1981年、クリムゾンのジョン・ウエットン、イエスのスティーヴ・ハウとジェフリー・ダウンズにELPのカール・パーマーが加わり正真正銘のスーパー・グループ、Asiaが誕生。
本日は彼らの第二弾、1983年のアルバム、Alpha。
69年ごろからイエスやクリムゾンの鮮烈なデビューによってプログレ・ロックが盛況を極めるが、徐々に息切れして来たのか75年ごろにはアルバム発売毎時における都議はどんなことをやってくれるのかといったワクワク感がなくなってしまった。
例をあげると、クリムゾンの1974年のRed、イエスの1974年のRelayer、ELPの1973年のBrain Salad Surgeryそしてピンク・フロイドは1975年の Wish You Are Hereなどのアルバムを最後にこれといった目ぼしいアルバムがなくなってしまった。
パンクやディスコの吹き荒れる嵐の下、もう一度輝きを取り戻そうと機会を伺っていた70年第後半を経て遂にスーパー・バンドが誕生することに。
プログレ界の重鎮ともなった彼らは、かっての輝きを取り戻すにはそれまでのプログレの焼き直しでは懐メロバンドか!と言われるのがおちで、やはり新バンドとしては革新的な何かを示す必要があった。
新たな音楽的志向として、プログレ時代に養われた高度な演奏テクニックを持ってキャッチーでメロディアスな曲を演奏。
但し複雑な構成の曲は避け、長尺曲の廃止と曲中に不必要なインプロビゼーションなしなどのコンセプトを持って歌モノ中心に集うを展開することに。
プログレ不毛の地アメリカではこの手法が受けて、1982年のデビュー・アルバム、Asiaは全米1位の大ヒットを記録。
本作は前作と同じコンセプトをさらに磨き上げ無駄を排し売れ線を狙った作りとなっている。多分スティーブの作った曲もあったのだろうが、当アルバムには不向きということで 全曲ウエットンーダウンズのコンビの作品が採用された。
(自作曲が取り上げられなかったにも関わらず、スティーヴの謙虚な有難〜いお言葉)
ただアメリカでも大ヒットはしたものの前作と比べると売上はかなり落ちたらしい。
個人的には個々の曲の出来はいいと思ったものの、アルバム全体となるとなんとなく平坦で盛り上げに欠ける当時の印象だった。
安定性ばかり追い求めるとマンネリの評価、かと言って冒険しすぎると失敗作って烙印押されてしまうリスクも…
ジョンはこの後フラストレーション解消のため一回休みてなことで、日本のファンは日本公演でグレッグ・レイク率いる変形Asiaをブドーカンで目撃する特典を得る。
さらになんらかの不満があったのか定かではないが、スティーヴは3作目のアルバム制作を欠席、その後非常勤となる。
飛び抜けた個性のぶつかり合うスーパー・グループをうまく運営するってかなり難しいみたいですな。