カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

ミステリーを漂う男、カン・ドンウォン

2011-11-23 17:47:52 | M

 自分の人生に影響を及ぼした人はいますか?

 

 

いろいろな方から影響は受けていますが

この人って言える人・・・

 

私は中学校の部活の先生かな  

その出会いからいろいろなことがあり

今があるような

 

 

そして、ドンウォンくんと出会った!!

 

 

 

 


 <過去記事>

ミステリーを漂う男

2007.10.26 翻訳サイト使用 中略

http://www.cine21.com/do/article/article/typeDispatcher?mag_id=48818

カン・ドンウォン


-<M>は<刑事Duelist>をとる時からイ・ミョンセ監督とまた一緒にしようといった作品だと聞いた。 シナリオを受けた時の感じはどうだったか。
=初めは私と合わないと考えた。 ひとまず私がしたかったキャラクターではなくて、面白味を感じなかった。 もちろん明確におもしろい場面やしてみたいシーンはあったが全体的なキャラクターが気に入らなかった。 ところが監督があまりにもやるぞ. (笑い)いろいろ準備してみるとおもしろかった。

-<刑事Duelist>をしてイ・ミョンセ監督に対する信頼ができたということなのか。
=そうだ。 完全に信じた。 私がディテールで緻密なのが好きだが、(スタジオに音楽が聞こえると)そこの音楽ちょっとです。 監督もそのような部分が半端ではなかったよ。

-相手の行動をそのまままねる日本料理店場面でも、同じセリフを繰り返し声を張り上げる部分がある。 その部分が全体的な映画では少し飛ぶ感じを与えるが….
=必ずしもそうではないと考える。 ひとまず映画が現実的なトーンではないのではないか。 夢なのか小説なのか。 ミヌの想像だと考えて演技した。 さらに誇張するようにしたテークもある。 行動やセリフをより大きくして次にはちょっと減らしてして。 映画で使ったのは減らしたテークだ。

-日本料理店の場面が最も楽しかったというコメントを見た。
=楽しかったしミヌには最も重要なシーンだった。 同じ場所で同じ状況が少しずつ変わりながら繰り返されるのではないか。 ミヌがたくさん苦しんでいることを見せる必要もあったし、これが夢なのか小説なのかという疑問も投げかけなければならなかった。 最後にはミヌ自身の考えと他の人の考えが完全に入り乱れて、なんと言えば良いのか、格好良く言えば自我と他者の境界が崩れたということだろうか。

-演技がぎこちないというよりその場面が楽しかったというコメントがぎこちなく感じた。 たとえばその場面の演技は明らかにカン・ドンウォンには意外なイメージなのにそれを表現するということが単に楽しいと感じるのかと思った。
=そうだな。 シナリオを初めて見た時一番欲が出たのは日本料理店の場面だった。 人々が私に対して誤解しているようだ。 (笑い)演技をする時も当然その場面が最もおもしろかった。 編集をして切ったように見えるが四シーンはワンテークで撮った。

-まあ、たとえば今回の映画で怒鳴る場面もそうだ。 一般的に感情を爆発させるのは怒鳴ることではないのではないか。 そのような感じが既存のカン・ドンウォンの イメージとぶつかる部分がある。
=私はすばらしいことをしたいと考えたことがない。 演技が上手ですばらしく見せたいとは考えるが。 受け入れる人々が私に対するイメージをひとつだけ記憶しているのでないか。 今回の映画で怒鳴るのが目標といったのも感情を爆発させて怒鳴るというよりはそのままカメラの前で遊んでみようという意味であった。 準備は最小限にしてカメラの前でみな注いでみようと。 ア、尋ねたいことがある、その方が日本料理店の場面をどのように見たということなのか。 (笑い)記者さんもさっき日本料理店の場面が若干浮いて見えるようだといったが、ところがそれは少しもそうではないのではないか。 ああ、こういうこともある。 私はいつも考えるスタイルで、常に計画を立てたり何かデザインをするが、どうかすると私が今口で話をしたのか内で考えたことか区分がつかない。 トイレに座って考えながらもそうだ。 前でののしりたい時もとても直接言えなくて心の中で‘この情けない人間’と考える時があるのではないか。 (笑い)何、その場面が飛ぶとみられたとすればただ私の演技だけの問題ではないというのを少し知ってもらえたら良いだろう。 (笑い)監督が明確にそのように要求されたし(笑い),‘アラ一皿’も監督がさせたことだ。 監督は必ず自分は知らないというように答えられたよ。 私は知らないことなのにそのように感じたとすればそれはその子の誤りでないか、まあこのような形で。 (笑い)同じ船に乗って一人だけ違うようで。 (笑い)その返事がちょっと気に入らなかった。 (笑い)質問も気に入らなかったが返事がさらに気にいらなかった。 (笑い)

-どのような意味か<M>がカン・ドンウォンのイメージをとてもたくさん意識した映画という気がした。 カン・ドンウォンのイメージをイニシャルにならべてその中で迷路を楽しむような。 そして<M>で多少誇張された人工的な演技もそのイメージがあったので可能だという感じだ。 個人的な考えだがこういう種類の演技、俳優を見るというのは楽しい。 上手にできない演技なのでうれしい。
=ものすごく良い称賛であるようだけど。 私は映画をよく見ないほうなんだけど。 (笑い)、この頃にはちょっと見るよ。 ひとまず誰かを追いかけて行くのは嫌いだ。 誰でもそうだが自分の足跡を残して誰かがついてきてくれるように願うが、間道に沿って行くのはつまらないのではないか。

-イ・ミョンセ監督はカン・ドンウォンは感情を演技することよりセットでの撮影、状況をつかみ出す能力が優れているといったよ。 この部分がさっき話したあなたの演技と関連があると考えた。
=計算的な何かを受け入れるのは速いと思う。 それは私も知っている。 私の長所は瞬間的な集中力が良いということ。 代わりに長くは続かない。 (笑い)うまく調節しなければならない。 他の人が願うことをキャッチするのは、私は勘が良い方なようです。 もちろん短所も多い。

-このような脈絡で話せばイ・ミョンセ監督が表面とあらわれるものを重要に思うといったがそれが本人の演技に及ぼす影響があるか。
=はるかに楽になった。 以前は無条件に一つの状況に集中して必ずこれをやり遂げなければならないという考えがあった。 だが、この頃は私があまりにも集中をすればかえって見るのに良くないこともあると考える。 私の感情をすべて持って行けばちょっと苦しい。 <刑事Duelist>はあまりにも見られる面が多くて特別に苦しいことはなかったが<私たちの幸せな時間>の時には私の我を張って感情をみな持っていったところ結果的に苦しい部分が見えた。 これはダメな形、という気がした。 もちろん演技をまねるようにするというのではないが100%の感情を80%だけ表現した時かえって120%の感じを出すことができるという考えをするようになった。

-それは<刑事Duelist>以後本人の演技、映画に対する考えが変わったということなのか。
=変わったということよりはもう少ししっかりした。 私が行く方向が分かった感じというか。 以前は‘どんな俳優にならなければならないのか’、‘私の演技のトーンは何か’に対して悩んだとすれば<刑事Duelist>からはそのまま私がなかったら良いと考えた。 固定されたイメージや演技はなかったら良いと。 一つの作品をして他の作品をした時に前作の感じがまたにじみ出なければ良い。 俳優としての欲や夢もはるかに大きくなった。 だが<刑事Duelist>や<M>が契機になって私が変わったと考えない。 <M>はどうせ終わるしまた、新しい作品をするということだ。 そのように一つ一つ学んでいって、終る度に発展するのが当然だと考える。 ただし<刑事Duelist>をしながら最も大きい収穫といえばイ・ミョンセ監督と会ったこと。 今まで私の人生に大きい影響を及ぼした方が数人いるが、最初は中学校2,3学年の時の担任だったハジョンア先生で、二番目が前所属会社社長、三回目がイ・ミョンセ監督だ。

 

つづく 

 

コメント (6)
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