“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

韓国報道機関が選ぶ2015年世界の10大ニュース

2015年12月31日 11時30分05秒 | 臼蔵の呟き

 

■日本が安全保障関連法案を改正し戦争のできる国に

 日本の安倍首相率いる自民・公明の連立与党は9月19日、安全保障関連法改正案を野党の反対や学者・市民団体などによる違憲表明などを押し切って成立させた。この結果、日本は1945年の敗戦以来、70年ぶりに「攻撃を受けた場合にのみ反撃できる国」から「攻撃を受けなくとも先に攻撃できる国」になった。いわば「戦争ができる国」に生まれ変わったのだ。戦争や武力行使などを禁じた日本国憲法第9条の改正は安倍首相の宿願だ。法案が成立した直後、日本では全国各地で法改正に反対する集会やデモなどが行われた。

■その他

・イスラム国(IS)がパリなど世界各地でテロ、欧米諸国は報復の空爆

・米国がいわゆる「ゼロ金利」を7年ぶりに見直し、中国経済が不安定化

・世界195カ国が「パリ協定」を締結、地球温暖化阻止に向けた新たな枠組みを制定

・トルコの海岸に3歳の子供の遺体、シリア難民問題が深刻化

・国際原油価格が急落、米国やOPEC(石油輸出国機構)などによる増産が影響

・イランとの核交渉妥結、北朝鮮は核開発で制裁を受ける唯一の国に

・米国とキューバが54年ぶりに相手国での大使館業務を再開へ

・ミャンマーでアウン・サン・スー・チー氏率いる野党が国民投票で圧勝

・世界のサッカー界を支配してきたFIFAのブラッター会長が腐敗スキャンダルで窮地に



政治この1年 国家主義の危険

2015年12月31日 10時22分24秒 | 臼蔵の呟き

「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々と価値観を共有できるのか」

 主権者は国民であり、安部、山口自公政権ではない。主権者である国民1人1人が安部、山口自公政権の傲慢で、国民を愚弄した政治に対して「ノー」を突きつけなければなりません。小選挙区制度を使って、詐欺的手法で多数議席をかすめ取る。その詐欺的議席によって民主主義は多数だと公言(反知性の代表的な人物)しながらーー強権政治と政治権力を暴走させ、自らの野望を達成させようとする愚かな安部、極右の策動を止めなければなりません。

<信濃毎日社説>政治この1年 国家主義の危うさにじむ

 2015年が暮れてゆく。振り返ると、安倍晋三首相がいよいよ「らしさ」を発揮し始めた年だったと言えるだろう。

 首相は「憲法違反」とする学者らの声を振り切って、集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法案を成立させた。

 施行から1年が過ぎた特定秘密保護法は政府の意思決定のプロセスを秘密のベールの向こうに隠している。法案審議のときから心配された通りの展開だ。

   <民間への口出し>

 経済政策では民間に対し政府が口出しする場面が増えた。

 政労使会議や「官民対話」で企業に対し繰り返し、賃上げや設備投資を促している。女性活躍推進法は企業に女性管理職登用の数値目標設定を義務付けた。

 首相が使う言葉の一つに「瑞穂の国の資本主義」がある。首相によると、強欲を原動力とするのではなく、道義を重んじ真の豊かさを知る日本にふさわしい市場主義の形なのだという。

 首相の手法は全体に国家主義的な色彩が濃い。国家=政府が前面に出て事を進めていく。祖父である岸信介元首相の政治スタイルとの類似を指摘する人も多い。

 首相は自らの国家観を著書「新しい国へ」に書いている。

 「個人の自由と国家との関係は、自由主義国家においても、ときには緊張関係ともなりうる。しかし、個人の自由を担保しているのは国家なのである」。国家の機能が他国の支配によって停止させられれば個人の自由も制限されてしまうではないか、と。

 国家が国民の自由を守る―。憲法の教科書では「国家による自由」と呼ばれる側面だ。

 個人と国家の関係には、実はもう一つの側面がある。「国家からの自由」。主権者である国民には国家による強制や干渉を拒む権利がある、との考え方だ。

 日本の憲法には、思想・信条の自由、学問の自由、表現の自由など「国家からの自由」についての手厚い規定がある。

 政府は2月、シリア取材を計画していた新潟市在住のフリーカメラマンに旅券(パスポート)の返納を命じて渡航を阻止した。旅券法の生命保護規定に基づく命令とされた。憲法が保障する「渡航の自由」との兼ね合いで議論を呼んだケースだった。

 先の戦争で国民は政府の言うがまま戦場に駆り立てられた。

 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し…この憲法を確定する」。憲法前文である。戦後日本社会の仕組みは国家主義の過ちの反省に立っている。

   <沖縄からの問い>

 首相は以前、国会で述べている。国民の人権、自由を守るのは国家、との持論を展開したあと、「その国家自体の危機が迫るときは国民の皆さまにも協力をしていただかなければ」。

 「国民のための国家」はひとつ間違うと「国民は国家のため」に反転する。その危険性がこの答弁からも読み取れる。

 自民党が3年前に発表した改憲草案には緊急事態条項がある。首相が宣言すると、内閣は法律と同じ効力を持つ政令を発することができる。国民は従う義務を負う。憲法停止に近い状況になる。

 首相の言う「国家による自由」の内実が鋭く問われているのが、沖縄・普天間飛行場の問題だ。県民の意思を無視して辺野古移設を進める政府に対し、沖縄県が裁判で争っている。

 法廷での翁長雄志知事の言葉が重く響く。「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々と価値観を共有できるのか」

   <針路決める参院選>

 終戦の4カ月前にフィリピンで戦死した若き詩人、竹内浩三の「骨のうたう」を思い出す。

 〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや/だまって だれもいないところで/ひょんと死ぬるや…〉

 国家=政府が戦争を決断したとき、国民は「ひょんと死ぬ」ことを覚悟するほかなかった。70年余り前のことである。

 憲法学者奥平康弘さん、哲学者鶴見俊輔さん、漫画家水木しげるさん、作家野坂昭如さん…。今年亡くなった人たちだ。生涯を通じ国家とは何か、国家とどう向き合うかを問い続けた。

 水木さんの口癖「怠け者になりなさい」は、国や世間が何を言おうと自分を大事にせよ、との意味にも受け取れる。

 野坂さんは亡くなるその日まで月刊誌に日記スタイルの随筆を書いていた。最後の日、12月9日付はこの一文で結ばれている。

 「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」

 来年は参院選の年だ。与党が勝てば首相はいよいよ憲法改定を視野に動きだすはずだ。

 来年は憲法公布70年の節目でもある。改憲への歩みを止めるために政治の動きを厳しく見守ろう。


立憲主義、民主主義問われた1年

2015年12月31日 07時37分09秒 | 臼蔵の呟き

「憲法や民主主義、地方自治の危機が視覚化された1年も、きょうで終わる。危機にあるからこそ分かったことは「諦めず、声を上げ続ける」大事さだ。基地問題などで国の強硬姿勢は続くだろうが、気概と誇りではね返したい。」

 歴史の教訓は、軍国主義、排外主義、強権による政治支配が成功する、長期にわたり継続することがないことを示しています。安部、山口自公政権が一驚と言われています。しかし、本当に一強なのでしょうか。安部、自民党極右中枢は、自らの支配を継続し、長期化するためにーー情報の操作、マスコミの検閲と懐柔を常態化しています。それは、彼らの政権運営、政治支配が、国民から批判され、簡単に受け入れられるものではないことを示しています。彼らが一番恐れるのは国民多数が、―――安部政権運営を支持しないこと。自民党政治に対して「ノー」を突きつけることです。

戦争法案の強行採決、TPP協定交渉を国民、国会にまったく情報開示しないで進行させたこと。消費税率を8%から10%に引き上げることを自民党、公明党の密室合意で決めたうえで、軽減税率を導入するから自民党、公明党は国民のことを考えているとの詐欺的宣伝を行っていること。――――誰が考えても安部、山口自公政権が正直、誠実、基本的人権を守る政権だとは言えない政権です。彼らは、必ず、歴史の審判を受けて、歴史上、最も悪政を推進した政治集団、政権であるとして記録することとなるでしょう。

 安部、山口、菅などの極右政治家は、「(戦争法強行採決を)餅を食べたら忘れるだろう」――と日本国民を愚弄し、自らの悪政を延命しようとしています。そのために、従軍慰安婦問題を利用し、官製株高を、税金を使って演出しています。大手金融機関、多国籍企業、超富裕層のご機嫌取りをいくら行っても、日本社会の構造的な問題は、何1つ改善、解決することはないでしょう。新自由主義による政治、経済の支配は、先進工業国に共通する閉塞感の要因であり、その思考から離脱しない限り、何一つ構造問題は解決しません。

<琉球新報社説>民主主義問われた1年 諦めず、声を上げ続けよう

 戦後70年、戦争体験者が少なくなる中、あらためて不戦を誓った1年が暮れようとしている。

 沖縄戦の教訓である「軍隊は住民を守らない」。県民はそのことをよく知るからこそ、戦争につながる全てのことを否定してきた。
 そうした県民、国民の願いと逆行するように、安倍政権は辺野古新基地建設や安全保障関連法成立などで強硬姿勢をあらわにし、民意と強権の対立が鮮明になった。

内外に広がる民意

 辺野古新基地建設問題では、県内だけでなく全国メディアの世論調査でも政府に批判的な意見が多数を占める。5月の県民大会に約3万5千人が集まり、大学生でつくるSEALDs(シールズ)は全国一斉行動で沖縄との連帯を示した。辺野古基金に5億円を超す支援が集まり、県内の団体を幅広く網羅する「オール沖縄会議」も発足。海外の文化人109人も沖縄の民意に賛同する共同声明を発表した。辺野古新基地建設を拒否する民意はかつてない高まりを見せている。
 翁長雄志知事が国連人権委員会で「基地問題は人権問題」と訴えたことも国際社会への理解を広げた。民主主義と自決権を前面に掲げた沖縄の問い掛けが、これまで関心の薄かった本土、諸外国に広がっている証左といえよう。
 一方で「辺野古」をめぐる県と国の対立は激化している。翁長知事が前知事の埋め立て承認を取り消したのに対し、国は代執行訴訟などを起こし、県も抗告訴訟で対抗せざるを得なくなった。さらにはキャンプ・シュワブ周辺3地区へ直接交付金を支出する露骨な「アメとムチ」で国は沖縄を分断しようとする。この国の民主主義、地方自治とは何か、継続して問われることになろう。
 辺野古で民意を顧みない政権の姿勢は安保法成立でも示された。多くの学者が違憲とし、平和憲法を骨抜きにする悪法にもかかわらず、数の力で押し切った。政権への不信を象徴したのが沖縄の慰霊の日、広島、長崎での各式典だ。安倍晋三首相のあいさつに「帰れ」のやじが飛んだ。平和憲法の危機、戦争の足音が身近に迫ったことに危機感が噴出したといえる。

 戦争体験者が減り、ひめゆり平和祈念資料館では元学徒による講話が終了した。代わって同館では戦後世代による講話が始まり、県による戦争遺跡保護など新たな動きもある。日本の民主主義、平和憲法が危機にさらされる今こそ、「不戦の誓い」を次代へ継承する活動を加速させないといけない。

飛躍を継続的な力に

 経済では好調な観光を背景に景況感や有効求人倍率が過去最高を更新した。大型クルーズ船の寄港も過去最多だった。中国をはじめとするアジア客の増加に伴い、2016年も観光が県内経済を力強くけん引するだろう。基地跡地に大型商業施設がオープンし、個人消費拡大にも期待がかかる。
 大型MICE(企業の報奨旅行や国際会議)建設地も決まり、県のアジア経済戦略構想も固まった。自立経済実現へ一定の道筋が見えてきた。観光を軸とした勢いを維持できるよう官民一体で継続的な発展へつなげたい。
 一方でミスマッチによる人手不足は深刻だ。環太平洋連携協定(TPP)の大筋合意による県内農業への影響も懸念が残る。課題解決に向けた知恵を結集する必要もある。
 県民の思いやりが形になったのは米国で心臓移植を必要とする翁長希羽(のあ)ちゃんへの支援だ。年内で目標の3億2千万円に達する見込みだ。一日でも早く希羽ちゃんが沖縄の青い空を眺められる日が来ることを待ちたい。
 憲法や民主主義、地方自治の危機が視覚化された1年も、きょうで終わる。危機にあるからこそ分かったことは「諦めず、声を上げ続ける」大事さだ。基地問題などで国の強硬姿勢は続くだろうが、気概と誇りではね返したい。


2015年 戦争と「平和」を考える

2015年12月30日 13時45分37秒 | 臼蔵の呟き

 憲法学者奥平康弘さんは亡くなる前日の夜、妻にこうつぶやいたという。

 「君はこのごろ平和についてどう考えてる」

 世界のすべての人々に投げかけられた問いではないだろうか。

「 無関心から抜け出し、政治との溝を埋め、壁を打ち破ろうとした人々の登場。そこから、民主主義の新たなうねりが見えてくるかもしれない。」「「戦争につながるかもしれない」との強い危機感を抱いた若者らを、自民党の若手衆院議員は「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自己中心、利己的考え」と批判した。」

 あまりに底の浅い批判に驚かされた。

 

<北海道新聞社説>回顧2015年 「平和」を考え続けたい

 「安」

 2015年の世相を1字で表す日本漢字能力検定協会の「今年の漢字」である。応募総数12万9647票のうち、最も多い5632票を集めた。

 安全保障関連法に国民の関心が高まったことや、世界で頻発するテロが人々を不安にさせたことなどが理由に挙がったそうだ。

 「安」は、今年が「安全」で「安心」できた年だから選ばれたのではなかった。

 むしろ、「安定」が揺らぎ続けている国際情勢や、戦争に巻き込まれかねない「不安」が、「安」に凝縮されたといえよう。

 3位には「戦」が選ばれている。天皇陛下は23日の天皇誕生日に当たり、「さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だった」と振り返った。

 戦争の悲惨さを語り継ぐ試みが各地で展開された。その一方で政府・与党は、戦争の足音が聞こえてくるような安保関連法の成立へと突き進んだ。

 戦後70年の節目の年は、「平和」というものをあらためて考えさせて、幕を閉じようとしている。

溝を埋める試みこそ

 政府・与党が「平和安全法制」と呼ぶのに対し、「戦争法案」との批判も出た安保関連法の成立が秒読みに入った9月18日、国会前の抗議集会には多くの人々が押し寄せた。

 参加者は主催者発表で4万人以上、警察の調べでも1万1千人。札幌・大通公園など全国各地でも集会やデモが行われた。

 集団的自衛権行使に道を開く関連法の採決を数の力で推し進める政府・与党。反対論者はもちろん、「理解が進んでいない」として採決を尚早とみる国民が不信感を抱いたのも無理はない。

 それでも関連法は19日未明、成立した。政治と民意の間に大きな溝を残したと言っていい。

 一連の集会やデモで主役を担ったのは、関連法に反対する学生グループ「SEALDs(シールズ)」など自発的に動いた人々だ。

 「戦争につながるかもしれない」との強い危機感を抱いた若者らを、自民党の若手衆院議員は「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自己中心、利己的考え」と批判した。

 あまりに底の浅い批判に驚かされた。

 「知識や学歴、肩書のある人だけしか政治を考えちゃいけないとか、そんな見えない壁を打ち破りたい」

 これは、札幌で「戦争したくなくてふるえる」デモを呼び掛けた20歳のフリーター高塚愛鳥(まお)さんの言葉だ。

 事は安保関連法に限らない。

 雇用が不安定で、結婚もままならず、自分の将来が見通せない。それなのに、手に届かないところで次々と物事が決まっていってしまう―。

 そうした不安を増幅させた若者や子どもを持つ世代などが、政治に目を向け、自分たちの手に取り戻そうと考えているのだろう。

 無関心から抜け出し、政治との溝を埋め、壁を打ち破ろうとした人々の登場。そこから、民主主義の新たなうねりが見えてくるかもしれない。

「戦」では解決せぬ

 国外からは、「戦」を思わせるニュースが相次いで届いた。

 パリの風刺週刊紙銃撃、エジプトでのロシア機墜落、シリア空爆強化…。週末のパリ中心部で起きた11月の同時テロや米国での銃乱射は、まだ記憶が生々しい。

 一方、激しい空爆にさらされた地域では、テロとは無関係の多く人々が犠牲になっている。欧州などでは、安全を求めて押し寄せる難民を排斥する動きも強まった。

 テロは憎むべき犯罪であり、根絶が望ましいのはもちろんだ。

 ただ、テロの実行犯とされる人物には「ホームグロウン(自国で生まれ育った)テロリスト」と呼ばれる若者もいる。宗教や言葉などの違いから生じた疎外感が動機とみる識者も少なくない。

 パリの同時テロ直後、犠牲者の遺族がフェイスブックにつづった文章が話題を呼んだ。

 「憎しみという贈り物を君たちにはあげない。怒りで応じてしまったら、君たちと同じ無知に屈することになる」

 平和は、対立を乗り越えた先にこそある。

真の「安」のために

 1月に85歳で亡くなった函館出身の憲法学者奥平康弘さんは、護憲の立場から積極的な発言を続け、集団的自衛権の行使容認を強く批判していた。

 亡くなる前日の夜、妻のせい子さんにこうつぶやいたという。

 「君はこのごろ平和についてどう考えてる」

 世界のすべての人々に投げかけられた問いではないだろうか。


放送と政治 介入続いたこの一年

2015年12月30日 12時45分34秒 | 臼蔵の呟き

「電波は国民の共有財産だ。政府与党のものではない。本来なら許認可権を政治から切り離し、独立の第三者機関に委ねるべきなのだ。一連の介入は電波行政の欠陥も映しだしている。」「放送界の1年を振り返ると、政治からの介入が絶え間なく続いた。放送は国民の「知る権利」に奉仕する役目を負っている。政治権力の影響下に置かれるようでは民主政治の発展は望めない。」

 憲法が規定する三権分立、基本的人権の尊重、思想信条と信仰の自由、報道の自由は民主主義を守るうえで根幹をなす規定です。それは、政治権力の暴走を止める手立てとして制度上極めて重要だからです。

<信濃毎日社説>放送と政治 介入続いたこの一年

 放送界の1年を振り返ると、政治からの介入が絶え間なく続いたことが印象に残る。放送は国民の「知る権利」に奉仕する役目を負っている。政治権力の影響下に置かれるようでは民主政治の発展は望めない。

 政府や政党の振る舞いに厳しい目を注がなければならない。

 介入が目立ち始めたのは昨年12月の安倍晋三首相の発言あたりからだった。民放テレビに出演した際、街頭インタビューで政府に批判的な声が多く紹介されると「選んでますね。おかしいじゃないですか」とかみついた。

 報道への介入ではないか、と国会で野党から追及されると「私の考えをそこ(テレビ)で述べるのは言論の自由」と開き直った。

 今年4月、自民党が放送内容をめぐって民放とNHKの幹部を党本部に呼び事情聴取。

 5月、自民党幹部が同じ問題で放送界の第三者機関、放送倫理・番組向上機構(BPO)から「考えを聞きたい」と述べる。

 6月、自民党の勉強会で安保関連法報道をめぐり「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」といった声が出る。

 首相発言をきっかけに「たが」が外れたかの様相だ。

 テレビ局に注文を付けるとき、自民党は放送法4条を根拠に挙げることが多い。番組は▽政治的に公平▽事実をまげない▽意見が対立する問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにする―とする規定である。

 専門家の間では、放送法4条を理由に口を挟むのは許されない、との見方が常識だ。4条はテレビ局が自らを律する倫理規定であり、介入の根拠にならないというのである。そうでなければ、言論の自由をうたう憲法や、法の目的に「表現の自由の確保」を掲げる放送法1条と矛盾する、と。

 「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない」。放送法3条だ。自民党による「事情聴取」はこの規定に明らかに違反する。

 政治の放送への介入が問題化するのは今度が初めてではない。例えば1960年代、政府、与党はベトナム戦争や安保条約改定報道をめぐり電波の許認可権をちらつかせて圧力をかけた。

 電波は国民の共有財産だ。政府与党のものではない。本来なら許認可権を政治から切り離し、独立の第三者機関に委ねるべきなのだ。一連の介入は電波行政の欠陥も映しだしている。