小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

100円でプロの技

2013年08月24日 00時07分41秒 | 日記
2010年10月30日(土)(2歳7か月)


 和泉府中ファミリーの帰りの車の中
で、春奈が、

 「りえ、マジックマーマほしい言う
てる」

と、言ってきた。

 「マジックマーマ?」

と、僕が訊き返すと、春奈、少し考えて、

 「マジックパーパ」

と、言い直した。

 何?それ。りえに訊いてみると、マジッ
クパーマのことだ、と言う。

 おしい!

 でも、春奈にとっては、パパかママかや
やこしかったんだろうな。

 で、マジックパーマって何?それもりえ
に訊くと、

 「百均ショップで売ってる。『100円
でプロの技が自分でできる』、って書いて
んねん」

 ふうん・・・。オシャレに使うのかあ。

 そんなん欲しがるのは男親としては何か
複雑だ。

 まあ、春奈がそんなものに興味を示すの
はもう少し先だろうけど。

 その春奈、今日で満2歳7か月。


ジェリコの戦い その2

2013年08月23日 01時26分00秒 | 日記
2010年10月29日(金)(2歳6か月)


 ふと先日春奈が口ずさんでいた『ジェリコ
の戦い』を口ずさんでみる。

 前に書いたけど、ヒッポファミリークラブ
の、世界の歌を集めた「SADA」のCDに
収録されている『ジェリコの戦い』を春奈が
歌っていて、ただ、

 「ジェリコ~♪」

のところで、

 「ジェリンコ~♪」

と、歌うのだ。

 ところが今日、僕自身が口ずさんでみて気づ
たのだけど、、この部分を歌う時は、

 「ジェリッコ~♪」

と歌っていて、しかも「リッ」と「コ~」の間
にタメというか間がある。

 意識してしまうと、少し歌いにくくなった。

 それが、春奈が歌っているように「ジェリン
コ~」と歌うと楽だ。

 春奈は間違った歌詞を歌っているのではなく
て、本能的に歌いやすい歌い方をしているとい
うことなのか?

 これって、何か言葉の成長に関係があるよう
な気がする。

174 安曇氏の関わり

2013年08月23日 01時14分57秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生174 ―安曇氏の関わり―


 摂津三島には磯良神社があり、これは別名を疣水神社(いぼみず
神社)といい、安曇磯良と神功皇后にまつわる伝承を持つことは以
前にもお話ししました。
 この別名の疣水が、播磨国揖保郡の揖保から来たものではないか、
と唱えたのは谷川健一(『青銅の神の足跡』)ですが、揖保郡には
粒坐天照神社(いいぼにますあまてらす神社)が鎮座します(現・
兵庫県たつの市)。

 揖保郡の名の由来については、『播磨国風土記』の粒丘(いいぼ
おか)の条にある神話によるものとされていますが、すなわち、ア
シハラシコオと韓国からやって来たアメノヒボコが土地の占有争い
をして、この時アシハラシコオは、先に国占め(くにしめ)を行お
うと、粒丘に登って食事をしましたが、口から飯粒がこぼれ落ちた、
というものです。

 兵庫県たつの市に鎮座する粒坐天照神社(いいぼにますあまてら
す神社)は、社伝によると伊福部氏が関係している神社です。
 この神社の祭神は、伊福部氏や尾張氏の祖である天照国照彦火明
命(アマテルクニテルヒコホアカリノミコト)なのですが、その社
伝とは、

 大和の田原本町に鏡作坐天照御魂神社があり、摂津三島に新屋坐
天照御魂神社があるわけですが、播磨国揖保郡にも粒坐天照神社が
存在することは興味深いものがあります。

 粒坐天照神社の社伝によれば、推古天皇2年(594年)、現た
つの市の関村に、伊福部連駁田彦(いふくべのむらじふじたひこ)
の家の裏に異様に輝くものが出現し、それは、容姿端麗な童子に姿
を変えると、自分は天照国照彦火明命の使いである、と言い、フジ
タヒコに稲種を授けた、とあります。

 このような社伝が残されているように、この神社の祭神はホアカ
リ(天照国照彦火明命)です。
 言うまでもなくホアカリは尾張氏たちのご先祖である神ですが、
『播磨国風土記』の餝磨郡の条ではオオナムチの御子神となってお
り、播磨においては人々に広く浸透していた神であったと思われま
す。

 何より注意が必要なのは、粒坐天照神社の祭祀氏族が伊福部氏だっ
たことです。
 伊福部氏は、近年は製鉄に関わる氏族であったとする研究が盛ん
で、尾張氏の拠点東海地方でもその分布が見られると言います。粒
坐天照神社の社伝に、異様に輝くものが出現した、とあるのも製鉄
に関係していると思われるものです。

 伊福部氏は、「いぶきべ」とも「いふくべ」とも読まれますが、
五百木部(いおきべ)氏も伊福部氏のことだと言われます。
『新撰姓氏録』には、五百木氏もやはりホアカリの子孫とあり、同
族に笛吹氏や吹田連などがいます。
吹田連は、『新撰姓氏録』には河内の氏族となっていますが、摂津
三島の、現・大阪府吹田市に鎮座する高浜神社は、吹田氏の創始と
伝えられています。
 もし、この社伝が史実を伝えているとすれば摂津三島と尾張氏な
どのホアカリ系氏族のつながりが、より強いものとなります。

 ところで、摂津三島の磯良神社において、安曇磯良が祀られてい
るのはどういうわけなのでしょうか。
 その理由として挙げられるのは、安曇氏とアマテル神との結びつ
きでしょう。
 安曇氏は、ワタツミ神の子穂高見命(ホダカミノミコト)を始祖
としますが、志賀島を拠点とする氏族です。
 志賀島と同じ玄界灘にある対馬にも、綿津見神の娘豊玉毘売を祀
る海神神社が鎮座し、対馬国一宮になっています。
 対馬と言えば、阿麻氐留神社(あまてる神社)が鎮座する地でも
あります。阿麻氐留神社の祭神天日神命(アメノヒミタマノミコト)
はホアカリと同神ともいわれています。
 このことから、安曇氏もホアカリ系の氏族とつながりがあったこ
とを想像させられるのですが、そのホアカリ系の氏族のひとつ津守
氏が関わる大阪市の住吉大社と安曇氏のつながりも見逃せません。
 仁徳天皇の皇子墨江中王(スミノエノナカツミコ)は、その名か
ら住之江に関係していると思われ、つまり、住吉大社周辺(住之江
区、住吉区)に繋がりを持っていたと考えられる人物です。
 その墨江中王が兄履中天皇に謀反を起こした時に、安曇連浜子が
墨江中王に味方しているのです。
 それから、粒坐天照神社(たつの市龍野町)から少し離れますが、
たつの市御津町中島の権現山51号墳からは三角縁神獣鏡が5枚発
見されています。
 田原本町の鏡作坐天照御魂神社や三宅町の鏡作神社にかぎらず、
銅鐸を作っていた人々は古墳時代には鏡を作るようになったのです。
 また、葛城市太田には、海積神社があり、ここの祭神は豊玉比売
と似た名を持つ海積豊玉彦命だということは少し前にも登場しまし
た。

 こうして並べてみると、安曇氏が、ホアカリ系の尾張氏とも繋が
りを持っていたことが想像されるのです

 そうすると、穂積氏の女性オトタチバナヒメが入水のおりに、

 「菅の敷物8枚、皮の敷物8枚、絹の敷物8枚を海の上に敷いて、
その上に坐ったのでした」

とあることと、綿津見神が火遠理命(ホヲリノミコト)を迎える場面
で、

 「美智の皮の畳八重に敷き、また絹畳八重をその上に敷き、その上
に坐せて、百取の机代の物を具えて御饗して」

とあるのが似ていることも理由がつきます。



・・・つづく

台湾名物オンライスー

2013年08月21日 00時04分50秒 | 日記
2010年10月26日(火)(2歳6か月)


 ヒッポファミリークラブには、子供だけ
で行くホームステイプログラムがある。

 これは小学5年生から参加可能で、現在
4年生のゆうきとりえは来年ホームステイ
に行く予定だ。

 希望する行先はゆうきがロシアで、りえが
台湾だ。

 
 北野田ファミリーの最中、りえが、

 「台湾交流のおみやげ何にしたらいいか
なあ?」

と、言いだした。

 今から帰国の時のおみやげ考えてるのか?

 「別に変わったもん買ってこんでええよ。
家にはオンライスーでかまへんよ」

 と、僕が答える。

 「オンライスー?」

 「台湾名物のパイナップルケーキやん。台
湾語でオンライス―」

 「なんかオムライスみたいやな」

 たしかに音は似ているけど。

 りえ版空耳ってところか。

 ちなみのオンライとは、台湾語でパイナップル。

 鳳梨と書く。

 中国語ではフォンリーである。

 ちなみに台湾は台湾オリジナルのアイスクリーム
も有名だ。

 りえも、台湾に行ったらアイスクリームを食べ
たい、と常々言っている。

 でも、ホームステイプログラムは夏休み中にある
から、いつの間にか出発まで1年を切っちゃったな
あ。

○○してくれる

2013年08月20日 00時44分06秒 | 日記
2010年10月25日(月)(2歳6か月)


 春奈は今でも「○○してあげる」と言
うところを「○○してくれる]と言う。

 たとえば、誰かが床に落としたものを
拾ってあげる時に、

 「はるなが拾ってくれる」

と、言うのだ。

 それが今日、入浴中に、

 「はるなが洗ってあげる」

と、僕に言ってきた。

 言えてるやん。

 そうして僕の背中を流してくれるのは
ありがたいけど、2歳児の力じゃ撫でてる
だけだ。

 でも、最後はやっぱり

 「はるなが洗ってくれた」

も言っている。

 まだ「○○してあげる」という言い方は
完全じゃないな。

 ただ、もっと以前は、「靴をはかせて」
と、言う時に、

 「くっくはいて」

と、言っていた。

 「○○してくれる」というのは、これの
延長線上にある言葉なのかもしれない。