カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

ミステリーを漂う男~つづき

2011-11-24 21:49:13 | M

1年に1,2度日本に来て、歌って遊んで下さい~ 

 

意味ありますよ!!

ドンくんに会いたいです~ 

 

 

 

チャンネルドンウォンにポケットマネーで1千万ウォン出してまで

完璧さを求める!!

 

ドンくんらしいデス~~

 

 

 

無線ランの調子が良くない(T_T)

出来あがってアップしようと思ったらラン途切れて

ぜ~んぶパア~

やる気失せる~~~

 

 

↓この写真東方神起っぽいね~

 

 


 

<過去記事>

ミステリーを漂う男~つづき

2007.10.26 翻訳サイト使用 中略

 http://www.cine21.com/do/article/article/typeDispatcher?mag_id=48818 

 

 

-中学校の時担任先生はどのような点で影響を及ぼしたと考えるか。
=その方がいつも言われた言葉が誠実に暮らしなさいということであった。 それが幼い心に大きく近づいた。 必ずそのように生きなければならないと考えたし、今でもそうしようと努力する。 もちろんそのように生きながら傷も多く受けた。 心から近付いても私を利用しようとする人々がいたし。 以前一緒に働いたマネジャー、その下にいた弟にも裏切られた。 だが、傷がいえればまた適応できると考える。 多分先生の教えを一番確かに受け取ってつないでいる人が私でないだろうか、本当に大言壮語する。 (笑い)

-顔をたくさん分けるといったが仕事をするうえで難しいのではないか。
=仕事にあっては非常に良くなったが、私的にはもっと深刻だった。 仕事をすると人々から傷をたくさん受けてストレスが多くなる。 そうしたらますますこもって(笑い),家でずっとこもって作業する。 今は関係ないと考えるが必要ならば変えるつもりはある。 家でこもるのが私の長所と考えていないから。 (笑い)

-家でこもる時は主に何をするか。
=音楽たくさん聞いて、勉強もして。 英語の勉強、少し、だいたい、独学でする。 (笑い)

-ストレスはどこで一番たくさん受けるか。
=人々から。 私の計画が歪みながら来るストレスも大きい。 私はちょっと融通性がなくて、性格が良くない。 (笑い)どうであろうと私は見られる職業を持っているから相手がどんな誤りをしても私に帰ってくるのがある。 それでこの頃はいっそ何もしなかったら良いだろうと。 もちろん心がさらに広くなれば…. そうだな、以前はこのあらゆる事をみな受け入れる人生を追求した。 それが本当に正しいと思ったし、人ならば自身の人格形成のために誰も皆そのようにするものと思った。 ところがある瞬間、これがみな必要がなくなったよ。 私があらゆる事をみな受け入れれば本来私が行かなければならない道には行けない。 この頃は耳をふさいで私の道に行きたいと思う。

-それでも物議が少ないほうではないのか。
=私は後での噂が多い。 できなかったと。 大変難しい、何精神病水準だ。 私をよく分からない方々がこういう話をする。

-それではそういう話にはどのように対処するか。
=昔はそのような話を聞かなければならないと考えた。 ところが今はそのまま私が好きなことをするのがはるかにおもしろくて、ある程度はそのまま遮断する。

-ミニホームページもしないようだ。
=それは加入したことがない。 とても嫌いだ。 工大生だとインターネットもショートカットキー使うほどコンピューターに詳しいがミニホームページは嫌いだ。 私が何をしているのか他の人々が分かるのが恐ろしくて。 (笑い)私生活に対しては確かに線を引いてそこをおかせばとても不快だ。 私はファンクラブもない。

-以前にファンの取材をするのでカン・ドンウォン ファン カフェ運営スタッフに会ったところ、どこで何をするのか全く知らせてくれないといったよ。
=それしか方法がないが外でファンたちが待っていると申し訳ない。 神経を使わないではいられない。 事故があるかもしれない。 ファンたちは分からないが私は一人で神経を多く使うほうなんだけど。 (笑い)ファンたちが私を追いかけてくればそれ自体が申し訳ない。 いっそ会って話せば良いのですがそれはまた、不可能で。 申し訳ないからいっそ受けなければ良いだろう。 (笑い) 10時間ずっと待っても私ができるのが握手やサイン程度しない。 ファンクラブを作らないのは私が耐えられる条件がなく、作っても私のできることがない。 一年に1,2度行って歌って、そのように遊んで。 これだけなのではないか。 それが何か意味があるのかと思って。

-本人自ら完ぺき主義者という話をするが普段の生活でもそうか。
=お父さんがあまりにも几帳面なので、幼い時からそうだった。 ひとまず私が面白みを感じることに対しては徹底する方だ。 面白みを感じることがない掃除、服の整理こうしたことはめちゃくちゃだが。 服の方は足の踏み場がないほどだ。 (笑い)

-完ぺき主義者と意識したのはいつからか
=高等学校に入ってからだ。 寄宿舎学校に入ったがそこから私の社会生活が始まった。

-社会生活が始まったがそれほど変化があったということなのか。
=十何年の間家族と過ごして全く知らない子供たちと会って過ごさなければならなかったので。 全校生が寄宿舎生活だったし、一部屋で12人ずつ寝た。 軍隊内務班と全く同じだ。 ひとりが寝れる空間はちょうど肩幅程度しかなくて。 そうしたら友人たちとの円満な関係維持、トラブルを解決していく方法、こうしたことが重要だった。

-学生時代はどうだったか。
=私は円満な対人関係を維持した人だと思う。 ところがこの前、友人に‘私は子供たちどうし仲良く過ごしたではないか’するとその友人が‘笑わせるよ’といったよ。 (笑い)かなり難しかったし、友人たちに冷たかったと。 暖かい言葉をよくかけたり、友人に好きだと告白もしないタイプだった。

-路上キャスティングでデビューしたと知っている。 初めは演技する気持ちが全くなかったか。
=俳優になりたい気持は全くなかった。 路上キャスティングは安山で学校に通う時だったがソウルに遊びに行って名刺を受け取った。 ところが訪ねて行ったところが質が非常に良くないところだった。 私は俳優になりたいといったが歌手をしなさいと言った。 毎日歌練習、踊り練習をさせて、そこに所属した歌手のCDをかけて、ポスターを貼り付けて。 それまでは大丈夫だった。 ところがご飯も買わなかった。 毎日、友人とパン、牛乳、カップラーメン食べて行ったり来たりした。 と切れればそこの歌手が寝る宿舎で顔色を見て挟まって寝て。 後で両親がうまく解決して、撮影するときに会った方と気が合って他の所に移った。 そこで演技の授業を3年受けた。 漠然としていたが演技が私によく合うようだったし、私がすることを見つけたようだった。 それでもそれが(<彼女を信じないで下さい>の演技) 3年超えて授業受けたものだ。 (笑い)

-俳優としてデビューする前までショーに立ったのか。
=そうだ。 モデルになりたい夢も全くなかった。 初めは恥ずかしかった。 ファッションショーは今でも別に好きではない。 以前のあるインタビューを見るとモデルをしていた時が懐かしいといったが、またしろといえば別にしたくはない。 (笑い)

-身長はいつから大きかったか。
=中学校入学する時154cmであったが、中学校を卒業する時は183cmであった。 中2の時、1年間に大きくなった。

-からだがそのように変われば自分の身に対して認識することになるのではないか。 服もどのように着るべきか悩むことになって。
=中学校1学年の春の遠足の時に司会をしたことがある。 話を上手にできるからではなく当時成績がちょっと良いという理由である女の子と司会をした。 当然、模範生なので。 (笑い)ところが本当にびっくりしたのが中学校の春の遠足の時にジャージを来てきた人が自分だけしかいなかった。 緑色ジャージ ズボンにどろどろになった色のような黄金色のタートルネックを着て行った。 初めて恥ずかしいという気がした。 両親に話したがものすごく傷つかれたようだった。 その後に服に気を遣い始めて、ご両親もお金がある限り最大限援助された。 (笑い)当時衝撃のためにその時から服を私が直接選んだし、高校生の時からは私が直接服を買って着た。

-それでは高校生の時には服を買って服には不自由ない子供だっただろう。
=それ程ではなかった。 そのままちょっと整える子供? 少しは服に不自由ない子供であった。 いつも服に不自由しない子供たちに追いつきたかった。 私は服に気を遣い始めた経歴が短いから。 (笑い)無条件にお金ができれば服を買おうと貯金した。

-10月号<エスカイア>を見るとスタイリストがカン・ドンウォンだった。 本人が直接スタイリングしたということなのか。
=そうだ。 以前にも一度したのにその時は記者の方が私の名前を抜いた。 (笑い)今度は必ず書くように言った。 今スタイリングをする友人はシック(chic)とフラット(flat)を上手にする、私にはちょっと複雑だがそういうのを好む。

-以前に一度は写真撮影のためオーストラリアに行ってほとんどすべてのマルチショップに行ったといったが。
=それは私が雑誌社の側に素敵なマルチショプを探し出してくれとお願いしたのだ。 私をオーストラリアまで連れていくならばその程度の誠意は見せてくれと。 分かるといったが探し出せなかった。 (笑い)それで私が直接探した。 そのまま歩き回ってみると素敵なマルチショプがありそうな雰囲気が感じられる。 そのようにショッピングするのが好きで有名都市の良いショップは皆知っている。

-ファッション側の人々はカン・ドンウォンについて服を自分の身のように消化させるカラーを持っていると評したよ。
=まず服は自分に似合うのが基本だ。 そしてその上に実験をする。 これはおもしろいだろうか、あれはどうだろうか。 新しいデザイナーを探してみたりもする。 自分を整えるのが好きだが他の人を整えるのは好きではないので職業的な欲はない。 今日のような撮影も私は準備できない。 私がすれば変になるから。 だが、この前日本で発売した写真集は私がスタイリスト、写真作家、デザイン、紙質までみな関与した。 紙は気に入らなくて私が1千万ウォンを支払った。 (笑い)他の写真集とは違って満足だった。

 

コメント (6)
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