どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

耳の穴のカナブン(3)

2006-11-14 00:55:42 | 連載小説

 奥様が亡くなったのは、お屋敷を取り巻く樹木の葉が、黄色や紅に色付き始めた十一月の初めだった。
 坊ちゃまを産んで、なかなか出血が止まらず、入院が長引くうちにとうとうベッドから離れられなくなってしまったのだと、モトコは聞かされていた。
 旦那様は、たまに見舞いに行っているらしかったが、坊ちゃまを奥様に近付けることは、それとなく避けているようすが窺えた。
 あれは、坊ちゃまが三歳になった夏のことだったと思うが、白樫の木の幹でジージーと鳴く蝉に手を伸ばす後ろ姿が可愛くて、夜遅く帰ってきた旦那様に伝えたことがあった。
「そうか、よく育ててくれているようだな」
「奥様にも、見せてあげたいくらい可愛い時期ですのよ」
「・・・・」
 急に黙り込んだ旦那様の気配に驚いて、モトコがうなだれると、「もう、妻とは近くで話をすることもできない状態でね。健康な人の息からでも感染のおそれがあるから、空気も遮断されているんだよ」
 ことさら感情を籠めないように抑えた話しぶりだったが、奥様の置かれた状況が目に見えるようで心が痛んだ。
 正確な病名が明かされることなく、さらに二年余が過ぎた。
 東京一の病院で治療を続けたからこそ、ここまで生き延びたが、免疫力を失った身体で命を繋いだ歳月が、奥様にとってどんな意味を持っていたのか、到底思い及ぶものではなかった。
 そして、ついに奥様は力尽きた。
 青山斎場での告別式には、たくさんの人がお見送りに駆けつけた。
 産みの親が死んだという実感を持てないトシオは、モトコの横で落ち着きなく体を揺らしたり、ときにはぼうっと祭壇の写真を見つめたりして、ひときわ参列者の同情を誘っていた。
 奥様の命を奪っていったものが、慢性骨髄性白血病という病気であることを、モトコは初めて知った。
 さまざまな治療法を試みた末に、そのころやっと注目され始めたインターフェロンの使用に踏み切ったが、時すでに遅く持ち堪える体力が残っていなかったのだと説明された。
 旦那様は、ときおり寂しそうな表情を見せることもあったが、業界団体の役員に推薦されていっそう忙しくなったこともあって、家のことで心を砕くような暇はしだいになくなっていった。
 四十九日の法要を終えて一段落すると、モトコにとって今度はトシオの入学のことが気になり始めた。
 教育のことなどお屋敷の将来にかかわることは、当然旦那様が考えてくれていると思い込んでいたが、来年四月には小学校への就学が定められているにもかかわらず、私立にするのか公立にするのか、どの学校に行かせるのかといった大方針が示されていないことに、モトコは不安を抱くようになっていた。
 それに自分の問題もある。
 頼まれてトシオの乳母の役を引き受けたが、乳離れする時期にはお暇する心算でいた。それが今日までずれ込んでしまったのは、旦那様にそれとなく引き止められたことや、坊ちゃまに情が移ってしまったこと、酒にも女にもだらしない亭主に嫌気がさしていたことなど、いくつもの要因が重なっていた。
 保育園や幼稚園に行かせないことは、旦那様の意向だったから仕方がない。幼児期には、奔放に遊ばせることを優先していて、礼儀だの躾だのと型にはめる教育には、うんざりしていたようだ。
 束縛を嫌う性格は、旦那様自身が先代によって厳しく育てられた反動で形成されたのかもしれない。
 明治から昭和の初期にかけて、生糸や絹織物の生産で財を成した名家の御曹司として、帝王学を叩き込まれたのだが、いつも心の隅に満たされないものを抱えて生きてきた。
 大学では、密かにマンドリンクラブを結成して演奏に没頭した時期があったし、一方で「日本シャーロックホームズ協会」に所属して、コナン・ドイルの研究に打ち込んだこともあった。
 興味の対象は、生薬から希少金属にまで及んだ。ただ、いつまでもそれに係わっているタイプではなく、ある程度首を突っ込んでみるものの、まもなく次のものに移っていくのである。その意味では、ヨガや太極拳に寄り道した時間も、旦那様の人間性の一部を形作っていたのかもしれない。
 まとまった成果など挙げることはなかった代わりに、旦那様の人間関係は広がっていった。ものごとに執着せず、淡々と生きている天然素材の人の好さが、どんどん友人を増やしていった。
 斜陽産業となった製糸工場から、付加価値のある繊維メーカーに転進を果たすことができたのは、旦那様の人脈が大いに力を貸してくれたからだという。
 先代の呪縛から巧みに逃れ出て、自分の泳ぐ海を見つけていた旦那様の感性のしなやかさが、一人息子の教育方針にも反映されているというべきなのかもしれなかった。
 そんなわけで、坊ちゃまが集団生活の訓練を受けることなく、小学一年生になるのは間違いなかった。来年のこととはいえ、トシオにとって大きな試練が待ち構えていることは、あらかじめ予測がついた。
「付き合いのある学校法人理事長に、附属の私立校を勧められてね」
 暮も押し詰まったある夜、宴会から戻った旦那様がモトコに土産の寿司を渡しながら言った。「・・・・質実剛健、進取の気風が、設立当初からの理念だというので、それならキミのところで存分に育ててくれと預けることにした」
 坊ちゃまの教育方針が、にわかに明らかになった瞬間だった。
 行き当たりばったりにみえて、そう言い切ることのできない重みが、旦那様の言動には含まれていることが多かった。

   (続く)
  


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