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どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

どうぶつ・ティータイム(25)

2007-10-11 16:38:41 | 自然

     暗闇体験あれこれ

 晴れた日の夜空は、星と月をちりばめて美しい。近くの山、遠くの峰を浮き上がらせ、周囲の藪や道路も薄明かりの下さらさらと明らかになっていて、安心して眺めることができるものである。

 ところが空模様が怪しくなって雲や霧に覆われると、とたんに一切が闇の底に沈むことになる。
 先日も草津からの帰り道、国道146号の上り坂をクルマで走っていると、ヘッドライトで照らす以外の万物はみな一様に溶暗してしまい、車体で守られているはずなのに不安な気持ちに襲われた。

 窓を開けると、闇を形作る得体の知れない物質が流れ込んでくる。
 怖いもの見たさで路肩にクルマを寄せライトを消してみると、いっそう厚みを増した黒い粒子の層がのしかかってきて、窓から押し入ってくる闇の匂いが際立ってきた。

 湿っていて霧に似ていないこともない。
 だが霧のようにまばらな分布ではなく、体のまわりも五百メートル先も押しなべて降り積もる闇の粒子に覆われ、人ひとりこの中に放たれても、第一歩を踏み出す勇気を持てないのではないかと考えたほどである。

 ふと思い出したのは、小学三年生のころバスを降りて家に帰り着く二キロの道のりで、一歩一歩進むたびに着地の位置がわからず足探りした経験だった。
 田舎道で、そこに凹凸があったり、石がありそうだから心配だといった理由ではない。ただただ闇の中で足を踏みおろす感覚に恐怖を覚えていたのである。

 近頃は景気が回復したそうで、都会の夜は好き放題の明かりで光の海と化しているのだろう。
 そのせいか、田舎の知恵者が『暗闇体験ツアー』なるものを考え出したようだ。いやいや目をつけたのは都会の知恵者なのかもしれないが、どちらにせよ疲れた現代人に暗闇を体験させようという発想はなかなかのものである。

 今夏、軽井沢でもホテルの宿泊客に暗闇スポットまでワゴン車で案内するサービスを宣伝していた。
 マットや寝袋、懐中電灯、蚊取り線香といった暗闇グッズを貸し出し、送迎ともども何千円という企画である。

 仕事に疲れ、職場に飽き飽きし、人付き合いを嫌悪するサラリーマンが利用したのだろうか。
 それとも好奇心旺盛な女性たちが飛びついたのだろうか。
 暗闇スポットの闇のほかに、心の闇まで覗き込んだとしたら意義深いのだが・・・・。

 こちらは無料の暗闇に沈みこみ、心細い足探りの感覚を思い出していた。
 昼間陽光を受けて光っていたススキの穂までが、闇の粒子に包まれて埋没している。この分では、平凡な日常などミンチにされて混沌の中に投げ込まれてしまいそうだ。
 おそらく今夜見るであろう夢も、この暗闇と溶け合って果てしないものになりそうだった。

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真っ暗闇に関する哲学 (くりたえいじ)
2007-10-11 17:44:25

そういえば、真の暗闇なんて久しく味わっていませんでしたなあ。人間殿がそんなのをどんどん抹殺してきたからじゃないんですか。

けども、筆者は闇に包まれたなんて!
その経験こそ貴重ですよね。そのうえ、暗闇について神妙に哲学するのですから……。

住環境さえ変えれば、まだまだ漆黒の闇夜を体験できるわけです。有料のツアーなんてのには加わりたくないですが。
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闇の教室 (知恵熱おやじ)
2007-10-12 02:33:41

「闇の粒子に覆われ」るという感覚には、本当の闇に包まれたときの実感を表していて唸りました。
この表現に触れて、ああそうだったな、と生涯に2度だけ遭遇したその瞬間を生々しく思い出しました。

1度目は47年前、伊豆大島で。島の中ほどの山中の農家から宿を取っていた岡田港へ向かうとき。
2度目は長野県八坂村の農家から山越えをして山村留学のセンターへ帰るとき。

いずれも夜中の1時近く。夕方からつづいた取材の後でした。どちらも星一つなく完全な闇で足元さえも視えない。道を行っているのかどうかは靴裏からの感覚だけが頼りで、道の端をこするように辿ることで外れないようにしました。
八坂村の時は道の片側が崖であることが分かっていたので、落ちることだけは避けようと脂汗が。それでも随分歩いて遠くに小さな明かりが見えたときはほっとしました。
大島のときは両側が森だったのでそれほど危ない感じはなかったのだけれど、ほんとうにこの道でいいのか。岡田港に着けるのか心許なくて。
しかし1時間以上歩いたころどこか遠くから潮騒の音がかすかに聞こえてきて、ああ海のほうに近づいているのだなと分かり体から力が抜けた覚えがあります。

どちらも本当にかすかな光もない闇の凄みと言いますか自然の大きさのようなものを実感させられました。
でも冷たい感じではなく、窪庭さんも書いているように何かに包まれると言うか空間が何かで濃密になっているような感覚でした。

その後そういう闇に包まれたことはありませんが、つい先日10月7日の朝日新聞に「闇の教室」のことが載っていて、久しぶりにあのときの闇を思い出したばかりでした。
まったく光のない闇の自然状態を屋内に作り、ガイドと二人でそこに入って真の闇を体験してもらうものらしい。
それは世界各国を巡回しているとのことで、今は東京に来ているとか。

記事によると、その大元は1989年にドイツのアンドレアス・ハイネッケ博士の発案ではじまった「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(DID=暗闇の中の対話)なるワークショップだと言うことです。

私の体験でも、暗闇の中では自分自身の中で思っても見ないほど豊かな会話がはじまった覚えがあります。

失われてはじめて闇の大切さと意味が私たちにも分かりはじめたのかもしれません。

今回の闇についての文章、とても美しく多くを教えてくれました。ありがとう!
知恵熱おやじ
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ドイツ人の発案でしたか (窪庭忠男)
2007-10-12 22:02:52
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」なるもの、初めて知りました。いかにも・・とドイツの博士の発想に感心しつつ、(知恵熱おやじ)様の情報に感謝申し上げるしだいです。
また、伊豆大島と長野県八坂村で遭遇した闇の話は、臨場感にあふれていて緊張しました。すごい闇体験でしたね。「道の端をこするようにして辿る」勇気に脱帽です。ありがとうございました。
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パソコン壊れたのですか? (知恵熱おやじ)
2007-10-13 03:45:04

停電でパソコンが壊れたって本当?
電源を入れているときに停電すると壊れるの?
どんな状況でいかれたのか、教えていただけると嬉しいのですが。

ぼくも警戒しなくちゃ。

ところで先のコメントで、山村留学の取材をおこなった時期を入れ忘れていました。
26年前ですのでよろしく。

新しいパソコン君を大切に!
知恵熱おやじ
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一寸先の闇 (tadaox)
2007-10-24 16:12:21

雲取山に登ったのは11月3日、文化の日で、東京からは夜行日帰りのコースなのに私が登山口を見つけたのは朝の10時ごろ。折りしも朝日新聞に<富田新道>完成との記事が出ていたので、私はこれを持参したのだが、「このコースをとると2時間は短縮できる」とあったので甘く見たのがいけなかった。新道は熊笹のブッシュを切り拓いたばかりで歩きにくく、途中から照葉樹林に入るのだが、落葉の季節とてブナ・ナラなどが層を成して行く手の道を隠している。もうこうなると、樹林の中を直下する以外にないと考えた私だが日没は途中から闇に変わり、懐中電灯も次第に暗くなり、煙草を吸わない私にはライターの用意もない。辛うじてたどり着いたのは崖っぷちで沢水の音が間近い。手探りで降り立ったのは林道だったが、耳を澄ましても谷の流れの方角が見当もつかない。「足探り」状態で歩き始めたのだが私の勘は当たっていて、結論から言えば建設工事中の小河内ダム(奥多摩湖)から氷川へ向かうトラックに拾われたのだが、一歩間違えば遭難の危険に直面していた私だった。闇の本質を見事に掘り当てた窪庭さんのブログで、こんな私の愚かな体験が蘇りました。ありがとう。(EJIMA氏より)
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