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クイーンマブ

2015-10-14 23:57:12 | 観劇
あれからいろいろ調べてると、なんだかどんどんパズルのピースが増えていき、ますます収拾がつかなくなってきたような。

姉妹の愛犬シェリー。詩人パーシー・シェリーの生まれ変わり、という設定ですが、このパーシー・シェリーを調べていくと、芋蔓式にずるずると新しい設定が浮かび上がってきました。
この人物、はっきり言ってろくでもない、貴族のぼんぼんの放蕩息子だったようで。
学生時代に大学で問題を起こし、退学。その大学の後輩だった少女と、駆け落ちして結婚。にもかかわらず、二人目の子供がもうすぐ生まれるというときに、別の女性と恋をして再び駆け落ち。この時の相手が、「フランケンシュタイン」を書いたメアリー・シェリー。
最初の妻は、数年後に自殺。二人の子供は里子に出された。
…この設定、エマとユマの設定に似てる。二人目が生まれるときに父親がいなくなり、数年後母親が自殺って…父親と母親を逆転させると…。生まれ変わったパーシー・シェリーにとって、エマとユマは過去に捨ててきた子供と同じってことなのか?
最初の妻が死んだことにより、パーシーはメアリーと正式に結婚。このメアリーも、複雑な家庭育ち。メアリーを生んだ時に母親が死に、メアリーは母親の墓地を遊び場にして育った。…まんま、ユマなんだけど。そのユマが、「フランケンシュタイン」に共鳴するのは、必然の設定ってことなのかな。
パーシーとメアリーはヨーロッパをあちこち転々としながら創作活動を続けていくが、パーシーは船の事故で30歳で夭折。メアリーはパーシーとの間の3人の子供のうち、一人だけ無事に育った息子を連れて、創作活動を続け、54歳で死去。
とにかくパーシーは、やりたい放題、好き放題に、気まぐれに行動してるとしか思えないような人物で、欲張ってあれもこれもとやっているうちに、上手くいかないと面倒になって放り出していってるように見えるんですが。
そう考えると、「カバンと帽子と角笛」のエピソードが、違う意味で見えてくるような。
確かに欲しいのは、不自由なく食べ物の出てくる魔法のテーブルクロスかもしれないけど、そのテーブルクロスを手放したくないばかりに、カバンから兵隊を出し、帽子から大砲を出し、角笛ですべてを破壊してしまう。それは、詩作と自由な恋愛を至上としながら、いろんなしがらみをどんどん壊していったパーシーに重なる部分もあるのかも。
天才画家の姉エマ、天才詩人の妹ユマ、姉妹を愛しながらも、その才能に固執し、目覚めさせようとしているのは誰よりもシェリーであるような台詞があるのは、やっぱり故意だと思っていいのかな。
姉妹がシェリーの望んだように目覚めたのか、それとも片鱗をを残しつつも、それぞれの道へ歩いていくのか、そこは想像にお任せなのか。
パーシーの詩作で生み出されたマブの女王が、ただのパーシーの夢ではなく、いつ角笛を吹くかもしれないパーシーを連れていくことで、未来の余地を姉妹に与え、希望をつなぐ役割を担う。
シェリーの死とともに、姉妹の死の呪いが解けて、再生の道へ踏み出すのか。
すべては姉妹の見る夢なのか、シェリーの見る夢なのか、それともマブの女王が見せる夢なのか。
なんだか、どんどん迷路に踏み込んでるような気がしてきました…。
舞台の歌詞とかも、パーシー・シェリーの詩からモチーフを得てるようですね。
…この作品って、そもそもパーシー・シェリーを知らないと始まらないのか?グリム童話の「カバンと帽子と角笛」といい、知らないと意味の通じないエピソードでは、観てる側としてはとても困る。「眠れる森の美女」ならまだしも、ほとんどの人が聞いたこともないマニアックなエピソードを核心部分として使うなら、せめてもう少し説明が欲しい。そこのところが、この作品というか脚本の無理があるところなのかなぁとも思います。

あれこれ難しく考えてたら疲れました(爆)。

最後に明るくマリーゴールドちゃん。
突然、わっさわっさと咲きだしました。…CSでオレンジが勢いづいたか?(苦笑)





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