スズランスイセン
(ウェブ画像)より
ある日きみから一通の手紙をもらった
東京の下町から近県に疎開して15年経っていた
ぼくの住所をどのように探り当てたのか
戦火を逃れて互いに町を離れていたのに
手紙を手にして最初に感じたのは
なつかしさというより戸惑いだった
だってぼくは一緒に遊んだはずのきみを
あまりはっきりとは思い出せないんだ
ぼくはきみのことを母から聞いてはいた
川べりの釣り小屋まで無断で遠征したとか
遊び疲れると並んで昼寝をする仲だったとか
でもきみとじゃれ合った実感は湧いてこないんだ
確かになつかしいと返事には書いたけど
送られてきた写真できみの面影を呼び起こせなかった
すべてはぼくの記憶力が悪いのだと思う
4歳の記憶がみな脆弱だなんて言い訳にもならない
だから材木座海岸近くに住むきみが手紙をくれ
頼朝の墓の写真を同封してくれたのに
再会するだけの熱意が湧いてこなかったんだ
ドラマを創れなかったぼくの貧しい思い出話さ
そのくせ線路沿いの避難道路拡張のために家を追われ
着の身着のままで疎開先へ向かった記憶は鮮明だ
馬車の上でフライパンと鍋がぶつかり合う音もよみがえる
悲しみが白い花のように風に凍えていた
名倉整骨院と小針測量事務所があった町
イチジクの木を二階から見下ろした我が家
引っ越したあと空襲にあって赤々と染まった空
幼友達の記憶は焼け跡に転がっているのかもしれない
スズランスイセンの白い花と幼い記憶
馬車の上で聞いた鍋とフライパンのぶつかる音
なんのつながりもない思い出の中の交わりだけど
きっと人生の座標軸に置かれた点と点の近接だったのだ
(2018/12/29より再掲)
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