夢の10連休も残すところ2日となった日曜。前職の仲間と丹沢山系、大山アタック。以前に一度山頂まで登ったがそのときは登山口までロードバイク移動だった。今日はオバQ、神奈中バス、ケーブルカーがセットになった「丹沢・大山フリーパス」を活用。伊勢原駅に電車が到着した途端、代々木八幡駅の人身で小田原線全線運転見合わせ。ギリギリ難を免れる。ピストン輸送のケーブルカーで下社までの登山をチョンボ。そして普通ならこの下社左手の「頂上登山口」から登山ルートは始まる。しかし今回は同行の山ガールさんのガイドで名物「ルーメソ」暖簾の茶屋左手から見晴台ルートを辿る。通常のルートより距離は伸びるがたいへん楽で登り易い。このルートはあまり知られてないようで人も少なめ。休憩をとりながら頂上へは2時間を要した。頂上は山桜が満開。遠くにやや霞んだ富士山も確認。30分ほど昼食休憩をとり正規登山ルートで下山。前日の雨でところどころ足場も悪く大きな段差で脚にこたえる。転ばず無事下山して大山阿夫利神社で御神水「大山名水」をボトルに汲む。大山参道で「丹澤糀みそ」を土産に買い求める。自転車移動をしない純粋なハイキングもいいもんだ。海老名まで戻りみんなで軽い打ち上げ。本日の走行距離 0km。もっと脚を鍛えねば!
夢の10連休も残すところ2日となった日曜。前職の仲間と丹沢山系、大山アタック。以前に一度山頂まで登ったがそのときは登山口までロードバイク移動だった。今日はオバQ、神奈中バス、ケーブルカーがセットになった「丹沢・大山フリーパス」を活用。伊勢原駅に電車が到着した途端、代々木八幡駅の人身で小田原線全線運転見合わせ。ギリギリ難を免れる。ピストン輸送のケーブルカーで下社までの登山をチョンボ。そして普通ならこの下社左手の「頂上登山口」から登山ルートは始まる。しかし今回は同行の山ガールさんのガイドで名物「ルーメソ」暖簾の茶屋左手から見晴台ルートを辿る。通常のルートより距離は伸びるがたいへん楽で登り易い。このルートはあまり知られてないようで人も少なめ。休憩をとりながら頂上へは2時間を要した。頂上は山桜が満開。遠くにやや霞んだ富士山も確認。30分ほど昼食休憩をとり正規登山ルートで下山。前日の雨でところどころ足場も悪く大きな段差で脚にこたえる。転ばず無事下山して大山阿夫利神社で御神水「大山名水」をボトルに汲む。大山参道で「丹澤糀みそ」を土産に買い求める。自転車移動をしない純粋なハイキングもいいもんだ。海老名まで戻りみんなで軽い打ち上げ。本日の走行距離 0km。もっと脚を鍛えねば!
MEN'S Precious 2018年冬号に伊丹十三特集を見つける。かなり深い取材の特集記事は読み応えもあり写真資料もふんだん。そんな記事の中に「ドッグシューズ」の件(くだり)を見つける。彼のエッセイ「女たちよ!」を読んでから気になっていた靴だった。やはり誰しも気になっていたのだ。いつかヴェネチアの「ポッリ」という店も探索しようと決めていた。しかし雑誌記事にはヴェネチアのこの店は既に現存しないとあった。これで彼を倣いロンドンからヴェネチアに靴を買いに遠征するという気障な夢も消えてしまったか。たとえそれがeasyjetでの移動であったとしても。
9月三連休の日曜は閉館がアナウンスされた東京タワー水族館へ。人生三度目の東京タワーとなる。一度目は大学生の頃、80年代後半に特撮大会だかの遠征ついでに立ち寄った。二度目は90年代の中頃仕事の取材で。今回は20年振りの訪問。タワーのエントランスは小奇麗に改装されたのに対し水族館の入り口だけが地味過ぎて浮いていた。この区画だけは昭和テイスト満載。そういえば記憶にあった蝋人形館も2013年に閉館していた。250坪の水族館内部は生息地域別に区画分けされ整然と水槽が並び順路を作る。大型のペットショップの熱帯魚コーナーを見物しているような気分になる。この違和感は水族館の展示コンセプトにあった。「世界初、観賞魚専門の水族館」とのこと。単調な展示ながらも二段重ねの水槽展示や島置き展示など工夫がみられる。そして水槽の間に飲料自販機があったり「おみくじ機」までとカオスな世界が広がる。水槽ごとに掲示された魚の説明文からはスタッフの魚愛と営業努力が読み取れる。水族館の閉館原因は日本電波塔(株)への賃借料滞納と言われている。月間賃借料は370万円。通常の飲食店経営では賃借料は売り上げの1割程度が健全とされている。この図式を当てはめるなら月間で3,700万円の売り上げが求められることになる。大人の入館料は1,000円(+消費税分80円)。単純計算で月に37,000人、年間約45万人の入場を見込まねばならない計算。東京タワーの来場者数は年間で250万人という時点で既に破綻している。東京タワーの来場者は展望台、土産店を訪れはすれど水族館にまで入場する客は1割もいれば良いほうか。変動費、固定費の違う水族館の損益計算を飲食に当てはめたことはナンセンスではあるが経営の厳しさは十分に伺える。水族館のみならず60周年を迎えた東京タワー本体の経営も今後益々厳しさを増すことになる。否、東京タワーだけではない、スカイツリーでさえ同じ道を辿るのは時間の問題なのだ。
企画開発機種、量産頭出しで中国出張。帰国時の広州空港イミグレーションで係管の出国スタンプを押す手が止まる。何やら連絡したと思ったら別室に連れていかれた。厚めのステンレス扉が背後で閉まり脱出不能の囲い。これは映画「ミッドナイトエクスプレス」ですよと心の中で呟く。入念にパスポートが端末でチェックされているのが垣間見える。別にやましいことは無いのだけれど、これから想定される問答を英語で準備しておく。程なくして再び扉が開き囲いから出るように言われパスポートにスタンプが押されて釈放。果たして何が怪しかったのか見当もつかない。ただ、手荷物検査だけは避けたかった。何故なら鞄には妻がこっそり忍ばせていたケールのパクが入っていたのだ。
Midnight Express (1978)
Midnight Express (1978)
開発機種の量産を目前に控え夏休みを早めにとる。祇園祭を避けて京都に帰省。折しも「平成30年7月豪雨」の真っただ中のタイミングとなる。新幹線は山陽区間が運休となり東海道は新幹線数珠繋ぎ。各駅で先行列車待ちとなり3時間遅れで京都に着く。移動日当日の予定が全て流れたので自棄をおこして長年の課題であったプラネタリウム観覧を決め込む。場所は伏見にある京都市青少年科学センター。京都駅から京都市交通局の地下鉄烏丸線で竹田駅へ。そこから雨のなか徒歩で移動し辛くも最終上映時間(15:45)に間に合った。プラネタリウムの投影機は子供の頃みたミノルタのMS10ツァイス型からINFINIUMγIIに置き換わっていた。この科学センターへは開館直後の1969年から祖父母や両親に何度となく連れられて来ている。展示物の変遷もしっかりと記憶している。母方の祖父が寄贈した貝の化石も長く展示されていた。余談になるがこの科学センター1F奥には半円ドームのヒヨコの孵卵器が展示されていた。毎日のように鶏卵からヒヨコが孵化するのだが親の許可がとれればヒヨコは無料で子供に配られていた。センターに行くたびにヒヨコが欲しくて親にはダメ出しをくらい葛藤に苛まれたものだ。プラネタリウムに話を戻すとこの科学センターのオペレーターはレベルが高い。このセンターでのプラネタリウムは決まって観覧の日の夕景からその解説が始まる。ドームに映し出された京都の夕焼けから日没、そして宵の明星、木製、火星など惑星の説明、そして星座の解説へと移行していく。折しも観覧日は七夕。ベガ、アルタイル、春の大三角形アルクゥルスにスピカまで。45分の上映は期待通り中身の濃いものだった。以前に観たMEGASTARは星の数は多いけれど中身がスカスカで幻滅したことを思い出す。プラネタリウムの質は設備ではなくオペレーターの手腕に100%依存しているといえる。そういえばウルトラセブン第37話「盗まれたウルトラ・アイ」でも渋谷東急文化会館「五藤プラネタリウム」がロケ地になっていた。劇中オペレーターの解説にある「地球は他の星から羨望される美しい星」との解説は皮肉に聞こえたものだ。
クラシックカメラの収集を趣味としていて海外から買ったカメラにフィルムが入っていたりするとギクリとする。それも何十年も昔のカメラなら尚のこと。デジカメになってからも安心はできない。中古で買ったジャンクにメディアが入れっぱなしのままだったことも間々ある。メディアが入っていなくてもカメラ本体のメモリーに画像が消し忘れで残っていたり、顔認識でご丁寧にも家族全員の笑顔がメモリーされていたこともあった。今回も暇つぶしで買い求めたコンデジの本体メモリーに画像が2枚。どちらもほぼ同じ風景の連写。どうやら日本ではないらしい。遠景の街並みなどを拡大し仔細を検証。突き止めたロケーションはなんとポルトガルのリスボンだった。手前の緑地はエドゥアルドVII公園とテニスクラブ。左手は植物園。撮影地は(四季酒店)Four Seasons Hotel Ritz Lisbonだった。スペインのマラガまでは行ったことがあるがポルトガルは未踏の地。機会があればこの街を直に見てみたいみたいものだ。はたしてどのような方が旅しておられたのやら。
雨が続く夏休み。自分は帰省したが家に籠っていた妻への罪滅ぼしで「ナイトズーラシア」へ。午後4時頃に動物園に入園しゆっくりと散策する。コース途中にミストのトンネルがあった。先をゆく妻のシルエットにドキリとする。それはあたかも臨死体験のような光景だった。人生も折り返しを過ぎどちらが先にこれを迎えるのだろうとぼんやり考える。午後7時過ぎには園内全てを周り帰途につく。車に乗り込んだ途端大粒の雨が降り出し雷鳴が轟く。ワイパーを高速にしても前が見えず車線も見えない激しい雷雨。前の車のテールランプを頼りに時速30km/hほどでゆっくりと流す。今年の夏の行楽商売は何処もあがったりだな。
賛美歌320番
独り立ちになった新しい日本が、国際外交の檜
舞台に、脚光を浴びるとなると、色々な面で独り
立ちの国としての内容、外観が整えられてくる。
国鉄の列車、電車も進駐軍専用の白帯が姿を消し
て、外人も私達と同じ列車で旅行する。座席にも
肩を並べて坐ることになる。そこで、私達に一層
エチケットの問題が大切になった訳だ。旅行はお
互いに愉しくしたい。写真のような場面をよく見
受けるけれど、ぜひ、やめたいものである。
(フォトニュース 昭和26年5月20日発行)
<おまけ>(100年前)
日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち
行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。
そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。
だから,あらゆる方向に向かって奥行(おくゆき)を
削って、一等国丈(だけ)の間口を張(は)っちまった。
なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。
(夏目漱石「それから」より)
舞台に、脚光を浴びるとなると、色々な面で独り
立ちの国としての内容、外観が整えられてくる。
国鉄の列車、電車も進駐軍専用の白帯が姿を消し
て、外人も私達と同じ列車で旅行する。座席にも
肩を並べて坐ることになる。そこで、私達に一層
エチケットの問題が大切になった訳だ。旅行はお
互いに愉しくしたい。写真のような場面をよく見
受けるけれど、ぜひ、やめたいものである。
(フォトニュース 昭和26年5月20日発行)
<おまけ>(100年前)
日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち
行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。
そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。
だから,あらゆる方向に向かって奥行(おくゆき)を
削って、一等国丈(だけ)の間口を張(は)っちまった。
なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。
(夏目漱石「それから」より)
先週は中国出張に行っていた。羽田から上海に入る。翌日は国内線で新婚旅行のメッカ、廈門(アモイ)へ。夜には再び3時間遅れの国内線で香港に移動。午前零時に辿り着いた会社手配のホテルでは予約の手違いでキャンセルされていた。部屋はスイートしか空いていないとのこと。仕方なく近隣のホテルをサーチして飛び込み交渉。午前1時半頃ようやく部屋にあり付く。翌日は昼過ぎのフライトまでの時間ひとり街を歩く。香港は空港の利用経験はあれど街中観光は初めての経験。安い地下鉄が発達しているので移動は楽だった。しかし気温も湿度も高く日本以上に不快指数は高い。どの店も店内はキンキンに冷房で冷やされており一歩外に出るとカメラもスーツケースも一瞬にして結露で濡れる。しかし気温情報は頑なに摂氏38度を示していた。中国では気象情報で摂氏38度以上をアナウンスすることは決してない。何故なら国の法律で摂氏38度以上の気温になれば問答無用で労働者は職場を離れ帰宅できるルールなのだ。だから気温の表示は摂氏38度上限で労働の空白を作らない。だからこの他に(参考)「体感気温」というW表記がなされている。実はこれが実気温ということになる。因みに出張中の「体感気温」は連日摂氏44度だった。