さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

復活登山の第3弾は山仲間のT橋さんが計画してくれ、高水三山を歩きました

2021-12-28 17:13:01 | ザイルと焚火と焼酎と
僕の所属するYYDのT橋さんは、さっちゃんにも心砕いてくださっていた優しい山仲間です。
さっちゃんのためにも山行を何度か計画してくれて、一緒に山へ登ったこともあります。
そんなT橋さんが今度は僕のために山行計画を考えてくれました。
先月下旬にYYDの山仲間に僕自身の山行再開の話をしてから、最初に声を掛けてくれたのがT橋さんでした。
さっちゃんに対して易しい山の計画を立ててくれていた心持ちは理解できますけれど、僕に対してまでとなると、僕自身ですら理解困難です。
僕は単に高齢で、3年間ほどのブランクがあるだけなんですから。
自分でプラン立てて、山体力を元に近づける努力をすればいいだけでしょうから。
声を掛けてくれたときは、実に嬉しくて、感謝でした。

さっちゃん抜きでYYDの山仲間と歩いた以前の登山記録を確認すると、2018年に沢登りを10本ほど行なったのが最後ですね。
雪山も2017年GWに尾瀬からの平ヶ岳までを歩いています。
普通の縦走登山やハイキングはいつまでだったでしょうか?

その他は皆さっちゃんと歩いています。
さっちゃんと歩くと、YYDの山仲間とよりはペースが遅いので楽でしたけれど、2018年ころまではさっちゃんも結構しっかりと歩けていました。
2017年7月には2泊3日で北八ヶ岳、同じ年の10月には1泊2日で尾瀬にも行っています。
しかも、奥多摩ハイキングに限っても2018年には19回も歩いています。
2019年は奥多摩ハイキング16回、でもこの年からコースの距離や標高差が小さくなっています。
青梅丘陵に集中し始めたのもこの年の秋からでした。
2020年はコロナ禍の影響もあって、青梅丘陵を10回だけ。
2020年12月6日を最後にさっちゃんはどこも歩いていません。

奥多摩の沢歩きも、2016年に4回、2017年に1回、2018年に4回、2019年に3回行きましたが、それ以降は行っていません。
2019年には普通の流れの場所でも手を取って歩くような感じでしたから、沢歩きももう難しいなと思い始めていました。

僕も2018年ころまではYYDの仲間と沢登りにも行けていましたし、さっちゃんもまだそれなりに体力はありましたから、普通にハイキングしていました。
2019年くらいからですかね。
さっちゃんが留守番できなくなって来たので、僕はYYDの仲間と山へ行けなくなり、さっちゃんの体力の衰えも次第に顕著になって来たのは。

僕の泊りの沢も2016年が最後でしたし、泊りの雪山も2017年GWが最後です。
つまり、その頃から僕にとっての少しハードな山行は無いということですね。
さっちゃんと歩く体力的に楽な山行を除けば、2019年から2021年までの3年間は僕にとっての普通の山行がなかったのです。
全力近くを出し切る山行はもっと前からないわけですから、僕の山体力は急速に減退していたと思います。

その衰えきった山体力を取り戻す、僕の復活登山。
今回で3回目ですけれど、自分の衰えを見せつけられる山行になっていますね。
山体力の衰えを自覚しろ、と強烈に言われている気がします。

では、山行記録は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んで見てください。
復活登山の第3弾は奥多摩の高水三山+下山ルートは地図読みバリエーション


▲12:15。この日の最高峰・岩茸石山から川苔山方面を眺める。

高水三山のコースには急登・急下降がありませんでしたから、体力的には楽でした。
T橋さんが意識的にゆっくり歩いてくれましたし、前2回の復活登山に比べると、楽でした。
ただ僕にとって楽なゆっくりペースを「ちょうどいいな」と感じて甘えてしまう自分がいました。
そんなことでは駄目ですね。
もう少し早いペースで歩きたい、と思うようにならなくちゃ。

帰宅後の肉体へのダメージもそれほどありませんでした。
もっとも、昔ならこの程度ではまったく影響なかったでしょうから、それに比べると随分ダメージもあるということですけどね。
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