風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

神奈中バスGW10日間フリーパスの旅 9-1(南太田、上大岡)

2019-07-08 | 神奈川
8日目からの続きです。

● 今日のタイムテーブル



GW9日目になりました。
これまで1日休んだ以外は、日中ずっとバスに乗り続ける連休を送っています。
(普通じゃないよ)と思われることでしょう。ええ、私もそう思います。
日々少しずつ蓄積している疲労は、昨日かおとといあたりがピークだったようで、もう何も感じなくなっています。
疲れが抜けたというより、身体が麻痺しているのでしょう。

こうなることは何となく予想できていたので、きついルートからどんどんゆるい行程にしています。
今日と明日は、もう横浜市内から出ません!
それだけで、ぐんとハードさは減り、気持ちも安らぎます。
昨日、通った大学を訪れたため、今日は高校と当時の家をメインに訪れようと思います。
今日も不規則予定のため、今日の予定ルート地図はありません。

● [1本目] 「新横浜駅前」⇒「保土ケ谷駅東口」

1本目は、7:37「新横浜駅前」発「保土ケ谷駅西口」行きの[121]系統。
時間通りに到着します。



保土ケ谷駅前に、カラーのマンホールがあります。
ランナーを見て(ふーん、箱根駅伝かあ)と思いますが、背景を見て(おや?)と足が止まります。
これ、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次 戸塚宿」ですね。
そこを駅伝の選手が走っていくという、時間を超えた保土ヶ谷の様子が描かれた、凝った絵柄です。



戸塚駅で撮影したオリジナルと比べてみると、旅籠兼茶屋「こめや」の看板が「東海道」の提灯に変わっているなど、ちょっとした変更があるところが、また心憎いところ。
もちろんこのマンホール、戸塚駅の近くにもあるようです。

● [2本目] 「保土ケ谷駅東口」⇒「蒔田中学校前」

2本目は、8:30「保土ケ谷駅東口」発「桜木町駅前」行きの [11]系統。

予定ではここから戸塚方面に行くはずでしたが、それを見送って桜木町行きのバスに乗ります。
ルートマップを見て「南センター」で降りようとしたら、その直前でバスはぐいっと右折しました。
予想していたルートから外れたので、あわてて次の「蒔田中学校前」で下車。
時間は8:45。「南センター」のバス停まで行き、時刻表を確認してから、清水ケ岡公園の方に向かいます。

● 獅子頭の湧水

目指すは、高台にある清水ケ丘公園・・・ではなく、その下を通る大原隧道。
でも、スマホの地図を確認してもよくわかりません。
山なので、途中で切れている道があちこちにあり、道の先が、行き止まりなのか隧道なのか判別しづらいわ~。
そこで、そばの駐車場で車を洗っているおじさんに道を聞くと、通りまで出て親切に教えてくれました。



首都高の陸橋の下を通っていくと、ギリシャ・ローマ風の獅子の水口がありました。
えっ、こんなところに突然?
説明板には「獅子頭共用栓の大原隧道脇の湧水」とあります。



かつて、この辺りは地下水がそこかしこに湧き出ていたそうです。
(それで清水ヶ丘っていうのね!)とようやく気付く、頭の巡りの悪い私。
何の柵もなくナチュラルに置かれていますが、これは貴重な明治期のオリジナルだそう。
よいこは、いたずらしないでね!

● 大原隧道

おじさんに教えてもらった道の先に、トンネルがありました。
大原隧道です。
ちょうどボランティアの人たち20人ほどが、周囲の草取り掃除をしてくれていました。
この人たちのおかげで、きれいな道が保たれているんですね。
「わあ、ミミズだ」「ピンクでかわいいよ」なんて声が聞こえます。



トンネルの前まで来ました。
うわあ、雰囲気たっぷりで、カッコイイ!

全長254メートルの人道用トンネル。
かつて関東大震災の復興事業の一環として、昭和3年に水道管を敷設するために作られたものです。

さっそく入ってみます。
朝だからか、私のほかには誰もいません。
ボランティアの人たちの声も、聞こえなくなりました。



自分が今、どこで、何をしているのか、ふっとわからなくなるような感覚。
異世界へ向かっているような、神秘的な気持ちになります。
先まで行って、Uターン。



黄色の光だったトンネル内は、いつのまにか青色になっていました。
別にチカチカ色が変わっているわけではありません。不思議です。

隧道は思っていた以上にすてきでした。
ただこの場所、“出る”と有名だそうです。
地元では「お化けトンネル」と言われているとか。
・・・朝でよかった!

● [3本目] 「南センター前」⇒「南太田駅前」

3本目は、9:21「南センター前」発「横浜駅西口」行きの [上202]系統。

少し遅れてやってきた9:25のバスに乗り、2つ先の「南太田駅前」で下車。
フリーパスがなければ歩いていたかもしれませんが、今日も長い旅になりそうなので、なるべく体力を温存します。



ここはかつての家の最寄り駅。
駅前の「パーラー泉」は、以前と全く変わっていません。
高校生の時、ここで「サラスパ(サラダスパゲティ)」なる食べ物と出会い、はまりました。



和菓子の「三吉野」は大きな店構えになっていました。

● 真葛焼窯場跡

そこから庚台の坂を上ります。
坂の途中に、私の好きな真葛焼(まくずやき)の創始者、宮川香山の窯がありました。



旧住所、横浜太田村字富士山下の辺りにあった窯場跡。
今でも、その辺りを掘ると、土砂から陶器のかけらがたくさん出てくると言われます。
何か手がかりがないかと、辺りを散策しましたが、家がたくさん建っており、空き地などありません。



百段坂の下あたりにも、完璧主義者だった香山が焼き上げては満足せずに割っていった陶器の破片が、今でもたくさん埋まっているはずなんですが。



1945(昭和20)年の横浜大空襲から、不幸が重なって4代で途絶えてしまった真葛焼。
隆盛時にはその超絶技巧が世界で称賛されたものの、今では残された作品が少ない「幻のやきもの」となってしまいました。
近年、横浜銘菓企業の三陽物産が私設ミュージアム「宮川香山 眞葛ミュージアム」を立ち上げ、あちこちで展覧会が開かれるようになってきてています。

三陽物産さん、ありがたいことです…。
ミュージアムのコレクション、もちろん堪能しました。
香山はもっと世に認められるべき、すばらしい芸術家で、一企業だけでなく、市がもっと本腰を入れて保存活動を行うべきだと思います~。

● 庚台の石碑

庚台の百段坂から車道を横切り、近道の石段を通って三春台へ。
けっこう坂を上ってきています。



石段の横に、「庚大」と刻まれた石碑があります。
かつて、毎日この道を通っていた頃には、ろくに目も向けませんでしたが、今はこういう古い石モノが好きな私。
初めてじっくり観察しました。



すると別面に、石碑を建立した人の名前がびっしりと刻まれていました。
太田小学校の有志の中に、香山の名前がありました。


宮川香山!


すばらしい。このこと、香山研究家は知っているかしら。
この前講演を聴いたばかりの、眞葛ミュージアム館長の顔を思い浮かべました。

● かつての家は

その階段を上がると三春台の上。結構な急斜面の上にあります。
太田小学校の向かいに、かつて私が住んでいた官舎があります。
いえ、ありました。

目下、国は日本中の官舎を減らして民間に払い下げています。
先日訪れた、相模原の官舎同様、ここもなくなると聞いていました。



そう頭ではわかっていましたが、以前住んでいた建物があとかたもなくなっていたのは、やはりショック。
しばし呆然と立ちすくみます。
高校入学から大学卒業まで、ここに住んでいたのにな。
なんにもなくなっちゃった。



かつて家があった場所。地面に戻っています。
見慣れた眺望だけは、変わりません。

● 急斜面の上

辺りを散策します。
すぐそばに、横浜でも有数の急坂があります(名前は旧坂)。



慣れないヒールに悪戦苦闘していた当時、自分がボールなら、加速をつけてごろごろ転がっていって、坂下の黄金町駅まで超高速で着けるのにと、何度思ったかしれません。

我が家は思いっきり崩壊危険区域内だったんですね。
土砂崩れが起きなくて良かったです。



ご近所だった作詞家の故・安井かずみさんのご実家もなくなっていました。
(セレブの旧安井さん邸は、危険区域外でした)

元の家の真下、坂を少し下りた辺りにも官舎があったので、様子を見に行きました。
そこにはすでに新しい家々がびっしりと建っており、人が暮らしていました。



寂しさ・切なさ・あきらめがごっちゃになった複雑な気持ちを抱えてその場を離れ、「前里町」バス停へ。
江ノ電と市バスのバス停はあるものの、神奈中のバス停が見当たらず、途方にくれながら探しました。
少し歩いた交差点の向こう側に、ようやく発見。
お互いのバス停情報を書いてくれてもいいのに、バス会社同士、仲が悪いのかしら…。
でも自分が気づかなかっただけかもしれません。

● [4本目] 「前里町4丁目」⇒「信濃口」

4本目は、10:00「前里町4丁目」発「戸塚駅東口」行きの [戸03]系統。

今回、元の家探訪はプランに入れていなかったため、ここからどのバスに乗ってどこで降りればいいのか、実はよくわかっていません。
方角は間違っていないだろうと、やってきた戸塚行きに乗りました。

● カオスその1

ルートマップを見て、この辺りだろうと「品濃口」で下車。
そこから上大岡行きに乗り換えようとしましたが、保土ヶ谷や戸塚行きしかやってきません。
おかしいなと思いながら歩いているうちに、一つ手前の「国道平戸」バス停まで戻って来てしまいました。

このバス停から、上大岡行きが出ているかしら?
バス停の時刻表を見ていると、目の前にバスが停まったので「上大岡に行きますか?」と聞いたら、「ここじゃないよ。バス停が違う。右に行かないと」と運ちゃんに言われました。

「え、右?」と首をかしげていると、一人の女性が「私、そっちに行くので、一緒に行きましょう」と言ってくれました。
わあ、助かります~(涙)!

その女性に「上大岡行きのバス停は、あそこを右に曲がって、それからちょっと左に行ったところなんですよ」と教えてもらいました。
うーん、連れて行ってもらわなければたどり着けなさそう。



左の丸(品濃口)から真ん中の丸(国道平戸)までバス停一つ分歩き、そこから右の丸(平戸)まで案内してもらいました。
上大岡行きのバス停は、「国道平戸」だったのです。
私がルートマップから(このあたりで乗り換えだろう)と思ったバス停が一つずれており、さらに「国道平戸」と「平戸」という類似バス停があるのが混乱の元でした。

● カオスその2

歩いていると、「上大岡駅行き」のバスがやってきました。
反対側からもバスが来ましたが、そちらも「上大岡駅行き」です。
平戸と国道平戸のバス停で、すでに頭がこんがらかっている私。
更なるカオスに「え、どっちに乗ればいいの?」と頭を抱えます。

「ここは循環バスになっているんですよ」と女性。
この辺りの住民はみんな、上大岡に出るわけですね。
どちらからもバスが近づいてきているため、決断を急がねばなりません。
「南高校前に行きたいんですが、どちらに乗ったらいいんでしょうか?」と迷惑ついでに尋ねると「芹ヶ谷経由と南高校経由があって、あっち側ですね」と教えてもらいました。

● 女性の優しさ

ラストスパートをかけようとしたところに「じゃあ、お気をつけて」と言われて、「えっ?」と振り返ります。

国道平戸バス停で、点滅している信号を見て「あの信号、渡ります?」と聞かれてから、女性とはずっと一緒に小走りに走ってきました。
なので、てっきりこの方もバスに乗りたいんだと思っていました。
でも、そうではなかったことが判明。
場所を案内してくれた上に、私に合わせて一緒に走ってくれていたのですね!
なんて優しい人なんでしょう。

感激しながらお礼を言って、ちょうどバス停に着いたバスに飛び乗りました。
今日、私がいただいた分の幸せが、その人の元に届きますように。
次は私も誰かに優しさを返しましょう。

● [5本目] 「平戸」⇒「南高校前」

5本目は、10:40「平戸」発「上大岡駅」行きの [船08]系統。

先ほどの女性に助けてもらわなければ、ダブルの混乱を切り抜けるまでにウロウロさまよって、かなりの時間とパワーをロスしたことでしょう。
手助けをしてもらい、何とか無事に南高行きに乗れました。

高校は山の上にあるため、道は山あり谷ありのくねくねカーブ。
知らない風景が続きます。
いつも上大岡駅から乗るばかりで、反対側から乗るのは初めてでした。
母校について、一面しか知らなかったんだなあと思います。

● 母校訪問(高校)

10:50に南高校前で降りました。



久しぶりの母校、見慣れた銘板の文字が懐かしいです。
これは誰が書いた字なのか、ずっと気になっていますが、いまだにわからないままです。



2012年から付属中学校ができて、公立の中高一貫校になりました。
正門の反対側には、中学校の銘板が入っています。



かつては「お祭り学校」と言われ、Wikipediaにもそう紹介されている母校。
それが今ではSGH(スーパーグローバルハイスクール)指定校となっています。

部活中の生徒たちが、みんなクレバーに見えるわ~。
ノーノー、先輩なんだから卑屈になるのはやめましょう。



周りの県立高校はどんどん合併していきましたが、ここは残っています。
でも校舎は建て直され、かつてあった南高池ももうありません。
大好きな高校ですが、懐かしいものがないため、ほとんど足を運ばなくなっています。



と、建物の上階から、ホルンの音色が響いてきました。
ブラスバンド部が休日練習しているようです。
オー、音楽部の後輩だわ。私も現役の時には、休日も登校して、部活練習していたなあ。



グラウンドでも、運動部が練習していました。
部活動が盛んな学校という伝統は、昔も今も変わっていないようです。

● [6本目] 「南高校前」⇒「上大岡駅」

6本目は、11:04「南高校前」発「上大岡駅」行きの [71]系統。
この区間は、これまでで一番乗っている神奈中バスのルート。
でも、周りの家並みはもう当時と同ではありません。



前日も通過しましたが、上大岡駅周辺はがらりと変わっています。
もう、思い出せるよすががないほどに。



● カミオとミオカ

駅前ビルには「カミオ」と「ミオカ」があるそうです。
なんじゃそれ?
「カミオ」といったら「カンデ」しか思い浮かばない私(カミオカンデ)。
もはやここは、見知らぬ土地になっています。

巨大化した京急ビル。
2Fには連絡通路まであるなんて。



ところで英語だと「KAMIOOKA」になるんですね。
「かみおおおか」なので、Oは3つかと思っていました。
最初のOが「オー」で、次のOが「オ」ですね。



なんてのんびり上を見て考えている余裕はありません。
駅の辺りはえらく混んでおり、うかうかしていると、人にぶつかってもみくちゃにされてしまいそう。

すごい人混みの中、どこに行けばいいのかわからないまま、流れに呑まれ渦に巻き込まれる感覚。
暑さに体力も消耗するし、早々に脱出しないと疲弊しそうです。

本当は、駅前周辺を散策して、懐かしい街角をたどろうと思っていましたが、予想以上に混んでいたので、早々に離れることに。
ネットで時刻表を調べると、2分後に横浜行きのバスが来るとわかったので、駅ビルWING2階から大急ぎで下におり、交差点を渡って乗り場に並びます。
バスはすぐにやってきました。

● [7本目] 「上大岡駅」⇒「横浜駅東口」

7本目は、11:40「上大岡駅」発「横浜駅東口」行きの [港61]系統。

上大岡から横浜に移動しました。
今日もまた弘明寺付近で京都のラーメン魅力屋(かいりきや)の店舗を見かけました。
家のそばには全くありませんが、バスに乗るとなんだかやけに目につきます。
神奈中沿線を制覇しようとしているのかしら。

横浜は、当然のことながら上大岡以上の人出。
そういえば、GWは例年どこに行っても人込みで疲れているんでした。



それでも、東口から西口に移動しなくてはなりません。
人をかき分けるようにコンコースを進んで、西口の電光板でバスをチェック。

ズーラシアそばの里山ガーデンに行きたいと思っています。
横浜からバスがでているはずなのですが、ありません。
今は12:15ですが、調べると2時間後の14:05までないようです。
一日6本のみの、少ない便でした。

ほかのルートを考えてみると、保土ヶ谷経由東戸塚行き(19)が12:29に来ることがわかり、次の行き先を児童植物園に変えることにしました。
予定は時間に合わせてフレキシブルに!

乗り場は、駅前バスロータリーではなく少し距離があるホテルシェラトン側なので、急いで移動します。
ホテルの周辺をウロウロし、バス停を発見。
ほどなくしてやってきたバスに、乗りました。

● [8本目] 「横浜駅西口」⇒「児童植物園前」

8本目は、12:29「横浜駅西口」発「東戸塚駅」行きの [19]系統。

今日は市内移動のため、どのバスも乗客が多く、混んでいます。
しょっちゅう渋滞に遭うためブレーキも多く、また自分が何度も乗り降りをするためにせわしないため、タブレットを持ち歩いていても使えません。
遠距離の郊外に向かう時は、のんびりしていたからバスに乗りながら打ち込みできたんだなあと気がつきました。

その2に続きます。



最新の画像もっと見る

post a comment