ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

熱田神宮

2014年10月23日 00時12分34秒 | 訪問地周辺散策

名古屋市に泊まって、豊田市に向かいました。途中に熱田神宮があるので、2度目ですが寄ってみました。熱田神宮、昔は伊勢湾に突出した岬上にあったそうですが、周辺の干拓が進んで、その面影は見られません。三種の神器の1つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られています。

前回行かなかった東門です。正門からの通りと東門からの通りの交差するところに佐久間燈籠がありました。この灯籠は、愛知郡御器所城主佐久間盛次の四男である勝之が海上で台風に遭いながら、難を逃れたことから、寛永7年(1730)、そのお礼として寄進したと伝えられています。灯籠は明治24年(1891)濃尾地震などにより3度倒壊していますが、いずれも復元されています。高さは約8メートル、形も六角形で雄大な相をもち、江戸時代から日本三大燈籠の一つとして知られているそうです。奥に池があり、橋がありました。二十五丁橋です。尾張名所図会(おわりめいしょずえ)や名古屋甚句(なごやじんく)で名高く、板石が25枚並んでいるところからこの名がついており、名古屋では最古の石橋といわれているそうです。これは大楠(クス)です。弘法大師が植えたと伝えられいます。境内には楠が多く、特に巨大なものを、俗に七本楠と言われているそうです。樹齢は約千年になるということです。途中にこんな案内が海に面していた当時の状況と昨日見た桑名の七里の渡跡につながっています。本宮です。七五三のお祝いということで、結構賑わっていました。本宮の後ろにある社です。

前回見ていないところ幾つか見ました。御祭神は水をつかさどる神様である罔象女神(みずはのめのかみ)をお祀りしているそうです。社殿の奥に水が湧いていることから、俗に「お清水(しみず)さま」と呼ばれ、その水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を洗えば肌がきれいになるという信仰があります。

永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の時、当神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして有名です。

駐車場のところの銀杏が色付き始めています。

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