落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイ・ラブ桐生 第一部 (8) 第二章 八木節祭りの夜(後)

2012-05-11 11:46:35 | 現代小説
アイ・ラブ桐生 第一部
(8) 第二章 八木節祭りの夜(後)


(桐生に有る、赤いレンガ造りの工場で、現在はパン屋として再生しました。)





 M子の家は山の手にあります。
赤い煉瓦作りで、三角の屋根が五連につらなる織物工場を右に見て、
そのまま山裾のほうへ回り込んでいくと、やがて静かな住宅街が現れてきます。
この住宅街の一角に初恋のお相手、M子の自宅があります。

 車は、少し離れたところへ止めました。



 遠くから八木節のお囃子が、風に乗ってとぎれとぎれに響いています。
やがて、本町通りからと思われる、ひときわ高い乾いた樽の音色が
はっきりと聞こえてくるようになりました。
八木節共演会が始まることを市内に知らせる、恒例の合図でした。

「じゃぁ、もう午後の8時は過ぎたんだ・・」



 八木節競演会には桐生の市内を中心に近隣からも、多数の腕自慢たちが参加をします。
音頭取りたちは、この晴れの舞台に立つために、一年間にわたって休むこともなく、
独特の節回しと、その喉を鍛え上げてきます。
年に一度きりの、この競演会の舞台に立つことこそが八木節の音頭取りと、
踊り手たちに共通している、幼いころからの夢のひとつでした。


 レイコがようやく、戻ってきました。
見るからに、大きなバックを抱えこんでいます。



 「家出娘みたいな、大荷物だね。」

 「これから駆け落ちをするんだもの。このくらいは必要だわ。」

 「へえ~、。
 女が一人で、駆け落ちをするのか? 初めて聞いた。
 一人の場合は、正確には逃避行というはずだが・・・・」


 「そう言うけど。
 大荷物になったのには、訳が有るのよ。
 実は、あんたの分まで借りてきた。
 M子の兄貴の着古しだけど、何も無いよりはたぶんましでしょう。
 急なことなので、万一のことも考えて、軍資金もたっぷりと借りてきた。」



 後部座席へ大きな荷物を放り込み、
助手席に乗り込んできたレイコが、さあ行こうと私を急かします。
・・・ちょっと待て・・・
レイコが自分用の着替えを借りてくるのはいいとしても、
なんで俺の分まで調達をしてくるんだ・・・・いったい何を考えているんだ、こいつ。
などと、ぼんやりと考えていたら、早くもレイコがドライブの行き先について、
あれこれと勝手な指示を出しはじめます。


 太平洋側(茨城県)は人が多いから、
静かな日本海側(新潟県)へ行きましょうと、結局、勝手に決めてしまいました。
すっかり準備を整えたレイコは、『はやく行こうよ』とばかりに助手席ですましています。
お前は・・・、さっきまであんなに泣いていたくせに・・・・

 「で、さぁ、あんた。仕事のほうは休める。
 できれば3泊くらいは泊まりたい。別にいいでしょう?」

 またこれだ。



 レイコはいつでも、結論から先にものを言います。
女らしい可愛らしい表現を意識して避けたうえで、時々、男子のような口調なども使います。
本人からすれば、押しつけているつもりなどは無いのでしょうが、
問答無用の切り口上には、何故かいつでも振りまわされてしまいます。





 新潟方面へは、国道17号をひたすら走りました。
県境に有る三国峠を越え、新潟県の湯沢町に入った時には深夜の12時を過ぎていました。
眠くはないかい、とレイコに尋ねると
「あんたって人は、事情のひとつも聞かないんだから・・気の利かない人だ」と、
窓ガラスに顔をくっつけたまま、ポツン小さく不満そうにつぶやいています。


 「じゃあ、
 何が有ったか聞いてもいいのかよ。
 可哀そうだからと、わざと触れずにいたのに、あえて聞けと言うのは
 お前にしては、珍しい。
 いいのかよ本当に。
 何が有ったか、尋ねても?」

 「別に、かまわないさ、。」

 「突然、浴衣姿で俺の前へ現われたお前は、どう見ても普通には見えなかった。
 まぁそれは良いとしても、
 突然、海が見たいと言いだしたのは、どういう意味だ。
 おまけに、3日も休みをとれという・・・
 何が有ったんだ、お前。
 また、どこかで失恋でもしたのか?
 それとも、またまた、楽器の演奏で挫折をしたか。
 お前は、運動神経はすこぶる良いくせに、楽器に関してはからっきし駄目だからなぁ。
 ピアノなんか、気の毒なほど下手くそだ。
 楽器が出来ないと、保母にはなれないぜ。」


 「何で・・・・
 保育になんかまったく関係の無いあんたが、
 そんな些細な、私のことまで知ってんの。」

 「風の噂だ。」

 「そうかぁ・・・風の噂で、私のことは全部知ってるんだぁ。
 じゃ、もう話をする必要はないわね」



 「おいおい、へそをまげるなよ。
 俺もそれなりには、お前の事を心配していると言う意味だ。
 近況の事は、その程度しか知らないが・・・・」


 「近況も何も、あんたとはあれ以来、すっかりとご無沙汰だもの。
 デモの帰りに、あんなにも楽しい気分で浅草をデートをしてくれたくせに
 その後は、まったくのナシのつぶてで、あまりにも冷たすぎるわよ。
 あの日以来あんたは、全然顔も見せないし、連絡のひとつもくれないままだもの。
 私のことなんか、完璧に興味がないんだろうと、
 本気で縁がないと思って、あきらめようと、実は決めたばかりなの。
 それがまた、なんで突然、私の前に現れるのさ。
 ああ・・・・なんだか損をしちゃった気分だな・・・・
 好きでもないし、嫌いでもない人と、何でドライブなんかしているんだろう、私ったら。
 ねぇ・・・・もうお願いだから、その先のことは聞かないで。
 少しだけ、憂鬱になってきちゃった。」
 


 「わかった。
 で、どうする、国道をまっすぐ行って新潟まで行くか。
 それとも途中から曲がって、柏崎方面の海にでも見に行こうか。」





 どうせいつものように、「どっちでもいいや・・」
とぶっくらぼうに言い捨てるのかと思っていたら、レイコは意外なことに言いだしました。
たった一言だけ、「輪島の朝市が見たい』とつぶやきます。

 輪島?・・はて、どこだっけ・・・・
日本海のどこかで聞いた、ちょっと有名な地名だ・・・・どこだ・・・・
たしか能登半島にある街で、それも突端のほうにあるような記憶が有りました・・・
ということは、富山県の先です・・・・石川県だ!。






 もうすこしで急ブレーキを踏むところでした。

 おい・・能登半島かよと、レイコを見つめると
「あら、ちょっとだけ遠すぎるの?」と、涼しい目が私を見つめ返してきました。



 「それとも、そんなには、お休みがとれないの?」



 まっすぐなレイコの目がさらに、私の真近くに迫ってきます。
まじまじと、穴があくほど見つめてくるレイコの瞳には、何故か断わるのが
気の毒なほど、切羽詰まった思いと真剣なお願いの色が見るからに濃厚に浮かんでいます。
(付き合ってやるか、こいつと。本気でまた泣き出しそうな気配するし・・・・)

 まァ、仕事のほうは・・・
祭りの最中は開店休業中みたいなものだから、
明日の朝にでも電話をすれば、3日くらいは休めるだろうと、
レイコの哀願するような目線から顔を外して、ぼそりと返事を返しました。

 「じゃァ、連れてっ。」



 それだけいうとレイコはまた、
窓ガラスに顔をくっつけたまま、真っ暗な外の景色を見はじめます。
いまなら石川県へ行くためには、関越道から北陸高速道を走り、
能登の有料道路を走れば、約6~7時間の道のりで到着をすることができます。
しかし当時はまだ、すべての高速道路が急ピッチの工事中でした。

 このまま北上していたのでは、遠回りになりすぎます。
どこか途中から、西北方向へ進路を変えて、斜めに富山方面に進む道が無いものかと
頭の中で考えてみましたが、さっぱりと思いあたりません。
仕方ないかと・・・
適当な空き地を見つけて車を止め、ダッシュボードから地図帳を取り出し、
行くべき進路を検索することにしました。



 地図帳を取り出すついでに、目線をむけた助手席には、
目をつぶったまま寝入っている、レイコの白い横顔がありました。
わずかな月の光に照らしだされたその横顔には、
乾いてまだ間もないような、涙の筋が浮かんでいるのを見つけてしまいました。

 何も見なかったふりをして、後部座席からタオルを引き寄せ、
それを頭ほうからかけてやることにしました。
(そうじゃないのよ)という様に、そのタオルをふわりと顔の上にかけ直し、
くるりとレイコが向こう側へ、寝がえりを打ちました。



(起きていたんだ、こいつ・・)


 結局、最短コースらしきものは、いくら探しても見つからず、
六日町から日本海沿いの上越市へなら縦走が出来そうなので、なるべく国道を拾いながら
そのまま北上することに決めました。
どうせ、出発した時から迷子のままの旅路です。
すこしくらい迷ったところで軽傷で済むだろう・・などと考えつつ、
右も左も見えない真っ暗な山道をさらにまた走ること、2時間余り。
ようやく白みかけてきた朝空の下に、まっ黒にただよう水面が見えてきました。



日本海です。



 真夏の夜明けは早く、午前4時頃になるともう空が明るく白みます。
漆黒だった夜空も、濃紺から薄い青へとグラデーションを変え、
さらに白っぽく変わったかと思うと、日の出の間際からはまた紺碧の青空がもどってきます。
しかし、空が明るくなったとはいえ太陽が登りきるまでには、
まだ1時間以上がかかります。
明けそうで開けない、おいらの人生みたいだ・・とつぶやいていたら、

 「わたしの悪口だろう・・・」

 レイコが目をさましました。
ひとの返事を聞く前に、右手に広がる日本海の広がりを見て、
やった~と大きな声で叫んで、助手席から身体を元気よく跳ね起きます。


 「わぁ~日本海だ!」



 海なし県の本性丸出しです・・・・
単純に海を見るだけで、この大はしゃぎぶりです。
海と出あう感動が大好きで、なにかにつけて海なし県の人たちは、
遠い道を、はるばると走りぬいて、ひたすら海へと向かいます。
たぶん例外なく、レイコもそうしたうちの一人です。


 「どの辺?」

 走り始めたのが、昨夜の9時頃ですから・・
かれこれ、8時間以上は深夜の道路を走りっぱなしでした。




 「上越市を今過ぎたから、(目標までの)半分と、すこしかな・・」

 「そう、止めて。運転を変わるから」



 そう言って車を停めさせたレイコは、
後ろからバックを引き寄せてシャツを一枚、無造作に取りだしました。
着替えるつもりなのでしょうか・・・・
目線を合わせたレイコは、にっこり笑ってから、ドアを開け車を降りて行きました。
やれやれ、心配した車内でのストリップだけは回避ができました。
しかしほっとできたのは、つかの間です。


 車から降りたレイコは、日本海にむかって
腰に手を当てたまま、胸を反らして仁王立ちに構えました。
そこまではごく当たり前で普通の光景と、車内から安心をして見つめていたのですが
そこから先の早技が、実に凄い事になってしまいました。



 シャツとG-パンを一気に脱ぎ棄てると
躊躇することも無く、すべての下着もあっというまにレイコは脱いでしまいます。
惜しげもなく日本海にその全裸の様子をさらしたまま、レイコが急ぐこともなく実に悠々と、
M子から調達してきた下着と衣服に着替えを始めました。
あっけにとられたまま、茫然としている運転席へ、笑顔のレイコが戻ってきました。



 「昨日なんかは、着ていた衣服と共に脱ぎすてたわよ。
 なんだかんだとも、綺麗さっぱり、サヨウナラだ!。 
 さぁ、行こうぜ!
 希望に燃えて、輪島まで!」



 私を助手席に追いたてて、すこぶる元気よくレイコが運転席へ乗り込んできました。
じゃあ頼むぜ運転、と言いつつ、助手席のシートを、リクライニングに倒した次の瞬間、
車がタイヤを軋ませて、一気のダッシュで飛び出しました。
忘れてた・・・こいつは、もともと暴走タイプの、すこぶるの飛ばし屋です。






(9)へつづく






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