どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)40 『ウグイスな人』

2010-07-18 02:00:57 | 短編小説

     (ウグイスな人)


 季節はずれのウグイスの声が、ぼくの背後から聞こえてきた。
 ホー、ホケキョ。・・・・ホー、ホケキョ。
 (ああ、また一緒になったか)
 ぼくは、同じ間隔でついてくるウグイスの声を意識しながら、神社の塀越しに覗く楓の枝を目で探っていた。
 生まれつき五感に焼き付けられた反応だろうか。
 小鳥の鳴声を聞けば、思わずあたりを見回す本能といってもよかった。
 だが、ウグイスの囀りは、樹の枝のトンネルをくぐって再び追いかけてきた。
 相変わらず、ぼくの後ろから付かず離れずに付いてくるのだ。
 (前と同じだな・・・・)
 この状況には、覚えがあった。


 二週間ほど前であったろうか、五月の半ば、この緑多い神社の横を通過中に、ぼくはウグイスの声を聞いたのだった。
 (ああ、ここは神域だから、鳥たちも守られているんだろうなあ)
 聞きほれて、思わずペダルを漕ぐのをやめた。
 すると、何秒か経って、ウグイスの声がぼくの横を通り過ぎていった。
 白いワイシャツに黒いズボンを穿いた青年が、自転車でまっすぐに前方を見たまま、もう一声、ホーホケキョと口笛を吹いたのだった。
「へえ・・・・」
 ぼくは、呆気にとられて、その人を見送った。
 爽やかな季節になったいま、高校生のようにきちんと服装を整えた後ろ姿は、逆に尋常でないものを感じさせた。
 ハンドルに両手を伸ばし、硬直した姿勢をとり続けている。
 緊張した身体の中に、凝り固まった精神の状態が見て取れた。
 青年の体形から発するものが、顔の表情と同等の情報をもたらすようにぼくには感じられた。
 ぼくは、ウグイスの正体を目にしたわけだが、浮かない気持ちだった。
 まず、鶯の囀りを真似する動機がわからない。
 駅への近道でもある神社横の小道を、自転車で通り抜ける意味もはっきりしない。
 そんなわけで、青年に対するぼくの関心はそれ以上進まなかった。
 過ぎ去っていく男が「ケキョ、ケキョ、ケキョ」と谷渡りを挟んだときも、その人が発する新たな信号を読み取ることはできなかった。
 青年は、いつのころからか習慣化した動作を繰り返し、周囲の反応を気にすることもなく生きてきたのだろう。
 黒々とした前髪の下の額に刻まれた日々の生活も、見ようとすると露光したテープのよう何も写っていないのではないかと危惧を覚えた。
 青年に対して、ぼくは興味は持ったが、使い方の分からない玩具を持て余すように、たちまち関心を失った。
 ぼくは、青年に再び会うとは思っていなかった。


 そして今日、六月に入って数日経った朝、あの時と同じ服装の青年に追い抜かれた。
 気温は朝から二十五度を超えていた。
 ぼくは、作業用のジャンパーを腰に巻き、道具の入ったショルダーバッグを肩から提げて自転車を漕いでいた。
 いつも通り抜ける、神社の横の小道である。
 歴史のある神社だから、塀の内側から伸びる樹木の樹齢はかなり年を経ているはずだった。
 ぼくは時どき、家から福祉施設へむかう近道として、この道を利用していた。
 木陰を吹き抜けてくる風が、汗ばんだ首筋を撫ぜていく。
 この道を通り抜ければ、目的地である福祉施設『ホープ苑』まで数百メールの距離だった。
 ぼくはボランティア活動の一環として、週に二度この施設で木工玩具の作り方を教えている。 
 無償の講師ではあるが、材料費その他いくばくかの補助が市からあり、技術の伝授だけに専念できるのが取り柄だった。
 ぼくの得意とするのは、江戸時代から昭和三十年代までに登場した数々の<むかし玩具>である。
 主に紙と木や竹を使った玩具で、めんこ、凧、竹とんぼ、独楽に始まり、ゴムパチンコ、けん玉、竹馬など、誰もが一度は遊んだことのあるものだった。
 施設に収容されている子供たちは、生まれつき脳に障害を負っている者が多かったから、せいぜい彫刻刀で細工できるものに限定した。
 吹き矢やゴムパチンコは、使用する矢や玉に危険のないものを選んだ。
 条件を絞れば、作れるものはおのずから決まってしまう。
 それでも、凧、竹とんぼ、めんこ、お手玉、紙飛行機など、子供たちを喜ばせるものを意図して準備した。
 ぼくの提供する時間は、これまでにない充実した成果をもたらした。
 見守っていた福祉関係者も満足したようすで、別の施設での新たな講座拡充について、ぼくの意向を探ったりした。
 人と人との関係は微妙である。
 ぼくは自動車会社の技術者として長年勤め、リタイアしてやっと自由な時間を手にしたところである。
 自発的な活動なら無償も厭わないが、市のプログラムに組み込まれて動かされるのは、意に副わなかった。
「しばらく考えさせてください」
 実はその時点で、自分の気持ちはまだ定まっていなかった。
 ところが、今ぼくを追い抜いていった青年のピンと伸びた背筋を見た瞬間、何か自分の背骨のあたりでカタンと嵌る音を聞いた。
 ウグイスになりきった青年を感じて、無性に後をつけたくなったのだ。
 ぼくは尻をあげて青年を追いかけ、相変わらず鳴き続けるウグイスの声を前方に置いて、付かず離れずの位置を保っていた。


 それほど遠くまで行くはずはないだろうと考えたのが、誤算といえば誤算だった。
 青年は街道を突っ切り、私鉄の踏切を越え、東京と神奈川を分ける川の築堤まで自転車を走らせた。
 護岸に設えられたサイクリング道路に自転車を押して登り、間もなく降り口を見つけて河川敷に降り立った。
 青年は、自転車の前カゴに納めたバッグのチャックを開き、やおら菓子箱様の紙ケースを取り出した。
 ぼくが土手の上から注視しているのにも気づかず、ケースの蓋を開けて白地や黄色の競技用紙飛行機を取り出した。
 特徴的な形状から、それがホワイトウィングスであることはぼくにも分かった。
 いつの間にか手にしたゴムカタパルトに先端を引っかけ、思い切り左腕を伸ばして発射した。
 夏空に舞い上がった飛行機は、青年のこころを乗せたように直線的に上昇し、わずかに左旋回をしながら一分以上滞空して草の上に着地した。
 川の中に突っ込むのではないかというぼくの心配をよそに、青年はイエローの機体を出迎えに歩き出していた。
 ぼくは、思わず拍手していた。
 一瞬こちらを振り返った青年の表情は、逆光になって見えなかったが、果たして神社の横で追い抜いたおっさんと気づいたかどうか。
 ぼくは、一回の試技を見届けただけでその場を離れた。
 心残りがあったが、約束した時刻には『ホープ苑』に駆けつけなければならない。
 いつも早めに施設に入り、準備の時間を取っていたから、自転車を飛ばしていけばギリギリ間に合うはずだ。
 おぼつかない子供たちを相手の講座は、疲れもするしイラつく場面もあるが、しばらくは遣りおおせなければならない。
 ぼくが希望して働きかけたボランティア活動だから、せめて一年は務めなければならないだろう。
 あの青年に出会っていなければ、このような気持ちになっていなかったはずだ。
 出会ったのは偶然に過ぎないとして、青年の後を付けるようなまねをしなければ、『ホープ苑』の子供たちを負担に思うこともなかったろう。


 ぼくは、したいことだけを遣っているような青年の生き方に、ショックを受けていた。
 まっとうに勤め上げ、円満な家族と過不足ない人生を手に入れたはずが、なぜか色あせて見えた。
 ウグイスの鳴き真似も、したいから遣っているのだろう。
 一鳴き二鳴き口を尖らせる者はあっても、普通は照れてすぐにやめてしまう。
 四六時中、口笛を吹き続けているのかは分からないが、青年が普通の人より遥かに根気よく遣っているのは確かだった。
 白痴とか、知恵足らずとか、悪いイメージを抱いたことが恥ずかしかった。
 一直線にむかう気持ちがどこから湧いてくるのか、ぼくには未だ不明である。
 しかし、紙飛行機の機体に微妙な調節を施す能力があり、高度や方向を計算して飛ばしていることは容易に想像できた。
 ぼくは、ホワイトウィングスが夏空に溶け込んだ瞬間の快感を忘れられなかった。
 ふと、青年は、紙飛行機を飛ばす間際にもウグイスの鳴き真似をしたのだろうかと思った。
 試技を見た際には気づかなかったが、そんなことまで気になった。
 (ウグイスな人・・・・)
 青年を包んでいた空と風、どこまでも突き抜けて行く屈託なさを、ぼくはそう名づけた。
 子供のころ手に入れたはずの一途さを、ぼくは長年どこかに置き忘れていた。
 (すぐにも、取り戻したい・・・・)
 ぼくは、いつしか、あの青年に教えを請う場面を思い浮かべていた。


     (おわり)

 



 
 

 


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4 コメント

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「気づき」を心がけて (窪庭忠男)
2010-07-21 01:50:32
(ガモジン)様、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、「気づき」は大事ですよね。
このシリーズ、あと60本、あぶなく忘れるところでした。

雀の巣立ち、やつら人間に気づかれないうちに行っちゃいましたか・・・・。
返信する
多くの場合、直感で・・・・ (窪庭忠男)
2010-07-21 01:37:36

(自然児)様、ありがとうございます。
世間における出会いや人間関係は、おおむね直感によって始まるようです。
人間同士の深い結びつきも、そこから深まっていくのだと思います。
(余談ですが)最初から筋の通った論理を用意するのが、詐欺師の手口でして・・・・。
直感・直観・第一感などで、勝負勘を発揮する女子や蛸(パウルくん?)も居りますように。
(脱線しました)
返信する
日常の…… (ガモジン)
2010-07-20 16:27:01
ひとこまを感性豊かに見詰めた、いい話ですね。
こんなことは、いつのまにか忘れてしまっていました。
このような人と擦れ違っても、ちょっと関心は示すでしょうが、それっきりで、そこからなにかを感じ取るようなことは、もうどこかに置き忘れてきたようです。
小説を書いている限り、そのような気づきをいつまでも持ち続けたいものですが……

先日コメントした雀、しばらく目を離している隙に、巣だったようですね。
なにかを忘れているうちに、日が過ぎて行きます。
あと60本ですね(笑)。
返信する
想像の余地を (自然児)
2010-07-20 11:19:02

世の中には奇妙奇天烈な男が居るものですね。
この〈ウグイスな人〉もその典型のようです。
しかし、作者は〈ぼく〉を通して観た肖像しか描いていません。
そこが奥深く、読者に想像の余地を残すところに、かえって感銘しました。

また、小生ならば、そんな奇人に出会えたら、調べたりするでしょうが、余韻を残したところがなんとも……。

それにしましても、この『超短編シリーズ』が40巻に達したこと、すごいですね。
泉のように物語が湧き出てくるところに、いつも感嘆しております。
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