憲法学者奥平康弘さんは亡くなる前日の夜、妻にこうつぶやいたという。
「君はこのごろ平和についてどう考えてる」
世界のすべての人々に投げかけられた問いではないだろうか。
「 無関心から抜け出し、政治との溝を埋め、壁を打ち破ろうとした人々の登場。そこから、民主主義の新たなうねりが見えてくるかもしれない。」「「戦争につながるかもしれない」との強い危機感を抱いた若者らを、自民党の若手衆院議員は「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自己中心、利己的考え」と批判した。」
あまりに底の浅い批判に驚かされた。
<北海道新聞社説>回顧2015年 「平和」を考え続けたい
「安」
2015年の世相を1字で表す日本漢字能力検定協会の「今年の漢字」である。応募総数12万9647票のうち、最も多い5632票を集めた。
安全保障関連法に国民の関心が高まったことや、世界で頻発するテロが人々を不安にさせたことなどが理由に挙がったそうだ。
「安」は、今年が「安全」で「安心」できた年だから選ばれたのではなかった。
むしろ、「安定」が揺らぎ続けている国際情勢や、戦争に巻き込まれかねない「不安」が、「安」に凝縮されたといえよう。
3位には「戦」が選ばれている。天皇陛下は23日の天皇誕生日に当たり、「さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だった」と振り返った。
戦争の悲惨さを語り継ぐ試みが各地で展開された。その一方で政府・与党は、戦争の足音が聞こえてくるような安保関連法の成立へと突き進んだ。
戦後70年の節目の年は、「平和」というものをあらためて考えさせて、幕を閉じようとしている。
溝を埋める試みこそ
政府・与党が「平和安全法制」と呼ぶのに対し、「戦争法案」との批判も出た安保関連法の成立が秒読みに入った9月18日、国会前の抗議集会には多くの人々が押し寄せた。
参加者は主催者発表で4万人以上、警察の調べでも1万1千人。札幌・大通公園など全国各地でも集会やデモが行われた。
集団的自衛権行使に道を開く関連法の採決を数の力で推し進める政府・与党。反対論者はもちろん、「理解が進んでいない」として採決を尚早とみる国民が不信感を抱いたのも無理はない。
それでも関連法は19日未明、成立した。政治と民意の間に大きな溝を残したと言っていい。
一連の集会やデモで主役を担ったのは、関連法に反対する学生グループ「SEALDs(シールズ)」など自発的に動いた人々だ。
「戦争につながるかもしれない」との強い危機感を抱いた若者らを、自民党の若手衆院議員は「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自己中心、利己的考え」と批判した。
あまりに底の浅い批判に驚かされた。
「知識や学歴、肩書のある人だけしか政治を考えちゃいけないとか、そんな見えない壁を打ち破りたい」
これは、札幌で「戦争したくなくてふるえる」デモを呼び掛けた20歳のフリーター高塚愛鳥(まお)さんの言葉だ。
事は安保関連法に限らない。
雇用が不安定で、結婚もままならず、自分の将来が見通せない。それなのに、手に届かないところで次々と物事が決まっていってしまう―。
そうした不安を増幅させた若者や子どもを持つ世代などが、政治に目を向け、自分たちの手に取り戻そうと考えているのだろう。
無関心から抜け出し、政治との溝を埋め、壁を打ち破ろうとした人々の登場。そこから、民主主義の新たなうねりが見えてくるかもしれない。
「戦」では解決せぬ
国外からは、「戦」を思わせるニュースが相次いで届いた。
パリの風刺週刊紙銃撃、エジプトでのロシア機墜落、シリア空爆強化…。週末のパリ中心部で起きた11月の同時テロや米国での銃乱射は、まだ記憶が生々しい。
一方、激しい空爆にさらされた地域では、テロとは無関係の多く人々が犠牲になっている。欧州などでは、安全を求めて押し寄せる難民を排斥する動きも強まった。
テロは憎むべき犯罪であり、根絶が望ましいのはもちろんだ。
ただ、テロの実行犯とされる人物には「ホームグロウン(自国で生まれ育った)テロリスト」と呼ばれる若者もいる。宗教や言葉などの違いから生じた疎外感が動機とみる識者も少なくない。
パリの同時テロ直後、犠牲者の遺族がフェイスブックにつづった文章が話題を呼んだ。
「憎しみという贈り物を君たちにはあげない。怒りで応じてしまったら、君たちと同じ無知に屈することになる」
平和は、対立を乗り越えた先にこそある。
真の「安」のために
1月に85歳で亡くなった函館出身の憲法学者奥平康弘さんは、護憲の立場から積極的な発言を続け、集団的自衛権の行使容認を強く批判していた。
亡くなる前日の夜、妻のせい子さんにこうつぶやいたという。
「君はこのごろ平和についてどう考えてる」
世界のすべての人々に投げかけられた問いではないだろうか。