先日の「どですかでん」の街を探索の折、初音町の駄菓子卸問屋を覗く。そこでリョウさんが「点取占い」なるものを大人買い。駄菓子屋店先に吊るす台紙ごと購入。そのまま京急の黄金町駅で電車を待つ間に嵩張る台紙から占いの小袋をバリバリと全部剥がしてしまう。むんずと掴んだその束の半分をワシに下さった。実はそれまで「点取占い」なるものを知らなかった。ひとつのパッケージのなかに小さく折りたたんだ紙が大量に入っている。一つ選んで開くとその日の占いの言葉が記されている。しかしこの言葉が曲者なのだ。子供相手にしてはなんとも哲学的な表現が短いセンテンスで占われている。読みようによって受け取り方も違ってくるのだ。これは大変なものを貰ってしまったと後悔している。それも使い切れないほど大量に。人生の歯車はこうしたきっかけで狂っていくのだ、たぶん。
先日の「どですかでん」の街を探索の折、初音町の駄菓子卸問屋を覗く。そこでリョウさんが「点取占い」なるものを大人買い。駄菓子屋店先に吊るす台紙ごと購入。そのまま京急の黄金町駅で電車を待つ間に嵩張る台紙から占いの小袋をバリバリと全部剥がしてしまう。むんずと掴んだその束の半分をワシに下さった。実はそれまで「点取占い」なるものを知らなかった。ひとつのパッケージのなかに小さく折りたたんだ紙が大量に入っている。一つ選んで開くとその日の占いの言葉が記されている。しかしこの言葉が曲者なのだ。子供相手にしてはなんとも哲学的な表現が短いセンテンスで占われている。読みようによって受け取り方も違ってくるのだ。これは大変なものを貰ってしまったと後悔している。それも使い切れないほど大量に。人生の歯車はこうしたきっかけで狂っていくのだ、たぶん。
画像は昨日の記事の続き。塩川鉱泉の宿の画像。つげをして「おそろしく通俗的」と言わしめたのはこの宿を指してのこと。更に今は屋根に大きく逆さクラゲまで描かれている。これは遥か上を走る国道412号へのアピール。しかし一方的に経営者を責めるわけにはいかない。いまどき鉱泉だけで客は集まらない。猪鍋に鮎料理、BBQにビアガーデンとあらゆる経営努力が伺える。こんな僻地の「絶望的な場所」での鉱泉業ゆえ、特徴づくりに苦心されているのだ。いつ来るかわからない偏屈な鉱泉客を待っていても経営は立ち行かない。世俗的でもこの観泉荘こまやさんを応援したいと思った。いや、皆さんも行けばわかります。この絶望的なロケーション。
何気に東北地方の地図を調べていてGoogleの航空写真が更新されていることに気づく。福島第一原発は水素爆発で鉄骨がむき出しとなり、津波被害のあった都市は土地の色が変わっている。知人、親戚の街の様子を知るには便利かも知れないが少し複雑な心境となる。せめて昔の町並みのまま残しておいてあげればとも思うのだが。こればかりは被災した方でないとどちらが良いのか・・・私には言う資格もない。
本屋で天才バカボンのDVDを見つける。15話も入って1200円とは良心的。「天才バカボン」では1971年9月-1972年6月放送の1作目のシリーズが他のシリーズを圧倒していると思う。脚本も秀逸で子供心を掴んだイタズラやハチャメチャを盛り込みながらも心優しい配慮を忘れていない。「バカボンのパパ達はおかしな行動をとったりするが、それは無垢な心の表れであり、彼らの作意のない真心が結果的として幸せをまねくといった筋書きになっていた」(ウィキペディアより)。この作品以降の「元祖~」からはナンセンスギャグに走り原作には忠実かも知れないが子供も大人もそれほど笑えない。1作目を小学生時代にリアルタイムで観ていて感じたのは、大人でもこれほどまでに子供心のツボを心得ていてそれを表現できる作品があることに感心したものだ。だからむしろ原作を読んでギスギスしたバカボンとパパの関係や姑息な騙し合いのストーリーに衝撃を覚えガッカリした。1作目アニメのシリーズはいまどきの軽薄なお笑い番組よりも面白くそして道徳教育も忘れていない。人の優しさとは何かを教えられる。子供に見せるならこういう番組を選びたい。
公然の秘密
この時の見学では今回の水素爆発で拭き飛んだ炉心直上に立ち、使用済み燃料の冷却プールを覗き込むことまでした。もう二度と体験できない想い出となる。
今朝は久しぶりに自転車通勤してみた。まだ風は冷たく走行して暫くは身体に堪える。いつもの走行スタイルではなく普段着での走行なのだ。会社に着いて自販機をみると全部の商品は「つめたい」設定になっていた。なるほど節電対応なのね。そういえば昨夜の町田も輪番停電で真っ暗だったのは、なんだか新鮮に感じた。
今日は義父の一回忌法要。お寺さんへ位牌を持ちお経をあげていただく。そのあと藤沢の墓地へ向かう。墓所では周りのお墓もほぼ全てに綺麗な生花や供え物がなされている。春の彼岸にはまだ早いのにと思ってハタと気づく。そうなのだこの区画は新しく建てられたお墓ばかり。つまり同時期に身内を亡くしお墓を建てられた方々ということになる。命日も近い日ばかりなのだった。しかしそれとは別の違和感も感じていた。暫くしてそれにも気づく。お墓に供える花がどれもこれも華やかな生花ばかり。京都では実家が浄土真宗ということもあり仏花は樒(しきび)と決まっていた。墓参となれば朝に父が硯を取り出し、塔婆に戒名と先祖代々追善供養の文字をそれぞれしたため持参し樒とともに供えたものだ。それ故こちらのパチンコ屋の新装開店のような華やかさに違和感を感じたのだった。でもまあ、殺風景なお墓に生花で彩りを添えるのも悪くはないのかも知れないと思い直す。大切なのは故人を敬い偲ぶ心なのだと。
会社の前が更地になり今朝がた地鎮祭をやっていた。元はロックラーパイプ改め三菱マテリアルの工場だった。次は何が建つのかしら?ところでヒューム管業界って不景気のズンドコ?横浜目黒の帝国ヒューム管工場も閉鎖されてたな。
今日は散歩がてら近所の玉子神社へ初詣。神社では特設テントでお神酒が振舞われ参拝の人も多い。お参りのあとお札(フダ)とお守りを買い求め焚き火で暖をとる。焚き火に当たるのは年に一度、この初詣くらいかも知れない。先の江ノ島でも気になったのだけれど、最近神社をお参りするとき拍手を打たない人をよく見かける。逆にお寺やお墓参りの墓前で手を叩くという姿も同じ頻度で見てしまう。こういうことは親が子供にしっかり教えねばならないこと。食事の作法、箸の握り方、言葉遣い、どれも大切なことだと思うのだ。
明日からは仕事が始まる。この第四クォーターは大切な山場を迎える。
気になっていたベランダの掃除をする。東南に面した二面のベランダ床面、タイル壁、ガラス柵全てを水道水で流しながらブラシをかける。絡み付いて枯れていたアサガオの蔓も取り除く。排水溝の落ち葉はゴミ袋に集める。植木鉢も一旦移動して床面もブラシをかけ砂塵を流す。鉢の下で越冬を決め込んでいたムカデが這い出てくる。10枚あるガラス窓と5枚の網戸も一気に洗い流す。サッシレールも忘れずに。3機あるエアコン室外機の裏側にたまった落ち葉も回収。ベランダの清掃が終われば次は窓の内側を雑巾がけ。次に洗面所の60W電球が昨夜切れたのでこの際と電球型蛍光灯に2灯とも交換。和室の照明32・40型も寿命なので交換しカバーも水洗い。年末の大掃除はこれくらいで勘弁。パトラッシュ、ボクツカレタヨ・・・。
絵画といえば印象派を好んで鑑賞しているのだけれど、今回訪れたNational Galleryではこの絵画の前で足がとまる。1620年、Dyck, Sir Anthony vanによって描かれたポートレート。そのデッサンは極めて正確で陰影のつけ方が見事。美術館の絶妙なライティングと黒く落とし込んだ背景がほぼ原寸のモデルを浮き立たせる。まるで本物の人物がそこにいるようにしか見えない。これは平面絵画なのだと何度も自分に言い聞かせながら数分間対峙してしまう。400年の時空を超えて尚、生気を感じるこのモデルに思わず嫉妬してしまった。
何度お世話になったかわからないJL402便だけれど今回は特別。チェックインカウンターでJALスタッフのみなさんの寄せ書きBirthday Cardを頂きびっくり。更に機内で夕食後、キャビンアテンダントの皆さんから特別デザートのお気遣い。妻に聞くとスタッフのみなさんが無理をして取り計らって頂いたとのこと。高度10000メートルで迎える誕生日。それはまるで空を飛ぶ気分。どうもありがとうございました。今年一番の想い出となりました。