Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

東京探訪記:新宿三丁目

2012年09月13日 16時31分14秒 | 東京探訪記

 新宿通りを突き進むと、なんやら怪しげな一角にぶつかります。ここは昔
三光町と呼ばれた一帯。新宿駅東口にまだ木造の建物(というか文字通り
のバラック)が並んでいたボクの青春時代は、青線地帯と呼ばれ、その
延長上にあり、ふつ~の学生さんはなかなか近づきがたい場所でありました。
現在は新宿三丁目という名前になって、その雰囲気が随分と変わりました。

今ではすっかり市民権を得たようですが、何故かオカマさんたちが沢山棲息
していた場所でもあります(笑)最近、余りその手の店を見なくなりましたが、
どこに行っちゃったんだろう。

そんな一角で、この赤い文字が一際目立つこのお店。当時新宿に集う若者
たちの多くが青春していた場所。あのロシアの文豪ゴーリキーの代表作から
とられた名前のお店、「どん底」。なんと創業が1951年!ボクが一番行った
のは高校時代かな。当時は歌声喫茶というのが全盛時代。ここは確か三階
まであると思うのですが、各階ごとに主みたいなリーダー格のお客さんがいて、
その人の指導で見ず知らずの人たちが仲良く肩を組んで合唱しておりました。
ボク等小心者の少年たちは片隅のカウンターでその生態を観察していたんで
すけど(笑)

このお店の常連客であったのが、有名なところでは三島由紀夫とか野坂昭如とか。
彼等がエッセイなぞにこの店のことを書いていたのを見て、喜んだりして。彼等が
愛したのがこの店のウリであった「どん底カクテル」という不思議な飲み物。単純に
言えば焼酎の炭酸割みたいなもの。ちょっと甘味があって、すっきりした味で、
カクテルという名に相応しくない、サイダーの大瓶に詰めて供され、コップでぐびぐび。
一本呑んだら腰が抜けるという代物でした(笑)兎も角、安くて早く酔える!貧乏学生
にはもってこいの飲み物でしたね。

それからあの歌手の加藤登紀子さん。彼女はほんとあしげにここに来ていたようです。
当時無名であったので、ボクの記憶にはありませんが。

因みに時々奥様と社会見学ということでこちらに来て、どん底カクテル(略して「どんカク」
を呑んでますが、昔と違って随分とスマートな飲み物になってます。腰が抜けるということ
はないようですね(笑)

オカマバーやら飲み屋が多かったこの町も随分と様変わり。おとなしくなったような
気がします。

新宿末広亭。最近の落語ブームで、ここはまた往時の盛況を取り戻して
いるようです。毎日TVで繰り広げられるどたばたの意味のないどつきギャグ
やら下手なタレントの一発芸じゃ見てらんないですものね。
いつまでたってもなくならない、小中学校のいじめ問題なんて、こういう下品な
お笑い番組の影響ってかなりあると思うけどなぁ・・・

ついこの間も、何で人気があるのかボクにはわからないのですが、一発芸の
タレントが高飛び込みの真似だかして大怪我をしたようですけど。あれって、
ある意味いじめじゃないの?業界も視聴者も麻痺してるからねぇ。

 大衆酒場の典型。まだ開店前ですけど、開店と同時にお客さんで埋まります。
まだ日の高い時間から(笑)長引く不況、こういうお店が受けるのも理解できますわ。

この二つとも前回紹介した調布の名店「い志井」の経営するチェーン店だったのね。
びっくり!それなら安心して今度飲めると思ったりして(笑)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


東京探訪記:新宿四谷大木戸「太宗寺」

2012年09月13日 08時21分33秒 | 東京探訪記

 四谷四丁目(江戸時代の大木戸のあったところ)新宿通りから新宿駅方向を臨みます。
正面には新しいランドマークの東京モード学園のコクーンタワーが。

新宿通りを上って暫くいって右に折れると新宿のビルの中にぽっかりと空間が。
そこはあの内藤新宿の地名にもなった高遠藩主内藤家の菩提寺太宗寺
創建は1596年(慶長元年)。当時安房国勝山藩主の内藤正勝の葬儀を当寺で
執り行った縁で当家の菩提寺となりました。
内藤家がその後信州高遠に移封となった後もその関係は維持されて現在に至り
ます。

上の写真は「三日月不動尊堂」。

こちらがお不動様ですが、額に三日月が!(見えますか?)
像の上部に天窓が穿たれており、そこから光が差して三日月が光る仕掛けが
施されています。

この三日月不動は面白いことに本来は高尾山薬王院に納められるところ、新宿まで
運搬したが、ここで荷がにっちもさっちも動かなくなり、当地に不動堂を建立したと
言い伝えがあります。

三日月不動尊の下にはもう一体。こんなかわいらしい像が。にこやかな布袋様。

三日月不動堂の傍らにこんな不思議な像が。なんと全身にお塩をかぶせられて。
こういうのはボクは初めて見ましたが。この縁起はちょっと分かりません。日本のほか
でこういうのはあるのかしら?
隣に解説板があったかもしれませんが見落としています。恐らく「脱衣婆(だつえば)」
じゃないかと思います。下で案内する閻魔堂と対峙した位置に。
脱衣婆は賽の河原で待ってる婆さんで、ボク等がそこに行くと衣服を脱がされ重さを
計られます。その案内をするのがこの婆さん。なんでも、その衣服の重量で地獄の
刑の軽重が決まるんですって!
誰ですか、死ぬ時は裸でいいんだって叫んでいる人は(笑)

像そのものははだけた姿のものが多いようで、それを隠すために衣類をかぶせたり、
綿をおおったりするそうですが、このお寺のは塩を使っているんじゃないでしょうか。

三日月不動堂の正面には閻魔堂が。なんでも都内最大級の閻魔様がおわします。

金網越しに閻魔様の怖いお顔を。「内藤新宿の閻魔様」という愛称で江戸庶民
の信仰の対象であったそうです。

閻魔堂の右横には江戸六地蔵のひとつが。江戸に入る・江戸から出る六街道
の守護仏を称して江戸六地蔵といいます、当然ここ内藤新宿は甲州街道の守護仏。 

以上江戸の信仰のあり方がこのお寺を見てわかるという、なかなか貴重な体験
でありました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


MINIチャリ散歩:吉祥寺⑦ 「吉祥寺名物 サトウのメンチカツ」

2012年09月12日 16時41分09秒 | 食・呑

MINIチャリ散歩でゲットした吉祥寺北口商店街「ハモニカ横丁」の端にある
精肉店「さとう」の名物「メンチカツ」です。5個以上買うと割安になるので、きっちり
5個も買って。三日連続で食卓に(笑)

でも、三日も食べても飽きないから不思議。下味がついているので、ソース
なしで、練りカラシをつけてそのまま食べて。沢山の刻みキャベツと一緒に。
こういう食卓も昔を思い出していいものです。B級グルメの醍醐味とでも
申しましょうか。

一緒したのはスペイン料理で[Bの料理]でお馴染みの、「ガリシア風たことジャガイモ」。
フライパンでオリーブオイルで軽く揚げたジャガイモと茹でたタコのぶつ切り。これに
パプリカ・パウダーと岩塩を和えたもの(ふつーの塩でも十分です)

はい、満腹の夕ご飯でした。

(このシリーズおしまい)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


MINIチャリ散歩:吉祥寺⑥ 「吉祥寺駅北ハモニカ横丁」

2012年09月12日 08時49分16秒 | 野川の桜

吉祥寺北口の商店街は前回ご紹介のサン・ロードが大きくて有名ですが、
ボク等の年代ではそのお隣にあるハモニカ横丁のほうがよく知られて
います。

こちらが入り口。ちょっとはいるのに度胸が要る?いえいえ、そんな必要はありませぬ(笑)
この商店・飲食街はあの終戦直後の闇市の名残。ボクの知っている限り、新宿の「仲良し
横丁」やら吉祥寺のお隣の西荻窪・荻窪の駅前北口の闇市跡の商店街の中で最大
のものでした。

ボクの小さいころ、母親のお供でお使いにこの三つはよくきたものです。ボクの成長期を
支えてくれた商店街。当時は八百屋とか魚屋には天井から棹秤(さおばかり)とかお釣り
の小銭を入れた籠がぶら下がっておりましたっけ。

今ではかなり歯抜け状態になっていますけど、当時はこの狭い通路に人がぎっしり。
なぜか夕暮れ時は押し合いへし合いで買い物をした記憶があります。

この魚屋さんも記憶に残っています。このおじいさんもきっと何回か話をしたん
じゃないかなぁ。

いつまでもずっと残っていてほしいものですが、さてどうなりますやら。

こちらは都内で超有名なお肉屋さん。勿論ボクの子供の頃からの人気店。当時は
もっぱらコロッケが主流でありましたが、今のこの店のウリはメンチコロッケ。精肉屋
佐藤です。松坂牛で作ったメンチは絶品。一個食べれば夕食になっちまうボリューム
(笑(

はい、ボクも奥様へのお土産で並んで買いました。一個180円、5個以上だと140円
だったかな。当然、5個も買ってしまった。お陰で三日続けて食べる羽目に(爆)

このお店のメンチはまるで大きなおにぎり。一個がボクの拳くらいの大きさがあります。
牛肉がぎっしり詰まって、冷めても美味しい!吉祥寺にお立ち寄りの節は是非お買い
求め下さいな。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


東京探訪記:四谷大木戸界隈

2012年09月11日 16時32分05秒 | 東京探訪記

信濃町からとことこ歩いて四谷三丁目に出て、それから新宿通りを新宿方面に。
途中でこんなものをめっけ。

お岩水掛観音といいます。

食品スーパーで丸正さんというのがあるのですけど、そのエントランスの脇に。
なんでもこのスーパーの新築に際して昭和49年9月に建立されたもの。
付近にはお岩寺とお岩稲荷(ややこしい)がありますが、この付近は例の東海道
四谷怪談の舞台であり、歌舞伎の演目として定着してからお岩様は家内安泰・
商売繁盛の神様として庶民の信仰の対象となっておりました。
今でもこの通り常に花が飾られて。

 

さて、暫く新宿方面に歩いていくと、こんな面妖なビルが。

はい、旗でお分かりの通り、今なにかと話題のお国の大使館です。普段はそちらから
来られるスターを待っておばさま連がなぜか玄関前でたむろしているのですが・・・
流石に昨今ではそんな姿は見られず、実はこの周囲には代わりに沢山の機動隊の
警備車両が数台と多くの警察官が。

そんな中を堂々と撮影して、実は心の中ではちょっとやばいかなぁ、なんて思いながら
写しておりましたが。ちょうど二枚の撮影を終えたところで隊員からやはり誰何を受けて。
「え~と、決して怪しいものではございません。建築に興味を持って、色々建物を写して
いるんでございまする。う~だ、か~だ」なんて説明していたら、ちょっと他の隊員も
ダッシュで駆け寄ってきたりして(汗)

きっと顔がいけなかったのでしょう。変だなぁ、にこやかに対応したんだけど(苦笑)

いずれにせよ、こんな時期。皆さんも誤解を受けるような撮影には十分注意してね。
でも、これくらい大使館は所在する国の官憲がその警護に当たるということをお隣の
キムチ国とか紅い国の人たちは肝に命ずべし!それが出来て初めて一流国の仲間入り
ですよ!!

こちらの灯篭の形をした石碑は元江戸時代の「大木戸(おおきど)」の跡。新宿は
江戸時代には「内藤新宿」と呼ばれていましたが、それはあの桜で有名な信州
高遠城の藩主内藤家の下屋敷の跡に甲州街道の駅(宿場)を置いたことにより
ます。

そしてこの場所には所謂関所があって、それを大木戸と呼びました。この画面
右側の一帯は現在の新宿御苑ですが、そこには玉川が流れて、桜の名所として
も有名で、この画面左側には遊郭があり、江戸以西の人々の憩いの場所であり
ました。

ボクが会社勤めした当時、1970年代初頭にはこの付近には飲み屋さんやら
割烹、割烹旅館なぞが結構あり、夜な夜なノミュニケーションに励んだ思い出深い
土地であります。新宿歌舞伎町を中心とする歓楽街の原点は実はこの辺りに
あったんです。

因みに画面の道路脇に駐車しているバスは機動隊の警備の車。反対側の車線
にも沢山。都合6,7台はいたかなぁ。

こちらは当時の大木戸の浮世絵。この門を潜ると甲州街道でありました。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


MINIチャリ散歩:吉祥寺⑤ 「吉祥寺駅北口サンロード」

2012年09月11日 08時02分57秒 | MINIチャリ散歩

 吉祥寺の最大の商店街サンロード。平日の昼間ですが、結構な人出です。
でも、これでも随分と減った印象があります。

面白いもので、中央線沿線の新宿・立川間には殆ど今の常識である郊外型
ショッピングセンターがありません。これは戦後まもなく住宅開発が急速に
進み、大きな敷地が街道沿いになかったこと、すでに地価が高くなっていた
ことが理由ではないかしらと思うのですけど。

そんなこんなで、アーケード型の商店街ががんばっているのを見るのはとても
嬉しいものがあります。

横道にはこんな不思議な食堂も。なになに「旅人食堂」だって。これはボクの
小さいころはなかったなぁ。

 サンロードのわき道にもたくさんの商店街が。むしろこちらの筋のほうが
古くからの商店街の名残があり、昔なじみのお店があったりします。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


東京探訪記;グランドオープンを待つ東京駅

2012年09月10日 08時55分07秒 | 東京探訪記

いよいよ来月3日にこの東京駅の中にある東京ステーションホテルがグランド・オープン
して、長らく工事中であった東京駅も完成を迎えることになります。

ステーションホテルといえばボクが現役時代、あしげに二階のバーで所謂ノミュニケーション
を頻繁に行った場所。
たった1回だけですが、早朝一番の飛行機に乗らねばならないということで、ホテルを利用
したことが。アーリー・アメリカンスタイルの浴室と窓からJR中央線のプラットホームが見えた
のがとても印象的でした。

完成したら恐らくここもライトアップされると思います。また新しい姿になって、どんな夜の
顔になるのか、とっても楽しみ。

左端の高層ビルは新丸ビル。大手町方向を臨んでいます。

八重洲南口のコンコース。従前は戦後に作られたドーム天井でしたが。あれが
どう変わるんでしょう(まさかこれがフィニッシュではないと思ってますけど)
前は二階はステーションホテルでありました。二階の右側には小さいけど
小粋なバーがあったのです。あれも再現してほしいなぁ。

変わってこちらは新規開店した東京駅中の巨大な駅弁売り場。これだけ駅弁が揃うと
目移りしてとてもじゃないけど選べません(苦笑)

それにしても、このエキナカ施設はどんどん増殖してます。もしかしてもう小さなデパート
の売り場面積をとっくに越したんじゃなかろうか。
時間は9時半を過ぎた頃。昼から夕方までは弁当やらスイーツを選ぶお客さんでごった
返しています。

(このシリーズおしまい)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


MINIチャリ散歩:吉祥寺④ 吉祥寺駅南口

2012年09月09日 08時04分06秒 | MINIチャリ散歩

井の頭公園を出て数分歩くともう吉祥寺駅前です。
なんやらでっかいクレーンが。そのクレーンが立っている所が駅なんですけど、
また再開発なんでしょうか。吉祥寺駅はJRに京王井の頭線が 乗り入れて。
東京都下の三多摩地域では昔から繁華街として有名なところ。かつては
「ジョージ」という名前で呼ばれたことも。

駅前のl通り(水道道路)から一本離れた裏道。いずこも同じ落書きが。

これは知りませんでした。最近小食になったので、入りたいけどぐっと我慢を
して(笑)

JR中央線は高架になっています。駅ビルの中を通って北口へ。中央線沿線ってとても面白い
のですが、基本的には南口より北口のほうが商業施設の集積が大きいんです。この理由は
色々考えたのですけど、JRは新宿以西を東西に走り抜けていますが、線路の南側には青梅
街道と五日市街道の二本が走って、逆に南口には遠く離れたところを甲州街道の一本だけ
が走っています。。鉄道の走る前は街道沿いに商業・住宅が発展したので、その集積密度が
自ずと違っていたんではないでしょうか。

これって、新宿から立川まで10以上の駅がありますが、面白いのはどの駅もこの南北差が
当てはまります。最近は北に対抗して、南も再開発が進んでいますが、これは面白い現象
だと思います。

駅広から北を見ています。画面中央にあるのは吉祥寺を代表する商店街の「サンロード」
の入り口。
駅前商店街のアーケードによる近代化のはしりです。
終戦後からJR中央線の中でも際立った繁華街であったこの街は最大の商業集積を持つ
ようになり、一時は新宿・下北沢・目白・原宿等と並ぶ若者文化の発祥の地でもありました。
最近は他駅前商店街の再開発も進んで、そういった文化の発信基地としての役割が落ちて
きたのはちょっと寂しい限りです。 新宿もそうなんですけど、街ってやはりある程度の混沌
と猥雑さを持っていないと若者をひきつけることは出来ないんじゃないかというのがボクの
持論。そいういう意味で、あの渋谷も最近は大人しくなりました。いまや東京で若者文化の
発信地は秋葉原だけになった感もあります。AKBだけというのもちょっと寂しいですね。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


東京探訪記:JPタワー(旧東京中央郵便局)

2012年09月08日 10時37分46秒 | 東京探訪記

この7月にオープンしたJPタワー。前にも建築中の姿を何回かご紹介しています。
昼間見た限りでは、異様にのっぺりした姿で、散々揉めてファサード保存された
旧東京中央郵便局の建物外観と後ろの新しい超高層ビルのミスマッチがなんとも
無残に見えるとこのブログで批判記事を書いておりましたが・・・

こうして夜見てみるとまさにライトアップの勝利。低層部分のファサードはあの
名建築家吉田鉄郎さんが描いた律儀すぎるほど律儀な設計が、こんなにも
なまめかしく見えるとは!

一階から五階までそれぞれ階高がかなり違うという独特の設計、1階、最上階、中間階
のライティングトーンを変えることで、表情がこんなにも豊かになりました。
同行の奥様もこのビルの前は昔から良く知っているのですけど、今回の夜の表情を見て
「あら、昼は酷いけど夜は随分と素敵ねぇ」と感嘆しきりでありました。

一階のエンタランスから中を覗いてみましたが、ありゃ昔と全く変わらぬ店構え。これにも
またびっくり。

昔から夜目・遠目とはよく言いましたが、これほど表情が変わるとは。是非ともこの
ライティングを手がけた方のお名前を知りたいものです。丸の内の建築群の中で
一番と言っても良いでしょう。参りました(苦笑)

因みにライティングしてなかった場合はこんなです。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


東京探訪記:信濃町駅前

2012年09月07日 16時29分06秒 | 東京探訪記

信濃町というと最近はすっかりご無沙汰で。昔は仕事で結構通ったものですが。
今日は駅前の日本スペイン協会にお邪魔して、何故かスペインの料理本を一冊
購入。これでスペイン語の勉強とBの料理の両方に活用して、頭と胃に刺激を
与えるという寸法です(笑)


JRを降りると駅前には慶応病院の白いビルディング群がすぐ見えた思い出が
あるのですけど・・・

あれ、ない!(笑)

代わりにレンガの外壁の巨大ビルが。まるで現代の万里の長城のよう(言いすぎ)

14mmの広角レンズでも収まりきりません。

かなり遠く離れてやっと全容が(苦笑)
妻側から見るとレンガ張りの薄い建物+ガラス張り+レンガ張りの薄い建物
の三層構造なんですね。ガラス張りをあんこにしたホットケーキを縦に置いた
イメージか(爆)

こちらがエンタランス部分。これには巨大な円がくりぬかれていて。なかなかのアクセント
になっています。

清水建設の設計施工で竣工が1995年、オフィス主体の商業ビルだそうです。ボクが
信濃町のクライアントから離れて海外に転勤になったのが1987年ですから、もしかしたら
それ以来の信濃町来訪かも。道理でこの建物の存在を知らない筈です。
近くの明治記念館のあの庭園ビアガーデンはちょくちょくお邪魔はしていたのですけど、
呑むことに忙しく、まったく気づかなんだ(苦笑)

しかし、これだけのレンガをよく集めました。レンガって最近完成した丸の内三菱1号館
で教えて貰ったのですけど、一つ一つ焼いているので、色合いの調整が大変なようです。
今日本でこれだけ大量のレンガを焼く工場ってあるのかしら。昔は東京郊外でもレンガ
工場ってあったような気がするけど・・・

この巨大な長さの建物をふつ~にコンクリで作ったらかなりの圧迫感でしょうね。外壁を
レンガにした設計者とクライアントの英断に感服です。

最近歩いていないので、このまま四谷を通って新宿まで歩いて帰ることに。帰り道に
出会った和服姿のご婦人二人。残暑の照り返しの中、薄い浅葱色のお召しがとっても
爽やかに感じました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 


東京探訪記:丸の内パークビルディング

2012年09月07日 08時13分00秒 | 東京探訪記

この日は夕方この撮影している後ろにある丸の内の東商ホールにお邪魔。東京
商工会議所があるビルです。用事を済ませて出たのが夜の9時ごろ。
斜め向かいの丸の内パークビルディングブリックスクエアを写しています。
画面の低層階の右端のほうがもう何回もこのブログで登場している三菱一号館
レンガビルです。

このスクエアを通り抜けて東京駅へと歩きます。

左の黒い壁面は丸の内パークビルディングの大理石の壁面。最近の建築保存の
代表例で昔の壁面をそのまま残しています。

この通りの同じ左側に三菱本社ビル、そして丸ビルと続いています。そして通りを
挟んだ対面には、同じ壁面保存で一時マスコミを賑わせた日本郵政の東京中央
郵便局の新しい再開発ビル(JPタワー)があります。

こちらがそのビル。大きなガラス窓のファサードが丸の内では珍しいです。あれ、どんな
テナントが入っているのかと思ったら。なんとお隣の三菱東京UFJの看板があったのには
びっくり。え~、あの超高層ビルの本社ビルが手狭になったんだ!

見えているのはエンタランス・ロビーなんですが、ちょっと銀行さんのビルにしてはとても
オープンな感じで非常に驚きました。

そして東京駅八重洲南口からこの新しいビルを見たらもっとびっくり。何に驚いたかは
次回をお楽しみに。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 


MINIチャリ散歩:吉祥寺④ 「井の頭池 弁財天」(2)

2012年09月06日 06時15分07秒 | MINIチャリ散歩

井の頭池にはいくつかの噴水があって、涼味を演出しています。

まるでクリスタル・グラスの水盤のように。

小さな地蔵様も涼しそう。

池の端にはこんな仏像群が配置されて。

銭洗い弁天様の水の吐き出しはなぜか大きな龍の彫刻が。

弁財天におまいりをすませ、チャリを駐輪場に置いて次ぎは徒歩で吉祥寺駅へ向かいます。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


Bの料理:マドリッドの名物料理「コシード」

2012年09月05日 16時24分30秒 | Bの料理

秋も近づいて参りました。今日は豪快に男の料理の代表格を、どど~んと公開。


スペインはマドリッドの名物伝統料理です。名前は「コシード(Cosido)」。え~と、概念的には
スペイン風ポトフという感じ。現地では大きな土鍋に入れて供されます。実はボク等夫婦はこれ
をまだ食べたことがありません(笑)
ちょっと垣間見ただけでその量に怖気づいてしまって(笑)

作り方は簡単です。

■大きな鍋に水1L入れ、骨付き豚肉・牛肉・鳥もも肉を入れ沸騰させます。ボクはそんなに
 肉を食いたくないので今回は骨付き豚肉大四本のみとしましたが何れかで十分でしょう。沸騰
 すると大量にアクが出ますので、これを丁寧にさらってください。アク取りがこの料理の
 ポイントかな。
■アクが出なくなったら、におい消しでショウガ一片、にんにく一片のみじん切りを入れて。
(現地のはにんにくのみでショウガは入れてないようです)更に長ネギ半分を3,4cmに
 切ったのを入れて。
■火を中火にして昨日水につけて柔らかくしたヒヨコマメを入れ、たまねぎ二個、キャベツ
 1/3個、ジャガイモ(大)の皮を剥いたの、にんじん一本を縦割りに半分にしたのを入れて。
 更にチョリソー(辛味の効いたソーセージ)六本とローリエ一枚を入れて(ローリエなんてなくても
 全然かまいません)。チョリソーは必ず入れてね。それでないとスペイン風にならないから(笑)
■ここでちょっと味付けで、鶏のうまみも欲しかったので、固形の鶏がらスープの素を一個
 入れました。
■中火と弱火で煮ること約30分。ジャガイモに火が通ったなと思えば完成です。
■以上、ちょっとスペインのとは違いますが、まぁ、こんなものでしょう。チョリソーから出た
 辛味が効いてるけど、柔らかいいいスープが出来上がってます。

これが出来上がり図。スープは本場では別途濾して細いスパゲティを入れて単独で飲んで、
それから土鍋にぎっしり詰まったこれを食べます。我が家の場合スープは冷蔵庫にとって置いて
 翌日醤油だしと一緒にうどんにして利用しました。
この料理の特徴はチョリソーによる隠し味だけで塩コショウを一切していませんが、色々な味が
しみこんでこれだけでも十分いただけます。特にヒヨコマメがうまいです。
アクと一緒に脂身もほとんど捨てているのでヘルシーそのもの!
因みに今回は粒マスタードと一緒に赤ワインのお供で一皿完食!(フランスパン添え)


食べる前後で体重を量ったら1kg以上は身体の中に入った計算になっちゃいましたが(爆)
これは二人で取り分けてもいいかもね(苦笑)
全体で四人前くらいの感じです。

二人で食べて同量くらい冷蔵庫に残ってました。これは次の日に、缶詰のトマトを入れて
煮込んで、更にカレー粉とガラム・マサラで味付けして。前回ご紹介した牛すじ肉のトマト・
カレー煮込み
の練習です。はは、かなりうまく仕上がりましたよ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


MINIチャリ散歩:吉祥寺③ 「井の頭池 弁財天」

2012年09月05日 08時31分23秒 | MINIチャリ散歩

井の頭池ではボートがのんびりと。

その池の端にはこんな太鼓橋の向こうに小さなお社が。

当社は天台宗大盛寺が別当寺となっていますが、その起源は平安中期に六孫王経基が伝教大師
作の弁財天を祭ったことに由来します。その後鎌倉末期の元弘の乱で新田義貞と北条泰家
との戦いで戦火に会い焼失。どうも新田義貞は武蔵国分寺といい、いろんなものを焼いてくれ
たみたいで、困った人です(笑)まぁ、戦国の世、戦乱に乗じて誰が何をやったか、不確かな
ことが多いのですけど、武蔵国分寺に関しては、義貞は敗戦の翌年に消失した薬師寺を再建
する等、自らの過失を賠償してますが、この弁財天焼失については一顧だにしていないのは
ちと片手落ちじゃないかと疑問があります。その意味では、この弁財天に関しては義貞の命令
ではなかったのかも知れません。

その後徳川の時代となり、前項でご紹介の通り家光はあしげに当地を鷹狩りで訪れていますが、
当然この弁財天にも訪れており、焼失した弁財天の再建を果たして現在に至っています。

 

社務所に飾られた龍のレリーフ。

なぜかこの社の周りには竹で編んだ筏が置かれてちょっとしたアクセントに。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 


木曽路⑩ 「妻籠宿」(5)

2012年09月04日 16時25分46秒 | 国内旅行記

駐車場に戻る途次の街道の点描です。
暑い日差しの中、張り出した軒下で涼をとる人の数のほうが圧倒的に多いように
見えましたが。

無料のお休み処が設けられ、その中から街道を行く人を。歩いている時は気づきません
でしたが、こうして見てみるとなだらかな傾斜が確認できます。

家の格子には色々なものが挿されていて、いいアクセントになってます。

 

短い時間の散策でしたが、結構堪能できました。
この後、車で家路についたのですけど、帰りの高速が渋滞。えらい目にあいました。

その後数日体調が思わしくなく、てっきり車の運転疲れかと思っていたのですけど。
よく考えてみたら、車の移動で使ったクーラーによる所謂冷房病だったのかも。
日ごろ家ではクーラーをつけないようにしているものが、車だと何の気兼ねもなく
設定温度も25度くらいで、往復10時間以上も過ごしていましたので。

さて、駆け足のご紹介の木曽路でありました。これからも何回かここへは来ることに
なると思います。次回はもう少し穴場を探してみましょう。

 

(このシリーズおしまい) 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Phoenix 東北&関東
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・