ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

河津桜・木場公園

2017年02月03日 21時43分43秒 | 今日の写真から

昨日より風も少なくなったので、見たいと思っていた木場公園脇の大横川堤防にある河津桜を見に行きました。自宅から4㎞弱なので自転車でリハビリを兼ねて行っていきました。まだ1-2分咲きというところですが、早咲きの木は結構きれいに咲いていました。

左側の道路を隔てて都立の木場公園があります。

公園の中にある植物園の花も少なかったですがいくつか撮ってきました。

エリカの花が咲いていました。

梅も城梅の紅梅と咲いていました。帰りにもう一度大横川に戻って、少し上流にある河津桜を見ました。ちょっと種類が違う感じがします。桜の向こうに東京スカイツリーが見えます。

仙台掘り公園のところに地蔵堂がありました。千石地蔵尊の由来
 昭和20年3月10日未明、米軍機の大空襲により、我が郷土は焼野原と化し、堀割や路傍、学校などで、尊い瀬名が数多く奪われ殆ど肉親に逢うこともなく葬られました。
 劫火に追われて逃げ惑い、離れ離れになった家族の行方を捜して、焼跡に住み続けた。杉岡桂治郎氏らの有志が、夥しい死者の霊を悼み、同年5月頃、当地に地蔵尊を祀り、供養を続けて参りました。
 この度山崎ムメ氏外有志が、地区内の風致化に伴い、豊かな景観に添う御堂修築を発願し、会員及び地元の有志や企業のご賛同により竣工致しました。茲にみ霊のご冥福を祈り二度と無残な悲しみを繰り返さぬよう、恒久平和を希って、この碑を建立します。
 昭和62年3月10日 千石長寿会 会長 山岡英太郎

大横川と小名木川が交差するところに猿江船改番所跡の案内板がありました.

★ランドマーク:猿江船改番所跡(猿江1-1付近)
 猿江船改番所は、小名木川と大横川が交差する所の猿江側に、元禄から享保期(1688~1736)頃に設置されました。
 小名木川は江戸への物資輸送の重要な交通路であったため、とくに江戸の町を守る必要上、江戸時代の初め、万年橋北岸に通船改めの番所が置かれました。その後、中川口へ移転し、中川船番所として利根川水系や房総方面と江戸の間を航行する川船を取り締まっていました。猿江船改番所は中川番所とは別に、川船行政を担当する川船改役の出先機関として設置されたものです。
 幕府や諸藩の荷物を運搬し、江戸へ出入りする船には川船改役によって極印が打たれ、年貢・役銀が課せられていました。そのため新たに船を造ったり、売買によって持ち主が替わった場合などは届け出が義務づけられていました。猿江船改番所の仕事は船稼ぎを統制することにあり、こうした年貢・役銀を徴収したり、川船年貢手形や極印の検査を行っていました。
 この他江戸市中では、浅草橋場(台東区)に同様の番所が設置されていました。 平成6年3月 江東区教育委員会。新扇橋の所です。

帰りがけに猿江恩賜公園に寄ってリハビリウォーキングで2周回りました。ミニ木蔵の池にはユリカモメが群れていました。

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