1950=昭和25年 朝鮮戦争が勃発。南朝鮮を行政・支援していた米国は日本に駐留していた米軍を派兵。南朝鮮軍を援助。
日本を統治していた米国のマッカーサー元帥は政府に軍事力の空白で治安に不安ありとして「警察予備隊」の創設を命じた。
国会で「この隊は軍事力では無いか?」と問題化されたが政府は「警察の補完勢力で憲法9条に反しない」と宣言していた。
組織された「警察予備隊」は警察より陸軍的な部隊だった。国内で米軍が去ったキャンプに駐在した。
其処には米陸軍からの「顧問団」も居て指導・監督をしていた。
当時より「これは、再軍備の萌芽では?」と感じていた国民も多かった。
それが、保安隊→自衛隊と名称を改正し今に至る。この間に陸上自衛隊は戦車・大砲等の部隊も出現、全ての部隊の装備、訓練は陸軍的となる。海上自衛隊・航空自衛隊も組織され3軍体制が完成さる。
この武装化では国会でもしばしば憲法9条との関連について問題されたが、時の政権は合憲と主張して来た。
安保条約で防衛されているから、米側の指示には従はざるを得ない、と国民が了解していたので野党も合意した。
今や、安部政権では「集団的自衛権」は合憲的と解釈し自衛隊は世界中で戦争する事が出来る。
しかし、ここまでやることは違憲である。先に憲法9条を改正すべきだ!
自衛隊の士気、練度は充実していても、装備・兵員で戦闘力は如何なるや?世界中で自衛隊に勝る軍隊は無いのか!
自衛隊は「百戦百勝」となるのか?
安部総理のご見解では「敗戦」の予測は全く無いようだ!
阿部さんの辞書には「敗戦」の項は無い!
次の戦争で日本側が負けたら、日本国は消滅させられる!
世界的に優秀人種の西欧の大国“ロシア〟に東洋の有色人種の新興の小国日本が勝ったのだから世界中・特に東洋の植民地の民族は白人の宗主国に対し、自信を持ち、独立の方向制をもった。
大東亜戦争で日本軍が欧米諸国の植民地を占領し、その地区に独立を与え、行政・軍事をその地の国民に与えた。
日本が敗戦して情勢は旧に復したが、以降数年来で植民地だった地区は独立を果たした!
支那大陸に於いても、多くの国の租借・権益は日本軍の占拠により撤廃、国民党政府の行政地となった。
とくに、香港・マカオ は中国に返還された。
ヒィリッピン・ベトナム・ラオス・カンボジア・マレーシャ・泰・ヤンマー・インド・インドネシア・チモール・ニューギニア・パラオETCは今や生産国として世界貿易に貢献している。
台湾は中国国民党政府が統治している独立国と成っているが、これも日本の植民地時代の教育インフラによる、民度の向上に拠る所大である。
かかる、歴史認識を忘れるべきでは無い!
PS ヨーロッパでもフインランドではロシアと長い国境線を持ち、敵対していた。
そして日本がロシアに勝利したので、親日的でこの成果を賞賛した。
“トーゴー〟なる称号のビールも有った。
未だ"ゲイシャ〟なるチョコレートがある。
ロシア帝国が清から遼東半島を租借すると、旅順はロシアの太平洋艦隊の基地として使用されることになった。
旅順要塞もロシア陸軍の手によって機関銃の導入など大規模な強化が行われ、強力な陣地が設置された。
開戦すると「村上艦隊」が補給航路防衛の任に当たっていたが、日本海特有の濃霧やウラジオストク艦隊側の神出鬼没な攻撃に苦しめられた。
常陸丸、佐渡丸が相次いで撃沈された。
しかし、村上艦隊は蔚山沖海戦で、ウラジオストク艦隊撃滅寸前まで追い詰めながら巡洋艦リューリクの乗員を救出したのは美談となる。
安全な湾内に留まる旅順艦隊に対し、水雷艇での奇襲や湾口への機雷の敷設を行うが、沿岸砲台で防備された旅順港内の艦隊には決定的打撃は与えられずにいた。
世界最強と謳われたバルチック艦隊と旅順艦隊(太平洋艦隊)が合同した場合には、日本側が不利であると判断した。
バラストを満載した古い艦船を湾口に沈め、幅273Mの旅順港の入り口を閉塞する封鎖作攻撃を3度仕掛けた。
この作戦で広瀬中佐は軍神とあがめられた!
しかし、海軍の洋上作戦では決定的なる打撃を与えられなかった。
それで陸軍による地上戦で背後より旅順要塞の攻撃が行はれた。
堅強なロシア砲台を占拠するには、日本軍は苦戦し多くの戦死者をだした。遂に203高地を陥落し、在泊の旅順艦隊を撃滅した。
1904〜05年、ロシアと日本が韓国と旧満州の支配をめぐる戦争。日清戦争後、ロシアは朝鮮での影響力を強めるとともに、
極東で不凍港を手に入れるため、1898年に清から旅順・大連を租借、鉄道の敷設を進めた。
ロシアは義和団との戦いのため清に出兵、鎮圧後も満州に居座。
日本はロシアと交渉をしつつ戦争準備を進めた。
交渉は決裂し、1904年2月、日本軍は旅順のロシア艦隊を攻撃、韓国・仁川にも上陸し戦争が始まった。
陸戦では沙河会戦。こののち、両軍は遼陽と奉天会戦で緒戦。
日本軍は、12月には多くの犠牲者を出しながらも、203高地を占拠。旅順の要塞を陥落させた。
ロシアは退却作戦を執る。
日本の兵站線を伸ばして奉天で撃滅する作戦をとった。
しかるに日本軍に包囲殲滅された。
3月10日だったので「陸軍記念日」となる。
海上では連合艦隊が5月27日に、日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅。同日が「海軍記念日」と制定さる。
“この敗戦・損害では、ロシアにすれば蚊に刺された程度〟
陸海で日本軍が勝利をなしたので「米国のルーヅベルト大統領」が調停に乗り出す。結果、日露が終戦。
「ポーツマス条約」が締結。
①韓国の統治・
②遼東半島の租借権を譲渡
③長春~。旅順間の鉄道の権益
④南樺太の譲渡
⑤賠償金はなし。
((米=比国 日=朝鮮 権益を相互に認める)
*朝鮮半島の歴史認識につて
朝鮮半島の地理的存在について、日・清・露がその統治・覇権を争ったのが2つの戦争であった。
新進の日本にとっては朝鮮半島の覇権は国防上の重点事項であった。
朝鮮王国が政治的・軍事的に近隣国と比肩する大国であったなら歴史は違っていただろう!
歴史にIFは無いが「日本統治がなかったなら?」「戦後米ソの政治体制で、2地区に分割されていなかったなら?」
果たして、如何なる国家の里程を歩んできたか?
2分割されている同一民族が、問題を克服し壱国を形成さることをねがう!世界平和の観点からも!
(資料の消化が不十分です。小問題で再掲を予定します)
終戦の直前に開発された海軍の長距離爆撃機「銀河」については述べた。優秀な機で、特攻作戦、にも参加。
(戦友が敵艦に突っ込んだが、防禦され、墜落。気がつけば敵艦上で横たわっていた。捕虜となり、ハワイで終戦ーこの事は記載済み)
ある、宗教団体の機関紙に「銀河」に関しての記事あり、感動!
それは、「銀河」のエンジン「誉」について。
「世界一コンパクトな二千馬力」
開発した技術者は血の出るような苦労を重ね、設計を完成。
搭載した試作機は驚異的な性能を発揮。
最高品質のガソリンとオイルを要した。
しかし、戦雲不利で物資が不足。
それで、粗悪なガソリンとオイルで動くエンジンに設計。
それでか、実用機では故障が多かった。
第1戦の搭乗員は試作段階だから故障も多いのだろうろと、思っていた。
ここにも敗戦の悲劇があった。
栄(さかえ)は中島飛行機が開発・製造した空冷星型航空機エンジン。
零戦のエンジン。
集団的 と騒がれていた。
何処の国に戦争の可能性があるのか?
それが如何に日本と関わりがあるのか?
集団的自衛を国是とした事で、日本の防衛力が評価され侵略者の意図を未然に抑止の効果があるのか?
どうもピンとは来ない。
集団的 期待するのは同盟国では?米国の執拗な要請が有ったのか?
自主的防衛でも、侵略・攻撃に応じ味方たる国と共同で戦うのは戦略的だ。
国民は熱狂的にサポートをなす。内閣・国会の議論は従ってくる。
安部総理がテレビで報道機関に説明のイラストで「外国に駐在している邦人が軍艦で引き上げる」のは、朝鮮半島と日本海を例示されているように思はしめる。
安部総理は朝鮮半島・シナ大陸での紛争を前提とされているのか?
その予想で南北が争ったときに日本は米軍と共同で南軍を応援するのか!
アジアで起きることが予測されるのはこの戦いだ!
北が勝利しても日本海を渡ってまで、日本に攻撃はしないだろう。
中国とベトナムが東シナ海で領有権を争っても他の国は不干渉だ!
海軍力では中国が勝るだろう!
同様な領有権で争うのがフイリッピンと中国。この場合では米国が動くから、戦争は始まらないだろう!
日本軍の地上部隊が、中東・キューバで参戦するようなことは考え難い。
中東沖に掃海部隊が出て行くことは想定される。自衛のためだ。
日本の集団的自衛を韓国が如何に取り合っているかは知らねども、外国のことだ。韓国の国防とは関係はない。
中国が反応を示した。中国も日米を仮想敵国とみなしているのか?
中国はますます、軍事大国に成りつつあるが戦争はこの百年位は起こさないだろう!
イラクではイスラエル教の中での2つの宗派間で、国を挙げての重武器での戦闘が始まっている。
反政府系が国内南部を制圧し、独立国を樹立する。
日本人では考えの及ばない恐ろしいこと。国民が哀れだ”!
「イラク戦争」は2003年3月に米軍を主体に数カ国が
①イラクがテロ組織を支援していること
②イラクが大量破壊兵器を開発していること
で攻撃を始めた!
イラクのフセイン政権は壊滅した。
以降、米軍の統治により、国情・治安は安定を保たれているように見えたが。
2008年8月には国の独立・治安部隊の育成を計った米軍も撤収した。
しかし、外国軍の撤収により治安は悪化し、遂に内戦にいたる。
フセイン時代には兎にも角にも国内の治安は維持されていた。
現状の不安定な世情は米軍の戦争・占領によるものだろう!
イランにこそ「警察予備隊」の制度を構築すべきだったのでは?」
6月23日は忘れてはならぬ日だ!
昭和20年4月に米軍は沖縄に敵前上陸を為してきた。
日本軍は「天一号作戦」を発動しこれに応戦した。
海軍攻撃第704飛行隊は松島(宮城県)基地で敵襲に備え訓練に明け暮れていた。
この作戦に応ずべく、第1・2中隊の精鋭18機は宇佐航空隊(大分)に進出。
連夜の魚雷・爆撃作戦に参加。
この中隊は第1戦の精鋭だったが、米軍の多数の艦船の対空防禦砲火、対峙している夜間戦闘機の応戦で壊滅的損害を受けた(海上を取り巻く無数の敵艦船に目を見張る。今になって思うと、米軍の補給での対応だ。「腹が減っては戦は出来ぬ」弾が無くては敵に撃てぬ。米国の生産力と補給作戦の相違が展開されている。
それで、作戦は中止され残存機は松島に帰還。4月の中旬だった。部隊は再編された。
そして、千歳(北海道)基地で部隊の急速練成飛行訓練が行はれた。
予定期間中に作戦参加の命が下り、可動機は松島基地を経由して宇佐に進出。4月下旬だった。
以降、鹿屋・出水(鹿児島県)を基地として沖縄攻撃に参加していた。
しかし沖縄作戦では“多勢に無勢〟陸海空で日本軍の被害甚大だった。
6月中旬以降、夜間爆撃は行はれなかった。
沖縄までの天候不良か、敵情によるのか、第1線の搭乗員には分からない事だ。
だが「沖縄では陸軍が全滅し、全作戦が終了」したとの情報が流れた。
それで、沖縄での戦死は免れたとの安堵感はあった。
もう少し沖縄作戦が継続していたなら、
”梅雨の期で、雨天続きでは無く、晴天の日が多かったなら??
我が機(自身)は生存できていただろうか。
近年になり沖縄作戦がこの日、終了だったのだと、沖縄を弔う人達とは別の考えで思う!
(昨年も同講を掲載していました。忘れ得ない事と成りました)
日本には侵略国に対し、阻止・防衛できる軍事力があるのか?
しかし、今日本に対し戦争を仕掛ける国があるとは考えにくい。
「集団的自衛」が阿部内閣で急浮上して、その定着を急いでいるのは何故か?
国連・米国の要請で「日本自衛隊」を日本の自衛に縁遠い所にも派兵されるのか!
「集団的自衛」が確立されれば日本の自衛にいかに貢献されるのか?
これも米国の強い要請によるのか?
そもそも、国会審議を急ぐのは何故?
軍事大国、米・ロシア、米中が戦闘を始める可能性は少ない!
東シナ海で海上進出を狙う中国とベトナムが戦争する可能性は大いにある。
ベトナムでは進駐し北ベトナム軍と対峙していた米軍が退却し、サイゴン沖合いで自滅させられたことも有った。
又、1979年に中越国境で越境してきた中国軍がベトナム軍に壊滅された。
そもそも自衛隊は、警察予備隊:National Police Reserveは、朝鮮戦争開始の1950年,在日米軍が朝鮮戦線に派兵され、武力空白になった、日本の治安維持と防衛のため,警察力を補う為に設置。吉田首相は「NPRは戦力ではない!」と見栄をきっていた。
しかし、訓練は米軍に依存。着々と軍隊化されていた。
52年保安隊に改編,さらに54年自衛隊となった。
「旧称警察予備隊」の合憲性は歴代内閣の憲法解釈で軍隊化に進み重武装された。
今や、米国から戦争のパートナーと期待されている。
9条の解釈では日本ではいかなる軍備も持てない。
だが、独立・侵略防止を米国に全面的に依存してもよいのだろうか?
やはり、自国の防衛は自力で守らなければならぬ。
今や、自衛隊の戦力は外国から期待される如く充実。
しかし、「集団的自衛」の名目で海外派兵は憲法の則をこえる!
終戦後、敷設された日米両軍の機雷に対する航路啓開の必要は深刻なものであった。
旧海軍は解散されたが、引き継いだ航路啓開本部(掃海部隊)は維持されて、その任にあたっていた。
フリゲート(PF)18隻、上陸支援艇(LSSL)50隻が米海軍から貸与された。
これらが現海軍(海上自衛隊)の基礎となる。
海上警備隊(掃海部隊)は海上保安庁から分離され、警察予備隊とともに保安庁の傘下に入った。
そして1954年(昭和29年)、保安庁が防衛庁に移行すると警備隊も海上自衛隊に発展改編された。
海軍の駆逐艦を海上自衛隊の護衛艦「わかば」として運用し、日本海軍の伝統を継承する象徴となった。
護衛艦と称されるのは、昔の駆逐艦である。しかし、重装備・近代化され旧の巡洋艦を凌ぐ戦力。
駆逐艦が海軍の主力化しているのは世界的潮流。
潜水艦が16隻ある。防衛に必要な戦力だろうか?
2隻のヘリコプター搭載護衛艦が運用体制になっている。 現在建造中のいずも型は、「準空母」ではないかとの指摘があるほど、大きな護衛艦。
真珠湾攻撃に参加した空母「翔鶴」「瑞鶴」に匹敵する。ヘリコプターを同時に9隻運用する能力を持っている。
この甲板では戦闘機でも飛翔・着艦は難しいだろう!攻撃性では無い。
帝国海軍の歴史と伝統を受け継いで居る事をを自認している。
現在でも「スマートネイビー」を標榜し、シーマンシップに基づ
"スマートで 目先が利いて 几帳面 負けじ魂 これぞ船乗り〟を躾とする人材育成をしている。
礼式、号令、日課、用語などを帝国海軍から継承しており、その独特の気風から伝統墨守唯我独尊ともいわれる。観閲式における海上自衛官の分列行進や自衛艦の進水、遠洋航海や南極観測への出港などの際には帝国海軍伝統の軍艦行進曲(軍艦マーチ)が演奏され、帝国海軍の軍艦旗をそのまま自衛艦旗としており、戦前の海軍記念日には、現在の海上自衛隊も基地祭などの祝祭イベントを設けている。
海上自衛隊で使われる信号喇叭は旧海軍のものをそのまま使用している。
週末に海軍カレーを食べる習慣も帝国海軍の伝統である。
海上自衛隊創設50周年式典では「われわれは、今後とも海軍のよき伝統を日本の財産として、堂々と継承してまいります」と海上幕僚長が式辞で述べた。