ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

久留里城・資料館

2018年09月07日 23時13分07秒 | 城址散策

久留里のうたごえの前に久留里城と資料館を散策しました。高齢者は資料館まで車でいけるということで助かりました。資料館の裏手に駐車場がありました。

そこには二の丸の長屋塀跡でした。

向には新井白石像が照っています。 

江戸の土屋邸で生まれた後の儒学者新井白石は、土屋家二代目の利直(としなお)に仕え、十八~二十一歳までの青年期をこの久留里で過ごしているということで、ここに石像が建っているようです。

その脇に里見北条古戦場史の碑がありました。

後ろに雨城八幡神社があります。

その下の二の丸薬師曲輪から下を見ています。三の丸跡を説明する写真を見つけました。

★ランドマーク久留里城:久留里城は別名「雨城」(うじょう)と呼ばれています。「城の完成後、3日に一度、21回雨が降った」とか「この山にはよく霧がかかり、遠くから見ると雨が降っているように見え、城の姿が隠し覆われ敵の攻撃を受けにくかった」ともいわれています。

 久留里城の起源については「平安時代中期の猛将平将門の三男、東少輔頼胤が初めてこの地に砦を構えた」と伝えられていますが、確証はなく伝説と考えられています。 以後、明治4年秋に廃城されるまで中世には里見氏、近世には黒田氏をはじめ数々の城主の居城となってきました。

 久留里城の復元は旧上総町のころに明治百年事業として計画され、地元はもとより多くの市民から待ち望まれていました。そして昭和53年に天守閣が完成し、約100年ぶりに久留里の丘陵に城が再建され、翌年には久留里城址資料館も完成しました。

 天守閣は、城山公園の本丸跡の隣りに築城され、鉄筋コンクリートの2層3階建て、延べ面積は約190平方メートル、高さは15mあります。 石垣は、安山岩を2mの高さに積み四方にまわし、外壁は昔の城と同じように、白の漆喰壁と南京下見板風につくられています。

 久留里城は、房総半島の中・近世城郭の代表格として、また周囲に残る数々の遺構は貴重な資料として、往時の面影を今に伝えています。

資料館の中に黒田直純公の肖像画がありまました。

天守閣の方へ登ってみました。復興天守です。

その脇に本丸天守台跡の土塁がありまました。全体はこのようになっているようです。こちらの方の写真をお借りしました。http://www.geocities.jp/qbpbd900/kururijo.html

復興天守に昇ってみました。

次は少しゆっくり散策したいと思います。

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