講演のテーマは「蘇我氏はどのような武器で戦ったのか」。
奈良文化財研究所の豊島先生が、出土品や復元刀をお持ち下さって、とてもわかりやすく、お話して下さいました。
当時の代表的な武器は、剣・刀・ヤリ・矛・弓矢。
剣は両刃、刀は片刃ですが、先生がお持ち下さったのは、キトラ古墳出土の大刀の復元。ほんの一部しか見つかっていない部品から、いろいろな考証を重ねて、あんな立派なものを作っちゃうんですね~!
復元刀は2本あったのですが、1本は刀身の細い儀礼用と思われるもの。もう1本はもっと太い、実践にも用いられたのではないかという刀でした。
博物館とかへ行っても、日本刀を見るのがわりと好きな私、古代刀のあまりのカッコよさに、まじまじと見入ってしまいました。
復元に当たっては、あちこちで出土した大刀を参考にしたとのことですが、その中には、京都の西野山古墳で出土した、坂上田村麻呂のものではないかとも言われる金壮大刀も。確か2年前の夏、京都大学博物館で展示されるというので、見てきたんですよね~。大きくて太くて立派だった、という印象があります。
古代の刀にはそもそも、柄の先に紐を通すための穴が開いていたそうで、ルーツを辿ると、中国北方の騎馬民族が、馬上で刀を振るって落とさないように、紐を通して手首に掛けたところから来たという説だそうです。
その穴の部分が、儀礼用に装飾化され、丸く紋様を掘り込まれた環頭大刀へと変化したとか。
朝鮮での出土例が多いそうですが、その後日本にも伝わり、ちょうど蘇我氏の時代頃までは、多かったそうです。
紋様にもいろいろ種類があって、二匹の龍、二匹の鳳凰などの双龍大刀・双鳳大刀は、蘇我系というか、蘇我氏に近い豪族の墓などからの出土例が多いらしい。しかもその双龍大刀は、鉄の産地でもある出雲や美作に多いというのは、かなりポイントかも?
ほかには、単龍・単鳳の環頭大刀や、頭椎(かぶつち=環ではなくて丸い形)大刀なんてのもあるそうですね。
大刀は武器であるのと同時に、大和朝廷やそのほか大豪族などが、地方の首長などに支配をあらわすために贈ったとも言われます。
邪馬台国の卑弥呼が、支配する国の首長たちに、中国の魏からもらった鏡を配ったのとある意味同じ原理ですね。
でも、そういうのが古墳=お墓から出てくるってことは、代々伝えるものじゃなく、1代限りだったってこと?代々相伝していくなら、そんなお墓なんかに入れたりしないでしょうし。
・・・シマッタ、質問すべきだったのかな?
刀だけでなく、飛鳥の遺跡から出土した実際の矢じりも、見せていただきました。
すんごく、ほっそい!
中世のイメージが強い私には、矢じりってもっとごっついひし形の、ぐっさりと突き刺さりそうなものを想像しますけど、古代の矢じりは、飛ばして鎧の隙間に突き刺さるくらいの細さと強度を念頭に置いて作られてるんですね。
確かに、あんまり大きいと飛ばすのが大変ですもんね~。そもそも鉄の塊なわけですから、大きすぎたら重いですし。
でも、一般兵士は細い矢じりの大量生産品なのに対して、武将級になると特別製のいろんな形をしたものがあるそうです。
ぎざぎざを付けて刺さったところから抜けにくくしたり、先を平たくして合図用に飛ばす作りになってたり。
戦争の技術って、今も昔も、どんどん工夫と発展を重ねられるものなんですね・・・。
先生のお話は1時間半弱。そのあとの質問コーナーもいろいろなお話が出て盛り上がりました。
蘇我氏というのはあくまでも一例で、鉄の武器の話ということでどんどんお話が弾み、結局のところ戦乱の時代好き(爆)な私にとっては、ものすごく内容の濃い講演会となりました。
講演会のあとは、両槻会の懇親会ということで、初参加の方の自己紹介や、そのほか宣伝ネタを持っておられる方のCM等(笑)。皆さん、いろんな角度から飛鳥や歴史や考古学に強いアプローチをされてる方ばかりで、すごいなぁと思います。
そんなマニアックな個性派揃いのメンバーで、恒例の打ち上げ宴会も行い、古代にどっぷりと浸って充実した一日が終わりました。
古代はまだまだヒヨっ子な私ですが、まだまだこれから、飛鳥の中世に踏み込むという壮大な目標(!?)もあることですし、もっともっと勉強しないといけないな~と思います。