ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

派遣社員に対する見方について

2010-12-23 21:00:51 | Weblog
最近、ほぼ初対面の女性数人が、「どこも雇ってくれないし、自分で会社をはじめた」と言っていた。
男性からは、あまりそういう話を聞かないので、
女性のほうが、吹っ切れると次への行動がはやいのか、
はたまた、私の周囲に集まってくる女性は格別にバイタリティがあるのかと思う。

まあ、よくわからないけれど、とにかく、ぎゅうぎゅうと、
「え、いま、派遣なんかで働いてるの? でも、ずっとそのままじゃないよね。
このあと、あなたはどうするの? あ、聞いちゃいけないこと? もしかして」という空気を、
私は勝手に感じるようになってきてしまった。
自分で会社をはじめるような人は、とりあえず派遣社員で働こう、という感覚を持っていない。

はい。そうですね。そうです。
お休みしている場合ではないです。
というか、いままであまり真剣に仕事で勝負しなくて、恥ずかしいです。
それに、ほかのことでも真剣勝負はしたことがないです。

しかも、世間一般の派遣社員に対する見方は、「つまらない仕事をやる人たち」なんだなあ。
「そんなことやっててどうするの?」「派遣の仕事なんて、楽しくないでしょう」と言われると、
「それなりに楽しいこともあるんだけど・・・」と説明するのが面倒になってくる。

それでも、何人かの人に、
ちらっと、「最近の仕事で一番収穫だったことは、児童文学を改めて読む機会があったこと」と言って、
「うんうん」とうなづいてくれたのは、結局、児童文学の作家さんだけだった。
「限られた語彙によって、幼い子どもに何かを伝えるというのは、
考えていた以上にすごいことなんだと思った」と、
子どもを産んだことがない私としては、非常な感動をもって言ったんだけど、
まあ、そんなことは、子どもを育てている人には当然だし、
子どもがいるいないに関係なく、子育てをする気がない人には、あまり興味のある話ではないようで、
「それならそれで、派遣なんかじゃなくて、自分の仕事として開拓すればいいじゃん」と、
ズバリ切り返されて絶句した。

確かに、もう「勉強」している年齢ではないだろう。
「こんな世界もあるんだ。へえ」と、少し覗き見して、「ああだ、こうだ」言っている場合でもない。
派遣契約が切れた後のことは、少しずつ考えているし、準備もしているつもりだけど、
結局のところ、私は「こうなっているのは、なぜだろう」を、ぐるぐる考えること自体が好きだから、
何をやっても、たいして変わらないような気がしている。
「こうしたいの! だって、このほうが絶対楽しいじゃない!」と思って、
それに向かって突き進む、という熱意が、私には欠ける。

とりあえず、業種や役職に関わらず「仕事を一生懸命やっているぞ!」という自負心がある人の多くは、
「派遣社員なんて、仕事について語る意味のない相手」と思っているらしい。
まあ、もともと友人同士であった場合でもなかったら、
みんな忙しいわけだし、仕事に有効な人間関係を築くことを優先に考えるだろうから、
派遣社員はなんの権限も持たないし、持つ可能性もない人なわけで、
「派遣です」と言った瞬間に、相手の熱がすっと引くのは、まあしょうがないんだな。

なるほどなあ。
この年になるまで、こんなことにも気がつかないなんて、私も間抜けだなあ。

いちごは、今日も元気。お花が合計5つになった。

古語の謎

2010-12-23 00:18:14 | Weblog
以前も書いたことがあったかもしれないけれど、
私が「言葉はうつりかわる」と実感したのは、小学校3年生のとき。
いつも朝礼から教室に戻るときに利用していた校舎の入り口に、大きな額が掛かっていた。

文字は「おなす」。

その下を通りながら、男の子たちと「お・な・す~!」と叫ぶのが楽しかった。
ある日、クラスで一番頭がいい男の子が、「あれは、すなおって読むんだよ」と言った。
そして、横書きをむかし右から左へ書いていたことを知った。

家に帰って、大発見!とばかりに母に話したら、
当時、万葉集を学んでいた母は嬉々として、万葉仮名について語り始めた。
小学校3年生の漢字量では、とうてい追いつくことはできない。
そして、「あなたも一緒に行ってみようか」と、
万葉集の勉強会に、連れて行かれるようになった。

もちろん、私はチンプンカンプンなので、少年探偵団シリーズをずっと読んでいた。
ただ、2時間の講義の間、本さえ与えておけば静かに座っていられるという性格だったことは、
いまの私よりも忍耐力があったと、多少誇らしく思う。

何十年も経ち、いま読んでいるのは『古語の謎』(白石良夫著、中公新書)
万葉集にはじまる国学の流れがわかりやすいし、
音を記録できなかったころの大和ことばが、
文字となり、時代が下って研究の対象となったときに、
どのように変化するのかがわかって面白い。

古語は、すでに外国語に近い。
その時代の空気がわからなければ、文字は読めても、ことばはわからない、という事態に陥る。
日本語であっても。

古典の授業で、この言葉はこんな意味です、と教えられ、それをテスト用に暗記した。
でも、大和の風を想像するような機会は少なかった。
そんな悠長なことは言っていられなかったし、
なんでこんなに恋の歌ばかりなんだ!と思ったものだけど、
改めて「あいうえお」の発音が違った時代の日本語に触れるというのは、なかなか面白い。