平成26年の「海軍記念日」も来た。
例年の如く集まる。話題は種々。格別に特記することも無い!
それで、下記を引用する次第。
「本稿は㈱新風書房出版"孫たちへの証言”(世界平和への遺言)第20集に掲載された、これに多少加筆した」
昭和19~20年はアメリカ空軍のB-29爆撃機の思うがままに日本全国、軍事基地・軍需工場・一版市民・家屋と空襲を受け防衛・生産とに対して多くの被害を受けていた。
また、B-29の性能が非常に良いので、対空火器・邀撃戦闘機もその防御態勢には効果が挙げえられず、敵を空中では撃墜出来ない。
そこで、サイパン・テニアン・ガム等の基地の飛行場に奇襲の強行着陸をして地上でB-29を破壊する,作戦が組まれた。
海軍の一式中型攻撃機(大型爆撃機)に陸戦要員を乗せて敵基地に赴く。この作戦の困難性は10名の武装員と6名の搭乗員では過積載になる。制海・制空権は敵にあり、それを避け本土から推測航法で10時間の夜間飛行で太平洋上の豆粒大の敵の基地に到達するのは機材・乗員の錬度では至難の業である。(電探・無線で探索したり、今の様にレーダで誘導されて到達出来ない)
やっと敵の基地に進入しても防御砲火の応戦はあるだろう、それらを潜っての胴体着陸を行う難事は作戦の一部で、陸上でB-29の破壊が目的である。
これとて、やはり基地要員の戦闘抵抗を受けるしそうやすやすとした地上戦ではない。
7月24日に作戦予定であったが、14日の早朝敵機の急襲を受け作戦用の飛行機・飛行場も損害をうけ、実施は1月延期となり8月19日以降の月明の日となった。
8月15日に終戦のお言葉を聴き、猛訓練中の緊張の喪失感ともう、死の危機は去ったとの思いもあった。
自爆・体当たりの特攻とは異なるが、敵地で陸戦をするのは生還は期し得ない特攻作戦には違いはなかった。
60機の内果たして何機が着陸していかに多くのB-29を地上爆破出来ただろうか。総員800名が参加する一大特攻剣作戦は発動されずに終わった。
下記の本に剣作戦のことは掲載されています。
「ヨーイ、テーッ! 海軍中攻隊かく戦えり」