(ルッソーからの招待状)
ゴーギャン様、いつぞやは私の肖像画に対して過分のお褒めを頂きましたそうで感激しています。
伝え聞くところでは「これが本当だ! 未来! これが絵画の真髄なのだ!」と言ってくださったとか。
日頃、遠近法も知らない素人画家とか日曜画家とか呼ばれていた私にとっては至福の瞬間でした。
ピカソ様からも折々に励ましの言葉を頂きましたが、実社会で働いていた方のご支持は格別です。
お聞き及びかもしれませんが、私は長年パリ郊外の税関で働いておりました。
『風景の中の自画像』(1890年)と同じ年に発表した『入市税関』の場所がそれに当たります。
二つの作品には、二十数年勤めた仕事を辞めて画に専念するのだという意気込みが溢れています。
ゴーギャン様が株の取引所で働くことに飽き足らず、画にのめりこんでいった気持ちがよく解ります。
画家として基礎ができているか、絵画の理論に適うかどうかといったことは考えもしませんでした。
ただただ脳裡にあるものを描きたい、実体をとおして私の見たものを表したい、それだけでした。
ゴーギャン様は『洗濯する女たち、アルル』を描いた初期の傾向を捨て、タヒチに旅立ちました。
緑の中で、人も動物も植物も同じ環境から立ち上がってくるのを見たことと思います。
そんな緑の錯綜こそ、ゴーギャン様の探した森だったのではないでしょうか。
きっと、森が支配する生命の様相を、わが目で実感されたのでしょう。
土着の人びと、とりわけ若い女性には、悪魔の影と精霊の輝きが見られます。
歓喜と悲嘆の声を二つながら内に秘め、闇の中でのたうつ命のうねりを体感したのだと思います。
好奇心や妬みは、動物にも偶像にも及んでいます。
生は死に興味を持ち、死は生を妬んだのではないでしょうか。
ゴーギャン様の描いた犬は、村人の好奇の視線の中で人間に同化しようとしています。
私は刺激を受けました。
(そう。森を描きたい!)
頭の中で緑色が爆発しました。
ゴーギャン様の馬や犬に倣って、鳥やトラや蛇やゾウを森に放ってみたい。
痩せた森ではなく、羊歯も果樹も生き生きと繁茂する原始の森に潜ませてみたい。
沈みきった職場の椅子で空想し続けた風景が、ゴーギャン様の画によって触発されたのです。
ご覧いただけるものなら、私の森を観ていただきたかった・・・・。
妖精に見立てた女の後ろに、笛を吹く黒人の呪術師も紛れ込ませました。
この森の中に入ると、昼と夜、光と影、色彩の統一と混沌が同居しています。
ゴーギャン様が囚われたプリミティブな世界が、私の森にもあると確信しています。
しかし、ゴーギャン様に観ていただくことは不可能なんですね。
私が急ぎこの画を描いた1910年には、もうマルキーズ諸島でお亡くなりになっていました。
私を支持してくれた偉大な才能は、1903年に異郷の地で森に還っていたわけです。
あるいは、その地はゴーギャン様にとって異郷ではなかったのかもしれません。
生まれ育ったフランスの文明や宗教では、ゴーギャン様を満足させられなかったのですから。
だから、タヒチの森と闇に生命の源を発見したのでしょう。
晩年のゴーギャン様には、移り住んだヒヴァ=オア島が終の棲家であったとさえ想像します。
ピカソ様のお話では、ゴーギャン様の画に影響を受けた方はたくさんいるのだとか。
ドガ様がゴーギャン様の画を気に入って、購入されたことも聞きました。
私もピサロ様やピカソ様の支援を得て、辛い時期を乗り切ることができました。
無審査で作品を展示できるアンデパンダン展からも、私を排除しようとする人びとがいました。
でも、私は自分の描きたい方法でカンバスに想いを置きました。
描きたかった『夢』や希望に、色と象(かたち)を与えました。
私の描く世界が揺れたり歪んだりしているのは、頭の中がそのようなものに満ちていたからです。
私の想いは遠近法を必要としなかったのです。
ピカソ様が味方になってくれたのは、そのことに共感してくれたからでしょう。
ゴーギャン様が亡くなられた5年後、ピカソ様は私のためにパーティーを開いてくれました。
アポリネール様、ローランサン様、ブラック様などたくさんの方がピカソ様の呼びかけに応じました。
そう、ピカソ様のアトリエ<洗濯船>に集まってくれたのです。
私の喜びはどれほどだったでしょう。
有頂天になりそうなほどでした。
でも、たった一つ心残りだったのは、その場にゴーギャン様が居られなかったことです。
私の想いの核心に気づいてくれたゴーギャン様と、ワイングラスを傾けながら話がしたかった。
所詮かなわぬことと知りながら、いつまでも無念さを引きずっておりました。
(そうだ、私の画の中にゴーギャン様を招待しよう!)
動物たちも植物も、偶像も、悪魔も妖精も、すべて連れてきてもらって、森の中に解き放とう。
私の信頼する呪術師が、きっと世界を統べてくれる。
画家や音楽家、詩人も思想家も、気兼ねなく入っていける原始の森で遊んでいただける・・・・。
ゴーギャン様、私の一方的な想いを受け入れていただけるでしょうか。
『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか・・・・』
永遠の命題を残されたゴーギャン様なら、きっと私の招待に応じてくださると信じています。
子供の絵と笑われることがあっても、私の画はいつも高揚の中にあります。
私の方が年上のようですが、年齢など関係なくゴーギャン様を尊敬しております。
アンリ・ルッソー
(おわり)
ルソーの気持ちに託して語られる窪庭さんの「ゴーギャンへの深い想い」が、ひりひりするほどの肉感を伴って伝わってきました。
それだけになお、絵画的技術の眼くらましにやられることなく、技術的上手さを越えた向うにある人間の生き様を捉えようと足掻いたのだろうと想像します。
時代を超え、立場を超えて共鳴する魂の震えを、ルッソーやゴーギャンと分かちあえるのではないかと思うのです。ありがとうございました。
ルッソーが、あるいはピカソなどが美術史的にゴーギャンとどこでどんな接点があったのか、不勉強なので知りませんが、そんなことはどうでもいいでしょう。
ヨーロッパの近世美術史がどうあろうと、要はルッソーの眼と心からゴーギャンにエールを送っているところに筆者の斬新な眼差しを感じ取ることができました。
この、遊びとも思える「招待状」は、両画家の特質などを見事に炙りだしているところが秀逸ですね。
キーワード一つが手がかりの宇宙観かな?。
おっしゃるとおり、ある意味<遊び>かも。
いつもありがとうございます。