小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

出雲大社その4 大国主は祟り神?(古事記から)

2014年02月01日 00時10分14秒 | パワースポット
パワースポット編 ―出雲大社その4 大国主は祟り神?(古事記から)―


 縁結びの神様と知られる大国主は、様々な顔を持っている。
 そのひとつが、「祟り神(たたり神)」の顔である。

 『古事記』の「垂仁記」には、「出雲大神の祟り」というエピソードが登場する。
 そこには、次のような説話が記されている。長い話しなのでにまとめてみる。

 垂仁天皇はいとこにあたるサホビメを皇后に迎えたが、サホビメの兄サホビコ
が謀反を起こした。
戦争が始まると、サホビメは兄への愛情を断ち切ることができず、宮を抜け出す
と、そのままサホビコの籠る稲城に入ってしまった。この時サホビメは懐妊をし
ていた。
 籠城中、サホビメは皇子を出産すると、天皇に、生まれたばかりの皇子を引き
渡す。この時天皇が、サホビメに、
 「子どもの名前は母親がつけるものである。どうかこの子に名前を与えてやっ
てほしい」
と、言うと、サホビメは、
 「火が稲城を焼く時に、火の中で産まれました。なので、本牟智和気(ホムチ
ワケ)の皇子と名乗らせてあげてください」
と、答えた。
 さらにまた天皇が、
 「そなたを失ったなら私はどうすればよいだろう」
と、問いかけると、
 「丹波のヒコタタスミチノウシ王の娘ヒバスヒメを新たな皇后にお迎えなさい
ませ」
と、サホビメは答えた。
 戦いはついに終局となり、稲城は落ち、サホビメもまた、兄と運命を共にした
のだった。

 ところが、ホムチワケの皇子は、大人になっても言葉を話せるようにならなかっ
た。
 それがある時に、天皇の夢の中に神が現れ、
 「わが宮を天皇の宮と同じくらい立派なものに造りかえたならば、皇子の口も
必ずきけるようになるであろう」
と、お告げがあった。
 天皇が布斗摩邇(ふとまに=占術のひとつ)を行い、夢に現れた神はいずこの
神か占ってみると、はたして出雲の大神であった。
 そこで、ホムチワケを出雲の宮に参拝に行かせようと思い立ち、曙立王(アケ
タツの王)とその弟君の菟上王(ウナカミの王)をお供に、御子は出雲へと旅立っ
た。
 そうして出雲に着くと肥河(ひのかわ)の中に黒い仮の橋をかけ、仮の宮を建て
て、出雲の大神を祀ったのだった。
 この時に、出雲国造の始祖キヒサツミ(岐比佐都美)が川下にて青葉で山の飾り
つけをして御子に大御食を奉ろうとしたが、それを見た御子が、
 「この川下にある青葉の山は本当の山ではないね。もしかしてアシハラシコオの
神を祀る者の斎場なのか?」
と、質問をしたので、アケタツの王たちは、御子が口をおききになられた、と大変
喜び、皇子を檳榔の長穂宮に(あじまさのながほのみや)に坐せて、駅使を天皇の
元に走らせた。

 さて、皇子は肥長比売(ヒナガヒメ)と一夜を共にした。
 ところが後で外からこっそりと中をのぞいてみると、肥長比売の正体は大蛇だっ
た。驚いた皇子はあわてて逃げだしたが、肥長比売は海原を照らしながら船で追い
かけてきたので、皇子は船を捨て、山のくぼみより陸路を大和へ逃げ帰った。


 以上のような説話であるが、ホムチワケの口がきけなかったのは出雲大神の祭祀
が十分でなかったからだというわけだ。

 ところで、ここにひとつの疑問がある。
 出雲を訪れたホムチワケの皇子が、出雲国造の始祖キヒサツミが川青葉で山の飾
りつけをしているのを見て、
 「アシハラシコオの神を祀る者の斎場なのか?」
と、訊く場面があることだ。

 『古事記』の中で、大国主について、

 「またの名は大穴牟遅神(オオナムチの神)といい、またの名は葦原色許男神(ア
シハラシコオの神)といい、またの名は八千矛神(ヤチホコの神)といい、またの名
は宇都志国玉神(ウツシクニタマの神)といい、合わせて5つの名があり」

と、あるから、ホムチワケのこの台詞が大国主を指している、と解釈しても別に問題
はない。
 しかし、それなら、なぜ大国主とせずにアシハラシコオの神と呼ぶのか?

 それに、ここでは、出雲大神と記され、大国主とはしていないのも気になる。
 『出雲国風土記』には大神と呼ばれる神が4柱登場するからだ。

 天の下造らしし大神大穴持命(大国主)
 野城大神
 熊野大神
 佐太大神

の4柱である。
 それでも、出雲国造が祭祀しているわけだから大国主のことだと解釈した方が自然
なのだけど・・・。

 古代の出雲大社の祭神については謎の部分が多い。


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