一気観してしまった。
「安部公房展」フライヤー
先日、クロスバイクで訪れた神奈川近代文学館「安部公房展」。配布されていたチラシを貰ってきた。ワードプロセッサーで原稿を執筆する写真にアスキーアートが重ねられていた。それはなんとなく眼鏡の輪郭にようにも見えたが釈然としない。そこでフォトショップを駆使してアスキー文字だけを抽出してみた。
なんだかモヤモヤしている
アスキー文字を抽出すると作家の横顔が浮かび上がった。これで満足すればよいところだがここまでくると元画像も見たくなり検索を重ねる。そしてようやくそれらしきものを突き止める。それは1976年頃に撮影された写真であった。「笑う月」「密会」執筆の頃。
ようやく輪郭が浮き出てきた
これが元画像
せめて一度は観てほしい名作
中学生の頃、毎朝親にたたき起こされ聴いていたNHKラジオ第二の「基礎英語」。小島義郎先生は優しく「おわかりにならなくても大丈夫ですよ」と囁いてくれた。ちょっと落ちこぼれ気分を味わいながら受講していた。基礎英語の後に続いて「続・基礎英語」もやっていたがちょっと聴いてみても高度すぎてさっぱりわからなかった。親は英語の勉強にとSONYのLLラジカセ(CF-1775)とNHK基礎英語教材の高額なブックレット型カセットテープを買い与えてくれた。カセット教材は1/3ほどで飽きて個包装のカセットは封も切らず放置。多重録音と可変テープ速度機能搭載のLLラジカセでマッドテープをせっせと編集していた。そんな基礎英語の思い出で毎週金曜日だけは息抜きの英語の歌が放送された。キャロライン洋子が歌うマザーグースのうた。放送当時で高校生だった彼女が子供だった頃に収録した歌声が流れた。小島義郎先生は番組中に現代のキャロライン洋子さんとのギャップを毎回ことわっておられた。マザーグースのうたもテープに録音していて大学生の頃まで何度も聴きなおしていた。久しぶりに聴きたくなってYOUTUBEをあたるとドンピシャで一番聴きたかった曲"Old King Cole"を見つける。ちなみにキャロライン洋子はTVドラマ”長くつ下のピッピ”主題歌も歌っていた。
期待値が高すぎた
「BLADE RUNNER 2049」のブルーレイを入手。1作目では荒廃した混沌の未来にゾクゾクしたものだ。映画公開前、当時のSF雑誌「スターログ」で白黒の小さな紹介記事が載っていた。それほど期待せず京都・新京極の映画館にいった。初めて映画を観た感想は情報量が多すぎて消化しきれなかったこと。「レプリカント」「ブラスター」「スピナー」「ブレードランナー」「二つで十分ですよ!」日本語が氾濫し酸性雨に煙る暗く絶望の未来都市。現実逃避したい高校生には夢の未来に映ったものだ。あれから35年。2作目が制作された。主人公はデッガードではなくなりスピナーもちょい役、ブラスターもヘンテコになった。期待していたものとは違っていた。唯一の救いはアナ・デ・アルマスがカワイ子ちゃんだったこと。
そして今晩、19時からBS12で「BLADE RUNNER 2049」やるようです。
駆けていくには遠すぎる 歩いていくにはもう若くない
自分が小学生の頃、新興住宅地が次々造成され町の人口が急激に増えていった。自分も京都市内から新築分譲に引っ越してきた流入組だった。片道1.5kmほど歩いて通った築100年を迎える地元の小学校は教室が足りなくなった。小学校2年のときはとうとう校庭に建てられたプレハブ校舎に押し込められた。夏は焼ける様に暑く冬は底冷えのする教室だった。当時の教室にはもちろんエアコンも扇風機もない。3年になって自宅から500mほどの坂道の頂上に新しく第二小学校が新設された。1クラス42名で12クラス。マンモス校といえる規模かも知れない。新校舎に転入してからも体育館やプールの建設が急ピッチで進められた。授業中も基礎工事のパイル打ち込みでディーゼルハンマーの音が一日中響き渡っていた。そんな混沌とした小学生時代、5年生になったときの担任が浅尾先生だった。TVドラマ「熱血時代」ではないが教育熱心で型にとらわれない生徒想いの女先生だった。教室での机の配置も黒板に向かい綺麗に並ぶスタイルから”コ”の字型に並べ直し黒板と教室の中央を先生が行き来しながら授業を進めるような実験的な試みもされた。授業中の生徒の挙手も先生に差された回数を指で示すことで不公平感のない授業進行を試されたこともあった。6年に進級するときにクラス替えがあり浅尾先生とは離れてしまい残念に思っていた。しかし次々と転校生で生徒数が増えたことで教育指導要綱にある1クラスの最大人数を越えてしまい一学期早々に12クラスから13クラスに再編された。6年生の新クラスはひと月ほどで解体され元の5年生の時のクラスに戻された。担任は浅尾先生に戻り喜んだのを覚えている。そんな浅尾先生は読書をする大切さも常々仰っていて、給食の時間には生徒への本の読み聞かせまでしてくださった。その時の本が「ポケットの中の赤ちゃん」だった。初めは子供向けの本はつまらないなあと勝手に思っていたのだけれど話が進むうちに天井裏の世界や色鉛筆の粉薬などSFめいた雰囲気もあり話に引き込まれていった。何を隠そう小学校3年生頃から学級文庫や図書室でジュールベルヌやH・G・ウェルズのSFやジュブナイル小説を読み漁り現実逃避を好む小僧だったのだ。あれから半世紀が過ぎ今一度「ポケットの中の赤ちゃん」が読みたくなった。古本を探してみるも一度復刻されてはいたが古本の流通量は少なく、あっても7-8千円のプレミア価格で取引され手が出せなかった。仕方なく「復刊ドットコム」に投票していたところ目出度く規定数を超え復刊となった。因みに復刊ドットコムでは以前に新田次郎「つぶやき岩の秘密」も投票して復刊いただいたことがあった。たいへん有難いサイトだ。「ポケットの中の赤ちゃん」は先生の読み聞かせで結末まで覚えてはいたが作中の表現の仔細や情景描写こそが追体験したい大切な部分となる。本を入手してからしばらくは勿体なくて読まずにいた。そろそろ読み始めようと思う。きっと本のお話と共に当時の自分の日常もリアルに思い起こされることだろう。
既に出版されていた「死に急ぐ鯨たち」は何度も再読しているけれど、新たに追稿があるなら買うしかない。安部のエッセイ本では「笑う月」が好きだ。特に夢にまつわる話。脳を電球に例えるなら覚醒時は全体が淡くぼんやり光っている状態。睡眠中に夢を観ているときは脳の一点だけが強烈な光を放っている状態とのこと。「夢は短い狂気、人生はうたかたの夢の如し」
安部公房写真集より
これはチェックせねば。全集のハードカバーの裏側にも作家の写真が印刷されていた。紹介記事にある作家のカメラはコンタックスのRTS、如何にもだな。
勤め帰りに薬局に立ち寄って目薬を買う。お医者に言わせると清涼感などが強いものはダメとのこと。安い目薬ほど清涼感の強さを売りにしたものが多い。買った目薬も安いタイプだが清涼感は低いものを選んだ。そもそも目薬は冷蔵庫に保管しているので冷たさだけでも結構気持ちはよいのだ。普段はロート製薬のZiを買っているのだけれど、今回はライオンに浮気。理由は単純でオマケに目が眩んだから。コールマンのチビポーチがそれ。デジカメの電池か薄型フードくらいは収納できそう。オマケに釣られるとか小学生とかわらない。しょぼん
ナンセンス!
銀座勤務時代、昼休みに覗いた移転間際のLoFt店内BGMがやけくその「ゲバゲバ90分」無限ループだった。その衝撃を記事にしたところ有難いことに友人のリョウさんからカセットに録音した音源をもらった。ゲバゲバカセットはご自慢の東通工ラジカセ1980mkIIで聴いていた。そして先日、安売りしていたゲバゲバのCDを見つけ入手。Xアプリに転送しウォークマンで聴けるようになった。ゲバゲバのBGMを聴きながら歩く街の日常はすべからくナンセンス・ショートコントに見えてきた。そして区切り区切りで合いの手「ゲバゲバ、ピー!」が勝手に脳内再生される。60年代のモーレツを過ぎ、大阪万博で見せつけられた輝かしい夢の未来は霞と消え去る。学生はゲバ棒を手に坂ビスケットをかじりあしたのジョーを読みふける。見上げた夜空にはアポロ飛行士の足跡だらけの月。猥雑で暴力的、ギラギラで混沌の昭和という時代を体験できたことに感謝しなければならない。自分の臨終にはゲバゲバのBGMを鳴らして欲しいと願う。心臓が止まればすかさず「ゲバゲバ、ピー!」。病院のセットは一瞬で解体され場面転換。因みにこの「ピー!」はアポロ11号の音声交信で鳴る「ピー」をそのままいただいたとCDレーベルに書かれていた。
小樽裏路地のトマソン
今朝の夢は少しかわっていた。作家の赤瀬川原平氏や取り巻きの藤森照信、南伸坊を交えた座談会。夢のなかの映像は希薄で言語中心の展開。どうやらその座談会に自分も発言する機会があるらしい。話す内容は既に決まっていた。「サブカル(サブカルチャー)全盛の80年代に「トマソン」(超芸術)を知ってからというもの、有意識、無意識に係わらずトマソンを探してしまう呪縛に囚われてきた。その枷はもう50年も継続している。もはや逃れる術はない」ということを訴えようとしていた。なんだか寝覚めのよくない夢だった。