・笑いと副作用
七、学園紛争と秘密基地
86.照明弾
「明日も学園紛争やっていたら見に行こうな」
父は内職を手伝いながら、雄二に楽しそうに話しかけてきた。
「危ないのと違うか」
「見るだけなら、危なくない」
「投石って、学生は石を投げますのやろ」
母は心配そうだ。
今日の夕方、家に曽我のおばあさんが来ていた時に、
「あんなことをしている人たちは、ほんまもんの学生でも暴力団とかわらない。受験勉強ばかりして人間として大切なことを勉強しなかった親不孝者に決まっています」
と、学生運動をしている人たちのことをそう話していた。そして、あの人たちは、本当は学生ではないなどと悪口をいっていた。
父はテレビのボリュームをあげた。
「夜中になっても、京大では警官と学生のにらみあいが続いております」
ライブで、京大の時計台が映しだされた。
「よっしゃ、見に行こう」
父は立ち上がった。
「明日じゃなかったの」
「まだ、やっとるさかい、見に行こう。学生たち、やる気があるんやなあー」
母はあきれている。
「雄二、行くで。男は戦争になったら、行かんと、あかんのやで」
父はステテコの上にズボンを勇ましくはいた。
雄二も気合をいれて、アパートの部屋から出て行く。
「縁起でもない」
母の声が背中で聞えた。
曽我のおばあさんが風呂から帰って来た。
「どこ、行かはりますねん」
「ちょっとそこまで、学園紛争に」
父は早足で歩いて行く。
「そうでっか。ええ、お風呂を…、ええ!」
雄二は首をひねっている曽我のおばあさんの横を通りすぎた。
「わっしょい、わっしょい、安保反対」
雄二は学園紛争の学生がよくいう台詞をいって父に追いつくようにと走りだした。吉田神社の参道は暗闇である。吉田神社の参道をぬけると、すぐに京大の時計台が見える。
ピシュー。大きな音とともに花火が打ち上げられた。
「雄二、見てみ。あれが照明弾や、花火とちがうぞ。戦争と同じこっちゃ」
父が照明弾を見るように指さす。青白い炎はゆらりゆらりと落ちていく。
「いくら、鍛えられた兵隊でも機動隊員でも、暗くっては目がきかんからな」
父は手短に説明した。照明弾で上空は明るいけれど、下のほうは明るくない。
「そりゃ、そうや。電灯とは違う。照明弾も花火も原理は同じやからな」
時計台の前の石段をのぼっている機動隊員が、芋くらいの大きさの小型ミサイルみたいなものを撃とうとしている。
「あれは、きっと催涙弾や。あの中に催涙ガスが入っているや。催涙ガスを吸うと、涙がでてきて、戦う気力を失うんや。殺すことはないから、安全な兵器なんや。しかし、撃たれた方は目が痛いことやろうなあー」
反対がわの石垣から学生が飛びだしてきた。照明弾は何発か打ち上げられていた。ヘルメットをかぶった学生は催涙弾を撃っている機動隊員に角棒で襲いかかった。
「雄二、退却や。この戦いは学生の勝ち。わけもわからず照明弾を撃ったら、戦場やったら味方を殺すことになるんや。相手にも目がついているからな。照明弾はいざ攻撃という奇襲作戦のときに使うものや」
元軍人の父は機動隊の作戦にあきれていた。
父は吉田神社の参道を早足で歩いて行く。雄二は父の話したことが本当なのかなぁと首をかしげた。
閑話休題 反戦フォークというのが、この時代に生まれます。 反戦フォーク、その後に流行ったロックなどにも、 影響を与えていると思います。 平和を願う人で、ロック・ファンは多いです。 反戦フォークといえば、 ぼくはボブ・ディランと一番に思います。 でも、その当時こどもだった僕はディランはききませんでした。 お経みたいな音楽、アメリカにもあんのやなあーと 思ったくらいです (ディランのファンの人、すみません。子どもだったもので、 価値がわかっていませんでした)。 ぼくはグループサウンズのザ・テンプターズのファンで、 初めて買ってもらったレコードは、ケロヨンのレコードと、 「エメラルドの伝説」でした。 地蔵盆で、ぼくは「エメラルドの伝説」を ふりをつけて歌いました。 女性陣からはイメージが壊れるから、やめてといわれ、 男性陣からは爆笑といわれてました。 日本でも、「戦争を知らない子どもたち」という名曲も生まれました。 反戦フォーク集会なども開かれていたようです。 宵々山コンサートも、こんな背景からうまれてきたといっても いいのではないでしょうか。 このような時代でしたが、今よりも治安はよかったと思います。 |
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