昨年に続いて、今年も亀戸4丁目の赤門浄心寺の「亀戸事件」の追悼会に参加してきました。昨年の状況はこちらから見られます。
★亀戸事件:1923年の関東大震災で、被災者救援中の労働組合の青年幹部らが亀戸警察署で虐殺された事件。
震災直後、「朝鮮人や社会主義者が井戸に毒を投げ入れた」「暴動を起こしている」などのデマが流行。被災者を救援していた川合義虎=当時21歳、日本共産青年同盟(共青)初代委員長=など南葛地域の労働組合幹部の若者ら10人が、警察に連行され、軍によって殺害されました。
10人は川合義虎、平沢計七、加藤高寿、北島吉蔵、近藤広蔵、佐藤欣治、鈴木直一、山岸実司、吉村光治、中筋宇八ら、以前から労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられ、9月3日から4日(あるいは9月4日から5日)に習志野騎兵第13連隊によって亀戸署内あるいは荒川放水路で刺殺された事件です。
また軍や警察、自警団によって数千人以上の朝鮮人や中国人が殺されています。
追悼会では、日朝協会東京都連合会の宮川泰彦会長は「今でいえばボランティアをしていた人たちを、権力の側は暴動を起こすといって虐殺した。災害ではなく人間の、特に軍や警察が流したデマで命を落としたという事実は絶対に語り継いでいかなければ」と強調していました。
追悼会の浄心寺の本堂です。ここの左側に犠牲者の碑が建っています。
碑の表には10人の刻名
碑の裏には:
1923年(大正12年)9月1日関東一帯を襲った大震災の混乱に乗して天皇制警察国家権力は特高警察の手によって被災者救護に献身していた南葛飾の革命的労働者9名を逮捕、亀戸署に監禁し戒厳司令部直轄軍隊に命じて虐殺した。惨殺の日時場所ならびに遺骸の所在は今なお不明である。労働者の勝利を確信しつつ権力の蛮行に斃れた表記革命戦士が心血をそそいで解放の旗をひるがえしたこの地に建碑して犠牲者の南葛魂を永遠に記念する。
1970年9月4日 亀戸虐殺事件建碑実行委員会
とあります。
忘れてはならない事件だと思いました。