小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

607 八千矛の神 その12

2017年08月17日 02時32分25秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生607 ―八千矛の神 その12―
 
 
 ここで、前章の「大国主に秘められた製鉄の性格」の中で採り上げた天火明命と高皇産霊神
(タカミムスヒ神)の祭祀のつながりについて、今一度見てみたいと思います。
 
 京都府城陽市の、天火明命系の六人部氏(むとべ氏)が祭祀する水度神社(みと神社)と、
同じく天火明命系の水主氏な(みぬし氏、あるいは、もひとり氏とも)が祭祀する水主神社
(みずし神社)はともに夏至の日に、鴻巣山の山頂から昇る朝日を臨む地に鎮座しています。
 水度神社の祭神はすでにお話ししたように高皇産霊神と豊玉比売で、水主神社の祭神は
天火明命と天香語山命なのですが、『延喜式』に記された水主神社の祭神は天照御魂神(アマ
テルミタマの神)となっています。
 天火明命も太陽神と言われていますから、水主神社は太陽信仰の地であったことは間違い
ないように思われます。
 
 大和国十市郡に目を向けますと、こちらには、高皇産霊神と栲幡千々媛命(タクハタチヂヒメノ
ミコト)の父娘神を祭神とする目原坐高御魂神社と、天香山命を祭神とする竹田神社が鎮座
します。
 もっとも、竹田神社の祭神については、かつては天香山命の父神である天火明命であった
ともいわれ、しかも祭祀族はやはり天火明命系の竹田川辺氏です。
 
 実はこれと同じことが近畿から遠く離れた対馬にも見ることができるのです。
 対馬国下県郡には高御魂神社というタカミムスヒ(高御産霊)の名を冠した式内社があり、
天火明命を祀る阿麻氐留神社(あまてる神社)、それから豊玉比売が祭神と思われる和多都美
神社(所在地不明)が『延喜式』神名帳に見ることができます。
 ただし、阿麻氐留神社の祭神については、『先代旧辞本紀』に、「天日神命は対馬県主らの祖」と
あることから、この天日神命(アメノヒノカミノミコト)だとも言われています。
 ちなみに、天日神命とは天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリ
クシタマホノニニギノミコト)、すなわち天火明命が高天の原より地上に降りた時に従った三十二柱の
神々の一柱ですが、この神の名、そして社名のアマテルから、阿麻氐留神社は太陽神を祀って
いたとみられます。
 また、『日本書紀』顕宗天皇三年の記事にある、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に日神から、
 「磐余の田をわが祖、高皇産霊に献上せよ」
と、神託があったので磐余の田を十四町献上し、対馬下県直(つしまのしもつあがたのあたい)に
日神を祀らせた、という、日神はこの神であるとする説もあります。
 
 ただ、顕宗天皇三年の記事には見過ごしてはいけない2つのものがあります。
 1つ目は、日神が高皇産霊神の御子神、もしくはその子孫を称していること。2つ目には、対馬
下県直が祭祀していることからこの日神が対馬下県郡の神、おそらくは阿麻氐留神社の祭神で
あろうと思われるのですが、中央政権がこの神託を認め、大和の磐余(いわれ)の田を献上して
いることです。
 
 天火明命は、高皇産霊神の娘、栲幡千々媛命(タクハタチヂヒメノミコト)と天忍耳命との間に生まれ
た神なのですが、日神が高皇産霊神をわが祖と言うのは、日神と天火明命が同一化されたためなの
かもしれません。
 なおと、『大同類聚方』には、竹田連が対馬国下県郡の式内社の阿麻氐留神社)の宮人だと記されて
います。
 竹田連は、『新撰姓氏録』に、神魂命(カミムスヒノミコト)十三世の孫、八束脛命の子孫とあるので、
火明命五世の孫、建刀米命を始祖とする、大和国十市郡の竹田神社の竹田川辺連とは別系統に
なるのですが、竹田連も竹田川辺連もともに「たけだ薬」を扱うことが『大同類聚方』に記されている
のでつながりのある氏族どうしだったともかんがえられています。
 
 それはともかく、高皇産霊神、日神との組み合わせ、そしてそこに豊玉比売の祭祀がまるでセットの
ようになっているのが、大和、山城、そして対馬に見られるのです。
 この組み合わせに豊玉比売が加えられているのは、先にお話しした通り、この豊玉比売を天火明命系
氏族の斎く神とする説があるものの、やはり綿津見神の姫神である豊玉比売のことと思われるから、
阿曇氏や安曇犬養氏が関係していると考えるべきでしょう。
 
 しかし、この結びつきを考察する時に、外せないのが太氏の存在です。
 大和国十市郡において、竹田神社は太氏が祭祀する多神社の若宮であると伝えられ、目原坐高御
魂神社は多神社の外宮であると『多神宮注進状』にはあります。その目原坐高御魂神社は多神社の
祭祀氏族とされる島田臣は、『古事記』によれば神八井耳命の子孫で、太氏とは同族なのです。
 
 信濃の諏訪大社の祭祀にも太氏の同族が関係します。
 諏訪大社の下社の大祝は金刺氏ですが、金刺氏は太氏と同族なのです。
 一方、諏訪大社の上社の大祝は神氏(じん氏)です。神氏は『神氏系譜』によれば、建御名方富神
(タケミナカタ)直系の子孫なのですが、大神神社の祭祀氏族である三輪氏もまた神氏(みわ氏)とも
表記されることから、諏訪の神氏を三輪氏の同族とする説もあります。
 三輪氏は大物主の子孫であるオオタタネコを始祖とする氏族で、太氏もまた『古事記』によれば
大物主系の氏族です。三輪氏が祭祀する大神神社は言うまでもなく大物主を祭神とする神社です。
 
 そして、ここに諏訪大社が登場することにももちろん意味があります。