ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

富山の薬売り

2015年03月19日 11時36分51秒 | 訪問地周辺散策

富山の施設も2年ぶり3回目の訪問です。前回は富山城跡を散策しましたが、今回は富山の薬売りの原点というべき広貫堂を散策してみました。駅前にはこんな像があります。市電に乗っていきまし。新しい車体の電車です。広貫堂です。資料館によってみました。

広貫堂の歴史【「くすり」と言えば富山、富山と言えば「くすり」を連想するほど、「富山のくすり」は広く知られています。この「富山のくすり」の名声を高めたのが、全国津々浦々にくすりを届けた越中の売薬さん。広貫堂の歴史も越中の売薬と深くかかわっています。

 富山の配置家庭薬業は、富山藩主前田正甫(まさとし)公によって300年以上前に始められました。江戸城での会議の折、三春藩(現・福島県)藩主が急病になり、正甫公が持っていた「反魂丹」を奨めたところ、たちまち回復し、その薬効は全国に知れ渡ったといいます。

 「済世救民」の志が強かった正甫公は、 これを機に全国へ売薬さんを派遣しました。富山の配置薬は正甫公の諭しによる「先用後利」(病を治すのが先で利は後でよい)という独自の販売スタイルが好評を呼び、また、歴代の藩主が「反魂丹役所」を運営するなどして薬業育成に努めたため、全国へ急速に広がりました。

 明治9年(1876)、旧富山藩の反魂丹役所を引き継ぎ、売薬さんたちの共同出資によって設立された製薬会社が広貫堂です。 】ということだそうです。

独自の商法「先用後利(せんようこうり)」

 くすりはいつ必要になるかわからないので手元に常備しておく必要があります。しかし、当時の一般庶民が何種類ものくすりを買い揃えることは困難でした。そこで、先にくすりを預けておき、次回に訪問したときに使用した分の代金だけを受け取ることにしました。これが「先用後利(せんようこうり)」と呼ばれる方式で、お互いの信頼関係と継続的な取引のうえに成り立つ独自の販売スタイルだそうです。これはすごいですね。人の移住、移動が難しかった昔だからできたのでしょうね。

昔飲んだ頓服薬が置いてありました。

富山駅前は大きく変わっています。市電が富山駅まで延長され新しい車体も走っていました。まだところどころは整備ができていないところがあります。駅まで入ってきた市電です。2015.3.14富山がはじまるということだそうです。

知りあいで、偶然、富山の食品工場の指導に来ていた東京の品質管理者さんと駅前で会い、懇談を兼ねて富山名産を少し食してきました。サバ寿司を食べましたがサバを処理している富山の工場を点検しているそうです。

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