
小布施再び・『高井鴻山記念館』を観る(3)
記念館『脩然楼』は、もともと鴻山の祖父作左衛門が江戸時代に建てた京風建築の隠宅を改築したもので、中庭を囲むようにいくつかの棟がつながっている。
鴻山はこの建物内でさまざまな人物と会い、国の将来像について語り合ったようだ。
幕府の勘定奉行小栗忠順(上野介)に再三資金援助を要請される関係にある一方、過激な尊皇攘夷論者とも会い激論を戦わしている。
佐久間象山は、ペリーの艦隊に密航を企て処刑された吉田松陰の師ということで事件に連座し囚われた。
その後は活動を封じられ、松代に蟄居後も動向を幕府によって監視されていた。
高井鴻山は要注意人物の佐久間象山をはじめ、その流れをくむ攘夷論者と密かに交流があったのだから、居宅をきびしく見張られていたというのは当然だったろう。
文人墨客のみならず、血気盛んな勤皇の志士たちも出入りしていたとあれば、議論だけでなく何か事を起こすための謀議を進めるのではないかと疑いを持たれるのは已むを得まい。
鴻山邸は、いつ幕吏や攘夷反対派に踏み込まれても仕方のない状況であった。
今回の写真は、危急の際に隠れたり脱出したりするための<からくり>の一つである。
二階の押入れを装っているが、布団をどければ二重の床板があってここに隠れることができた。
密かに脱出路をとおって本宅表まで逃れることできる仕掛けもある。それらは興味深いので、もう一度後に見ることにする。
②の『文庫蔵』、③脩然楼には、当時流行りだった一絃琴のほか、肖像画、上田藩主松平伊賀守から拝領の硯蓋などが展示されている。
北斎手彫りの盆なども並んでおり、火鉢、大きな陶製茶壷、箪笥、駕籠など日常生活を窺わせるものもある。
部屋の各所に、高井鴻山の印刷肖像画や、裃(かみしも)姿の全身複製画が置いてあるのは少々興ざめだったが、サービス精神の表れと思って納得した。
中庭に出て移動するる際、前回ちょっと話題にした『井戸』が木製の蓋を載せ、ピンクの草花に囲まれて静かに佇んでいた。
記念館全体が展示のための工夫に波立っている印象だったから、一歩外に出て井戸を目にしたとき、ことさら自然体の静けさが身にしみたのかもしれない。
瓦の黒、壁の白、花の薄ピンク、白壁に映る井戸の影・・・・。
エピソード、写真を次回にまわさざるを得ないのが残念である。
(つづく)
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