ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

下谷神社・妻戀神社・霊雲寺・湯島天神(江戸名所図会めぐり)

2017年01月07日 23時35分52秒 | 江戸名所図会めぐり

リハビリも公園ウォーキングが中心でしばらく自転車での遠出をしていなかったので、浅草方面に向かいました。正月、社寺仏閣は初詣で賑わっているので、浅草寺も雷門の前を通るだけにして、さらに上野方面に行ってみました。途中で神社やお寺さんに寄ったりしていたら下谷神社に着いてしまいました。最初に就職したのが台東区に事務所があったのでこの周辺の土地勘はありました。昨年3月まで働いていた会社の事業所も稲荷町にあったので最近も寄っています。

江戸名所図会では下谷稲荷明神社となっています。由緒書きがありました。

★ランドマーク下谷神社(したやじんじゃ):天平2年(730年)、上野の忍ヶ岡(しのぶがおか)に創建されたと伝えられる。寛永4年(1627年)、寛永寺の建立のため山下(やました)に移された(現在の岩倉高校あたり)。しかし土地が狭く、延宝8年(1680年)に広徳寺前通り(現在の浅草通り)の南側に移る(現在地の近く)。その周囲には武家の屋敷や長屋が建ち並んでいた。

 本社は下谷の鎮守として広く信仰を集め、『下谷稲荷社』・『下谷惣社』などとよばれた。稲荷町という地名も、本社に由来する。江戸時代には開帳・人形芝居などがおこなわれ、祭礼の時には盛大な行列がみられた。

 『下谷神社』と改称したのは明治5年(1872年)である。関東大震災の後、昭和3年(1928年)の区画整理により、東南に50mほどの現在地に移る。新築された拝殿には、池之端に住んでいた日本画の巨匠、横山大観により雲竜図の天井画が描かれた(平成12年、台東区有形文化財)。

  平成16年(2004年)3月 台東区教育委員会

鳥居のあるところが浅草通りです。浅草通りを渡って撮りました。

ここまで来たので行きたいと思っていた妻戀神社と霊雲寺に向かうことに決めました。

蔵前通りまで出て、末広町さらに妻恋坂を登って行きました。前に神田明神に来た時に坂を登るのをあきらめましたが、今回は意を決して自転車を押しながら登りました。

坂を登ってもさらに上にありました。江戸名所図会では段差が見えませんが。

★ランドマーク妻戀神社(つまごいじんじゃ):その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征のとき、三浦半島から房総への途中で大暴風雨にあい、妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)が海に身を投じて海神の怒りを鎮めたという。途中湯島の地に滞在したので、郷民が尊の姫を慕う心をくんで、尊と姫を祀ったのがはじまりと伝えられる。
江戸時代には、妻恋稲荷の名で有名となり、王子稲荷と並んで参詣者を集めた。(文京区にHPより)

妻戀稲荷と妻戀神社です。ちょうど団体さんが到着して狭い境内が人であふれていました。

馬頭観音もありました。

いつもように地図なしなのですが、事前に見た時は近くに霊雲寺があるはずだったので少し先にいってみました。江戸切絵図です。明神下から今は斜めに坂(妻恋坂)を登るようになっています。蔵前通りは神田明神と嬬恋坂の間になっています。青線のように移動しました。

ありました。

★ランドマーク霊雲寺(れいうんじ):真言宗霊雲寺派総本山で、宝林山大悲心院霊雲寺と称する。
五代将軍徳川綱吉は、深く帰依した浄厳覚彦を開山として徳川家のため、天下泰平・武運長久の祈願寺として、元禄4年(1691)創建した。
本堂の他に、総門・潅頂堂・地蔵堂・大元堂・観音堂・鐘楼・経蔵および学寮を有し、周囲に土塀を巡らした江戸時代の名刹であった。大正12年の関東大震災により焼失し、その後の仮本堂も戦災で焼失した。現在の本堂は昭和51年に再建された。
浄厳律師は、著書29種、85巻に及ぶ学僧でもあり、供養儀式(悟りを得るための修法)にも精通し、また大衆布教の一つとして、結縁潅頂(諸尊仏と縁を結び、仏の道に入りやすくする)という儀式を盛んに行った。
今に残る梵鐘は、創建と同時に鋳造されたもので浄厳律師の撰文の銘がある。(文京区教育委員会掲示より)

江戸名所図会のように今でも広い敷地でした。鐘楼のあるところに鐘楼建築予定地となっていまました。

キャプション「大慈悲院。花を見はべりて 潅頂の闇よりいでてさくらかな 其角」

本堂です。小学生が中で本を読んでいました。西の入り口です。

左奥になんの建物かわかりませんでしたが稲荷の寶憧閣でよいでしょうか。梅のつぼみが膨らんでいました。見事なアロエの花が咲いていました。

坂を登っているので後は下りだけと気軽に近くの湯島天神まで行ってみました。

参拝客が大勢並んでいました。中の散策は人のいない時期にすることにして、この辺で家に帰ることにしました江戸名所図会、鳥居にも書かれていますが、湯島天満宮となっていました。

キャプション「月ごとの二十五日には植木市ありて、ことさらにぎはしく一時の壮観なり。表門の通り、左右に料理茶屋あり。」

行きは吾妻橋を渡りましたが帰りは蔵前橋を渡りました。蔵前橋からの東京スカイツリーです。

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