ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

香取神社・亀戸(香取大神宮)江戸名称図会めぐり

2017年12月10日 09時57分11秒 | 江戸名所図会めぐり

家の近くなので何回も訪れていますが、なかなかアップする機会がありませんでした。12月上旬に撮ったも中心に掲載します。

江戸名所図会より

手前は香取神社商店街になっており、蔵前橋通りのところにも鳥居があります。

近くには有名な亀戸天神

亀戸 宰府天満宮(亀戸天神社)があります。この絵で右上隅にある社が香取大神宮と思われます。

 

★ランドマーク香取神社:当社の創立は天智天皇四年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。


 天慶の昔平将門が乱を起こした時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平げたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。

現在でもこの故事により勝矢祭が五月五日に執り行われております。
 以来益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、御神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました。(当時の葛飾は下総国の大半を意味します。)
 元禄十年検地の節は改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡十二社の中にも数えられております。(神社の案内より)「亀戸鎮守葛飾神社」だったころの石碑でしょうか。亀戸惣鎮守葛飾神社号標石文政7年在銘(江東区登録文化財)のようです。

昔の狛犬の台でしょうか。

もしかするとこれでしょうか「狛犬(残欠)文化2年在銘(江東区登録文化財)」

石造燈籠(寛政6年在銘)(江東区登録文化財)

木遣りの由来の碑、富岡八幡にもありましたが。こちらは平和記念の碑です。戦災で多くの死者を出した下町の社寺仏閣にはどこにも震災の慰霊碑などが建てられています。

現在の狛犬です。

右手には神楽殿

手水舎の手前に

江東区指定有形文化財の「紙本淡彩道祖神祭図 歌川広重筆」の案内碑があります。

 

 軸に仕立てられた道祖神祭の様子を描いたものです。人物や宝船を墨で描き、朱や青などで淡彩を施しています。画面の右から宝船が進み、前で宝船を担ぐ人物と周りを歩く人物3人が描かれています。画面右肩に「年中行事亀戸道祖神祭」という題、その下方には広重の署名と落款(らっかん)があり、歌川広重の肉筆として貴重な作例です。また、宝船の旗には「宝船」「亀戸村氏子」の文字が確認できます。

 亀戸香取神社の道祖神祭は、毎年正月14日に行われ、氏子の子供たちが宝船を担いで亀戸から両国あたりまで練り歩いたとされています。道祖神祭は、『江戸名所図会』や『東都歳時記』にも取り上げられています。

亀戸邑道祖神祭の絵は江戸名所図会に描かれています。

★亀戸ダイコンは、文久年間(1860~1864)の頃から昭和初期まで、亀戸香取神社周辺で栽培されていました。
 根が30センチ近くと短く、先がくさび状に尖っているのが特徴で、明治の頃はさかんに栽培されており、「おかめ大根」とか「お多福大根」と呼ばれていましたが、大正初期に産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。
 亀戸周辺が宅地化されるのにつて、生産の拠点が高砂地域に移転し、現在でも亀戸大根を生産しています。新鮮な亀戸大根は根も葉も共に浅漬にしておいしく、江戸時代から多くの庶民から愛されています。

拝殿です。

右手には

この奥に亀ヶ井が復元されている。「亀村」が「亀戸」と称されるようになったのは、当地周辺にあった「臥龍梅庭」の井戸「亀ヶ井(かめがい)」と、地名が混同されて「亀井戸」と呼ばれるようになり、それが転じて「亀戸(かめいど)」となったとされる。

江戸名所図会めぐりは昔の観光地の回りみたいにして昔を偲ぶというのが目的ですが、古いだけではやっていけないようで、神社でもいといろと新しいものができてきます。

こちらは2016年に建立された「勝石」です。

 

右手にはいろいろな末社が並んでいます。

手前から「熊野神社・三峯神社・水神社」「福神社」「稲足神社」「天祖神社」です。

★熊野神社

 

総本社で曽ては「蟻の熊野詣で」の諺通り、貴賎老若男女をとわず全国から参詣者が集り、信仰絶大にして盛況を極めました。当社は元梅屋敷隣の北の方に位置し、熊野入りと称して、亀戸村の水利を司っていました。大正13年、北十間川が拡張されるのに伴い、香取神社の境内に移転鎮祭しました。

 

★三峯神社

 

御由緒:享保年間(1716~35)の創立。有名な亀戸梅屋敷園主安藤喜右衛門が園内にお祀していたのを、明治の末年に香取神社に移しました。火防、盗難除のご利益あらたかで、梅屋敷講を受継いだ亀戸三峯講の多くの崇敬者も増え、近年本社参拝も盛んです。

 

★水神社

 

御由緒:天明6年(1787)香取神社13代神職香取正武がその年の洪水を記念し、災害防止、氏子住民の安体を祈願して石祀をもって建設しました。江戸名所図絵にもみえます。わたし彩(いろ)江戸名所図会より拝殿の左ほぼ中央におるのが水神です。

★稲足神社

御由緒:寛文9年(1670)創立。明治以前は普門院の主管であったが、明治元年香取神社の奉仕となる。明治35年香取神社隣接地に所在していたが境内に移転。琴平神社は宝暦年間香取12代神職香取正幸の鎮祭する処で、稲足神社は元渡辺稲荷神社と称え明治12年当社に合祀。

御神徳:産業発展・家運隆昌

★福神社

御由緒:元々御本社の相殿に奉仕されていた大国主神と併せて明治年間に至り、七福神のうちの恵比寿神・大国神として境内に鎮祭しました。当時の社殿石燈篭は小山富蔵氏寄進造営です。

御神徳:富徳円満・商売繁昌の守護神

★天祖神社(入神明宮)

御由緒:香取神社改築に伴い移転され、境内神社として祀られるようになりました。当神社の創立には江東区内では最も古く、口伝によるとこの地が四辺海に囲まれていた頃、漁船がしばしば風浪の危難に会う毎に、伊勢の大神を祈念すると災害を免れたという事で、太平榎塚に小祀を営み鎮祭されたといいます。

江戸名所図絵に描かれている神明宮は当社です。 尚、境内から多量のおもり(石器)が出土(明治40年)し、考古学的にも有益な資料とみることができます。現在香取神社にて保存しています。

 江戸名所図会より

 もともとあった場所です。ここから香取神社に移されました。

 

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