ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

極楽水宗慶寺(文京区小石川)江戸名所図会めぐり

2018年07月09日 23時00分21秒 | 江戸名所図会めぐり

手術前からの痛み止めで潰瘍の恐れがあるので胃カメラを進められて検査をしました。病院からの帰りに江戸名所図会めぐりしてみました。さすがに暑く下着から上着まで汗でびしょ濡れになりました。病院のある御茶ノ水から茗荷谷に出て散策しました。最初に出合ったのが極楽水でした。

★ランドマーク極楽水:文京区小石川4-16 小石川パークタワー敷地内

 ここは、了誉聖冏 上人が、応永22年(1415)伝通院の元ともなった庵を結んだ所で、後に吉水山宗慶寺の境内となった。現在の宗慶寺は、すぐ下にある。 『江戸名所記』に、「小石川吉水の極楽の井は、そのかみ 伝通院の開山了誉上人よし水の寺に おわせし時に、竜女形をあらわして上人にまみえ奉り、仏法の深き旨を求めしかば、上人はすなわち 弥陀の本願、他力の実義を ねんごろにしめし賜うに その報恩としてこの名水を出して奉りけり」とある。現在の極楽水は、小石川パークタワーの手によって近代風に整備されたものである。

郷土愛をはぐくむ 文化財  文京区教育委員会  平成5年10月

中まで行けませんでしたがこのようになっていそうです。

こちらは現在の宗慶寺です。

 

★ランドマーク宗慶寺:宗慶寺は、増上寺住職西譽上人の願いにより、常陸より江戸に来た酉蓮社了誉聖冏上人が、応永22年(1415)小石川の清泉のほとりに創建したと伝えられています。この清泉を法然上人の遺跡にちなんで「吉水」と呼んだことから吉水山伝法院と称したということのようです。

「吉水」は極楽水、極楽の井とよばれ、付近一帯の地名となったといい、小石川パークタワー内に極楽水として遺っています。慶長7年(1602)徳川家康の母於大の葬儀に利用され菩提所となり、伝通院となりましたが、普光観智国師が伝法院の旧蹟を再興、徳川家康の側室阿茶局(法名朝覚院殿貞誉宗慶大禅定尼)の隠居寺となり、寺号を宗慶寺、院号を朝覚院と改めたということのようです。

本堂

★宗慶寺・茶阿局の墓碑:この旧跡は、元和7年(1621)、徳川家康の側室・茶阿局(ちゃあのつぼね)の菩提寺となり、法名の朝覚院殿貞誉宗慶大禅定尼から号をとり、朝覚院宗慶寺としました。 昭和20年(1945)に空襲で寺は焼失し、戦後、環状3号線(播磨坂)の道路建設に伴い現在地に移転しました。

  『江戸名所図会』に描かれる宗慶寺の境内は、現在の播磨坂清掃事務所から播磨坂にかけての一帯で、3,230坪を擁していました。 境内には聖冏の石塔もありました。

江戸名所図会より山門を入った右手のところに極楽水と書かれています。

極楽水の碑がありました。

境内の建物の下にこんなものが作られてネコさんが気持ちよさそうに寝ていました。

猫さんにとってはこの場所が極楽のようです。

古地図に描かれている向かいの善仁寺を撮りました。

★ランドマーク善仁寺(久堅町):善仁寺は安和2年(969年)、真言宗寺院として創建された。後に親鸞聖人が立ち寄られた際、聖人の芳徳に深く帰した当時の住職 釋賢徴が改宗したと伝えられている。境内にある「極楽水」は、寺伝では親鸞聖人が立ち寄られた際に、一杯の水を所望なされ、寺の者が深い井戸から水を汲んで大層苦労しているのを見て、あはれに思い、聖人は手にしていた杖で地を掘られた。すると清水がこんこんと湧き出て「極楽水」と名づけられたといわれる。また善仁寺の梵鐘は、人間国宝の香取正彦(1899~1988)による作で、毎年年末には「除夜の鐘つき」が行われ、多くの人々が集まる。塚田正夫の碑がありました。全く知らない人でしたが調べて見ました。

★塚田 正夫:1914-1977 昭和時代の将棋棋士。
大正3年8月2日生まれ。昭和2年花田長太郎(ちょうたろう)の門にはいり,22年第6期名人戦で木村義雄名人をやぶって名人となる。29年永世9段。49年日本将棋連盟会長。塚田流と称される実戦型詰め将棋の作品を多数のこした。昭和52年12月30日死去。東京都文京区出身。

山門鐘楼:日本国宝 香取正彦氏鋳造の梵鐘
昭和20年5月25日 東京大空襲にて伽藍全焼するも、戦後、御檀徒の協力を得て再建される。

手水場と井戸、極楽水と書かれていました。

★極楽水と善仁寺: 『江戸名所図会』は、極楽水が昔は石川山福寿院善仁寺境内にあったと書いています。善仁寺は安和2年(969)の創建と伝えられています。

  当初は真言宗でしたが、後に浄土真宗に改宗しました。言い伝えでは、親鸞(1173~1263)が善仁寺を訪れた際、杖で地面を掘ったところ清水が湧き出し、この奇跡によって改宗したといいます。この清水が極楽水で、善仁寺には現在も極楽水の井戸があります。

  『再校江戸砂子』は、「一説、極楽水は松平播州侯御屋敷の内にある所也 もとは石川山善仁寺の境内なりとぞ」と書いていますが、『江戸志』は宗慶寺の誤りだとこれを退けています。

井戸は今非常用水となっています。駒込肴町の酒井八右衛門が刻まれています。根津神社の狛犬、その他多くの狛犬の石工として知られているようです。

石碑がありますが説明がありません。

本堂

親鸞聖人像何本も大楠木があります。 大楠木です。永代供養塔

この日はさらにいくつかの寺院を巡りました。

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