靖国神社が明治以来、中国アジア侵略戦争まで一貫して軍国主義の精神的な支柱として天皇制政府、日本軍により維持管理された国家施設、宗教施設であることは歴史的な事実です。しかも、敗戦後も、あの中国、アジア侵略戦争は聖戦、正義の闘いであったと主張してやまない宗教施設です。そこに戦争推進の戦犯を祭り、居直っています。
このようなことを国家の中枢、政権が繰り返し行い、国際的に容認されるなどと言うことがあろうはずがありません。もし、ドイツメルケル首相がナチスドイツ、ヒトラーを祭った宗教施設に毎年、参拝し、たたえる行為を行ったとした、その瞬間にドイツはヨーロッパ、世界各国からはじかれ、孤立します。それと同じことを安倍、自民党、維新の会、みんなの党議員が繰り返し行っているのです。許せるはずがありません。
<北海道新聞社説>閣僚の靖国参拝 既成事実化は許されぬ
安倍晋三首相が靖国神社の春季例大祭初日のきのう、「真榊(まさかき)」と呼ばれる供物を内閣総理大臣名で奉納した。これに先立ち、古屋圭司国家公安委員長兼拉致問題担当相と新藤義孝総務相が同神社を参拝した。第2次安倍内閣発足後、首相が春と秋の例大祭に真榊、終戦記念日に玉串料を奉納し、古屋、新藤両氏ら閣僚が参拝することが定例化し、そのたびに中国や韓国から批判を受けている。
にもかかわらず首相らが同じことを繰り返すのは、供物などの奉納や閣僚参拝を既成事実化する狙いではないか。
首相は過去の植民地支配と侵略を認めた1995年の村山富市首相談話を踏襲すると明言している。ならばなぜ、先の戦争を美化する歴史観を持ち、A級戦犯を合祀(ごうし)する靖国神社へ供物を奉納し、閣僚の参拝を黙認するのか。
侵略戦争への反省が疑われても仕方ない。首相は参拝はもとより供物などの奉納もやめ、閣僚には参拝自粛を促すべきだ。
首相は第1次政権当時に参拝しなかったことを「痛恨の極みだ」と公言し、第2次政権発足から丸1年に当たる昨年12月に参拝した。「不戦の誓いをした」と説明したが中韓両国は強く反発し、米政府も「失望」を表明した。
今回は日本と中韓両国との関係悪化を懸念するオバマ米大統領の来日が23日に控えていることもあり、参拝は見送る。古屋、新藤両氏も、それぞれ20日と12日に参拝し、例大祭の期間中を避けた。
これで対外的「配慮」を示したと考えるなら認識不足も甚だしい。韓国や中国は「歴代内閣の歴史認識を引き継ぐとした安倍首相の約束をたがえ、国際世論に挑戦する行為だ」などと批判している。
オバマ氏の仲介でようやく関係改善に向かい始めた日韓関係に冷や水を浴びせ、中韓両国が展開する歴史問題での日本批判を勢いづかせたり、尖閣問題で中国に付けいる隙を与えたりしかねない。
首相は先に、靖国神社に関し「追悼の中心的な施設であり、国が今度はこちらの場所でといって済むものではない」と述べ、靖国神社とは別の新たな追悼施設設置に否定的な考えを重ねて示した。
供物などの奉納や閣僚参拝を既成事実化すれば中韓の批判も収まると考えているなら大間違いだ。
戦没者追悼が真の目的であるならば、それが外交、政治問題化しないような手だてを早急に講じなければならない。
<レコードチャイナ>永遠の0が引き起こす懸念、戦争賛美と過去の隠蔽
19日、米国海軍協会はこのほど、第二次世界大戦と特攻隊の若者を描いた映画「永遠の0」が記録的なヒットとなっているが、その背景にある日本の右傾化が懸念されているとしている。写真は靖国神社の遊就館に展示されたゼロ戦。
2014年4月19日、環球時報によると、米国海軍の関連団体「米国海軍協会」のウェブサイトが14日、「日本人の目に映る『映画の中の第二次世界大戦』」と題した記事を掲載した。第二次世界大戦と特攻隊の若者を描いた映画「永遠の0」が12月から公開され、記録的なヒットとなっているが、その背景にある日本の右傾化が懸念されているとしている。
同映画は安倍晋三首相が絶賛し、観客動員数や興行成績でも記録的なものとなっているが、批判的な見方も少なくない。第二次世界大戦からしばらくの間は、戦争における悲劇を描き、戦争賛美と取られかねない内容は避け、当時敵対していた米国やその同盟国は単に「敵」と呼んでいた。
しかし、近年は戦争に同情的とも言えそうなとらえ方をする映画が増えつつある。戦後の頑なに戦争を拒む姿勢を取った映画と比べると、現在の映画は戦争をロマンチックに描き出し、日本を被害者のように扱うようになっている。そうした変化は海外で大きな懸念をもたらしていると記事は伝えている。(翻訳・編集/岡田)
元法制局長官が首相批判「立憲主義無視の暴挙」
阪田雅裕・元内閣法制局長官は21日、共同通信加盟社論説研究会で講演し、安倍晋三首相が意欲を示す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認は立憲主義に反すると批判した。「憲法は統治者を縛る規範だ。統治者が自らに厳しく解釈を改めるのは良いが、緩く解釈を変えるのは立憲主義を無視する暴挙だ」と述べた。
同時に「今の憲法9条の下で(集団的自衛権行使を)できると主張するのはむちゃくちゃではないか」と指摘。「政府の憲法解釈を変えてはいけないと言うつもりはないが、変えることについて合理的な理由を説明できるようにすべきだ」と強調した。
(共同通信)