、保持する。中国、ロシア、アメリカなどと対等な立場に立ちたい。そのためには過去の侵略戦争などを認めるわけにはいかない。侵略戦争において批判される従軍慰安婦などはあってはならない天皇制国家(彼らにとっての唯一の正しい国家像だから)の関与である。

では、そのような経済力が日本にあるのか?製造業を中心として海外に生産拠点を移転してしまい雇用は急激に減少している。このままで過去のような日本経済の力強さ、繁栄(富国強兵)を誇示することが出来るのか。---そこでまやかしの安倍ブレーンによる経済政策を提示して、議席を掠め取った。しかし、その経済対策が経済的な繁栄を実現できることは無かった(それを隠すのが14年末総選挙)。貧富の格差は許容出来ないレベルになった。これが2014年までに到達した現実です。

今までの常識といわれるものが、非常識になりつつあるのが現実であり、政治経済の閉塞感を打開する道なのだと考えることが必要になっています。

成長ではなく成熟した社会、原子力にたよるエネルギー政策ではなく再生可能エネルギー社会。自民党型政治ではなくて国民多数の幸福を追求する政治経済社会。企業が政治を買収するような社会ではなくて、企業が社会的責任を十分に果たさせる政治経済社会。紛争を軍事力で解決する社会から紛争を話し合いによって解決する社会。民意を切り捨てる小選挙区制度から比例を中心とした選挙制度に転換させる(沖縄小選挙区での自民党の全敗が証明した)。消費税率の引き上げではなくて法人税の安定確保、富裕層への税負担を求める。

自民党型政治(二大政党、第三極などもその範疇に入っている)には出来ないでしょうが、必ず、そのような方向に世界、日本の政治経済が向かうことだけは確かなように思います。そのことが現実で理解できるようになって来た事が歴史の進歩なのかもしれません。

<東京新聞>「戦後の精神」つなぐ 作家 大江健三郎さん

 特定秘密保護法が成立してから、12月6日で一年。施行は10日。集団的自衛権の行使容認の問題と合わせ、作家の大江健三郎氏に聞いた。

 政府が言う「積極的平和主義」は、憲法九条への本質的な挑戦だ。米国の戦争の一部を担う立場に変えていこうとするために「積極的平和主義」という言葉をつくった。だから、何よりも特定秘密保護法が必要になる。

 集団的自衛権を行使できることを日本の態度とするなら、米国が起こしうる軍事行動に踏みとどまる建前を失う。どういう戦闘が行われるか、戦況はどうなるか。米軍と自衛隊のやりとりは何より秘密でなければならない。秘密保護法を一番要求しているのは米国だろう。

 日本政府は「積極的平和主義」を内外に宣伝している。最初、それは誰にも滑稽な言葉だった。しかし、半年、一年とたつと、国民は慣れて反発しなくなった。政府が国家の方針として提示し続ければ常態となる。市民は抵抗しなくなるということではないか。いま日本は、かつてなかった転換期にあると感じる。

 「積極的平和主義」という言葉に対比すると、いままで日本が取ってきた態度は憲法九条に基づく「消極的平和主義」になる。

 日本は平和を守るために戦うとは決して言わなかった。軍備を持たない、戦争はしないと世界に言い続けた。平和という場所に立ち止まる態度だ。僕は尊重されるべき「消極的平和主義」だと考えている。

 「積極的平和主義」は言い換えれば「消極的戦争主義」になる。米国の戦争について行く。戦場で肩を組んで行けば「消極的」か「積極的」かは関係なくなってしまう。自衛隊員が一人でも殺される、あるいは自衛隊員が一人でも殺すことになれば「消極的戦争主義」というフィクションも一挙に消えてしまう。憲法九条を残したまま、すっかり別の国になってしまう。後戻りはできない。それは明日にも現状になる。

 僕が十二歳のときに憲法ができた。学校で九条の説明をされて、もう戦争も軍備もないと聞いて、その二年前まで戦争をしていた国の少年は、一番大切なものを教わったと思った。自然な展開として、作家の仕事を始めた。九条を守ること、平和を願うことを生き方の根本に置いている。われわれは戦後七十年近く、ずっとそうしてきた。次の世代につなぎたい。

 僕も、すぐ八十歳。デモに参加すると二日間は足が痛むが、集会で話すこともする。そのような自分ら市民を政府が侮辱していると感じるから。「戦後の精神」を持ち続ける老人でいたい。

 おおえ・けんざぶろう 1935年生まれ。東大在学中に「死者の奢り」で作家デビュー。代表作に「個人的な体験」「万延元年のフットボール」など。94年、日本人として2人目となるノーベル文学賞を受賞。護憲派の市民団体「九条の会」の呼びかけ人。


西側諸国はうつ病なのか?

2014年12月31日 06時00分47秒 | 臼蔵の呟き

西側諸国はうつ病なのか?なかなか面白い話です。アメリカ、イギリス、日本、EUなど先進工業国で進む貧富の格差拡大、高齢化、少子化、財政赤字、多国籍企業による政治支配、租税回避、経済のグローバル化、新自由主義経済による社会的問題の発生、ウクライナ問題、テロとの闘いでアメリカ軍のイラク、アフガニスタンへの投入と長期化、---どれ1つ取ってもなぜ?どうしてこうなるのか?その解決策はどうななるのか?などなどを西側諸国――新自由主義を信奉する政治経済支配層に問うているのだと思います。

韓国では、フェリー事故、大韓航空での経営者家族の横暴など、富裕層で社会的に尊敬できる大手企業経営者がいないこと嘆きとして論じられています。どれ1つとっても資本主義政治経済、特に、新自由主義政治経済のもつ腐敗、堕落した倫理観、思想が閉塞状況に陥り、打開策を見出しえないことに対する不安感、憂鬱が覆い始めているのだと感じます。不安感、憂鬱になっているのは政治経済の支配層であり、99%の国民ではないように思います。

封建制度⇒資本主義社会・高度に発達した資本主義経済・新自由主義経済⇒???そのことへの支配層の展望の無さと無力感が憂鬱なのではないのかそう感じます。

アメリカの一国支配の崩壊、自民党型政治が安倍、自民党極右政権に変質し、反動的打開しようとする政治経済の矛盾と方向、好戦的なイギリス、カナダなどのイギリス的政治経済支配思想――どれをとっても同じ問題にぶつかっているのでしょう。

 <FT>西側諸国はうつ病なのか?はびこる悲観主義の背景にあるもの。

人生の最盛期はもう終わってしまった、あとはずっと下り坂だ――。そんな風に考える人は確かにいる。しかし、そういう憂鬱な気分が西側世界の大半を同時に覆い尽くすことはめったにない。短い期間覆い尽くしたことは確かにあったが(例えば、1970年代のスタグフレーションの時)、やがて危機とともに消えていった。

 今日の悲観主義は、過去のそれよりも2つの面で厄介だ。

今日の悲観主義がとりわけ厄介な理由

 第1に、経済学で説明しきれない。米国では景気回復が5年目に突入しているが、子供たちの暮らし向きは自分のそれよりも悪くなると考える人の割合が、景気の低迷に苦しむイタリアのそれと同水準にとどまっている。しかも、この傾向は2008年に世界金融危機が勃発する前から始まっている。

 第2に、西側の悲観主義は情報技術革命と同時期に広がりを見せている。西側の信条である個人の自由がこれほど制約されない時代は過去にほとんどなかったにもかかわらず、憂鬱な気分はさらに強まっているように見えるのだ。西側の人々は現実が分からなくなりつつあるのだろうか。

 その通りだ、と頷きたい気もする。西側の普通の人は以前よりも長生きしているし、戦争の影響を受けることもかなり減っているうえに、人類史上のどの人物よりも多様な選択肢を手にしている。元気に、自由に生きられること自体、大変な恩恵であるはずだ。

 ひょっとしたら、我々は昔からこれを当たり前だと思って過ごしてきたために、いま手にしているものの有り難みが分かっていないのかもしれない。

 何かとても重大なこと――情報技術に気を取られて物事に集中できない状態が続いていることだろうか――によって神経回路の配線が大きく変わってしまい、すぐ近くにあるものの真価が分からなくなってきているのかもしれない。

 あるいは、今日の公の生活の質に納得できないために、自己認識からしか生じ得ない惨めさに苦しんでいるのかもしれない。これらはすべて、うつ病に当てはまる。タイプの違いはあれども、これらは西側に広がる憂鬱さの説明として示されている。ただ、筆者にはどれもピンとこない。

他者の台頭に不安?

 実は、もっと妥当に思える説がある。我々は他者の台頭に不安を抱いている、という説がそれだ。

 世界各地で数多く行われている意識調査の結果で目を見張るのは、アジア、中南米、およびアフリカの人々が西側の人々よりも常に楽観的であることだ。中国やインドなどの国々の国民が、自分の子供たちの将来を明るく考えていることは、理にかなっている。明るく考えない方がおかしいだろう。発展途上国の人々のほとんどは、とても低い生活水準からスタートしている。大災害でもなければこの生活水準の向上を止めることはできまい。

 しかし、西側諸国の悲観主義の原因をここに求めることには無理がある。経済のグローバル化は、誰にとっても(差し引きで)利益になるはずである。また、グローバル化の進んだ経済は喜ばしいものでもあるはずだ。

 今日の世界は、西側の思い描いた通りの姿で発展しつつある。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領や中国共産党はともかく、民主的な資本主義に対抗するイデオロギー上のライバルは存在しない。キューバでさえ、遅まきながら、孤立状態から足を踏み出しつつある。

 では、西側のどこに問題があるのだろうか。その答えは、本当だろうかと笑ってしまうぐらい単純である。要するに、我々は年を取りつつあるのだ。

年を取りつつある世界

 経済学的には、これは「長期的停滞」を意味する。日本はほかのどの国よりも速いペースで高齢化している。そして経済成長も、ほかのどの富裕国よりも長期にわたって、より鈍い状況が続いている。

 しかし、これは程度の問題だ。人は年齢を重ねれば重ねるほど貯蓄をしなくなる。貯蓄をしなくなるほど投資もしなくなる。そして、投資をしなくなるほど経済成長も鈍化するのだ。

 これに対しては新しい技術が答えを出してくれるはずであるし、寿命も延びている我々はこれまでよりも長期間働くべきなのだろう。しかし、そこに立ちはだかるものがある。政治である。

 経済成長が鈍化すればするほど、予算を巡る争いも増える。スペインからカナダに至るまで、高齢者は財政戦争で勝利を収め続けている。

フランスはほかのほとんどの欧州諸国よりも高い出生率を誇るが、高齢者に回される資源の割合は平均を上回っている。フランソワ・オランド氏が大統領に選ばれたのは、年金の受給開始年齢を62歳から60歳に戻すと公約したためでもあった。

 また英国のジョージ・オズボーン財務相は福祉手当に上限を設けたが、国民年金はその対象外としている。

 米国では、メディケア(高齢者と障害者を対象にした健康保険制度)およびソーシャルセキュリティ(社会保障年金制度)が連邦予算に占める割合が毎年高まっている。どの政党も、年金支給開始年齢には手を付けようとしない。現在は65歳だが、今後も少しずつしか引き上げられない見通しだ。

「ジェロントクラシー(老人支配)」の代償

 「グレイ・ロビー」が優勢になればなるほど、将来の世代が割を食う。すると、既存の政治への反発が生じる。実際には、悪いのは移民だという主張が生じることになる。 米国のティーパーティー(茶会党)、フランスの国民戦線(FN)、そして英国独立党(UKIP)を躍進させた大きな原動力の1つは、これらの政党がしばしばスケープゴートを探すことに求められる。

 彼らは、直接政権を担う公算こそ小さいものの、年金世代に対する現役世代の人口比の低下という問題に取り組むことができる人々の障害になっている。この問題の解決策の重要な要素は移民の受け入れの増加だが、既存の政治に反発する人々は、移民の阻止を中核的な目標の1つに掲げているからだ。

 これもまた、西側世界の「ジェロントクラシー(老人支配)」の代償だと言えよう。

 高齢者支配のコストは財政面だけにとどまらない。「第三世界」という用語を生み出したフランスの思想家、アルフレッド・ソヴィーは、西側世界が「古い家に住み、古い思考を繰り返す高齢者の社会」になってしまうことを恐れていた。これには一理あるかもしれない。

確かに、ローリング・ストーンズのライブ演奏を見るのは悪くないものの、彼らが創造性にあふれていた時期はもう終わったのだと実感せずにはいられない。

 だが、彼らの年代――ベビーブーム世代――は今でも、自分たちの欲しいものを手に入れている。

 ミック・ジャガーの全盛期には、やりたいことと言えば年上の偉い人たちに反抗することだった。今では、引退に備えて積み立てた貯蓄を守ることを意味する。

ほかのどの世代にも負けないほど将来を心配する高齢者

 もちろん、すべての年金生活者が裕福なわけではない。経済的な格差の拡大はすべての年代に影響を及ぼしている。しかし、ベビーブーム世代全体で見れば、彼らは生まれてからずっと成功を収め続けている。この記録は、彼らが亡くなるまで続くことになりそうだ。

 彼らの後に続く世代は、そこまで幸運ではないかもしれない。世論調査によれば、高齢者はほかのどの世代にも負けないくらい将来のことを心配している。ひょっとしたら、この答えには若干の罪悪感も影響しているのかもしれない。心の病のせいではない。

 西側世界全体が自分たちの全盛期は終わったと考えているとするなら、それは1つの事実、つまり文字通り自分自身の全盛期を終えた人がとても多いという事実と関係があるに違いない。


尊敬されるお金持ちがいないのか

2014年12月30日 12時57分33秒 | 臼蔵の呟き

【コラム】なぜ尊敬されるお金持ちがいないのか

寡聞なせいかもしれないが、いくら頭を絞ってみても、今や伝説になった「慶州の崔氏」以外に思い浮かぶ人がいない。今日の財閥・企業家の富は、慶州の崔氏のそれとは比較そのものが滑稽なほど巨大化したが、残念なことに社会的な尊敬はそれに伴って大きくなれなかった。富と尊敬の比例というより、片方だけがひょろひょろと育ってしまえば滑稽だったり見苦しかったりするのもまた事実だ。

尊敬されるお金持ちというのは、お金をうまく儲ける人ではなく、お金をうまく使う人だ。

この国で貧困にやつれた時代から脱却させた故鄭周永(チョン・ジュヨン)・李秉チョル(イ・ビョンチョル)会長、そしてサムスン電子を世界最高の企業にした李健熙(イ・ゴンヒ)会長のような人物をすんなりと含ませるのが難しい理由だ。

よく調べれてみれば、必ずしも韓国だけがそうでもない。社会主義が発芽し、福祉の歴史が根深い欧州を見てみても、尊敬される資産家がすぐには思い浮ばない。お金持ちが多くても社会的尊敬がいつも彼らと伴うわけではない。

尊敬される富裕層は、むしろ適者生存資本主義のジャングルといえる米国に多い。2010年にマイクロソフトのビル・ゲイツ創業者やバークシャー・ハサウェイのウォーレン・バフェット会長が財産の半分以上を社会還元する約束をして結成した富の寄付クラブ「ザ・ギビング・プレッジ(The Giving Pledge)」会員128人中の104人が米国人だ。このクラブの最年少会員2人も米国人だ。2010年、26歳の若さで加入したフェイスブック共同創業者マーク・ザッカーバーグとダスティン・モスコヴィッツだ。

なぜそうなのか。「犬のように稼ぐ」ことを拒まない米国社会で「きれいに使う」人が多い理由が何か。米国よりはもはるかに人間らしい顔をした資本主義社会である欧州で、尊敬される富裕層が少ない理由は何か。
欧州で尊敬されるお金持ちが少ないのは、逆説的に彼らが人間らしい顔をした資本主義を持っているからだ。欧州の企業家たちは普段から企業活動で社会主義政党や消費者団体の干渉を多く受ける。それで企業を個人の所有物と考えることも難しく、「犬のように稼ぐ」のも容易ではない。そして普段から、稼いだ金の半分以上を税金として出している。フランスの場合、来年から廃止されるが高所得者などが収入の75%を富裕税として支払わなければならなかった。特に寄付をしなくても強制的に富の社会還元を実践してきたのだ。

米国に「きれいな人」が多いのは、米国社会の土台になった清教徒精神の影響も明らかにある。だが、それより重要なのは教育の力だ。特に、分かち合いの精神をDNAに刻む「食卓の向こう側教育」の力だ。ホームレスでフォーブス世界100大長者番付の隊列に上ったことで有名なジョン・ポール・ミッチェル・システムズの最高経営者ジョン・ポール・デジョリア会長も2012年、「ザ・キビング・プレッジ」の会員になった。貧しい移民者だった彼の母親はデジョリア兄弟に「お前たちがいくら持とうが、お前たちよりも貧しい人々がいることを一生忘れるな」と教えたという。有名なロックフェラー一族は5代に渡る寄付を受け継いでいる。

韓国の私たちはどうなのか。いとこが土地を買うだけでも腹が痛くなる韓国社会が、他人の成功に評価が渋いのも事実だ。だが世界的に醜聞が出回ろうとも「大切な私の子」さえうまくいけば、それだけの現実で、尊敬されるお金持ちを作る教育は期待し難い。

この前「ナッツリターン」航空会社の操縦士が社内掲示板に掲載した文は、オーナー一家の教育がどうだったのか推し量ることができる。22年前に小学生だった末娘が兄と米国から帰国する飛行機に乗ったが、操縦室を見物させてくれと言って入ってきてはこのように話したという。「兄さん、よく見ておいて。これからは兄さんの会社になるのだから」。オーナー(この言葉自体も間違いだが)一家が一定の株だけを持って株式会社の代を引き継ぎ譲る個人所有物と考えているのは、一体この会社だけだろうか。

「ザ・キビング・プレッジ」の会員になった企業家は誓約書に参加理由を書くが、概して「特権」や「責任」「還元」「未来世代」「変化」に要約されるという。要するに「自分たちが特権を享受した責任として社会還元をするものであり、それが未来世代のための変化を導けると信じる」ということだ。

恐竜になった韓国の経済圏力が一日でこうした考えを持つようになるのは期待しがたい。社会還元はさておき社会的責任だけでも果たせるよう彼らを変えられるのは、可愛いくても、憎くても政治だけだ。だが容易に経済圏力と結託するのがまた政治権力だ。それを防いで経済圏力を牽制できる政治家を選ぶこと、それが有権者の義務だ。

イ・フンボン中央日報国際部長(中央SUNDAY第407号)

<現実と皮肉>

法人税、2年は減税先行 税制大綱きょう決定

与党税制協議会後、取材に応じる自民党の野田毅税調会長(右)と公明党の斉藤鉄夫税調会長=29日夜、東京都内のホテル

 自民、公明両党は29日、与党税制協議会を開き、2015年度の与党税制改正大綱に盛り込む内容について最終案を取りまとめた。法人税は企業の負担軽減を優先し、穴埋めの財源よりも減税幅が大きい実質減税を来年度から2年間続け、3年目に減税分の財源を確保する先行減税の形を取る。バイクにかかる軽自動車税の増税は1年延期する。大綱は、エコカー減税の見直しや地方創生、家計支援関連の税制などを盛り込み、30日に決定する。

 法人税は、標準で34・62%の実効税率を、15年度は32・11%、16年度は31・33%とする。引き下げ幅は15年度が2・51%、2年間で計3・29%で、16年度は引き下げ幅のさらなる上乗せを図る。


長時間労働削減を

2014年12月30日 11時10分50秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党政権自身が長時間労働の野放し、正規労働の削減、非正規労働の拡大を推し進める中で、厚生労働省の1部局何ができると言うのでしょうか??

でも、長時間労働の規制、残業代の支払いを企業に指導し、させるのは正しいことです。法律に基づく労働条件の確保と実践は政治の重要な課題です。

<琉球新報記事>

 沖縄労働局は谷直樹局長を本部長とする「働き方改革」推進本部を年明けから始動させる。長時間労働者が4万人を超え、賃金不払い残業が15・5%に上るなどの県内企業の労働環境の改善が目的。県内企業へ長時間労働の削減や、労働者の生活と仕事のバランスを考慮した仕組みづくりなどを働き掛ける。
 県の労働力調査によると、県内企業の中で週60時間以上の長時間労働者は2013年には全体の6・5%に当たる4万1730人(推計値)いた。全国では8・8%に上り、30代など働き盛り世代に多いという。政府は長時間労働者の割合を08年の10%から20年までに半減させる目標を掲げており、県内でも5%への減少を目指している。
 また労働局によると、県内企業のうち労働基準法違反である賃金不払い残業が確認された割合は、11年15・1%、12年12・5%、13年15・5%で推移。職場のいじめや嫌がらせの相談件数は11年321件、12年450件、13年483件と増加傾向にある。
 労働局は今月26日に「働き方改革」推進本部を設置しており、来年1月にも初会合を開く方針。「企業トップが『過労死や過重労働で健康障害を生じさせない』との方針を表明する必要がある。不払い残業もやむを得ないとの職場風土などを改革しないといけない」と対策へ本腰を入れる構えだ。


原発被害は見ず、聞かず

2014年12月30日 10時30分26秒 | 臼蔵の呟き

原子力発電所を政治的に導入し、建設を促進した自民党政権、電力会社、原子力産業(利益を得ている企業群)、資金を巨額に貸し付けている大手金融機関、それらから袖の下をいただく御用学者、かれらの思惑を受けて利益誘導される地元の有力者。彼らの政治的、法的な責任は全く問われていません。

逆に、事故は自然災害のため(東電の言い分)自分たちは責任がない。だから、東電としての自己責任は取れない。自民党、大手企業が都合よく自己責任を使い分けしている。事故処理費用は税金を使わせる(自民党政権)、使わせて欲しいと言う企業群、―――日本以外には収束した、原発は安全だと宣伝してトルコ、中近東、ベトナムなどに原発を次々と輸出する。狂っているとしかいえない安倍、自民党、公明党の政権です。鹿児島、福井県知事の傍若無人な振る舞いには怒り心頭です。ふざけるな!

<東京新聞社説>年の終わりに考える 見ず、聞かずの原発被害

 福島の復興はこの一年、どれほど人間の痛みの問題として語られてきたでしょう。原発事故から三年九カ月を経てもなお、被害救済は進んでいません。

 福島県ではいまだに約十二万人が県内外での避難生活を強いられています。安倍政権は事故はもう終わったかのように、各地の原発の再稼働を加速させようとしています。たしかに先の衆院選で自民・公明の与党は三分の二の議席を獲得しました。その選挙中に、被災者の苦悩に向き合う公約や言葉はどれほどあったのでしょうか。印象に残りません。

○顧みられない犠牲

 「ここのおいしい水産物を多くの皆さんに食べてもらいたい。風評被害を払拭(ふっしょく)しなきゃいけない」。安倍晋三首相は総選挙が公示された今月二日、福島県相馬市(福島1区)の漁港で第一声を上げました。「経済対策で復興を推し進める」というアピールです。一方、今も放射能汚染に苦しむ人々の生活再建をどうするのか、強いメッセージはありません。福島1区は原発事故後、全村避難となった飯舘村を含む選挙区です。

 東京電力福島第一原発から北西50キロに位置する飯舘村では先月半ば、村民が一丸となって原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)に第一次申し立てをしました。求めたのは、政府が避難指示を遅らせたことによる初期被ばくの慰謝料や、現在月10万円の精神的慰謝料の増額など。参加者は村の人口の半数の2800人余に上りました。

 その事務局を担ったのが、隣接する伊達市に避難し、仮設住宅に暮らす酒井政秋さん(36)でした。

 都会に憧れ、高校を卒業して上京した酒井さんですが、古里を離れてはじめて村に愛着を覚えるようになったと言います。

○再稼動に向けた帰還

 十年ほどで飯舘村に帰郷し、友人家族が経営する小さな縫製工場で工場長をしていました。地域に雇用の場をつくることで、自分も古里とつながろうと思ったのです。工場は10人の村の女性の働く場に育ちました。ですが、原発事故で夢は破れます。従業員は避難でばらばらになりました。

 原発事故はまた、賠償問題が地域の人の感情を複雑にこじれさせます。避難地域指定という国の線引き一つで、賠償の対象になる人とならない人に分けられる。酒井さんが避難する伊達市は多くが賠償の対象ではありません。飯舘村のADR申し立ても、軋轢(あつれき)を覚悟しなければなりませんでした。

 一方、飯舘村に先立つ浪江町の集団ADRでは、精神的慰謝料の「一律月5万円増額」という和解案が示されましたが、東電が和解を拒んでいます。救済されずに放置される、理不尽ともいえる状況の一つ一つが被災者の心を傷つけます。

 酒井さんも「何も言わない方がいい」と思った時がありました。それでもADRに加わったのは、被害者が声を上げなければ被害はなかったことにされてしまうからです。そのことは戦争中の原爆や空襲被害、水俣病などの公害の歴史が物語っています。

 年明けとともに政府は、九州電力川内原発(鹿児島県)、関西電力高浜原発(福井県)の再稼働に向けた動きを本格化させる。「原発回帰」の意志は強固です。そのためには、避難している被災住民の帰還や賠償の課題は早く終わらせたい。避難解除の要件となる年間積算線量の緩和もそのためでしょう。

 福島原発の周辺では田村市都路地区を皮切りに、今秋には川内村の一部を解除し、来春には楢葉町の指定も解かれようとしています。解除されれば賠償も打ち切られる。避難先での生活が維持できず、放射能への不安はあっても帰らざるを得ない人は少なくない。住民の合意が不十分なまま、強引に帰還が進められているかのようです。

 原発事故の後、全国に離散し、分断されてきた被災者たちに、再び一つにつながろうとする動きがありました。十一月十六日、福島市の公会堂で開かれた「原発事故被害者集会」。集まったのは、各地で被害救済の裁判やADRへの申し立てを起こした人たちです。

○被災者を孤立させない

 事故は子どもや若者の夢を奪い、大人たちも先の見えない暮らしの中にとどめおかれている。この救済すら終わっていないのに、再稼働を促す政府の方針に沈黙はできない-。発信されたのは「福島を忘れさせない」という強いメッセージでした。

 会場に酒井さんの姿がありました。飯舘村の集団ADRの横断幕に「償(まや)え!」という福島の言葉とともに、原発事故で傷つく前の美しい古里の風景写真を刷り込みました。

 この叫びを見過ごし、孤立させることがあってはなりません。