磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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92.機動隊の放水は痛い!

2005年09月12日 | 【作成中】小説・メリー!地蔵盆



七、学園紛争と秘密基地

92.機動隊の放水は痛い!


絵はイメージ画像で浅間山荘です。



 翌日も、雄二らはやはり見に行った。野次馬の数も増えていた。

「立ち入り禁止だ。綱の外にでなさい」
 警官がハンドマイクを握り、雄二ら野次馬をあしらっていた。

 時計台の前の道は警官だらけになっていた。
 雄二らは時計台のほうを見ていた。

 警官が綱を張っていた。しかし、道路全体が通行止めにされているわけではなかった。
 機動隊員の車が入ってきた。三十人以上の機動隊員が車から整列して降りてくる。

 警官はハンドマイクで、
「ここにいては危険だ。野次馬は帰りなさい」
 と怒鳴るように命令していた。

 吉田神社の参道に行くと、池山がいた。
「やっと、見つけた。また、中に行かへんか。美味しいものが食べられるかもしれへんやん」
 と話しかけてきた。

 雄二らはれいの抜け道になる所へ行こうとした。

 会社帰りの父親がいた。
「おっ、雄二」
 と声をかけてきた。

 池山が
「早く」
 と雄二の服をひっぱる。

「どうした、危なくないんか」
 父がついてきた。

「早く、行こうよ」
「どこに行くねん」
 父は池山にきいた。

「ええとこや。おっちゃんも行くか」
「あっ」
 わけもわからず父もついてきた。あたりをキョロキョロしてから、池山は石垣を登る。雄二も続く。雄二は、父が仲間に入れてもらえるはずないのにと思った。

 池山が指笛を吹こうとした。

「うわー!」
 それは、父の声だった。父は機動隊に放水されていた。あわてて逃げていた。次の放水のターゲットは雄二だった。水が雄二に襲いかかってきて、まわりの景色など見えない。水の勢いは強く痛い。軽くぶたれたような痛みである。

「あれは、わしの子どもですがな」
 父はいって放水を止めるように機動隊員にもとめた。

 三人は水びたしになっていた。

 家に帰ってから、父はその話を母にした。
「どうして、そんなところから、中に入れるのを知っているの?」
 母は父とちがって鋭い。

 雄二は仕方なく、今まで学生運動を手伝っていたのを話した。

「これから、京大の近くに行ったらいけないわよ」

 雄二は学園紛争を手伝うことを禁止された。母は戦争ももちろん反対だが、暴力も反対と怒っていた。しかし、母はどちらかといって、学生たちを気の毒に思っていた。

 横暴は暴力を外側には着てはいないが、でも場合によっては暴力よりもよほど人間に害があるものである。この後、政府は法律を作り、学生運動ができないようにした。それを東大の教授たちも批難していたし、野党の政治家もそれを暴挙と抗議した。

 今までの学生運動ができなくなったので、一部のものが過激な行動をとるようになったという。学生運動は赤軍派の出現により、一般の人たちの受けるイメージは一新される。学生運動というよりもテロリストの集団に変わっていったのである。

 しかし、学生運動の初めはそうではなかった。意味あることを学生たちはしようとしていたのである。例えば、田子ノ浦のヘドロの問題で、教授は外洋に流すことで問題は解決すると言っていたが、そんなことでは解決しないと学生たちは抗議していたのだ。また、医学部は封建的すぎると批難していたのだ。

 大学生たちは、個々の専門においても、疑問を持ち、そして疑問を持つだけでなく、その疑問を権威ある人たちに答えるように要求していたのである。もし、これを権威ある人たちが、誠実に答えていてくれたら、今の日本で問題になっている多くのことが、無くなっていたり、少なくなっていたりしたことだろう。

 いくら法律で締めつけたとしても、根本の問題は残ったままであり、いろいろな分野で、いろいろな場所で問題は加速されていったのではないだろうか。民主主義というのなら、どちらの行動が愚かであったかは、自ずと答えはでるだろう。




閑話休題

学園紛争も時代によって、
変化していった。

読売新聞では、
読売新聞が見つめた京都50年という
特集をくんでおられ、
そこで『大学紛争エスカレート<3>』を書かれている。

暴力主義の悪夢は、
古今東西、否定できるものではない。
今も街で、そして掲示板やインターネットでも、
アラシがいる。

小野洋子さんは平和への道として、
「コミュニケーション」をあげておられる。

暴力主義は、これを捨てさっている悪辣な人たちだと思う。

また、政治に一番大切なものも、コミュニケーションだと思う。
それを捨てさった政治家に夢をたくすことは危険であると思う。
古今東西、悲惨な歴史は繰り返されている。

そして現代は、大衆の間でもコミュニケーションは落ちている。
家庭内でも落ちているという。

Blogというツールでコミュニケーション能力を
ぼくもあげていきたいと思っています。

「ほんま、僕はコミュニケーション能力が低いです(-_-;)」









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もくじ[メリー!地蔵盆]



アマゾン

2005年09月12日 | 短編など

アマゾン



1

アキラ君は入院しています。
年上の男の子が、
「僕はここでの楽しみは野鳥の観察なんだ」
と教えてくれました。

「餌をおいておけば、野鳥がそれを食べにくるんだね」
アキラ君はにっこりしました。


2

アキラ君はバナナを部屋の外に出しておきました。

夜中ですから、アキラ君は眠くてあくびがでます。

「野鳥より、僕、象さんが好きだから……。バナナなんだ」


3

「べんべん、べん。甘いもん、甘いもん。バニャニャ、バニャニャ……」

アキラ君は象さんだと思いました。

カーテンを開けました。

象さんが
「ベンベンベン」
と、掛け声をあげてやってきます。
その声はなんとなく蒸気機関車を思い出させました。

「歩くの遅い象さんだ。きっとお年寄りの象さんだよ」
アキラ君の胸がどきどきしました。

象さんはバナナを食べはじめました。
ニコニコ笑顔の象さんです。

「あれ。よだれをあんなにたらしているよ」
アキラ君はよほど象さんがバナナを食べたかったんだろうと思いました。

「こんなおいしいもの食べたことがありません。ベンベンベン」
象さんは帰っていきました。


4

翌日、アキラ君は窓の所にお饅頭をおいておきました。
「ベンベンベン、甘いもん、甘いもん」
と、象さんが言っていたからです。

バナナを一本食べて、こんなにおいしいもん、食べたことがありません、
と言っていた象さんを思い出して、アキラ君はうれしくなりました。


5

その晩も象さんは姿を見せました。

お年寄りの象さんは、
「ベンベンベン」と、
声をだして、ゆっくりとやってきます。

お年寄りの象さんが、
一所懸命あるいているのがわかり、
アキラ君は感動しました。

象さんは器用に鼻で饅頭のつつみをとって、
お饅頭を食べました。

「こんな美味しいもん、食べたことがありません」

象さんは鼻で頭をペタペタたたいて、お饅頭をかみしめていました。

アキラ君はきっと、すごく美味しくって、その感激を忘れたくないんだろうなあと思いました。


6

その翌日も、その次の日もアキラ君は象さんに餌をあげました。

訓練室でアキラ君はトレーニングをしています。

でも、元気がでなくって、泣く気にもなれませんでした。

「ベンベンベン」

どこかで聞いた声だとアキラ君は思いました。

アキラ君のように車イスに乗った象さんが通りすぎていきました。

「ぼくも、がんばるぞ!」


7

その夜。

アキラ君は象さんに手わたしで、餌をあげたくなりました。

「ほら、ここにキャラメルがあるよ」

と、アキラ君は笑いました。

「こんなおいしもん、食べたことがありません」

「昼間、ぼくを励ましに来てくれたよね。でも、他の人には誰も見えなかったみたいなんだ」

象さんはキャラメルをなめおわると、消えました。


8

売店のおばさんが、
「最近、甘いものがよく売れるのよね」
と話していました。

「甘いもの好きの象さんがいるんだよ」

「そんなわけないでしょう」
と、お母さんはアキラ君をしかりました。


でも、子どもたちの間で、
甘いもの好きの象さんは人気者になっていました。


9

クリスマス・イブの夕方。
アキラ君たちは、こっそり象さんのために、
大きなケーキを買いました。

サーカスのピエロのような格好をしたおじいさんが、
やってきて、訓練室に集まるように言いました。

「これから、みんなに象さんのショーをみせてあげよう」
病気の子どもたちは、訓練室に集まりました。
夜勤で働いている看護婦さんたちは、
これは病院で企画されたクリスマス・パーティと勘違いしていました。

象さんは、子どもたちを乗せてくれました。
今日の象さんは元気そうです。

「この象さんは、甘いもん好きの、アマゾンという名の象さんだよ」
とピエロは説明しました。


10

「世界でただ1匹の玉乗りができる象です」
ピエロが紹介しました。

アマゾンは玉乗りをしました。

「この象さんは、世界各地をまわったんだよ。英語であいさつしてごらん」
「グッド・モーニング。グッド・イヴニング」
「今日は!」
「メリー・クリスマス!」

みんなも大きな声をだしました。


11

昔、戦争中、象たちが殺されたことをアキラ君は後で知りました。
アキラ君はアマゾンも、おじいさんもオバケなんだと思いました。

なぜって、クリスマスの後、誰も見た子がいないからです。

そして、アキラ君はおじいさんが「A HAPPY CHRISTMAS (WAR IS OVER)」を歌っていたのが、心に残りました。

その曲の名前は「幸せなクリスマス(戦争は終わった)」というものでした。

アキラ君はケンカで勝ったりするよりも、甘いもの美味しいねと言える方が幸せだと思いました。
アキラ君はアマゾンとケーキを食べたことを一生忘れられないと思いました。







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