Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

東京探訪記:新宿三丁目

2012年09月13日 16時31分14秒 | 東京探訪記

 新宿通りを突き進むと、なんやら怪しげな一角にぶつかります。ここは昔
三光町と呼ばれた一帯。新宿駅東口にまだ木造の建物(というか文字通り
のバラック)が並んでいたボクの青春時代は、青線地帯と呼ばれ、その
延長上にあり、ふつ~の学生さんはなかなか近づきがたい場所でありました。
現在は新宿三丁目という名前になって、その雰囲気が随分と変わりました。

今ではすっかり市民権を得たようですが、何故かオカマさんたちが沢山棲息
していた場所でもあります(笑)最近、余りその手の店を見なくなりましたが、
どこに行っちゃったんだろう。

そんな一角で、この赤い文字が一際目立つこのお店。当時新宿に集う若者
たちの多くが青春していた場所。あのロシアの文豪ゴーリキーの代表作から
とられた名前のお店、「どん底」。なんと創業が1951年!ボクが一番行った
のは高校時代かな。当時は歌声喫茶というのが全盛時代。ここは確か三階
まであると思うのですが、各階ごとに主みたいなリーダー格のお客さんがいて、
その人の指導で見ず知らずの人たちが仲良く肩を組んで合唱しておりました。
ボク等小心者の少年たちは片隅のカウンターでその生態を観察していたんで
すけど(笑)

このお店の常連客であったのが、有名なところでは三島由紀夫とか野坂昭如とか。
彼等がエッセイなぞにこの店のことを書いていたのを見て、喜んだりして。彼等が
愛したのがこの店のウリであった「どん底カクテル」という不思議な飲み物。単純に
言えば焼酎の炭酸割みたいなもの。ちょっと甘味があって、すっきりした味で、
カクテルという名に相応しくない、サイダーの大瓶に詰めて供され、コップでぐびぐび。
一本呑んだら腰が抜けるという代物でした(笑)兎も角、安くて早く酔える!貧乏学生
にはもってこいの飲み物でしたね。

それからあの歌手の加藤登紀子さん。彼女はほんとあしげにここに来ていたようです。
当時無名であったので、ボクの記憶にはありませんが。

因みに時々奥様と社会見学ということでこちらに来て、どん底カクテル(略して「どんカク」
を呑んでますが、昔と違って随分とスマートな飲み物になってます。腰が抜けるということ
はないようですね(笑)

オカマバーやら飲み屋が多かったこの町も随分と様変わり。おとなしくなったような
気がします。

新宿末広亭。最近の落語ブームで、ここはまた往時の盛況を取り戻して
いるようです。毎日TVで繰り広げられるどたばたの意味のないどつきギャグ
やら下手なタレントの一発芸じゃ見てらんないですものね。
いつまでたってもなくならない、小中学校のいじめ問題なんて、こういう下品な
お笑い番組の影響ってかなりあると思うけどなぁ・・・

ついこの間も、何で人気があるのかボクにはわからないのですが、一発芸の
タレントが高飛び込みの真似だかして大怪我をしたようですけど。あれって、
ある意味いじめじゃないの?業界も視聴者も麻痺してるからねぇ。

 大衆酒場の典型。まだ開店前ですけど、開店と同時にお客さんで埋まります。
まだ日の高い時間から(笑)長引く不況、こういうお店が受けるのも理解できますわ。

この二つとも前回紹介した調布の名店「い志井」の経営するチェーン店だったのね。
びっくり!それなら安心して今度飲めると思ったりして(笑)

 

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東京探訪記:新宿四谷大木戸「太宗寺」

2012年09月13日 08時21分33秒 | 東京探訪記

 四谷四丁目(江戸時代の大木戸のあったところ)新宿通りから新宿駅方向を臨みます。
正面には新しいランドマークの東京モード学園のコクーンタワーが。

新宿通りを上って暫くいって右に折れると新宿のビルの中にぽっかりと空間が。
そこはあの内藤新宿の地名にもなった高遠藩主内藤家の菩提寺太宗寺
創建は1596年(慶長元年)。当時安房国勝山藩主の内藤正勝の葬儀を当寺で
執り行った縁で当家の菩提寺となりました。
内藤家がその後信州高遠に移封となった後もその関係は維持されて現在に至り
ます。

上の写真は「三日月不動尊堂」。

こちらがお不動様ですが、額に三日月が!(見えますか?)
像の上部に天窓が穿たれており、そこから光が差して三日月が光る仕掛けが
施されています。

この三日月不動は面白いことに本来は高尾山薬王院に納められるところ、新宿まで
運搬したが、ここで荷がにっちもさっちも動かなくなり、当地に不動堂を建立したと
言い伝えがあります。

三日月不動尊の下にはもう一体。こんなかわいらしい像が。にこやかな布袋様。

三日月不動堂の傍らにこんな不思議な像が。なんと全身にお塩をかぶせられて。
こういうのはボクは初めて見ましたが。この縁起はちょっと分かりません。日本のほか
でこういうのはあるのかしら?
隣に解説板があったかもしれませんが見落としています。恐らく「脱衣婆(だつえば)」
じゃないかと思います。下で案内する閻魔堂と対峙した位置に。
脱衣婆は賽の河原で待ってる婆さんで、ボク等がそこに行くと衣服を脱がされ重さを
計られます。その案内をするのがこの婆さん。なんでも、その衣服の重量で地獄の
刑の軽重が決まるんですって!
誰ですか、死ぬ時は裸でいいんだって叫んでいる人は(笑)

像そのものははだけた姿のものが多いようで、それを隠すために衣類をかぶせたり、
綿をおおったりするそうですが、このお寺のは塩を使っているんじゃないでしょうか。

三日月不動堂の正面には閻魔堂が。なんでも都内最大級の閻魔様がおわします。

金網越しに閻魔様の怖いお顔を。「内藤新宿の閻魔様」という愛称で江戸庶民
の信仰の対象であったそうです。

閻魔堂の右横には江戸六地蔵のひとつが。江戸に入る・江戸から出る六街道
の守護仏を称して江戸六地蔵といいます、当然ここ内藤新宿は甲州街道の守護仏。 

以上江戸の信仰のあり方がこのお寺を見てわかるという、なかなか貴重な体験
でありました。

 

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