ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

精神分析の抵抗―フロイト、ラカン、フーコー

2009-05-22 23:12:52 | Weblog
ジャック・デリダ著、青土社刊。

結局、この本は2年がかりになった。

デリダの本は、言い回しが独特だし、難解な点が多くて、
そうそう「乗る」ことはできないけど、この本は特に難しかったように思う。

私がいつもデリダのことをすごいな、と思うのは、
いつ、どこで、自分は(誰それは)どんな発言をしたのか、ということを
的確に覚えていて、それから逃げないから。

哲学者にとっては、基本的なことなのかもしれないけど、
ふだん自分の発言をすぐに忘れてしまう軽薄な私には真似できない。
時と場合にあわせ、他人におもねることがない、という生き方を貫き、
生涯をとおしてそのように発言しつづける人は、すごいと思う。

ただ、この本は、それが難解だった理由の一つになった。
私は過去のデリダの発言をすべて的確に認識しているわけではないので、
導入部分で何を言いたいのか、何を問題視しているのかがわからず、
結局、置いてけぼりを喰ったような気分になることがあった。

そもそも、デリダのアプローチは、
心理学や精神分析とは、相容れないのではないかと直感的に感じる。
だから、どこが噛み合っていて、どこが噛み合っていないのか、
素人の私には、理解できないのではないかという印象。

つまり「隠蔽」がない人や、「隠蔽」に立ち向かえる人にとっては、
心理学や精神分析など、無縁なのではないかという素朴な疑問。

デリダの本を読んでいると、自分の学のなさ、というか、
もっと本を読んで、考えなければいけないんだなあ、ということを思い知らされ、
その後の読書熱につながるから、ありがたいのだけれど、
ちょっと苦痛なときもある。

デリダの本であるからには、入門書であるわけがないのだった。

でも、私はデリダの文章が好きだなあ。
なんでだろう。
なんだか好きだなあ。

打ちのめされて、また読みたいと思う。