小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

美具久留御魂神社①

2015年05月10日 23時25分43秒 | パワースポット
パワースポット 美具久留御魂神社①


 先日から春奈が「山登りしたい」と熱くリクエストしてきた。
 じゃあ、金剛山でも行きますか、と思ったけど、体力を使うことをハンパなく嫌う
春奈が本当にハイキングなんて無謀なことに挑んで大丈夫か?と、不安だったので
大阪府河南町の近つ飛鳥風土記の丘に行くことにした。

 せっかくなので、風土記の丘に行く途中に富田林市の美具久留御魂神社(みぐくる
みたま神社)に寄り道することにした。



 美具久留御魂神社を訪れるのは3回目だ。



 これは、美具久留御魂神社のゆるキャラみぐくるん。頭に二上山を載せてます。
 もちろん、これには意味がある。


 神社の正面には二上山が見える。



 春分の日と秋分の日には、二上山の雄岳と雌岳の間から朝日が昇るそうだ。
 それも、鳥居を額にしてその中に二上山から昇る朝日を拝むことができる。





 とろこで「みぐくる」とはどういう意味なのだろう?

 『日本書紀』には10代崇神天皇の時代のこととして次のようなことを記している。

 天皇(崇神天皇)は、出雲大神の宮にある神宝を見たいと望まれたので、矢田部造の
遠祖、武諸隅(タケモロスミ)を派遣した。
 出雲の神宝は、出雲臣の遠祖、出雲振根(イズモフルネ)が管理をしていたが、ちょうど
その時筑紫に出向いており不在だった。
 それで、イズモフルネの弟、飯入根(イイイリネ)が代わりに勅命を承り、弟のウマ
シカラヒサとその子のウカヅクネに神宝を献上させた。
 その後、筑紫から戻ってきたフルネは、このことを聞き、
 「なぜ神宝を渡したのか!」
と、激怒し、その怒りは収まることなく、ついには弟を殺してしまおうと考えた。
 フルネは、真剣そっくりの木刀を作らせると、イイイリネを、
 「近頃、止屋(やむや)の淵に藻がたくさん発生した。それを見に行くのだがお前も
一緒に来てくれるか?」
と、声をかけて誘い出した。
 二人で止屋の淵まで行くと、
 「淵の水は清らかではないか。せっかくだから、ここで一緒に沐浴しよう」
と、フルネが言った。
 二人はともに沐浴をして、先にフルネが水中から上がると弟の太刀を佩き、剣を抜いた。
 イイイリネは驚いて兄の太刀を手にしたが、これは本物に似せて作った木刀であった
から、フルネに斬り殺されてしまった。
 このことで、人々は、

 八雲たつ イズモタケルが 佩ける太刀 黒葛(つづら)多(さわ)巻き さ身なしにあわれ

と、歌った。
 ウマシカラヒサとウカヅクネは朝廷に参上し、事の次第を伝えた。
 天皇は、吉備津彦(キビツヒコ)と武渟川別(タケヌナカワワケ)を遣わしてイズモ
フルネを討たせた。
 この一件以来、出雲臣たちが大神を祭祀することをやめてしまった期間が生じた。
 時に丹波の氷上郡の人で氷香刀辺(ヒカトベ)が、皇太子活目命(イクメノミコト=後の
11代垂仁天皇)に、次のような訴えをした。
 「私には子がおり、まだこどもなのですが、それがこのようなことを言い出したのです。

「 玉藻鎮石 出雲人の祭る 真種の甘美鏡 押し羽振る 甘美御神 底宝御宝主
 山河の水泳る(みくくる)御魂 静かかる甘美御神 底宝御宝主 」

 皇太子は天皇にこのことを報告し、天皇は出雲の大神の祭祀を復活させるよう勅命を
出した。

 氷香刀辺の子に降りた神託に「水くくる御魂」なる一文が登場する。

 美具久留御魂神社の社伝によると、この神社の由来は氷香刀辺の子の神託をうけて
崇神天皇が活目皇子を遣わして美具久留御魂の名を贈り祀らせたもの、となっている。

(つづく)

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