ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

傳通院(文京区小石川)江戸名所図会めぐり

2018年07月13日 12時48分41秒 | 江戸名所図会めぐり

錦糸町から大塚行のバスは春日通を通っており、傳通院前というバス停があるので、以前から傳通院という名前は知っていました。最近、江戸名所図会めぐりをするようになり、ぜひ訪れたいと思っていました。病院で胃カメラ検査で胃の組織をつままれて、食事も摂れない中で、暑く炎天下を散策したので下着から上着まで汗で、すっかり濡れてしまいました。

もう動くのもおっくうでしたがあきらめていた場所だったのでさらっと散策しました。慈照院を出て作業している方に春日通りへの道を聞いた時に、このまま行けば傳通院に行けると思いました。最初の真珠院から坂を上ってついに傳通院の前に到着しました。

★ランドマーク傳通院:無量山寿経寺と号し、浄土宗中興の祖了誉聖冏上人が応永22年(1415)に小石川極楽水(今の宗慶寺の地)に創建されました。慶長8年(1603)徳川家康公の生母於大の方(法名傳通院殿)埋葬に際して寺を当地に移して再興、増上寺源誉上人が兼務したといいます。浄土宗関東十八檀林のひとつ、増上寺の次席で、830石の朱印状を拝領、徳川家の菩提所となり、数多くの末寺を擁していました。江戸三十三観音霊場12番、東京三十三観音霊場25番札所です。

昭和20年(1945年)5月25日のアメリカ軍による空襲で小石川一帯は焼け野原となり、伝通院も江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失しました。かつての将軍家の菩提所としての面影は完全に消え去っってしまいました。昭和24年(1949年)に本堂を再建。現在の本堂は、昭和63年(1988年)に戦後2度目に再建されたものです。平成24年(2012年)3月には山門が再建されました。山門です。

山門のところに

★ランドマーク浪士隊結成の処静院跡の石柱:この石柱は、伝通院の塔頭の一つで伝通院前の福聚院(ふくじゅういん)北側にあった処静院の前に建っていたものである。石柱の文字は、修業と戒律のきびしさを伝えている。処静院は、その後、廃寺となった。

  文久3年(1863)2月4日、幕末の治安維持を目的とした組織ー浪士隊ーの結成大会が処静院で行われた。山岡鉄舟、鵜殿鳩翁(うどのきゅうおう)、伝通院に眠る清河八郎を中心に総勢250人。その後、浪士隊を離れて、新選組として名をはせた近藤勇、土方歳三、沖田総司などが平隊員として加わっていた。一行は文久3年2月8日、京都へと発った。年号が明治と改まる5年前のことであった。

  東京都文京区教育委員会  平成元年3月

★新選組の前身 新徴組発会の処静院跡

  幕末の歴史に1頁を残した新選組の前身新徴組は、江戸市中から応募した浪士隊として清河八郎、山岡鉄舟らの呼びかけで、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らが参加し、文久3年2月4日伝通院山内処静院で発会したと記録されている。

  処静院は、その後火災に遭い消失したが、この碑建立の一帯が処静院で大黒天に隣接していた。幕末時、処静院住職琳瑞和尚は、清河八郎らを支援したとして佐幕派浪士と見られた武士らに暗殺されたが、今なお伝通院内に墓碑が建立され供養されている。

江戸名所図会より、手前の通りは今の春日通りでしょうか。図で総門は春日通りに面しています。今の山門は中門と書かれているところのようです。

境内にはいると正面に本堂

本堂の右手に伝通院書院

本堂の左手に観音堂

境内・墓地の案内鐘楼堂は昭和41年再建。大梵鐘は戦火を免れたもので 天保10年(1839)作のもののようです。

★法蔵地蔵尊:正門を入って境内左側にある金仏様です。中央のご本尊は法蔵地蔵尊、脇待は、向って右が観世音菩薩、左が勢至菩薩です。このような組合せの三尊はあまり外に例を見ないが、このお像は本来、法蔵菩薩から仏となられた阿弥陀様が、大衆信仰として親しみ易いお地蔵様の姿をもってお出ましになった仏と思われる。ということのようです。

(当初は三体共立派な光背があったが、現在は失われている)

★佛足石:明治18年 第六十六世泰成上人造立

★指塚:敷地の隣に浪越徳治郎が創立した日本唯一の指圧の専門学校日本指圧専門学校がある縁で、寺の境内には浪越が寄贈した指塚がある。

春日通り向かう際に納得しました。

今回の寺院めぐりは極楽水がキーワードだったようです。

もう一度訪れてゆっくり散策するつもりで、次は無量院なども見ようと思います。

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